ダンジョンマスターvs英知の神②
所詮、相手は人間。どうとでも始末できると侮っていた部分はある。
それでもメルファルトノールは、スピアに対して慎重に観察の目を向けていた。
能力も人格も、充分に見極めた。
単純そうに思える策略も、スピアとアリエットに対しては最善だった。
実際、魔法陣に捉えるまでは成功した。
スピアが無軌道な行動を取ろうとするのも計画通り。
すべては上手く運んでいた、はずだった。
唯一の誤算―――それは、本来なら計算に入れる必要もない事柄だ。
人間が神の力に抗えるなど、絶対に有り得ない。
いや、正確には、有り得てはいけない。
だからメルファルトノールは、スピアへの評価を改めた。
観察対象から、処分対象へと。
『貴方は危険ですわ。神敵となる前に、消滅させます』
幻像を介して、メルファルトノールは宣告する。
その時にはすでに、スピアが目の前まで肉迫していた。
小さな拳が突き出される。たとえ巨大な竜でも殴り倒せるであろう威力を込めて。
けれど何も起こらず、拳は虚しく空中を叩いた。
まあ、“普通に考えれば”当然の結果だった。
いま姿を取っているメルファルトノールは、あくまで幻に過ぎない。
殴られても、切り裂かれても、本体まで影響を及ぼすはずがなかった。
「むぅ。やっぱり届かせるのは難しいです、っと」
拳を引いたスピアは、ほぼ同時に跳び退く。
直後、スピアが立っていた地面が蒸発した。勢いよく沸き上がった火柱は、とてつもない熱量を持っていた。
それこそ人間など、一瞬で燃え尽きるだろう。
スピアは咄嗟に避けていたが、火柱は二本、三本と続け様に襲い掛かる。
神が起こす現象だ。あるいは奇跡と言ってもいいかも知れない。
ほとんど前触れもなく、スピアを業火で包み込もうとする。
『くすくす。下手に抵抗をしても、痛い想いをするだけですわよ。苦しまないように一瞬で葬ってあげるのが、せめてもの情けで……?』
メルファルトノールは僅かに眉を揺らす。
同時に、火柱が湧き上がるのを止めて、スピアも足を止めていた。
「遠隔操作だと、そっちも制限が多いみたいですね」
『……領域制御。それも本来は、神のみに許された技ですわ』
一定の距離を置いて、両者は対峙する。
メルファルトノールの幻像は、神界から操られているものだ。当然ながら神が持つ力すべてを発揮できる訳ではない。むしろ、ほんの僅かな力しか扱えない。
そして、無制限に動き回れる訳でもない。
神界からの中継点となるものが、人間界にも必要だ。
いまの中継点は、アリエットの持っていたお守りが担っている。放り捨てられて地下室に転がったままだが、その役割はまだ失われていなかった。
火柱が止められたのは、スピアが己の『領域』を広げたからだ。
他者の支配領域が多い街中などでは、ダンジョン魔法は使い難い。けれどこの場はアリエットの家であって、親衛隊長であるスピアは立場として上にいる。
非常事態という“正当な理由”によって、『領域』を広げるのは可能だった。
スピア本人の位置からほんの十歩分程度だけど、身を守るには充分だろう。
その範囲では、神力の行使は制限される。
人が神の力を制限する、というのはやはり信じ難い。けれどメルファルトノールの“解析”もまた神の力であって、それは紛れもない真実を見抜いていた。
『強引に領域を破る手段もありますが、確実性に欠けますわね……』
呟きながら、メルファルトノールは視線を巡らせる。
対するスピアは、難しげな顔をして手を開いたり閉じたりしていた。
子供がヘソを曲げたような表情でもある。
そうして数呼吸ほどの間、両者は静かに対峙して―――メルファルトノールが先に動いた。
