ダンジョンマスターvs英知の神①
空中に淡い光が集まって幻影となる。
アリエットの背後に立つかのように、若い女の姿が浮かび上がった。
正しく神秘的な雰囲気を纏っている。金色の長い髪は輝くほどに美しいけれど、それ以上に特徴的なのは両眼を覆った革ベルトだ。
「……変な格好ですね」
スピアは率直に失礼な感想を投げる。
もしもこの場にエキュリアがいたら、すぐさま剣を抜いただろう。
目の前にいる相手は敵だと、スピアの声色だけで判断して。
『くすくす。神を前にして不敬ですわね。ですが許してあげますわ。解剖する前に、貴方には色々と聞きたいことがありますから』
「自称神様ですか。人攫いさんのお仲間ですね」
独り言みたいに述べたスピアは、軽く目を伏せた。拳も強く握り締める。
けれどその腕は動かない。
光の帯に絡め取られ、四方を壁に囲まれて、スピアは完全に拘束されている。
幻影のメルファルトノールが勝ち誇った笑みを浮かべるのも、この状況では当然だった。
『暴れても構いませんわよ? 神の前ではなにをしても無駄だと、消滅する前に納得させてあげるくらいの慈悲はありますわ』
「そんなの、慈悲じゃありません!」
声を上げたのはアリエットだ。
床に座り込んで愕然としていたが、ようやく事態を受け止められた。
神に利用された。欺かれた。友人を危地へ追いやってしまった―――、
そう理解して、アリエットは幻影を睨みつける。
「全部、嘘だったんですね。スピアさんが王国の危機を招くというのも……こんなのって酷すぎます! スピアさんを放してください!」
『くすくす。なにを今更。罠へ誘い込んだのは貴方ですわよ』
「っ、それは……安全だって言われたからです!」
『ええ。貴方には危害を加えませんわ。それに、妹を救いたいのでしょう?』
アリエットは言葉を詰まらせる。
メルファルトノールの指摘は嘲笑混じりでも、真実を突いていた。
妹のために、友人であり、恩人でもあるスピアを売った。
その事実から、罪悪感から、アリエットは目を背けられない。
「でも、それでも……こんなこと望んでません! 妹だって許してくれない!」
ほとんど叫ぶように声を上げると、アリエットは振り返った。
力任せに光の壁を叩く。スピアでさえ壊せなかった壁は、そんなことでは小揺るぎもしない。アリエットの手を傷めるだけ。
それでもアリエットは何度も壁を叩く。
手首のお守りが目についたので引き千切った。投げ捨てて、また壁を叩く。
「お願いです、スピアさん! 逃げてください!」
「逃げません!」
え?、とアリエットは間の抜けた顔を晒してしまう。
その直後、大きな破壊音が響いてきた。
地下室に変化は起こっていない。僅かに天井が揺れただけで、破壊音は上階から伝わってきた。
『何のつもりかしら? 助けを呼ぼうとも無駄な足掻きですわよ?』
「ぷるるんに足はありません」
『……どうにも話が噛み合いませんわね。貴方が奔放なのは知っていますけど、こちらの問いには答えてもらいますわよ。まずは、ロキムスとの関係を……はぁ!?』
メルファルトノールは大口を開けて、素っ頓狂な声を上げた。
何故なら、ぶちり、と。
光の帯による拘束を、スピアが引き裂いた。
紙細工みたいに千切れていく帯を、メルファルトノールはぱくぱくと口を上下させながら見つめる。
『な、何故……どうやって!? それは神力で保護されているはずですわ!』
「ぺらぺらと教えてあげる理由もありません」
解放された腕を、スピアはぐるぐると回す。
すでに全身の拘束も解けていて、軽く足踏みをしつつ周囲を見回した。
「こっちは脆かったですね。でも問題は、魔法陣の方ですか」
『そ、そうですわ。貴方が捕らえられている事実は変わりませんのよ。このまま大人しく……』
「まあ、たぶん大丈夫です」
捕らえられたこと自体には、スピアはまったく不安を覚えていない。
問題は、その後なのだが―――。
「とりあえず壊してから考えます」
宣告とともに、拳を振り下ろす。
小さな拳は衝撃を放ち、神に護られた魔法陣を砕き散らした。
地下室が白い光に満たされる。
視界のすべてを覆い尽くしたが、音と衝撃までは隠しきれていなかった。
アリエットを一瞬の浮遊感が襲う。
次いで、轟音が広がり、なにもかもが吹き飛ばされた。
「ぁ―――」
悲鳴すら、凄まじい衝撃で掻き消される。
神力が砕け散って、その余波が破壊を引き起こしたのだ。
僅か一欠片ほどの神力でも、周囲に与える影響は計り知れない。しかも完全に制御から外れた破壊は、下手をすれば地図を塗り替えてもおかしくなかった。
“街の一角が消し飛んだだけ”で済んだのは、むしろ奇跡と言えるくらいだ。
けれどそんな事情は、アリエットには理解できない。
ただ、眩い光の中を吹き飛ばされるだけ。
建物だった物の破片や、土や石礫も空中を舞っていく。
その光景は、やけにゆっくりと見えていた。
様々なものが弾き飛ばされていく中には、赤い雫も混じっている。
凄惨な色に意識を刺激されて、アリエットは気づく。
辺り一帯が破壊に巻き込まれた。そこには物だけでなく、人も混じっている。
近くで暮らしていた者ばかりではない。
一緒に暮らしていた、アリエットの唯一の家族である、リゼットも当然―――。
そこまで思い至ったところで、鈍痛がアリエットを襲った。
