深まる疑念
新女王の戴冠式を数日後に控えて、王国と聖教国との会談は続いている。
王国としては戴冠式の予定を遅らせる訳にはいかない。
限られた日数の中で、新女王の即位を祝福するとの確約を得なければならない。
そうなると聖教国の方が交渉を有利に進められるようにも思われる。
けれど神の威を借り過ぎれば、聖教国の立場も危うくなる。
とりわけレイセスフィーナは民衆からの人気も高い。先王の暴挙を諌め、恐るべき魔将を討ち果たしたという武功もある。即位を妨げたとなれば、教会への信頼を失うことにもなりかねない。
両者ともそういった事情を承知で、ギリギリの駆け引きを行っていた。
その一方で、城内には緩やかな空気も流れている。
新女王の即位を祝うのだから、そちらの方が本来はあるべき姿だろう。
擦れ違う貴族たちが和やかに談笑しているのを横目に、クレマンティーヌも口元を緩めていた。
「やはり魔族が暗躍しているようには思えないな。聞こえてくるエキュリア様の噂も素晴らしいものばかりだ」
足取りも軽く、クレマンティーヌは城内を進む。
他国の者ということで、教会関係者といえども行動は制限されていた。けれど一応は客として迎えられてもいるので、武器を預けるだけで城内を自由に動けている。
「こうして私に見聞きさせているのも、隠し事が無いからだろう。大司教猊下の心配は理解できるが、まずは信じるところから始めるべきだな」
取りようによっては不敬にもなることを呟きながら、クレマンティーヌは城内の奥へと向かった。
実は、その様子をこっそりと窺っている王国の密偵もいる。
けれど上機嫌のクレマンティーヌは気づかない。
そうしてあちこちを見て回っている内に、中庭へと辿り着いた。
「噂では、ここにキングプルンがいるという話だったが……?」
優しい緑色に包まれた庭園には、清涼な空気が漂っていた。ちらほらと芽吹いたばかりの小さな草花が目に留まって、その場にいるだけで心が洗われていくようだ。
広々としていた風も心地良い。
とても恐ろしい魔物が潜んでいるようには見えない、が、
「……本当にいた」
広い芝生の上に、黄金色の大きな塊がででんと乗っかっていた。
お饅頭型の粘液体。単純だが特徴的な姿は見間違えようがない。
その姿を見たクレマンティーヌは、思わず木陰に身を潜めてしまう。一撃で叩きのめされた嫌な記憶が蘇った。
「いや待て、落ち着け。ここは城の中なのだ。危険などあるはずがない」
ひとつふたつと、クレマンティーヌはゆっくりと深呼吸をする。
胸に手を当て、鼓動が鎮まったのも確認すると、あらためて木陰から顔を出した。
目の前に、黄金色の壁があった。
瑞々しさを主張するように揺れている。
「―――ぬわぁぁっ!?」
「ぷるっ!?」
クレマンティーヌは慌てて飛び退く。
黄金色の塊も驚いたように跳ねて、距離を取った。
「ぷるるん、どうかしたの?」
キングプルンが喋った!?、とクレマンティーヌには思えた。
けれどすぐに勘違いだと気づく。
大きな粘液体の影から、ひょこり、とスピアが顔を覗かせた。
「あれ、クレマンティーヌさん? 日向ぼっこですか?」
「スピア殿……いや、そんな呑気な真似をしているつもりはないのだが……」
尻餅をついたまま、クレマンティーヌは瞬きを繰り返す。
驚かされ、混乱させられて、立ち直るにはしばしの時間が必要だった。
「ん~……べつに怪我もしてないみたいですね」
呆然としているクレマンティーヌを、スピアは首を傾げて見つめる。
だけどやがて興味を失ったように、黄金色の塊へと目を向け直した。
ぺしぺしと、粘液体を撫でて揺らす。
「それじゃ、ぷるるん。稽古を再開しよう」
「稽古……?」
クレマンティーヌの呟きは風に紛れて消える。
スピアとぷるるんは芝生の中央へ戻ると、正面から向き合った。
いやまあ、プルンの正面なんて見た目では分からないのだけど、恐らくは。
ともあれスピアは拳を突き出す。
ぷるるんへ向けて、軽い感じで何発も。
左右の拳が、小気味良く規則的な音を響かせていく。
その様子を眺めている内に、クレマンティーヌにも落ち着きが戻ってきた。
あらためて、スピアとぷるるんを見つめる。
そこには凶悪な魔物の姿など無い。一生懸命な子供の頑張りを、大きな黄金色の塊が優しく受け止めているように見えた。
「……稽古とは、そういうことか。やはり危険な魔物ではないのだな」
どうにか状況を飲み込んで、クレマンティーヌはほっと息を吐く。
落ち着いてキングプルンを見れば可愛らしくも思える。
ぷるるんという名前も微笑ましい。ちょっと撫でてみたくもなってきた。
「そうだな。私が叩きのめされたのとは、きっと違う個体だ。以前の奴はもっと尖っていた気がする。子供の面倒を見るほど優しいはずが……?」
ない、と言い掛けて、クレマンティーヌは息を呑んだ。
スピアの攻撃が徐々に激しくなっていた。拳だけでなく蹴りも混ぜて、複雑な連打を繰り出していく。打撃音もどんどん苛烈になっていく。
