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私、ダンジョンマスターやめます! ~迷宮少女の異世界譚  作者: すてるすねこ
第五章 王宮図書館の司書見習い編(ダンジョンマスターvs英知の神)
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ダンジョンマスターvs魔神の片腕①


 最初の姿は、実体の無い靄のようなものだった。

 けれどその黒靄が集まって、ぬめりとした姿となっている。

 もうすっかり陽は落ちているけれど、暗がりの下でも、黒々とした蠢きは異彩を放っていた。


 そこらの馬車には収まらないほどに大きい。熊や牛でさえ丸ごと捕食できそうだ。身体の下部から十数本の触手が生えていて、辺りを探るように蠢いている。

 生理的な嫌悪感を覚える者もいるであろう、その姿は―――、


「おっきなタコですね」


 スピアに言わせると、そうなる。

 しかし蛸と言うには禍々しすぎる。大きさも普通の蛸の十倍以上はあるし、触手の数も違う。頭部に見える―――正確には腹の部分は奇怪に膨れ上がっていて、まるでビッシリと卵が詰められているようなコブが無数にあった。


 触手の合間からは、息を吐くように黒々とした靄が溢れてきている。

 その靄に触れられた芝生は、見る間に萎れてボロボロと崩れ落ちていった。


「まさか、妖乱黒蛸オクトス・クラングス……!」


 妹を抱えたまま、アリエットが蒼褪めた顔をする。

 スピアはその正面に立ちながら、問い返した。


「有名な魔物なんですか?」


「あれは……魔物の枠には収まりません。使徒です。魔神ギルンベルグの!」


 戦慄が、アリエットの声を震えさせていた。


 魔神ギルンベルグ―――、

 その名を口にすることすら躊躇われる。恐怖の象徴。

 かつて最も人を憎悪し、最も多くの凄惨な死を振り撒いた。

 神々の使徒や、『はじまりの王』に仕えていた騎士が何人も喰われた。

 封印された現在でも人々を呪い、復活の時を待ち侘びているという。


 子供でさえ、その名を恐ろしいものだと知っている。

 悪戯をすると魔神ギルンベルグに連れていかれる、というのはお決まりの叱り文句だ。

 だからアリエットが泣き出しそうな顔になるのも無理はない、が、


「トゲトゲっぽい名前ですねえ」


 スピアの感想は呑気なものだった。おぞましい姿に怯んでもいない。

 それどころか、あっさりと告げた。


「とりあえず倒しましょう。海産物の評判を下げられても困ります」


「え……? で、でも、相手は魔神の使徒で……」


「ぷるるん、フルバースト!」


 どん!、と地面を叩く音が響いた。

 少し離れた位置にいたぷるるんが、夜空高くへと跳ね上がる。

 そして放たれる水流砲。幾筋もの水流が、凄まじい勢いで撃ち下ろされた。


『QUUUOOOOOooooo―――』


 奇怪な叫びとともに、黒蛸がバラバラにされる。

 六魔将の一人、グルディンバーグさえも屠ったぷるるんフルバースト。その信頼性は高い。呆気ないけれどこれで決着―――とは、ならなかった。


 千切れた頭部が、ぶるぶると震えた。

 元より奇妙に膨れ上がっていたが、無数のコブがさらに大きくなる。


 そして、ギョロリ、と。

 その目蓋を開いた。卵にも似たコブは、すべてが眼球だった。

 直後、眼球から光線が放たれる。ただの光ではなく、屋敷の壁を貫き、樹木を焼くほどの威力を持った熱線だ。

 それが数十、あるいは百を越えて四方八方へと放たれた。


「ひぃっ―――!?」


 アリエットは情けない声を上げながらも、妹を胸に抱えて守ろうとする。

 その正面にスピアは立って、空間を歪めた障壁を展開させた。


 向かってきた熱線は障壁ですべて弾く。アリエットやリゼットの身に被害はない。

 ぷるるんは少し焼かれたけれど、さして堪えた様子はなかった。


 けれど散らばった熱線は、周囲の建物や街路樹など、無差別に被害を及ぼした。

