迫る帝国軍
オルディアン城砦を出た帝国軍は西へと進む。
目指すは『王国最強』と謳われる女騎士、エキュリア。
たった一人と戦うために五千の軍勢が向かうのだから、非常識ではある。
けれど帝国騎士ならば、百人中九十五人くらいは同じ行動を取るだろう。
強者との戦い。それは何よりも望むものだ。
ちなみに、城砦には形だけの守りとして百名ほどを残してある。
クジ引きに負けた彼らは、心の底から残念そうな顔をしていた。
「―――という訳でして、今回はラヴィ殿の出番は後に回していただきたいのです」
「はぁ。べつに構いませんけど」
行軍の途中で、主だった騎士が馬を並べて今後の作戦を話し合っていた。
ラヴィも端っこに並んでいるが、基本的には話を聞いているだけだ。
ただ、今回は口出ししたくなった。
どう考えても、楽観的すぎる作戦に思えたから。
「向こうが一騎討ちに応じなかったら、どうするんです?」
「はっはっは、そのようなこと有り得ませぬ」
「左様。噂に聞く『紅蓮騎士』エキュリアですぞ。きっと喜んで応じてくれるはず」
「追撃部隊とも一戦交えたそうですからな。その戦いも凄まじいものだったとか」
作戦は、実に単純。
軍勢で城壁前へ押し寄せてから、一騎討ちを挑もうというもの。
およそ作戦と呼べるかどうかも怪しい。
「問題は、こちらから何名出すかという点だな」
「あまり数が多くても潔くない。しかし一人や二人では納得できぬ者ばかりだぞ」
「うむ。せめて十人は代表として認めてもらいたいところだ」
もはや目的が、戦いそのものになっている。
戦争の素人であるラヴィでさえ疑問を覚えるほどだ。
作戦って勝つために練るんじゃないのかなあ、と。
そんなラヴィの怪訝顔を見て、勘違いする者もいた。
「心配しなくても、ラヴィは俺が守ってやるよ」
軽薄すぎて歯の浮くような発言。ジュタールだ。
「なんならベッドの中でもな。野営だと、色々と不安だろ?」
「いいえ。お断りします。迷惑です」
杖を構えて警戒を露わにしながら、ラヴィはマントも翻して胸元を隠す。
ジュタールのいやらしい視線はまた豊かな膨らみに注がれていた。
「つれないな。だけどまあ、そう言っていられるのも今の内だけだぜ。俺の活躍を見れば、惚れ直すのは間違いないからな」
「直すもなにも、惚れていません」
一騎討ちの際にはエキュリアの方を応援しよう、とラヴィは内心で決意する。
ジュタールが代表者の内に選ばれるのは、すでに決定していた。なにかと問題のある男なので、総大将という訳ではないが、剣の実力では帝国全体でも上位に入る。
今回の侵攻軍の中では、ジュタールに勝てる者はいないだろう。
だから代表に選ばれるのは当然だった。
ラヴィとしては、もちろん帝国軍が敗北するのは困る。仲間意識もある。
けれどジュタールへの嫌悪感は、それらをぶっちぎって上回った。
直接言葉にしなかっただけでも、精一杯に理性を働かせた結果だ。
「『王国最強』だろうが俺の敵じゃねえ。華麗な剣技を見せつけてやるよ」
ラヴィはもう何も言わずに聞き流すことにする。
反論したところで喜ばせるだけだと学習した。
子供の頃にもこんな男の子がいたなあ、なんて思いつつ馬の速度を上げた。
なるべく距離を置いておきたい。
それはなにも性格的な問題ばかりでなく、能力の相性も悪いのが原因だ。
魔術師の天敵とも言える武器を、ジュタールは携えている。
だからラヴィは身の安全を考えて近づきたくない。
はじめは小さかった警戒心は、大きく膨れ上がっていた。
「べつに怯えてはいないんだけど……」
誰にも聞こえない呟きを落としつつ、他の騎士たちの間に紛れ込む。
そうして数日間の行軍は、順調に進んでいった。
ラヴィの苛立ちも順調に溜まっていったが―――。
「街の前に砦が築かれているだと……?」
偵察兵からの報告を聞いて、軍勢を率いる帝国騎士たちは呻り声を上げた。
楽観的な作戦を立てていた彼らだが、偵察兵を走らせるといった地道な行動にも気を配っていた。伊達に戦いばかりに頭を働かせてはいないのだ。
もうじき街が見えてくるところで、小さな砦の影も遠くに窺えた。
「そういえば、追撃部隊もいきなり城壁が現れたと言っていたが……」
「魔法で造ったということか?」
「信じ難いな。しかしそうだとすれば、王国にはかなりの魔術師がいるぞ」
行軍を進めながら、主だった騎士たちが話し合う。
いずれにしても軍勢を止めるという選択肢はなかった。
帝国騎士にとっての問題は、その砦に『王国最強』がいるかどうかだが―――。
「む……?」
一人の騎士が違和感を覚えて、上空へ目を向けた。
同時に、甲高い鳴き声が響いてくる。一羽の鷹が悠然と翼を広げていた。
やけに大きな鷹だった。しかも全身に青白い光を纏っている。
もしや魔物かと、身構える者もいた。
けれどその鷹は襲ってくることはなく、帝国軍の上をぐるりと旋回した。
ひとしきり注意を引きつけると、足に掴んでいた一本の矢を投下する。
