ダンジョンマスターvs英知の神③
頬を掠めた拳に、スピアが顔色を変える。
黒髪が数本千切れ飛んだ。咄嗟に身を捻らなければ、痛いでは済まなかったかも知れない。
「むぅ。アリエットさんの動きじゃありませんね、っと」
スピアは眉根を寄せながら、迫ってきた蹴りを避ける。
そちらも鋭い攻撃だった。とても一介の図書館司書が繰り出せるものではない。
まあスピアも司書見習いを自称しているのはともかくも―――。
続け様に、アリエットは拳を繰り出す。
細かい牽制から、必殺の一撃へと繋がっていく。そこからの連携も見事なものだ。動作のひとつひとつが流れるように綺麗で、計算し尽くされている。
スピアも下手な反撃には移れない。
ちょっと手を出してみたら、するりと死角に回られて肘打ちが襲ってきた。
それでも防戦一方にならないのがスピアだ。
反撃に反撃を重ねる。打撃や蹴撃、様々な技が交錯する。
女の子同士のじゃれ合い、とはとても言えないような光景が展開された。
『くすくす。野蛮ですけど、貴方が得意な肉弾戦で打ち負かしてあげますわ。わたくしは英知を司る神、あらゆる戦いの技法にも通じておりますのよ』
アリエットの奮戦ぶりを眺めて、メルファルトノールは満足げに口元を緩める。
ついさっきまでスピアの非常識っぷりに冷や汗を流していたのに、それはなかったことにしたらしい。
『どんな知識であろうと自身のものとして与えられる。これも神の力ですわ。その力によって、わたくしの使徒は熟練の戦士以上の技能を得られますのよ。小娘に過ぎない貴方には、万にひとつさえ勝ち目はありませんわ』
メルファルトノールは得意気に口調を弾ませる。
優勢に戦いを進めるアリエットの姿に、ますます上機嫌になっていく。
スピアの反撃を、アリエットは掠らせもしない。いきなり地面が底無し沼になっても、すぐさま魔法で足場を作って切り抜けた。空から大量の水が降って来ても、すべて凍りつかせて砕き散らした。
スピアが腕を取ろうとしても、魔法障壁で弾かれる。
さらにアリエットの攻撃は苛烈さを増していく。単純に拳や蹴りが繰り出されるだけでなく、そこに火炎や氷結の魔法も組み合わされる。
「むぅ。長引かせるのは良くなさそうです」
目の前を氷槍が通過して、スピアは眉を顰めた。
懸念は、劣勢に追い込まれている、ということではない。
「アリエットさんの体がもちそうにありません」
『くすくす。よくぞ見抜きましたわね。誉めてあげますわ』
使徒の証である『聖痕』が、いまもアリエットの胸元で輝いている。異常な力の核となっているのはそれだが、他にも力は与えられていた。
『聖痕』からの光に紛れるように、アリエットの全身も仄かに輝いている。
いくつもの複雑な紋様が、魔力を限界以上に引き出し、様々な術式を瞬時に発動させていた。
「前にも似たようなのを見ました。たしか、『呪刻陣』ってやつですね」
以前にスピアを襲った傭兵にも刻まれていたものだ。
高速かつ連続での魔法発動を可能にするけれど、代償が大き過ぎる禁忌の技術。
このまま戦いを続ければ、アリエットの身体は遠からず壊されてしまうだろう。
『友人のためを思うなら、無駄な抵抗はやめることですわ。貴方一人の犠牲で、大勢が幸せになれるのですから―――』
「―――おねえちゃん! もうやめて!」
リゼットの叫び声が響いた。
ぷるるんの上にいるリゼットは、うつ伏せのままぐったりとしている。それでも顔だけを上げて、懸命の呼び掛けを続けた。
「なんだか分からないよ! でも、そんなのおねぃちゃんじゃない! 目を覚まして!」
ただの感情的な訴え。理屈にもなっていない。
事情をまったく知らないリゼットには、目の前の現実さえ受け止めきれなかっただろう。
でも、その声は届いた。
「っ……リゼッ、ト……?」
呟き、アリエットの目蓋が揺れる。
けれどそれだけだった。一瞬動きは止まったけれど、またすぐにスピアへ向けて拳を突き下ろす。
その拳は避けられたが、風圧がスピアの表情を歪めていた。
「おねぃちゃん……!」
『ふふっ、止めようとしても無駄ですわよ。それよりも応援するべきですわ。貴方を救うために、彼女はその身を奉げたのですから』
