ダンジョンマスターvs魔神の片腕②
魔神ギルンベルグは、かつての大戦で最も多くの人間を殺した。
凄惨に、残虐に、女子供も見境無く殺し尽くしたと語られている。
そして、様々な魔物を使徒としたことでも恐れられている。
三つの頭を持ち、万の魔物を軍勢として操ったという『狡血魔猿』。
疫病を撒き散らし、いくつもの街を石に変えたという『災炎蛇鼠』。
はじまりの王の片腕を奪ったという『真祖之黒龍』―――。
どれもこれも一国を滅ぼしかねないほどの化け物だ。
すべて討伐されたはずだが、いまでも時折、噂に上って人々の恐怖を駆り立てる。
それらの魔物と比べれば、『妖乱黒蛸』はあまり有名ではなかった。古い文献にも、僅かな特徴と、大魔術師によって殲滅されたという記録が残されているだけだ。
けれどその脅威度は間違いなく大災害級。
最も小さな個体でも子牛ほどの大きさで、鍛えた騎士の一団を蹴散らせる。しかも凄まじい勢いで繁殖、というか増殖を行っていく。
一つの目玉を逃がせば三つに増える。
三つの目玉を放っておけば二十にも三十にも増える。
人の悪意を糧にする、とアリエットが語ったのも間違ってはいない。正確には、人が感情とともに発散する僅かな魔力でさえ糧にして増殖する。
だから街などの人が多い場所では、とてつもない脅威となる。
貴族街で数を増やした妖乱黒蛸は、城や下町にも魔の手を伸ばしていく。そこでまた人を襲い、喰らい、桁外れに脅威度を上げていく。
女子供をはじめ、一般の住民は抗う術もなく殺される。
騎士や兵士たちは幾らか抵抗できても、やがて数で押し負け、殺される。
ほんの一握りの人間だけでも逃げ延びられれば幸運だ。
そうして一晩でベルトゥーム王国は滅びる。
妖乱黒蛸の名と恐怖が、大陸中で語られる―――、
なんてことには、なりそうもなかった。
だって、それ以上に奇妙で衝撃的な光景が、人々に目撃されたから。
とある貴族屋敷では、冷然としたメイドが黒蛸を踏み潰し、跡形も無く消滅させた。
とある警邏隊の兵士たちは、巨大な鉄槌を抱えたメイドが目玉を叩き潰すのを目撃した。
雷光を纏った鷹が、夜空に浮かぶ目玉の群れを消し炭にした。
火炎を纏った天馬が、城壁を越えようとした黒蛸を爆裂させた。
そんな仲間の活躍を把握しつつ、スピアは満足げに頷く。
「とりあえず、封じ込めには成功したかな」
スピアはいま、貴族街と平民街を隔てる壁の上に立っていた。
門の前にいた黒蛸を、ついさっき片付けたところだ。目玉三つの小型のものだったので一撃で片付いた。
そのスピアの足下では、街門を守る兵士たちが忙しなく動いている。
非常事態というのは彼らにも伝わっていた。
「怪我した人も少ないし。間に合いそうだね」
豪奢なマントを夜風になびかせながら、スピアは腕組みをしている。
親衛隊のマントを羽織ったのは、子供と間違われて追い払われないためだ。
腕組みをして偉そうにしているのは、なんとなく。
マントを着て高い所に立ったら、そうしなければならない気がした。
まあ、それくらいには余裕があるということ。
ダンジョン魔法は、街中など他者の支配領域では使い難い。けれどそこに含まれる探知魔法は別だ。スピアが確保する“領域”よりも、ずっと広範囲を把握できる。
王都のすべてを感知して潜んだ魔物を探し当てる、なんて真似も可能だった。