一際鋭い突きが打ち込まれると、両者は弾かれたように後方へ跳んだ。
「よし、ウォーミングアップ終了。次は本気組み手だよ」
スピアの声に、ぷるっ!、と黄金色の塊も震えて応える。
直後、スピアとぷるるんは再び激突した。
まるで大地ごと割るんじゃないか、といった勢いでスピアの拳が突き出される。
しかしぷるるんも、その拳を受け止め、衝撃も逸らしている。さらに粘液体を触手のように伸ばして反撃も繰り出した。
目まぐるしく攻守が入れ替わる。
ある程度は戦いに慣れたつもりだったクレマンティーヌも、何が起こっているのか分からず、身震いを堪えていた。
「ただの子供じゃなかった……?」
後ずさりしながら、激しく繰り広げられる戦いを見つめる。
そこには無邪気で純朴な子供の姿はない。
可愛らしくも思えていた黄金色の塊も、とても狂暴なものに見えてきた。
クレマンティーヌは身を縮めながら、そっと口元を押さえる。
「そんな……あんな良い子が、まさか……」
脳裏に蘇るのは、教会兵を次々と倒していくキングプルンの姿。
恐ろしい魔物を従える、謎の白仮面の高笑いも聞こえてくるようだった。
あらためて観察すれば、スピアと、都市を襲った白仮面は背丈も似ている。何処となく声も同じような気がしてきた。
嘘だ!、と否定したくてクレマンティーヌは頭を振る。
けれど胸に浮かんだ疑念は膨れ上がってきて―――身を翻し、駆け出した。
「分からない……でも、報告はしなくては……」
中庭を出て、静かな廊下をクレマンティーヌは駆けて行く。
擦れ違う騎士や文官から奇異の目を向けられても、気に留めている余裕はなかった。
夜を待って、クレマンティーヌは再びバヌマスの部屋を訪れた。
上官であるグスターブと並んで跪く。
盗聴防止の魔法が部屋を包むと、まずはグスターブから報告を始めた。
「自分は街に出て、教会関係者を中心に話を窺いました。レイセスフィーナ殿下に関しましては、新しい噂などもありません。ですが……つい最近、貴族街に何十体もの魔物が現れたそうです」
「ふむ……その話は、こちらでも掴んでいます。大過なく撃退できたという話でしたが……」
大司教は顎に手を当てて思案顔をする。
街の外ならばともあれ、内側に魔物が現れたとなれば一大事だ。
穿った見方をすれば、魔族が手引きしたのでは?、とも考えられる。
「その事件については奇妙な噂が入り混じっております。凄腕のメイド集団が魔物を蹴散らしたとか、エキュリア様が一人で解決されたとか、それと……魔神復活の前兆であるといったことまで……」
「まあ噂は誇張されるものですからね。しかし無視するのも良くないでしょう」
他にもいくつか耳についた話を、グスターブは報告していく。
けれど、とりたてて不穏な情報はなかった。
むしろ王都住民の穏やかな暮らしぶりを示すような話ばかりだ。
「民が安心して暮らせるならば、神々も喜ばれるでしょうが……貴方の方はどうです?」
温和な言葉とは裏腹に、バヌマスは何処か不機嫌そうでもあった。
視線を移し、クレマンティーヌへ問う。収獲はあったのかと。
「……中庭にいるキングプルンと、それと“稽古”をする少女を見ました」
「稽古、ですか? キングプルンと戦っていたと?」
「はい……それ以前に、私は一度だけその少女と会っていました。天真爛漫といった少女で、とても戦えるようには見えなかったのですが……」
一旦言葉を切ると、クレマンティーヌは苦々しく顔を歪めた。
それでも躊躇いを飲み込み、見たままを告げる。
「戦う少女の姿は、衛星都市を襲った魔族と重なって見えました。ですが、あくまで私が感じただけのもので、何の証拠もありません。あの魔族は仮面を被っていたので、顔も分からないのです」
一息に述べると、クレマンティーヌは一層深く頭を垂れた。
まるで神に祈るように。
何を祈ればいいのか、クレマンティーヌ自身にも分かっていないのだが。
「聞いた話によれば、キングプルンの主人も少女でしたね。親衛隊長に就いているそうですが、貴方が会った少女がそうなのでしょうか?」
「いえ、そこまではなんとも……スピアとだけ名乗っていました」
ひよこ村村長、という部分はクレマンティーヌの記憶から消えていた。
慌てていた時の短い会話だったし、その時は重要な相手とは捉えていなかった。
けれど、それでもバヌマスにとっては充分な情報だったらしい。
皺の濃い頬を指先でなぞりながら、機嫌よさそうに口元を薄める。
「……こちらからも仕掛けてみますか。クレマンティーヌ、明日は貴方も会談に同行しなさい。その少女が何者か、見極めることとします」
教会兵の立場では、大司教からの命令に逆らえるはずもない。
クレマンティーヌは跪いたまま、ただ静かに頷いた。
スピアからすると、ぷるるんとの修行回。
疑惑の目にはまったく気づいていません。
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何卒、お願いします。
まだまだ続けたいとですよ。