幕間 魔神の目覚め、その裏で
奇妙な感覚に引かれて、意識が一気に覚醒する。
勢いよく身を起こすと、ヴィヴィアンヌは見開いた目で空中を凝視した。
時刻は深夜。寝室は暗闇に包まれている。
側仕えも部屋の外で待機していて、室内に漂っているのは静寂だけ。
魔族は暗闇を好む、などと多種族の間では囁かれている。けれど実際には、夜になれば睡眠を取るし、昼間の方が活動的になる。夜目が利く者もいるが、明るい場所の方が動きやすいのは間違いない。
その点は、光を自在に操れるヴィヴィアンヌだってさして変わらない。
だから夜はぐっすり眠ると決めている。
ついさっきまでも心地良い夢の中にいた。
それを妨げられたのだから、怒りを覚えてもおかしくないのだが―――。
「この感覚は……間違いない! こうしてはおれぬ!」
喜色ばんだ声を上げて、ヴィヴィアンヌはベッドから起き上がった。
手を叩いて側仕えを呼ぶ。急いで身支度を整えると、何事かと目を丸くする側仕えたちを連れて部屋を出た。
「くふふっ、其方たちも喜ぶがよい。ついに我らの悲願が成就するのじゃ」
ヴィヴィアンヌの足取りは軽く、長い銀髪も機嫌良さそうに揺れる。
その後ろに続く侍女たちも顔を見合わせ、まさか、と表情に喜びを滲ませた。
「そうじゃ。偉大なる我らの主様が復活なされる!」
我らの主―――それは、名を呼ぶのも憚られる至高の存在。
魔神ギルンベルグを示しているのは、侍女たちにもすぐに察せられた。
かつての大戦で封印され、千年以上の時が経っても、魔族はその復活を諦めていなかった。それほどに求めてやまない存在なのだ。
魔神の復活は、魔族にとって正しく悲願と言っていい。
けれど、だからこそ俄かには信じ難い。
「あの……本当に、至高の主様が復活を?」
「ヴィヴィアンヌ様の言葉を疑う訳ではありません。ですが……」
「憎き神どもの策謀という可能性はないのですか?」
侍女の意見も、ヴィヴィアンヌは微笑みを浮かべながら受け止める。
家臣を蔑ろにする暴君ではない。むしろ積極的に耳を傾けるよう努めている。
「其方らの懸念は尤もじゃのう。しかし案ずるでない。この世界を揺るがすほど強い意志を滾らせた神気、たとえ千年を経ようとも間違うはずがないのじゃ」
それに、とヴィヴィアンヌは自身の胸元を指し示す。
薄手の服を押し上げる豊かな膨らみの間では、首から下げられたひとつの宝石が輝いていた。
「これは我が、ギルンベルグ様より直接に賜った物じゃ。ずっと沈黙しておったが、いまこうして光を放っておる。これこそ復活の証であるぞ」
暗闇を照らす宝石を見つめて、侍女たちは感嘆の声を漏らす。
その反応に気を良くしながら、ヴィヴィアンヌは屋敷の廊下を進んでいった。
何故、いきなり魔神の復活が成ったのか?
