吹っ飛ばされる疑念
張り詰めた静寂が場を支配する。
瑞々しい緑に囲まれた庭園には相応しくない、重苦しい空気が広がった。
スピアは言った。
クレマンティーヌを示し、ぷるるんに吹き飛ばされた、と。
衛星都市を襲った魔族も、キングプルンを従えていた。
そのキングプルンに、クレマンティーヌは叩きのめされた。
つまり、繋ぎ合わさって出てくる事実は―――。
「―――はっはっは! そうかー、スピアは色々な騒動を起こしているなぁー!」
沈黙を破ったのはエキュリアだった。
ほとんど棒読みの台詞を大声で述べながら、つかつかとスピアへ歩み寄る。
その首根っこを掴み、腕を回すと、さらにわざとらしく言葉を続けた。
「たまたま叩きのめした人の中に、クレマンティーヌ殿もいたのだな! “何処で起こった”のかは不明だが、きっと不幸な行き違いがあったのだろう!」
「え? ちゃんと場所も覚えてますよ? 衛星都……んぐ!?」
「しかし本当に彼女だったかー? 見間違いということも有り得るぞー?」
「んん……? ああ!」
息が掛かるほどの間近でエキュリアから凄まれて、スピアはようやく事態を理解する。
「そうでした。謎の白仮面は正体不明で―――」
「いやぁ、申し訳ない。どうやらスピアは混乱しているようで」
スピアの口元を押さえながら、エキュリアは引き攣った笑みを浮かべる。
けれどまったく誤魔化しになっていない。
周囲の教会関係者からの眼差しには、ありありと疑いの色が表れていた。
「……レイセスフィーナ殿下、これはどういうことですかな?」
バヌマス大司教は動揺を抑え、低く威圧的な声で問う。
皺の濃い目蓋の下から、鋭い眼光がレイセスフィーナへ向けられた。
レイセスフィーナも困惑していたが、静かに息を吐き、冷ややかな微笑を取り繕っている。
スピアが巻き起こす混乱に慣れていた、というのもある。
けれど秘密を作った以上は、その秘密が曝け出された時の覚悟も固めていた。
それになにも、王国にとって最悪の事態、という訳でもない。
多少の損害はあっても、スピアの存在を示す良い機会とも言える。
聖教国との交渉を進めるにしても、保存してある魔将の首や転移陣といった取引材料も残してあった。
むしろ動揺が大きいのは聖教国の方で―――、
とりわけクレマンティーヌは激しく顔を歪めて、ギリギリと歯軋りを零していた。
「……すべて、嘘だったのだな……『解放騎士』の噂も、街の皆を救ってくれたことも……なにもかも魔族の策略で……」
クレマンティーヌは項垂れて、握った拳を震えさせる。
悲壮感の溢れる様子を、スピアも眉根を寄せて見つめていた。
さすがに申し訳なく感じて、エキュリアと顔を寄せて囁き合う。
「どうしましょう? 謝っても、笑って許してくれそうにありません」
「うむ……原因はこちらにあるが、勘違いが混じってややこしいことになっている」
「そうですねえ……だったら、記憶喪失作戦はどうでしょう?」
「待て。なんだか嫌な予感がするぞ?」
「耳の上辺りを叩くと、少しの間の記憶を失くすそうです。なので、ガツーンと」
「そんな不確かな作戦に頼れるか! だいたい―――」
言葉を切って、エキュリアは振り返る。
見開いた目に飛び込んできたのは、複雑に輝く魔法陣だ。
クレマンティーヌが術式を展開していた。
「滅びよ、忌まわしき魔族―――神聖光滅波!」
眩いほどの光が、さながら破城槌のように撃ち出される。その野太い一撃が狙ったのはスピアだ。
けれど位置としては、エキュリアが間に立つ形になっていた。
なので先に動く。素早く踏み込んだエキュリアは、剣を抜くと同時に光を斬り裂いた。
「んなっ……!?」
必殺のつもりだったのだろう。渾身の一撃をあっさりと打ち消されたクレマンティーヌは、唖然とした声を上げて固まってしまう。
しかし無理もない。魔法を剣で斬り裂くなど、常人には真似できない。
けっして不可能ではないけれど、とても高度な武技とされている。
スピアとの稽古を重ねる内に、エキュリアも常識の枠外へ踏み出そうとしていた。
「動くな。悪いが、スピアを傷つけさせる訳にはいかん」
一気に距離を詰めたエキュリアは、クレマンティーヌの首筋に剣を当てた。
冷ややかに、けれど相手を宥めるように告げる。
「っ……何故です!? エキュリア様は人間でしょう? どうして魔族を……」
「まずは勘違いを解こう。スピアは魔族ではない。衛星都市の件も……そうだな、どう説明したものか……」
油断無く剣を構えたまま、エキュリアはちらりとレイセスフィーナを窺う。
重要な案件なのだから主君の意思を問う。
それは騎士として当り前で、適切な行動だったろう。
けれど、スピアから目を離してはいけなかった。
なにせスピアの性分は即断即決。