『そうですわね。わたくしも使徒を作ってみましょうか』
「え……?」
唖然とした声を漏らしたのはアリエットだ。木陰に身を潜めていた。
スピアに言われた通り、少し離れた位置ではあった。
だけど完全に逃げ出すのは心苦しくて、もしかしたら何か手助けができるのではと、様子を窺っていた。
そのアリエットに対して、メルファルトノールはすぅっと指先を伸ばす。
「アリエットさん―――!」
スピアが警告を発しても間に合わない。
次の瞬間には、アリエットの胸元から白い光が溢れていた。
眩いほどの光は、服の上からでも複雑な紋様を描いているのが見て取れた。それは使徒であることを示す『聖痕』だ。
「なに、これ……っ、頭が、真っ白になって―――……」
がくり、とアリエットは項垂れる。まるで全身を脱力させたみたいに。
けれど両足は真っ直ぐに立ったままだ。
やがて顔を上げたが―――虚ろな瞳が、スピアを見据えた。
表情は完全に抜け落ちていて、正気でないのは明らかだった。
『くすくす。短い間の中継点としては充分ですわね。脆い器ですけど、あなたの領域に踏み込むくらいは問題なくできますわよ』
メルファルトノールの幻像は、そのアリエットの背後へと移動する。
まるで幽霊が憑依しているかのようだった。
当人へ害を為すという点では大差ないのだろう。けれど相手を単なる道具と看做しているのは、幽霊よりもずっと悪質かも知れない。
『大切な友人を傷つけることも、貴方の性格では出来ない―――』
アリエットが殴り飛ばされた。勢いよく地面を転がる。
もちろん、殴り飛ばしたのはスピアだ。
一気に飛び込んできて、小さな拳がアリエットの頬を捉えていた。
メルファルトノールの幻像は、愕然として立ち尽くす。
殴られたのはアリエットだけで、メルファルトノールには何の被害もない。
当然だ。けれど、精神的には違っていた。
『んなっ……なにをやってますの!? 一切の躊躇もなく友人を殴るなんて、貴方、それでも人間ですの!?』
「勝手に他人を操る人に文句を言われたくありません」
冷ややかな反論も、メルファルトノールの動きを止める。
その間に、スピアはアリエットへと駆け寄った。ぐったりと倒れていた身体を起こすと、べちべちと往復ビンタをかます。
転がってしまった眼鏡を拾い、掛け直させ、またべちべちと引っ叩く。
「むぅ。殴ったら正気に戻るパターンは無しですか」
と、スピアは腕を回した。
首を掴もうと伸びてきたアリエットの手を払い除ける。
『戯れはここまでですわ。消えなさい』
「お断りです!」
メルファルトノールはまたアリエットの背後に立つ。
倒れていたアリエットも起き上がり、同時に、無数の光がその周囲に浮かんだ。
剣の形を取った光は、すぐさま撃ち出される。
まるで矢の雨のように、スピアを穿つべく襲い掛かった。
狙われるスピアも即座に対応している。地面を滑走させ、自身も跳ねて距離を取る。さらに何枚もの壁を作り出して盾とした。
黒々とした壁は、あらゆる魔法を打ち消すものだ。
だが、あっさりと砕かれた。
神の力によって作り出された剣は、魔法の枠を越えていた。標的を貫くまでけっして止まらず、砕けもしない。そう運命のように定められている。
けれどスピアは大人しく貫かれなどしない。
仄かに輝く手刀を振るう。そこから斬撃が放たれたかのように、光の剣を叩き落とし、次々と砕いていく。
神力に下手な干渉をすれば大惨事になるのは、スピアも“見た”。
だから派手な真似は控えつつ、身を守る。なかなかに大変な作業だ。
まあもっとも、神が放った剣を弾くだけでも、充分にとんでもない所業なのだが。