大きな石塊が腹にめり込んでいた。一拍置いて、意識を持っていかれそうなほどの痛みが全身を駆け巡る。
けれどそれも、アリエットにはどうすることも出来ない。
衝撃に弄ばれるまま、空中を漂う。
どれだけの距離を飛ばされたかも分からない。いつの間にか地面を転がっていた。
「ぅっ、い、ぁ……!?」
落下の衝撃で体が潰されなかったのは、風が渦巻いていたおかげだろう。
不規則な空気の乱れが緩衝材となってくれた。
とはいえ、幸運だったかどうかは分からない。
地面を転がったアリエットは、あちこちを殴打し、言葉にならない悲鳴を上げた。
やがて、うつ伏せになって止まる。
「っ……いったい、何が起こって……?」
もはや意味もないであろう疑問を呟きながら、アリエットは顔を上げた。
辺りは酷い有り様だった。
地面は更地となって、そこかしこに瓦礫が転がっている。
赤と黒の、悲劇を想わせる染みも目につく。
いったいどれだけの被害となったのか、アリエットには考えている余裕もなかった。
ただ一点を凝視して息を呑んでいた。頭が真っ白になった。
視線の先では、一人の少女が倒れている。
だらりと力なく投げ出された腕を見ただけで、誰なのかすぐに分かった。
その手の温もりを知っている。
土と血で汚れた金髪も、柔らかな艶を纏っていたはずだ。
病に苦しめられている時だって、健気に笑顔を浮かべようとしていた。
なのに、その目はもう開かない。その顔に笑みは浮かばない。
もはや疑いようもなく生命は停止している。
だって、その小柄な体の半分、胸から下は失われていたから。
「あ、あぁ……あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ――――――」
妹の死を前にして、アリエットは絶望の叫びを上げた。
嘆きと、後悔と、自分への怒りと、黒々とした感情ばかりを詰め込んで。
もはや廃墟と化した街の一角に、慟哭が響いていく。
神への怨嗟が、また別の悲劇を呼び起こすとも知らずに―――。
―――それも、ひとつの未来だった。
「よかった。怪我もないみたいですね」
「え……?」
ぱちくりと、アリエットは瞬きを繰り返す。
光に包まれたのは覚えていた。だけど、そこから何が起こったのか分からない。
一瞬、凄惨な情景が見えた気がした。
心臓は激しく脈打っていて、言いようのない不安が込み上げてくる。
涙も滲んで視界が歪んでいた。
ぼんやりと、アリエットは周囲を見回す。自宅の庭先にいるのは把握できた。
浅い芝生に、アリエットは尻餅をついて座り込んでいた。いくつか瓦礫が転がっているのは、屋敷から吹き飛んできたものだろう。壁や窓など、何ヶ所か砕けているのが見て取れた。
建物の被害はとても小規模なもの。地下室と、一階のいくつかの部屋が壊れた程度だろう。周りの家などには何の影響も及んでいない。
街の一角が吹き飛んだ、なんてことは起こっていなかった。
そして、どうやらスピアに庇われてここまで連れ出されたらしい―――、
そう理解すると、アリエットは顔を上げた。
「っ……スピアさん、怪我を……!」
アリエットを見下ろす形で、スピアは立っていた。
その額から一筋の赤い雫が垂れてきている。
「大した傷じゃありません」
袖口で額を拭って、スピアは太陽みたいに笑顔を輝かせる。
自分を庇ったために負った傷だろう、とアリエットはすぐに理解した。
申し訳なくて、後悔が沸きあがってきて、また顔を伏せる。
だけど煩悶している暇はなかった。
「ぷるるんは、そこで妹さんを守ってあげてて」
はっと息を呑んで、アリエットはスピアが言葉を投げた先へ目を向けた。
黄金色の塊の上にリゼットが横たわっていた。
顔色はあまり優れず、ぽよぽよと揺れる粘液体の感触に目を白黒させている。
それでも怪我はない様子で、アリエットはほっと安堵を漏らした。
「アリエットさんも、少し下がっててください。まだ向こうも元気みたいですから」
「え? 元気って……!」
アリエットはまた視線を巡らせる。一点を見つめて、ビクリと肩を縮めた。
壊れた屋敷の壁部分から、淡い光を束ねた姿が歩み出てきた。
幻像の、英知の女神。
だけどそれが只の幻でないのは、アリエットにもひしひしと感じられた。
全身が震えて訴えてくる―――それは、圧倒的な強者へ対する恐怖だ。
「ぅ……す、スピアさんこそ下がってください! これは私の責任なんです! ですから、私がなんとかしますから……!」
震え混じりの言葉が終わる前に、スピアは一歩を踏み出していた。
真っ直ぐに神の幻像と対峙する。
アリエットは息を呑んだまま、その姿を見つめることしかできない。
小柄な背中は、まるで優しく語り掛けているようだった。
何の心配もいらない、と。
「貴方は許しません」
涼やかな声で、スピアは告げた。
その瞳は怒りを表すように紅く染まっている。
「アリエットさんを泣かせました。謝らせます」
『……随分と思い上がった言葉ですわね。貴方こそ、贖う覚悟はできているかしら? 人の分を越えた罪は重いですわよ』
幻像が白い腕をするりと伸ばす。
それと同時に、スピアも地面を蹴っていた。
悲劇は別時空へ落ちて消えました。
vs英知の女神、ようやく開始です。
シリアスさん「僕の勝ちd……あ、あれ?」