鉄球よりも熱く
大地を揺るがす。土煙を上げながら猛然と転がる。
黒光りする巨大鉄球の異容に、両軍の兵士たちは揃って驚愕の声を上げた。
騎馬も怯えたように嘶く。
いま正にぶつかり合おうとしていた両軍だが、それどころではなくなった。
「なっ、なんだアレは! 新種の魔物か!?」
「退避だ! 退避しろ! 潰されるぞ!!」
両軍ともに慌てて距離を取る。
大きく開いた両軍の中央に、鉄球は転がりながら割り込んで―――ピタリと停止した。
後退していた軍勢も足を止めて、恐る恐る様子を窺う。
張りつめた空気の中で、パカリ、と鉄球が割れた。真っ二つになって倒れる。
そして内部から飛び出してきた。
黄金色の塊と、それに乗った一人の少女が。
ぽより、と割れた鉄球の上に着地する。
「はじめまして。スピアです!」
ぷるぷるの黄金塊の方は、多少の知識がある者ならば、それが珍しい魔物であるキングプルンだと分かっただろう。
けれどいまは混乱している者ばかりだ。少女の方が何者なのかも謎のまま。
名前だけ聞かされても、まったく謎の解消には繋がらない。
おまけにスピアは、そんな混乱も我関せずといった態度で一方的に宣言する。
「戦いを止めに来ました。一応、王国軍の味方です」
ざわめく両軍を眺め下ろしながら、スピアは両腕を大きく広げた。
全身から淡い魔力光が溢れる。『領域』を広げて、大地の一部を作り変えていく。
「ひとまずは壁だけあれば充分かな」
呟きは轟音に混じって消える。
スピアの足下から、巨大な城壁がせり上がってきた。梯子を掛けても昇るのに苦労しそうなほどに高く、魔物の突進でも弾き返せそうなほどに頑丈な壁だ。
そんな建築物がいきなり平地に現れるなんて常軌を逸している。
目撃した数千の兵士たちは、誰も彼もが唖然として声も出せない。
「っていうことで、帝国軍さんは撤退してください」
静寂の中、涼やかな声だけがよく響いた。
大勢が呆然としているのを、スピアは城壁の上から眺め続ける。首を傾げたり、足下にいる黄金色の塊をぺしぺしと撫でたりして、反応を待っている様子だった。
おやつの揚げパンを取り出したところで、帝国軍の騎士が声を上げた。
「貴様は何者だ! この壁は何なのだ!?」
「スピアです。この壁は、作りました」
簡潔すぎる返答をして、スピアは揚げパンを口へ運ぶ。
表面はカリッとして中味はふわふわ、まぶした砂糖の甘さにもよく合って、自然と頬が緩んでくる。
戦場では贅沢すぎる、そしてまったくもって不釣合いな味だった。
「あ、そうだ」
思い出したように言うと、スピアは『倉庫』に手を伸ばした。
パンを口に咥えたまま、豪奢なマントを取り出して羽織る。
「親衛隊長のマントです。これで疑問は解決ですね」
「そんなはずあるかぁっ!」
ツッコミの声は上空から投げられた。
兵士たちの視線もそちらへ向けられる。
白い翼を広げたサラブレットが宙を舞い、騎乗したエキュリアが城壁へと降りてきた。
「いきなり飛び出して! 少しは考えてから行動しろ! それと、もっと相手に伝わるように話せ! 口下手にしても限度があるぞ!」
「まあまあ、落ち着いてください。エキュリアさんは興奮しすぎです」
「誰の所為だと思っている!」
エキュリアは怒鳴り声を上げて、握った拳を震えさせる。
拳骨のひとつでも喰らわせてやりたいと、その表情は語っていた。けれどスピアの突撃で戦闘が止まったのも確かなので、あまり強くは責められない。
「ともかく、この場は私に任せろ!」
有無を言わさぬ口調で告げて、エキュリアはサラブレッドとともに再び空へと舞い上がった。
親衛隊のマントを靡かせながら、両軍に聞こえるよう声を張り上げる。
「我は王国騎士エキュリア! レイセスフィーナ陛下より授かった特務権に基づき、帝国軍に告げる! 即刻、この地から退去せよ! もしも従わぬ場合は、その命を以って贖ってもらう!」
スピアとエキュリアがこの場にいるのは、なにも偶然というばかりではなかった。
国境を守る要所であるオルディアン城砦には、貴重な魔導通信機が設置されていた。その通信機によって、帝国軍の侵攻はすぐさま王都へ伝えられた。殲滅魔法による攻撃や、王国兵の多くが退避したことも含めて。
さらにその情報は、スピアたちも知るところとなる。
スピアが帝国へ向かったのは、エキュリアが送った手紙に記してあった。だからレイセスフィーナも、戦火に巻き込まれないよう注意を促す手紙を送った。