 そこかしこで破壊音が響く。

 あちこちから火の手が上がる。

 咄嗟のことで、スピアも周囲にまで意識を向けられなかった。


「い、いったい何がどうなって……?」


 ほぼ一瞬で巻き起こされた大惨事に、アリエットの思考は追いつかない。

 けれど困惑している間にも、事態はまた動こうとしていた。


 残った黒蛸の目玉が空中に浮かぶ。数十の目玉の内、いくつかがスピアを睨んだ。どうやら敵だと認識はしているらしい。

 スピアも目玉の群れを排除すべく、静かに腰を沈める。

 しかし睨み合いはすぐに終わった。目玉が逃げ出したから。


「むぅ……ぷるるんは待機で。二人を守っておいて」


 言いながら、スピアは手刀を振るった。

 空間が斬り裂かれて、離れていく目玉数体を仕留める。

 同時に、空中から鉄球も降ってきた。そちらも目玉をまとめて叩き潰す。


 けれど全滅とはいかなかった。

 残った目玉が暗闇へ紛れていく。逃げ出す、というよりは他の獲物を探しに行ったのだろう。


「ぁ……マズイです! 妖乱黒蛸オクトス・クラングスは見境無く人を襲うと言われています! 人の悪意を糧にするとも。放っておいたら……街中に被害が及びます!」


 アリエットが混乱しながらも的確な分析を叫ぶ。

 その声を背中で受けながら、スピアはすでに駆け出していた。


 一匹も逃がしてはいけないのは、なんとなく分かっていた。アリエットの言葉で、それは確信に変わった。

 闇に紛れた目玉は、二十体か三十体か、いずれにしても街中で暴れたら大変な被害が出るだろう。しかも逃げた先で、また分裂して増えるかも知れない。


 いや、まず間違いなく増える。

 そうなったら、被害は加速度的に増えていく。

 どれだけの人が犠牲になるか、想像しただけでも嫌になる。

 だからスピアは、走りながらも頷いて返した。


「大丈夫です。わたしは親衛隊長で、司書見習いですから」


 だったら何なのか!、とアリエットは問い返したくなる。

 けれどその反論は、ちらりと振り返ったスピアの表情で押し止められた。

 子供っぽい笑みは自信たっぷりで。

 アリエットは思わず目を見開くと、安堵混じりの苦笑を零していた。






 ◇ ◇ ◇


 夜の貴族街を、三名の騎士が肩を並べて歩いていた。

 これといって目立つところのない中級騎士たちだ。いつものように城での仕事を真面目に終えて、帰宅するところだった。

 街路を歩きながら、同僚同士のなんでもない雑談を交わす。


 一時期は騒がしかった城内も落ち着いてきた―――、

 部隊に入った新人がなかなか見所がある―――、

 文官に口うるさいが可愛い女の子がいる―――、

 廊下を歩くキングプルンを見掛けた―――、


 そんな会話を交わしている内に、ふと一人が肩を揺らす。

 不意に、背筋を撫でられたような悪寒を覚えた。伊達に騎士を名乗っている訳ではなく、すぐさま腰の剣に手を当てて振り向く。


 妙な気配が漂っていた。

 けれど、辺りには暗闇が広がっているだけ。


「……どうした?」


 他の二人も神妙な顔になって訊ねる。

 暗がりに怯えたのか、なんて茶化さないくらいには同僚を信頼していた。


「よく分からん。だが、念の為に警戒してくれ」


「何も感じないが……」


「いや、俺も首の辺りがムズムズする。どうにも嫌な感じだ」


 三人は剣を抜いて、其々の死角を補う形で身構えた。

 慎重に周囲を窺う。昼間は見通しのよい広い街路だが、いまは薄っすらと月明かりに照らされているだけだ。道の脇には茂みもあって視線が通らない場所も多い。


「ゆっくりと移動するぞ。一旦、城に戻って……ッ!」


 がさり、と茂みが揺れた。

 全員の注意がそちらへ向く。

 直後に別方向から襲撃が―――なんて想像が、頭の中を掠めもした。


 けれど、それは真っ直ぐに姿を現した。

 揺れた茂みから、太いミミズのような影が何本も這い出てくる。

 蛇が鎌首をもたげるように蠢いた影は、そのまま騎士たちに襲い掛かった。


「まさか、魔物だと!? こんな街中に!」


