帝国軍の少女魔術師
国境を守るのに相応しく、オルディアン城砦は堅牢な造りだった。
けれど堀を埋められ、城壁もあちこちを崩されて、満足な機能を発揮できなかった。そんな状況でも、一千の王国兵士たちは懸命に戦った。
僅か三日で城砦を落とされたとはいえ、彼らの戦いぶりは賞讃されるべきだろう。
城砦に入った帝国兵も、無法な振る舞いはしなかった。
生き残った王国兵は捕らえられて、怪我の治療も施される。
そうして帝国軍はひとまずの勝ち鬨を上げた。
まだ城砦ひとつを陥としただけで、戦いは始まったばかりとも言える。帝国中央との連携を取ったり、来たるべき王国軍本隊を迎え撃つ準備を整えたりと、今後の方がむしろ本番だろう。
実際、早々に追撃部隊を編成して出撃させたりもしていた。
それでも多くの帝国兵が勝利に喜んで、一時の休息に安堵する。
その中には、一人の魔術師の姿もあった。
「ん……知らない部屋、じゃないね」
城砦を陥としてすでに数日―――、
ラヴィチャン・シュトラディウスは大きなベッドの上で目を覚ました。
ベッドには豪奢な天幕も備えられていて、部屋も贅沢なほどに広い。だけどさすがに戦場となる場所なので、身支度を整えてくれる侍女などはいなかった。
眠い目を擦りながら身を起こすと、まず髪に櫛を入れて整えていく。
しなやかで紫色に近い黒髪は、ラヴィ自身にとっても誇れるものだ。姉のように慕っている相手から誉められたこともあって、それ以来長く伸ばしている。
寝癖がないのも確認すると、ラヴィは寝間着を脱いだ。
「ぅ……? またキツくなったかな」
着替えをしながら、視線を下へと向ける。
豊かな胸の膨らみが、肌着を押し出して自己主張していた。
特製のローブは胴体全体を締めつける構造になっているので、女性らしすぎる胸元が圧迫されてしまう。悩みの種ではあるけれど、そのおかげで大人として見られるので、ラヴィは複雑な想いを抱えていた。
「どうせしばらく戦いは無いんだから他の服でも……ううん、やっぱり油断はいけないよね」
怠惰への誘惑を振り切って、ラヴィは着替えを進める。
少々の息苦しさを覚えながらも背筋を伸ばすと、愛用の杖も持って部屋を出た。
ラヴィはなにも、常に戦場に立つような緊張感を纏っていたいのではない。魔術師としての腕は磨きたいけれど、それと戦うための技能は別だ。
生活を便利にするような魔法だって必要だと、ラヴィは考えている。
けれどいまは、分かり易く立派な魔術師として振る舞う理由があった。
「おお、シュトラディウス様、おはようございます」
「朝の食事ですな。席は用意してありますので、こちらへどうぞ」
「作業班の者たちが礼を申しておりました。シュトラディウス様のおかげで、城壁の修復も速く進みそうです」
食堂へ入ると、帝国騎士たちが次々と声を掛けてくる。
ラヴィは少女らしい微笑を浮かべて対応しつつ、用意してもらった席に着いた。
誉められて悪い気はしない。
むしろもっと敬え―――なんて、内心では思っていたりもする。
なにせ今回の戦いは、ラヴィ一人で勝ったようなものだ。その気であったなら、最初に撃った殲滅魔法で城砦ごと消し飛ばすこともできた。
もしも帝国軍だけなら、今頃はまだ城砦を囲んで攻めあぐねていただろう。
「皆さんの頑張りがあってこそです。私は少しお手伝いをしただけですよ」
ラヴィは柔らかな表情を作って、無難な返答をしておく。紫妖族である自分が“外様”なのは、しっかりと心得ていた。
帝国軍には、“お客様”として迎えられているだけ。
だから油断した姿は見せられない。
とある目的のために、ラヴィは自分の力を認めさせねばならなかった。
「ところで、追撃に出た部隊からの報告はないんですか?」
「いまのところは、まだ。早ければ今日明日にでも伝令は届くと思うのですが」
自分の出番はもっと先かな、とラヴィは小さく息を吐く。
そうして雑談をしている内に食事が運ばれてきた、が―――。
「邪魔するぜ」
余計なものも来たと、ラヴィは僅かに顔を歪ませた。
先に座っていた者を押し退けて、一人の帝国騎士が対面に座った。軽薄な笑みを浮かべた若い男だ。
「ジュタール様、それは不躾ではないのですか?」
「硬いこと言うなよ。帝国騎士は、席だって力で奪い取るものなんだぜ」
なあ?、と肩を叩かれて、席を奪われた騎士は愛想笑いを浮かべる。
力こそすべて、という風土が帝国には確かに存在する。
ジュタールはそれを悪い方向で体現する騎士だ。
優しげな顔立ちをしていて、体格も良く、家柄も恵まれている。薄茶色の髪はサラサラとしていて、掻き上げる仕草も自然なものだ。社交の場に出れば多くの女性が目を惹かれるだろう。
貴族として、一応は礼儀作法なども心得ている。
けれど欲望が絡むと、粗暴とも言える強引すぎる性格になるのだ。
