決着の後に
鎧を脱ぎ、ソファに腰掛けて、エキュリアはふぅっと息を吐いた。
小砦の一角に作られた部屋だが、緩やかな光が差し込み、優しい色をした観葉植物も置かれている。シロガネが煎れてくれたお茶の香りも、心地良く緊張をほぐしてくれた。
「お疲れさまです。大勝利ですね」
対面に座ったスピアも肩の力を抜いている。
テーブルの上には、お茶だけでなくおやつも用意されていた。
たっぷりとシロップを垂らされたホットケーキは、溶けたマーガリンと一緒に甘い匂いを漂わせている。
「確かに勝利だが、おまえは気を抜きすぎではないか?」
「ホットケーキは冷めると美味しくありません」
「いや、そんな問題ではないのだが……」
苦笑するエキュリアの顔には、少々の疲労も滲んでいた。一騎討ちでは圧勝に見えたけれど、さすがに神経をすり減らしていた。
でもそのおかげで、帝国軍を撤退させることができた。
好戦的な帝国軍だが、引き際はしっかりと心得ていた。事前の約束通りの行動だし、殲滅魔法による威圧も効いていた。
ラヴィとジュタールは捕らえられて、いまは別室にいる。
其々に監視を付けてあるので、まず暴れたりはしないだろう。
「あの二人からは、オルディアン城砦の様子も聞き出す必要があるな」
エキュリアはお茶に口をつけながら、今後について思案する。
ひとまず撤退したとはいえ、帝国軍は王国の城砦ひとつを奪った状態だ。その返還までは戦う前の約束に含まれていない。
王国軍としては、奪還のためにまた戦いを覚悟しなければならない。
スピアとエキュリアは帝国へ向かう予定だったが、それはいつになるのか―――。
しばし思案を巡らせてから、エキュリアは重く息を落とす。
「……なかなかに前途多難だな」
「だったら尚更、ホットケーキは早く食べた方がいいですよ」
「おまえはまた他人事みたいに……まあ、休める時に休むことも大切か」
エキュリアも難しい顔をやめて、フォークを手に取る。
柔らかなホットケーキを口へ運ぶと、まずはシロップの甘味が舌を喜ばせる。蕩けるマーガリンと生地の程好い食感が合わさって、味覚を幸せで満たしていく。
贅沢なおやつに、エキュリアはうっとりと目を細めた。
「ふぅ……これはまた、絶品だな」
「おかわりもあります」
「いただ……いや、しかし、あまり贅沢に浸かりすぎるのも……」
まだ戦いへの警戒を残しておかなければ、とエキュリアは頭を振る。
けれど甘味の誘惑には抗い難く、スピアによる追い打ちもあった。
「余っちゃいますよ? ユニちゃんは、まだ眠ってますし」
「む……そ、それならば仕方ないな。余らすのも勿体無い。いただくとしよう」
平静な表情を保とうとしても、徐々に頬は緩んでいく。
帝国にまで名を轟かせたエキュリアも、ホットケーキには勝てなかった。
◇ ◇ ◇
妙な圧迫感に意識が引かれる。
ぼんやりとした心地良さはあっても、胸元から伝わる違和感は大きくなってきた。
微睡みながら、ラヴィは視線をそちらへ向ける。
小さな頭があった。ベッドで眠っているラヴィの胸に埋もれている。
柔らかな感触が落ち着くのか、寝息はとても静かだ。
その抱きつかれる感触に、ラヴィは覚えがあった。
「お姉ちゃん……ふふっ、くすぐったいよ」
さらさらとした黒髪を撫でながら、ラヴィは微笑む。
子供の頃から、こうして一緒に眠ってたっけ。
よく泣いてた私に、お姉ちゃんは優しくしてくれて。
私の方が大きくなっても、背伸びをして頭を撫でてくれたりして。
寝相の悪いお姉ちゃんは、朝起きるとベットから落ちてたりもして―――。
「懐かしい……って、あれ? でもどうして……っ!」
急激に意識が覚醒して、ラヴィは跳ね起きた。
辺りを見回す。簡素な石造りの部屋に、大きなベッドといくつかの調度品。
あとは、窓辺に一羽の鷹が留まって毛繕いをしていた。
「私はたしか、お姉ちゃんと戦って、それで……」
敗北した。それはなんとなく覚えている。
けれど自分が何をされたのかなど、細かな部分をラヴィは思い出せなかった。
実のところ、ラヴィの負傷はかなり深刻なものだった。