『……何故です? この剣はすべて『絶対命中』かつ『破壊不可能』。避けることも防ぐことも叶わないはずですわ』
「剣は投げるものじゃありません」
『だからなんだと言うのです!』
メルファルトノールが声を荒げる。
太い帯で目元を覆っていても、その表情が歪んでいるのは明らかだった。
思い通りにならない。それは、神にとって有り得ないことだ。
だから苛立つ。歯軋りもする。
『遊戯』を楽しむ神もいるが、メルファルトノールは違っていた。
『もう穏便に済ませるのはやめですわ。なにもかも消し飛ばしてあげましょう』
「ちっとも穏便じゃなかったですけどねえ」
珍しく真っ当なスピアの指摘にも、メルファルトノールは苛立ちを増すだけだ。
その幻像が纏う光がさらに力強く輝く。
操られているアリエットが、両腕を大きく広げた。指先から虹色の魔力が溢れ出して複雑な模様を描いていく。
『これが最後の慈悲ですわ。神の炎に焼かれて燃え尽きなさい!』
アリエットの周囲から、いくつもの炎弾が放たれた。
人の拳ほどの炎弾だが、内に秘めた熱量は凄まじい。触れただけでも骨まで溶かされるだろう。
対するスピアは拳を引いて腰溜めに構えた。そして撃ち出す。
捻りを加えた拳は、まるで竜巻のように逆巻く突風を引き起こした。
凄まじい風に削り取られて、炎弾はすべて消滅する。
メルファルトノールの表情がまた歪んだ。
引きつった頬が、非常識ですわ!、と語っている。
『ど、どこまでも抗うつもりですわね。今度こそ後悔なさい……神威殲滅砲!!』
アリエットの正面に、大きな円形の鏡のように光が集まっていた。
集束された光は、一拍の間を置き、轟音とともに撃ち放たれる。
大気を震わせる苛烈な一撃は、王都を丸ごと吹き飛ばすほどの力を内包していた。
正しく神の一撃―――だが、受け流された。
かくり、と光の一撃が捻じ曲げられたのだ。
スピアの正面で砲撃は急に逸れて、上空へと向かっていく。
『…………は?』
メルファルトノールは唖然とした声を漏らして、遥か彼方へ消えていった光を見つめた。
神の威厳も消し飛びそうな態度だった。
けれどまあ信じ難いのも無理はない。
かつては魔王も滅ぼした一撃が、そこらに転がっていそうな少女一人に防がれたのだから。
スピアはただ自身の正面で腕を回しただけ。
護身術の基礎である回し受けで、光の砲撃を弾き飛ばしてみせた。
しかも、爽やかな笑みまで浮かべている。
「うん。段々と分かってきました」
スピアはぐっと拳を握って眼光を鋭くする。
真っ直ぐに見据えられて、メルファルトノールは妙な悪寒を覚えた。
『……わ、分かったとは、何のことですの?』
「貴方を殴りつける方法です」
有り得ない!、とメルファルトノールは笑い飛ばそうとした。
けれど言葉を詰まらせてしまう。
もしかしたら、という不吉な予感が拭いきれなかった。
『そ、その前に貴方の方が滅びますわ! これは神の決定、運命ですの!』
辛うじて平静な顔を取り繕うと、メルファルトノールは腕を掲げた。
スピアを指差し、アリエットに命じる。
『彼女を神敵と認めますわ。使徒として、務めを果たしなさい!』
ゆらり、とアリエットが歩み出る。
その足取りは頼りなく、瞳からは感情が失われたままだ。
とてもスピアをどうこう出来るようには見えない。
「アリエットさんが目を覚ましてくれると楽なんですけど―――」
地を蹴る轟音とともに、アリエットは飛び出した。
予想外に激しい突進を前に、スピアは目を見張る。反応が遅れた。
まるきり無防備な顔面へ向けて、雷撃にも似た鋭い拳が突き出された。
さすがに今回はスピアもあっさり勝利とはいきません。
でも神を驚かせるのには成功。
回し受け万能説です。