「くそっ! 兵士たちは何をやってる!」


「信号弾を上げるぞ! 一匹とは限らない、注意しろよ!」


 其々に声を上げながら、襲ってきた細い影に対処する。

 触手のような影を剣で弾き、あるいは避けつつ、距離を取った。その間に一人が魔法を発動させて、空高くへと発光弾を打ち上げる。


 三人ともまったくの無傷。異常を広く報せることもできた。

 不意の襲撃に対して、ほぼ完璧な対応だった。

 だが、影から現れたモノは尋常な手合いではなかった。


「な、なんだコイツは!? こんな禍々しい魔物は初めて見るぞ!」


「気をつけろ。剣が……!」


 驚きは、ふたつ。

 まず暗がりから現れた魔物―――妖乱黒蛸オクトス・クラングスの外見に対して。

 大きさは子牛程度で、戦いに慣れた者ならば恐れるほどではない。けれど複数の触手を生やし、ぬめりとした姿は、騎士たちには見慣れぬものだった。


 二つ目は、触手を弾いた剣に対して。

 ほんの一瞬、魔物に触れただけだった。なのに刃の部分が黒ずんで、ボロボロと崩れ落ちている。まだ辛うじて折れていないが、武器としてはほとんど使い物になりそうもなかった。


「動きは早くないな。魔法で攻めるか?」


「ああ。だが油断するな―――ッ!?」


 言葉を遮ったのは光。

 魔物の頭に見える部分から、ギョロリ、と目玉が浮かび上がった。

 その三つの目玉が、矢のような光を放ったのだ。


 あまりにも予想外の攻撃に、騎士たちは反応すらできなかった。

 放たれた光線は、二人の騎士を貫く。一人が無事だったのは単純に運が良かっただけ。


「なっ……お、おい、二人とも、しっかり……!」


 倒れ込む同僚に、咄嗟に手を伸ばそうとした。

 けれどその騎士を触手が襲う。咄嗟に剣を構えたが、体ごと弾き飛ばされた。

 壁に叩きつけられ、騎士は濁った悲鳴とともに血を吐いた。


『QUUuuuuOOOooooo―――』


 黒蛸が勝ち誇ったような声を上げる。

 騎士は片膝をつきながら、己の剣と、倒れ伏している同僚たちへ視線を送った。


 剣は半ばから折れている。同僚たちもまだ息はあるようだが、立ち上がるのは難しそうだった。大量の血が地面に流れていて、放っておけば間違いなく命を失うだろう。

 助けが来るのは、たぶん間に合わない。

 信号弾を上げたのはつい先程のことだ。城からは距離があるし、運良く治療術師が近くにいる可能性も低い。


 もう同僚を助ける手段はない?

 だったら、自分は逃げ出しても構わないのでは―――、

 そんな考えも、騎士の脳裏を掠めていった。


「はっ、仲間を見捨てる? そんなんで騎士を名乗れるものか!」


 言い捨て、震える膝を押さえて立ち上がる。

 まだ助かる可能性はゼロではない。

 魔物を片付ければ、止血程度はできる。治療だって間に合うかも知れない。


「掛かって来い、化け物! 王国の平和は―――」


「とぉぉぉぉぉりゃあああぁぁぁーーーーー!」


 可愛らしい声とともに、子供みたいな影が突撃してきた。

 そして魔物が炸裂する。まるで内側から爆発したみたいに。

 はぁ?、と騎士は愕然とした声を漏らすしかなかった。


 なにがなんだか分からない。

 恐るべき魔物を、子供が飛び蹴りで倒した―――なんて目の前で見ても信じられなかった。


 突撃してきた子供みたいな少女は、華麗に着地する。

 くるりと身を翻した少女を見て、騎士は思わず声を上げた。


「お、おまえは……」


 その顔には見覚えがあった。城内の一部で噂にもなっていた。

 いつものキングプルンは一緒ではなかったけれど―――。


「チビっ子親衛隊長!」

「子供じゃありません!」


 抗議の声とともに振り返ると、スピアは騎士に治療薬をぶっかけた。

 こうして、王都の長い夜は始まった。



ダンジョンマスターvsタコの群団。

触手は一絡みも出来ませんでした。


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