体内を暴走するように魔力が駆け巡り、全身に破壊を振り撒いたのだ。体の内側から爆散してもおかしくなかった。さらには魔力回路もズタズタにされたのだから、普通なら再起不能となるところだ。
しかしそこは、スピアやシロガネが治療に当たった。
身体の傷は治療薬や魔法で元通りになったし、スピアに掛かれば魔力回路の復元も難しくない。以前にリゼットの『雷光病』を治した時と同じようなもの。
スピア曰く、「ダンジョンの通路を整えるのと同じ」だった。
むしろ、以前より魔力の巡りは良好になっているだろう。
けれどまあ、その辺りはいまのラヴィには窺い知れないところだ。
そもそも自分が倒された前後から記憶が曖昧になっていた。
「とりあえず怪我はないみたい。お姉ちゃんが手加減してくれたのかな……あ、でも気絶してたなら、ここは王国側の砦のはずだけど……」
自分は捕らえられたのだろうと考えて、ラヴィはあらためて部屋を見回した。
「でもどうして、お姉ちゃんと一緒に? 見張りの兵士もいないなんて、いくらなんでも不用心すぎるんじゃ……っ!」
首を傾げたラヴィだが、突如、ビクリと肩を縮めた。
窓辺にいた鷹が、鋭く鳴いたからだ。
精悍な顔つきをしたその鷹を、ラヴィはまじまじと見つめる。
「……もしかして、あなたが見張りだったり?」
まるで肯定するみたいに、鷹はもう一鳴きする。
でもあとは用が済んだとでも言うように、また毛繕いを始めた。
「そういえば、矢文を運んできたのも鷹だったね……」
魔物使いがいるのかな?
もしかして、キングプルンに乗ってたあの子が―――、
などと思案するラヴィだったが、不意に腕を引かれた。
視線をベッドに戻すと、ユニがぼんやりと目を開けていた。
「ん……? ラヴィ?」
「あ、お姉ちゃん! そうだ、起きてよ。なんだか大変な状況みたいで……」
「……眠い。布団掛けて……」
「そんなこと言ってる場合じゃないって! お姉ちゃんがどうしようもなくいい加減なのは知ってるけど、こんな時くらいシャキっとしてよ!」
寝惚けきっているユニの肩を、ラヴィは力任せに揺する。さらりと酷いことも言っていた。
それでも強引に体を起こそうとしないのは、姉のような相手に対する甘さ故だろう。
「ねえ、いったいどうなってるの!? お姉ちゃんが転移刑にされたって聞いて、すっごく驚いたんだよ! だから私も大陸に来て、帝国の力を借りてお姉ちゃんを探そうとして……これまで、何処でなにをしてたの!?」
「んん……吹き飛ばした?」
「何を!? って、ちゃんと起きてよぅ!」
ラヴィは涙目になって訴える。
まだ十二才の女の子なラヴィにとって、大陸を訪れるのはそれこそ決死の覚悟が必要だった。当然ながら両親には反対されたので、家を飛び出してきたのだ。
しっかり者のようで無茶な行動力もあるのは、ユニと似た血筋だと言える。
ともあれ、大陸に着いてからも苦労の連続だった。
殲滅魔法という武器があっても、帝国貴族に取り入るのは一筋縄ではいかなかった。
だから目指す“お姉ちゃんとの再会”も、とても感動的なものを想像していたのだが―――。
「ん……やっぱり、ラヴィと一緒にいるのが一番……」
「お姉ちゃん……」
ぽてり、とラヴィの胸に顔を埋めて、ユニはまた目蓋を伏せる。
色々と聞きたいことはあった。
だけどそれも、幸せそうなユニを見ていると、後回しにして構わないと思えてくる。
これまでの苦労も報われたかなあ、とラヴィは優しく微笑んだ。
「良い抱き枕……誉めて遣わす……」
「って、そこなの? 私って寝具扱い!?」
小柄な肩を掴んでガクガクと揺らす。
けれど感動的な再会は遠く、ユニは睡魔に誘われたままだ。
「どうなってるのよぅ! 誰か説明してぇっ!」
ラヴィの訴えは虚しく響く。
ただ、窓辺で丸まっていた鷹が小さく鳴いた。やれやれとでも言うみたいに。
帝国軍との前半戦は終了。
後半戦へ続きます。
ところで前回、感想欄がトンファー一色で吹きました。
真っ先にAAが張られてるところに、トンファー人気の凄さを感じますね。