「まさか従魔……? いったいどういうこと?」
ラヴィも不可思議を覚えずにはいられない。
大きな鷹が投下していった矢には、目立つ形で手紙が括りつけられていた。
◇ ◇ ◇
街の隣に造られた小砦―――、
まだ名前も付けられていないそこには、四千余りの兵が集結していた。
一度は敗走した彼らだが、その士気は高い。
思いがけず帝国軍を追い返せた上に、王都からの援軍も近い内にやって来ると聞かされた。実際に親衛騎士であるエキュリアが現れたことで、援軍への信頼感が増していた。
ただ街へ逃げ延びただけなら、もっと重苦しい雰囲気に包まれていただろう。
いつまで待てば援軍が来るのか、と思うと不安が募る。
その内に、自分たちは見捨てられたのでは、と疑念が大きくなっていく。
けれど今回は、確実に助けが訪れるとの確信があった。
「矢弾はこれで全部か。東側と、あと見張り塔にも何箱か運んでおけ」
「薪も充分に足りそうだな。今年は冬が短くて助かった」
「鎧の支給もあるぞ! 自分の体に合ったのを持っていけ!」
街からの物資も順調に運び込まれている。
支給品の革鎧は、スピアがダンジョン魔法で作り出した簡素な物だ。特別な魔法効果は付与されていないが、一般兵には鎧が貰えるだけでも有り難い話だった。
砦内では、班に分かれた兵士たちの訓練も行われている。
大勢が掛け声を上げる中で、エキュリアも指導役に回っていた。
「メィア殿は、まず基本の型を身体に染み込ませるといい。これは敵を倒すだけでなく、自身を守るためにもとても重要だ」
「はい、師匠! こんな感じですか?」
「だからその師匠というのはやめろと……ああ、そこはもっと腰を安定させるんだ」
エキュリアとしては、とても弟子など取れる腕前ではないと思っている。
けれどメィアがどうしても指導して欲しいと申し出てきて、根負けしてしまった。
自分の技量を見つめ直す意味も含めて、基礎の稽古に励んでいる。ほんの数日の期間だが、エキュリアにとっても良い経験になりそうだった。
メィア以外にも、周りには幾人かの騎士が集まっていて―――、
そんな光景を横目に、スピアもぷるるんとの特訓に励んでいた。
「ん~……百烈拳はけっこう難しいね」
砦の隅っこで、黄金色の塊がぽよんぽよんと揺れている。
傍目には、子供が遊んでいるように見えるだろう。
けれどよく観察していると奇妙な点に気づく。
ぷるるんに突き入れられている拳が、時折やけにゆっくりになったり、消えたりしている。スピア自身の姿も、一瞬だけ霧に紛れたようにボヤけたりしていた。
「……またおかしな真似をしているな」
稽古が一段落したところで、エキュリアは武具の調子を確かめていた。まだ真新しい篭手を装備し直しながら、小柄な背中へ声を掛ける。
スピアも動きを止めて振り向いた。
「今回の課題は、スピードアップです」
「よく分からんが、おまえなりに真面目に考えての稽古ということか」
「わたしはいつだって真面目ですよ?」
「うむ。それは嘘だな」
エキュリアが苦笑混じりに言い返すと、スピアは不満げに口元を捻じ曲げる。
軽口を交わす二人には、帝国軍との戦いに対する気負いはない。
望まず戦争に巻き込まれたとはいえ、騒動はもう慣れっこだった。
今回もなんとか無事に乗り切れるだろうと、そう自然に構えている。
ただ、エキュリアにはいくつか懸念もあった。
「ところで……あちらは本当に大丈夫なのか?」
大勢が訓練を行っている広場の隅へ、エキュリアは視線を向けた。
そこには濃紺色のローブを纏った一人の少女がいた。
特徴的な赤味の混じった黒髪をした、スピアよりも年下に見える少女だ。スピアが連れてきたのだが、エキュリアもよく知っている。一緒に旅をした仲だ。
少女は特徴的な黒杖を握ったまま、木箱に腰掛けて辺りを眺めている。
随分と落ち着いた様子だ。ただ、その瞳は虚ろでもある。
普段から眠たげな目をしていたけれど、六割増しほどに酷くなっていた。
「ずっと魔法制御の特訓をしていたとは聞いたが……」
「ユニちゃんなら心配いりません」
スピアは自信たっぷりに述べると、足下にあった小石を拾い上げた。
それを軽く放る。ユニの方へと小さな影が飛んで―――、
黒杖が一閃。微かな青白い光を発して、小石が砕け散った。
「ほら、油断も隙もありません」
「いや待て、その言葉は間違っている気がするぞ。それに……」
なにやら非常識な光景を目にしたように思えて、エキュリアは頬を引きつらせる。
ユニは小さな頭を下げたまま、静かに座っているだけ。
だけど背中を丸めた姿からは、何処となく哀愁が漂っているようでもあった。
「……敵は、殲滅する……」
小さな呟きは、兵士たちの騒がしい声に紛れて消えた。
同時に、上空からトマホークの鳴き声が響く。
帝国軍との戦いは、間近まで迫っていた。
久しぶりに登場、ユニちゃんです。
すごいパワーアップをしてる、はず?