ヴィヴィアンヌにも疑問はある。けれど魔神の力を思えば、自力で復活をなされたのだろう、との結論に行き着いた。
どれほどの奇跡を起こしても不思議ではない。
魔神とは、地上に生きる矮小な身では測れぬ存在なのだから。
そう納得すれば、あとに残るのは喜びだけだ。
「他の魔将どもも気づいておるであろう。さて、誰が先に連絡してくるか……」
ヴィヴィアンヌが訪れたのは、大型の魔導具が設置された通信室だ。
部屋の中央に机があり、複雑な魔法陣が刻まれている。その上に通信相手の幻像が映し出される仕組みだ。
火急の際は、魔将はすぐに連絡を取り合うと決めてある。
「奴らのことじゃ、忘れておるか、覚えておっても無視する者もおるじゃろうな」
六魔将は我の強い者ばかりなので、まとめ役のヴィヴィアンヌは苦労ばかりさせられている。けれどいまは、そんな苦労も心地良く感じられる。
「そうじゃな、まずは―――」
可能な限り、現状の確認をしなければいけない。
並行して、至高の御方を迎える準備も進める必要もある。
誰の城で迎えるのか、それもまた議論と実力行使が白熱しそうだ。
暗黒大陸に向かった『雷嵐』と『爆炎』は悔しがるだろうが―――、
「くくっ、最初に御言葉を賜る栄誉は譲れぬのう。この時のために用意した極災魔法で奴らを蹴散らしてでも……」
晴れやかでも凶悪な笑みを零しつつ、ヴィヴィアンヌは通信用の魔導具を起動させる。
そうして淡く光る魔法陣を見つめている時だ。
はて?、とヴィヴィアンヌは首を傾げた。
たったいままで感じていた魔神の気配が、急速に萎んでいく。
感覚的なものなので、はじめは自分の勘違いかとも思えた。あるいは至高の御方が何かを考えて気配を抑えられたのでは、と。
まさか一人の少女に叩きのめされたなんて、想像できるはずもなかった。
「どういうことじゃ!? ギルンベルグ様、いったい何故……!」
ヴィヴィアンヌは空中へ向けて嘆きの声を上げる。
けれど魔神の気配はどんどん遠ざかっていく。
胸元の宝石も輝きを失っていって、やがて完全に光は消え去ってしまった。
室内に静寂が訪れ、ヴィヴィアンヌはがっくりと項垂れる。
歓びが至上のものだっただけに、落胆も激しい。
侍女たちも息を潜めて身じろぎすら出来ない。
『―――どういうことだぁっ! ゴるぁっ!!』
静寂を破った声は、部屋の中央、通信用の魔導具から放たれた。
幻像が浮かび、『爆炎』が怒りに煮えたぎった顔を見せていた。
『ギルンベルグ様の気配が消えたぞ! 復活したんじゃねえのかよ!?』
「……我にも分からぬ。少しは自分で調べてはどうじゃ?」
『こっちは暗黒大陸にいるんだよ! すぐに帰れるんならそうしてやる!』
ぎゃあぎゃあと、『爆炎』は怒りに任せて喚き立てる。
その様子を眺めている内に、ヴィヴィアンヌは徐々に落ち着きを取り戻していった。
「ともかくも調査は進める。おぬしも一度戻ってきてはどうじゃ?」
『あん? 帰れねえって言っただろうが』
「確かに暗黒大陸は遠いが、転移陣を使えば……ん? もしや何か見つけたのか?」
魔族にとって、魔神の復活はなによりも優先される。
今回のそれは間違いだったようだが、異常な状況なのは確かだ。
だから自分勝手な『爆炎』も指示に従ってくれると思ったのだが―――、
帰りたくない何かがあるのか、とヴィヴィアンヌは返答を待った。
『大したものじゃねえがな。ダンジョンだ』
「ほう……」
悪くない収獲じゃ、とヴィヴィアンヌは目を光らせる。
ダンジョン自体はともかく、そのコアは使い方次第で大きな価値を持つ。謂わば、高度な魔導具なのだ。人間の技術ではダンジョンコアを十全に扱えないが、魔族ならばかなりの機能を使いこなせる。
『砂漠の魔物どもが住み処にしてやがる。妙なダンジョンだが、生きてるぜ』
「援軍は要らぬな? おぬしの場合は、コアごと壊してしまうのだけが心配じゃ」
『はっ、気をつけてやるぜ。美味いもんでも用意して待ってやがれ』
やる気に満ちた顔を見せて、『爆炎』は通信を切った。
ヴィヴィアンヌは軽く肩を竦める。
「乗せやすい奴じゃのう」
深い落胆に包まれたヴィヴィアンヌだったが、すでに立ち直りかけていた。
千年も敗北感を味わってきたのだ。その心だって鍛えられている。希望から突き落とされた衝撃は大きくても、這い上がれないほどではなかった。
「さて、他の者とも連絡を取らねばならんな。ともかくも無視できる事態ではないのじゃが、どう動いたものか……」
穏やかな表情を取り戻して、ヴィヴィアンヌは細い指先を顎に当てた。
不測の出来事はあっても、まだまだ悠然としていられる。
何故なら、魔族の栄光を疑っていないから。
いずれ世界のすべてが自分たちに屈服すると、この時のヴィヴィアンヌは信じきっていた。
魔族側も色々と動いてます。
いまはやられてばかりですが、いつかきっと、すごい逆襲の機会が……。