ちょっと制御の手を緩めれば、するりと抜け出し、暴走してしまうのだから。
「くっくっくー……」
低く嘲笑するような声が一同の注意を引く。
でも、何処となくわざとらしい。声色の子供らしさも隠しきれていない。
その声の主であるスピアは、一同に背を向けていた。
全身の力が抜けたように項垂れて、だらりと両手も下げている。
「スピア? いったい何を―――」
エキュリアだけでなく、場の全員が息を呑む。
スピアの頭上、空中に暗闇が広がった。それは『倉庫』の口を広げただけなのだが、知っている者でも虚を突かれて驚くし、知らない教会関係者などは不気味さに身構えるほどだった。
気の抜けるような口調も、その衝撃に紛れてしまう。
「ふあっはっはっはー。すべては我の計画通りなのだー」
広がった暗闇の中心部から、一枚の白い仮面が現れる。
眼の部分だけが開いた簡素な仮面だが、纏わりつく暗闇と相まって禍々しさを演出していた。
「我こそは『呪いの白仮面』。以前に暴れた魔族も、我が取り憑ついていたのだ」
仮面はゆっくりと降下すると、スピアの顔に被さった。
スピアはまだ背中を見せたままだったが―――、
ぐるり、と首だけを回して振り向く。
大袈裟なほど奇怪な仕草に、聖教国の者たちは揃って肩を縮めた。
「ば、バカな! 呪いの仮面だと……なんだそれは!?」
「しかし、この禍々しさは……」
「魔族すら操る呪具だというのか!」
聖堂騎士たちは蒼褪めた顔をしながらも、目の前の事態を把握しようとする。
そこからやや距離を置いて、エキュリアとレイセスフィーナは割と落ち着いた顔をしていた。どう対処したものかと、小声で話し合っている。
そんな混沌とした状況で声を上げたのは、教会兵の二人。
「ま、間違いありません! あの仮面は、街を襲った魔族が被っていたものです!」
「そうだ、ハッキリと覚えている……いや、忘れられるはずがない!」
クレマンティーヌとグスターブは、苦々しげに白い仮面を睨んだ。
その確信を持った言葉は、周囲の者にも強く響く。
二人が認めたのは、“街を襲った者が白仮面を被っていた”というだけのこと。
けれどそこから繋がって、“呪いの白仮面”ということにも真実味をもたらす。
「で、では、そのスピアという少女は……?」
「ふははははー、こやつはまったくの無実である。以前の我が砕かれた際に、偶然に近くにいただけ。霊体となった我が憑依し、復活の機会を窺っていたのだ。そのために我の記憶が流れ込み、この少女も混乱していたようだがなー!」
白仮面を被ったスピアは、両手を広げて尊大なポーズを決める。
その足下では、ぷるるんが禍々しさを表すようにうねうねと揺れた。
「我は人の悪しき心を糧とするのだ! 貴様らは、純心無垢で、何の罪もない少女へ疑いを掛けた! その疑心こそが、邪悪なる我を復活させたのだー!」
「あ、有り得ぬ! 人の心を喰らうなど、それではまるで魔神の……」
「んん? そうだ、その通りよ! 我を作り出したのは魔神であるぞー!」
聖堂騎士たちは愕然として凍りつく。大司教バヌマスも同じく。
魔神の忌まわしい遺産が目の前にある。
しかも、その復活に自分たちが力を貸してしまった―――。
そう考えただけで、正しき神々を信奉する者にとっては、吐き気をもよおすほどに屈辱的なことだった。
もっとも、すべてスピアのでっち上げなのだが。
思いのほか衝撃を受けている様子に、スピアもちょっぴり罪悪感を覚える。
「ふっふっふー、だが気に病む必要はないぞ。光ある限り、闇もまた存在するもの。我を滅ぼすなど、元より不可能だったのだー!」
慰めになりそうな台詞を放つと、スピアはぷるるんを軽く叩いた。
あまり長居するとボロが出そうだ。
なので、さっさと退散しよう。
そう決めると、スピアは最後にちらりとエキュリアへ視線を送った。
エキュリアもまだ戸惑っていたが、承知した、と言うように頷いてみせる。
これまで幾度も波乱を経験してきた二人だ。
目と目で通じ合うのも容易―――とは、残念ながら言えなかった。
なにせスピアだ。『特技:予想外の行動』であるのは英知の神も保証してくれる。
信頼はあっても、大きな擦れ違いもあって、またそれを修正する猶予は許されていなかった。
「では、さらばだ人間どもー! 我は好き勝手に暴れさせてもらうぞー!」
黄金色の塊が大きく跳ね上がる。
空中にも魔力で足場を作ると、あっという間に中庭の外へと消えていった。
後には、愕然とした静寂だけが残されて―――、
この日、スピアは王都から姿を消した。
今年最後の更新です。ちょうどキリの良いところ、ですかね?
年明けの更新は、少しだけ不定期になるかも知れません。
でもすぐにペースは戻ると思うので、ご心配なく。
では、よいお年を。