余裕たっぷりのメルファルトノールの言葉は、事実を歪めている。
アリエットは確かに妹を救おうとしていた。
そのために、神への協力を惜しまなかった。
けれど自身を犠牲にするなんて承知していない。友人に対して危害を加えるのも、知っていれば必ず拒絶した。
そんな真実を、リゼットは知る由もない。
それでもメルファルトノールを睨み、敵意を示す。
「おねぃちゃんは、そんなことしません! 貴方が何かしたんですね!」
『くすくす。不敬な言動は見逃してあげますわ。まあ力を与えたという点では、間違っておりませんわね』
「今すぐ、おねぃちゃんを解放して!」
姉が操られている、というのはなんとなくリゼットにも察せられた。
でも、だからといってどうすることも出来ない。
泣き出しそうな顔をして声を荒げるばかりだ。
「こんなのもうやめてよ。そうでないと……ヒドイことになるんだから!」
ただの強がりに過ぎない。幼い顔をくしゃくしゃに歪める。
それでも期待を込めて、リゼットは姉の方へ目を向けた。
「っ……ぅ、ば……」
妹の声を聞きながらも、アリエットはスピアに対して攻撃を続けていた。
拳を振るいながら、逆巻く炎を放ち、無数の光弾を撃ち出す。苛烈な攻撃は止まらない。
だけどその瞳には涙が滲んでいる。
そして、唇が言葉を紡ぎだそうとしていた。
「アリエットさん……?」
何かをしようとしている、とスピアは察した。
僅かに迷いながらも、スピアはその行動を見守るのを選んだ。一歩距離を取る。
次の瞬間、アリエットは力の限りに咽喉を震えさせて―――、
「―――バルバトちゅ!!」
噛んだ。肝心なところなのに。
思わずスピアは吹き出してしまう。リゼットも目を丸くしていた。
それでもアリエットが嵌めていた指輪は、合い言葉に反応した。
以前に、スピアが贈った護身用の魔導具だ。
放たれた雷撃は“アリエット自身を”貫いて、派手な閃光を辺り一帯に散らした。
『んなっ……!?』
メルファルトノールが呆気に取られた声を漏らす。
相手を気絶させる程度の雷撃は、とても神の力に抗えるものではない。
アリエットが意識を失ったとしても、操られている体は動き続ける。
だけど、ほんの小さな隙は作れた。
力の抜けたアリエットの体は、がっくりと倒れ込もうとする。
そこへスピアが駆け寄り、腹パン。鳩尾に拳を捻じ込んだ。
ぶふぅっ、と。
メルファルトノールが吹き出す。
なにも打撃が襲ってきたのではない。いくらアリエットが殴られたところで、神域にいるメルファルトノールに影響を及ぼすはずもない。
だけど、衝撃的ではあった。
『よ、容赦ないですわね……』
白い服を揺らしたそよ風にも気づかず、メルファルトノールは頬を引きつらせる。
どうにも調子が狂う。
驚かされてばかりで、こんな姿は他の神に見せられない―――、
そう息を吐きながらも、メルファルトノールはすぐに冷静さを取り戻していた。
またスピアを睨むと、今度こそ仕留めるべくアリエットの操作へ意識を移す。
『さあ、今度こそ終わりにしますわよ。我が使徒よ―――』
「ようやく届きました」
メルファルトノールの言葉を遮るように、スピアは呟いた。
けれどその視線は別方向、アリエットへと向けられている。
鳩尾に捻じ込んだ拳を引くと、スピアはそれをまたアリエットの胸元に当てた。
ちょうどアリエットが倒れ込んでいたので位置も良い。
『聖痕』の輝きを隠すように、とん、と軽く叩く。
『……? 届いたとは、何のことですの?』
「本格的な反撃です。泣いて謝るなら許してあげますよ?」
『はぁ? 気でも触れましたの? いくらなんでも不敬に過ぎまズボぁ――っ!?』
メルファルトノールが吹っ飛んだ。
まるで、したたかに頬を殴りつけられたみたいに。
もちろん見えていた姿は幻像だが、それもザラザラと乱れている。
そして瑞々しい肌色をしていた頬は、痛々しく腫れ上がっていた。
「うん。とりあえず十発くらい追加しておきますね」
愕然として地面に手をつく神に対して、スピアは涼やかに言ってのける。
情け容赦無い反撃は、まだ始まったばかりだった。
Q.遠隔操作で攻撃が届きません。どうすればいいでしょう?
A.殴ります。