そんなジュタールの欲望はいま、ラヴィへ向けられていた。
とりわけ豊かな胸の膨らみへの視線が遠慮ない。
「今日も可愛いな、ラヴィ。こうしておまえの顔を見るだけで幸せになれる」
「そうですか。私はたったいま気分が悪くなりました」
顔じゃなく胸しか見てないだろゲス野郎、とはさすがに言わない。
それでも嫌悪が伝わり易いように、ラヴィはあからさまな作り笑いを浮かべてみせた。周りの騎士たちが引くほどの冷ややかな笑みだ。
「気分が悪い? そいつはよくないな。俺が添い寝しながら看病してやろうか?」
「そんな事態になったら、自分の足下に殲滅魔法を撃ち込みます」
「ははっ、そういう思い切りのいいところも好みだ。魔術師なんかより、騎士を目指した方が似合いそうだぞ」
ジュタールの無神経な発言に、ラヴィはこれでもかと顔を歪める。
魔術師としての誇りを傷つけられた気がした。なにも騎士を見下すつもりはないけれど、魔術師が劣っているように言われるのは許せなかった。
すぐにでも席を立ちたくなったラヴィだけど、腰を浮かし掛けて思い留まる。
食事が運ばれてきたばかりだ。食べ物を粗末にしてはいけない、と席に座り直す。
なるべくジュタールを視界に入れないようにして、食事を口へ運んだ。
「はぁ……どうして武技の神は、こんな馬鹿を使徒に選んだんでしょう」
「おいおい、馬鹿ってのは酷いぜ。こう見えても俺は知性派で……」
「貴方のことだとは言っていません。武技の神の使徒、と言っただけです」
ぐぅっ、とジュタールは顔を顰める。
面倒な相手を黙らせて、ラヴィは静かに食事を進めた。
それでもジュタールはまた何かを言おうとしたけれど―――、
「追撃部隊が戻ってきたぞ!」
にわかに、食堂全体が騒然となる。
駆け込んできた兵士の声に、ラヴィも耳を傾けずにはいられなかった。
自室へ戻ると、ラヴィはそっと息を落とした。
騎士たちと向き合っての軍議中は、ずっと緊張感を保っていた。その疲れもあるけれど、これからの戦いを思うと少々気が重くなる。
「はぁ。分かってたけど、帝国の人は好戦的すぎるよ」
広大な領土を持つ帝国は、中央と各領地で意見が分かれることがままある。
今回の侵攻にしても、王国と近い位置にある領地が言い出したことだ。
ベルトゥーム王国内が乱れているのは、帝国にも伝わっていた。
それに乗じて兵を出そうという意見もあったが、中央では反対派が多数を占めていた。
けれどそこは好戦的な者も多い帝国だ。簡単に戦いの機会を逃がしはしない。
まずは侵攻に賛成する領地から兵を出し、国境の城砦を陥とせたら中央から援軍を送るという結論になった。
兵力を小出しにするのだから戦術の常道から外れる。
けれど失敗しても被害を最小限に抑えられる。
どうせ王国は逆侵攻はしてこないという、事実だが、楽観的な前提に基づいた作戦だった。
加えて、ラヴィの存在も侵攻を後押しした。
殲滅魔法がどれほど実戦で役立つのか、帝国も試してみたかったのだ。
「私としては、それなりの地位を貰えれば充分だったんだけどな。あんまり活躍しすぎて、あちこちの戦場に借り出されても面倒だし」
ぼやきながら、ラヴィはベッドに腰を下ろした。
緊張で凝った肩をほぐしつつ、軍議の内容を思い返す。
本来なら、このオルディアン城砦に篭もって守りを固める予定だった。帝国中央からの援軍を待って王国との決戦に挑む。それが当初の作戦だ。
追撃部隊を出したのは、ちょっと欲をかいたようなもの。
攻城戦とはまた違った興奮を野戦で味わい、ついでに街から物資を得ようとした。
戦略を考えるなら“ついで”の方が本命なのだけど、そこはまあ帝国の風土故に仕方ない。なによりも血湧き肉踊る戦いを求めてしまうのだ。
しかし、その追撃部隊は思いもかけず敗北した。
さらに驚くべき情報がもたらされた。
「『魔将殺し』のエキュリアか……一人で一千騎を追い払うなんて、噂は本当だったんだ」
きっと怖いんだろうな。あまり会いたくない人だなあ、とラヴィは思う。
けれど帝国軍の騎士や兵士たちの反応は、まったく違っていた。
「まさか、あんなに興奮するなんて。変な叫びを上げてる人もいたし」
武名を轟かせる英傑と戦ってみたい。
軍議に参加した騎士たちの意見は、それで一致した。
すぐさま出撃への準備へと移って、明日の朝には出立することになっている。
「私はここに残ってた方がよかったのに……はぁ、仕方ないよね」
もう何度目か分からない溜め息を落とした。
なるべく戦いを避けたい、とは思う。けれどそこに悲壮感はない。
自分の力があれば簡単に勝てるはず。
さっさと片付けて帝国へ凱旋したい。民衆からの賞讃も浴びたい―――、
などと都合の良い未来も想像して、ラヴィはほくそ笑むのだった。
名前で繋がりがバレバレな件。
それはそれとして、脳筋帝国軍が動き出します。