それらの場所をメイド部隊などに伝えて、駆除も行っている。
黒蛸の増殖速度は凄まじいが、スピア側の駆除速度も負けていない。
ひとまず三桁以上に増えるのは防いでいた。
そして、確実に狩り尽くすためにもうひとつ―――。
「ご主人様、ご報告に参りました」
スピアの背後に音も無く現れた人影がひとつ。オモイカネだ。
長身を真っ直ぐに伸ばして、静かに一礼する。眼鏡にも曇りひとつない。
あまり戦闘向きではないオモイカネには、伝令役を頼んでいた。
「レイセスフィーナ様からの許可をいただきました。王都を守るためならば、判断と行動は問わないと仰られました」
「さすがにセフィーナさんは決断が早いね。オモイカネも、お疲れ様」
マントをなびかせたまま、スピアは夜空へと目を向ける。
大きな翼と角を生やし、炎を纏った馬が近づいてくるのが見えた。
その背には長槍を手にしたエキュリアが騎乗している。
「―――スピア!」
上空から呼び掛けながら、エキュリアは長槍を投げ放った。
夜闇に紛れて飛んでいた目玉をひとつ貫き、仕留める。柄の部分に仕込まれていた魔法陣が発動すると、槍は再びエキュリアの手元へ飛んで戻ってきた。
その槍は、スピアがエキュリアのために作った武器だ。いくつかの魔法効果が込められているけれど、目玉をあっさりと仕留めたのは、単純にエキュリアの技量によるもの。
妖乱黒蛸は群れとして恐るべき魔物だが、目玉ひとつ程度なら脅威度は低い。
エキュリアも手柄を誇るでもなく、真っ直ぐにサラブレッドを駆けさせた。
そうしてスピアの正面に降り立つ。
「いったい何が起こっている? あの魔物は何だ? どうしていきなり現れた!?」
「すっとぼけます!」
スピアは堂々と答える。だけどまったく答えになっていない。
さすがのエキュリアもツッコミきれず、頬をヒクつかせるばかりだった。
「あとでちゃんと話します。でもいまは、誤解されちゃうかも知れないんで」
スピアが気に掛けたのは、リゼットのことだ。
魔神の使徒である魔物がどうしていきなり出現したのか?
それはスピアにも分からない。だけどリゼットが中心にいたのは確かだ。
下手な推測をされれば、リゼットが騒動の犯人にされかねない。
エキュリアやセフィーナなら、きちんと説明すれば理解してくれるだろう。
少なくとも、スピアはそう信じている。
だけど周囲の人間はそうとは限らない。妙な疑いは避けた方がいい。
事態が落ち着いてからでも、詳しい話は出来るのだから。
普段は勢いだけで突っ走っていると“勘違いされやすい”スピアだが、細やかな配慮に頭を働かせることだってできるのだ。
まあ頭を働かせたと言うよりは、思いついたと言った方が的確ではあるけれど。
「とにかく、いまはあのタコの全滅が優先です。食べられませんし」
「うむ、それもそうか。食べようとも思わんがな」
「なので、全滅させました!」
「…………は?」
またもツッコミが追いつかない。
エキュリアは呆然とした顔を晒してしまった。
たったいまエキュリアが到着した時点でも、百体近くの魔物が街中で暴れていたはずだ。それを片付ける暇などなかった。スピアとエキュリアは短い会話しかしていない。
他にスピアがしたことといえば、軽く足を踏み鳴らしたくらいだ。
なのに、全滅させた?