レイセスフィーナの下には、雪ウサギのシュミットがいる。
そのシュミットに一声掛ければ、何処からともなくシロガネが現れる。
あとは転移陣や『倉庫』を使えば、連絡を取り合うのは簡単だった。
常識外れだ、とエキュリアは頭を抱えていたが、おかげで味方の危機に駆けつけられた。むしろ賞讃されてもよいところだろう。
「先程の鉄球は見たであろう。その気になれば、貴様らをまとめて押し潰すこともできるのだぞ。蛮勇を誇らず、引き際を弁えよ!」
声高に撤退を促す。
とはいえ、エキュリアはあまりスピアに戦わせるつもりはなかった。
身を守るなとは言わない。非常識な戦闘力の高さも承知している。
王都にいた頃は、親衛隊長らしく振る舞えと口がすっぱくなるほど注意していた。
でもだからといって、戦争で前面に駆り立てるかどうかは別問題だ。
そもそもエキュリアは、スピアを子供だと認識している。それを言うと当人は唇を尖らせて否定するけれど、実際に子供なのだから仕方ない。
なにより、エキュリアはスピアに恩があり、守ると誓っている。
戦場に立つならば、自分が盾となるのが当然だと考えていた。
「退くならば追いはしない。これは我が陛下への忠誠に誓って約束しよう!」
両軍からどよめきの声が上がる。
まだ混乱は残っているが、徐々に事態を把握してきた様子だ。
まず味方だと告げられて安心もしたのか、王国軍の方が冷静さを取り戻していた。
「王都からの援軍ってことなのか……? それにいま、エキュリアって?」
「ああ。確かにエキュリア様だって言ったぞ。噂の『王国最強』だ」
「何がなんだか分からんが……しかし、エキュリア様なら!」
「『太陽剣』のエキュリア様だろ? 帝国軍なんて敵じゃねえぞ!」
どうやら王国の端まで、誇張されまくった勇名は轟いていたらしい。
湧き上がる歓声に、エキュリアは頬をヒクつかせる。否定したい二つ名ばかりが聞こえたけれど、わざわざ味方の士気を下げる訳にもいかなかった。
おまけに、噂話が届いているのは王国内だけではない。
帝国側の騎士も嬉しそうな声を上げる。
「まさか『魔将殺し』のエキュリア殿と相対できるとは、なんたる僥倖! 一騎討ちを申し込む! 我が勝っても負けても部隊は撤退させると約束しよう!」
「待て、一騎討ちに出るならば俺だ! このような機会を逃がしてなるものか」
「いいや、俺が出る! 『屠竜剣』と戦えるのならば、この命も惜しくない!」
嬉しそうと言うよりも、熱苦しい声だった。
誰が一騎討ちに出るのか、帝国騎士たちは言い争いを始める。さすがに剣を抜く者はいないが、殴り合いくらいには発展しそうな雰囲気だ。
騒がしい光景を眺め下ろすエキュリアは、どうしたものかと頭を抱えたくなる。
「一騎討ちをするなど、私はまだ認めていないのだが……」
「その通りです!」
エキュリアの呟きを、スピアは耳聡く拾っていた。
「一人ずつ相手にする必要なんてありません。エキュリアさんなら、まとめて倒せます」
「……は? おまえは何を言って……」
「っていうことで。サラブレッド、やっちゃっていいよ」
スピアは腕を振り払い、帝国軍を指し示す。
サラブレッドが力強く嘶いた。
「ちょっと待てぇ―――!」
エキュリアを乗せたまま、サラブレッドは急降下した。同時に、額の角から赤々とした炎を放っている。自身の周囲を炎で包んで、巨大な火の玉と化した。
そして帝国軍の目の前へと落下。さながら隕石のように。
地面が抉れ、爆発が巻き起こり、凄まじい衝撃波が帝国軍の前列に襲い掛かった。
言い争っていた騎士たちが、まとめて吹き飛ばされる。
いくつもの悲鳴や驚愕の声が混じり合った。
いきなりの落下攻撃に付き合わされたエキュリアも、目を回しそうになっていた。
それでも敵の前で無様な姿は見せられない。あとでスピアを叱りつけようと誓いながら、背筋を伸ばして手綱を握りなおす。
白煙が立ち込める中から、エキュリアは静かに歩み出た。
凄まじい攻撃をしたのに平然としている女騎士の姿に、帝国軍からどよめきが上がる。
「……まだ、私に挑みたい者はいるか?」
なるべく静かな声になるよう努めつつ、エキュリアは問い掛けた。
すでに主だった帝国騎士は倒されている。
残った者も、上空から降ってきた苛烈な一撃にすっかり気圧されていた。
ほどなくして帝国軍は撤退して―――またひとつ、エキュリアの伝説に新たな活躍が加えられた。
親方ぁ! 鉄球の中から女の子が!