いったい何を言っているのか?、とエキュリアは頬を引くつかせた表情で問い掛ける。
「あ、目玉がひとつ逃げて……うん、大丈夫です。捕まえました」
「……本当なのか? 私も少し見ただけだが、なかなかに手強そうな魔物だったぞ。しかも暗闇に潜むような動きもしていたし……」
「隠れていたのも、ちゃんと見つけました」
セフィーナからの許可を貰った時点で、スピアは領域を王都全体へ広げていた。
つまりは、王都全体がスピアのダンジョンとなったようなもの。
以前に巨大屍竜が現れた時と同じだ。さすがにセフィーナも慎重になっていたので、幾分か制限はされている。それでも黒蛸の群れを倒すのに問題はなかった。
黒蛸の位置はすべて把握していた。
なので、あとは数を揃えて殲滅するだけ。
そのためにスピアが取った手段は人海戦術―――というより、箱海戦術だ。
「新しい仲間を紹介します」
何かの定型文みたいな台詞を述べて、スピアは街の上空へ視線を移した。
エキュリアもそちらへ目を向ける。
直後に、ぽかんと口を開けて固まってしまう。
たくさんの宝箱が浮かんでいた。仄かな魔力光を纏って、空中を飛んでいる。
「……偽宝箱、か?」
「はい。ミミっくん一号から百号です。セットでお買い得でした」
頭を抱えたくなるエキュリアとは裏腹に、スピアは上機嫌に胸を張る。
百体のミミックは、当然ながらスピアが召喚したものだ。お買い得とは言っても、さすがにけっこうな量の魔力が必要だった。けれどそれに関しても、王都の住民から僅かずつ集めることで解決している。
ちなみに、百体セットで基本魔力量は三三九〇〇。
そこに能力付与などを加えても、倍以上にはならなかった。
そんなミミックを黒蛸の近くに召喚して、ぱくりと仕留めてもらう。
実に簡単な作業だった。
妖乱黒蛸は、人間の生体反応に対しては鋭敏な感覚を持つ。その感覚のおかげで、密かに数を増やしたり、暗がりから奇襲をしたりも可能だ。
けれど、魔導具に近いミミックに対しては違う。
そもそも生体反応を持たないのだから気づきようもない。
接近に気づいても、一応は同じ魔物という分類だからか、ほとんど無視するような態度だった。
おかげで、とても自然に「こんにちは。死ね!」が出来てしまった。
ミミックは人が抱えられる程度の大きさだが、その内部は『倉庫』と似た異空間になっている。一度獲物に喰らいつけば、その内部へと凄まじい力で吸い込む。
あまり素早く動けないという欠点はあっても、今回の作戦にはとても適任だった。
単純な戦闘能力なら、黒蛸の方が上だったろう。
けれどそれは謂わば、対人間に特化したもの。物質系の魔物であるミミックとの相性は最悪に近かった。
そうして仕事を終えたミミックの群れが集まってくる。
街の上空を飛んで。しっかりと隊列を組みながら。
「……なあ、これはこれで大変な光景なのではないか?」
「え……?」
エキュリアに指摘されて、ようやくスピアも思い至った。
ミミックは一見すると只の宝箱だ。けれど空を飛んでいるのは明らかに異常。
ちょっと勘の働く者ならば、すぐに偽宝箱の魔物だと察せられる。
しかもいまは、街に魔物が現れたと騒動になっている。
さらに加えて、暗闇に潜んで活動する黒蛸よりも、堂々と空を飛ぶミミックの方が遥かに目立っていた。
これでは大騒ぎになっても仕方ない。
やらかした!、とスピアも気づく。だからとびっきり爽やかな笑みを浮かべた。
「反省します!」
「そうか。事態の解決にはまったく繋がっていないがな!」
エキュリアは眉を吊り上げる。小一時間ほど説教をしたくもなった。
だけど、まだ非常事態は続いている。
脅威は妖乱黒蛸だけではない。そうスピアも判断して、この場に留まっていた。
「反省と説教は後回しだ。それよりも……」
「はい。こっちを片付けます」
二人は揃って頭上へと目を向ける。
その視線の先には、夜空よりも暗い球状のなにかが蠢いていた。
つい先程まで、黒蛸から溢れる靄がそこへ集まっていた。靄の集束は止まったけれど、脈動にも似た蠢きはまだ続いている。
その奇妙な黒靄を片付けるために、スピアはこの場に留まっていた。
「まるで、黒い月ですね」
あるいは卵にも見える、とスピアは目を細める。
得体の知れない暗闇を見据えると、静かに表情を引き締めた。
タコはあっさり退場。そして仲間が百体増えました。
だけどまだ騒動は終わりません。