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私、ダンジョンマスターやめます! ~迷宮少女の異世界譚  作者: すてるすねこ
第五章 王宮図書館の司書見習い編(ダンジョンマスターvs英知の神)
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女神の思惑

 爽やかな風に小鳥の囀りが混じる。

 豊かな緑に囲まれて、白亜の城が悠然と聳え立っていた。

 城壁はなく、周囲に街もなく、ただ城だけが佇んでいる。

 ふとすれば寂しげにも見える光景だが、それ以上に美しくもある。

 人の手ではけっして作れないであろう、調律しつくされた空間だった。


 その城のバルコニーに一人の女性が座っている。

 金色の髪は背中まで伸びていて、細かな光粒を纏っている。流麗な眉や艶やかな唇、顔立ちだけでなく、四肢の端まで彫刻のように整っている。


 けれどもしも誰かが彼女と相対したら、まずその目元へ注意を引かれるだろう。

 黒い革ベルトが両眼を覆っている。

 だというのに、その手元には一冊の本を置かれて静かにページがめくられていた。


 奇妙な情景だ。けれど疑問を投げる者もいない。

 そんな愚問を投げるような人間は、この場にはけっして訪れないのだから。


 英知の神メルファルトノール―――、

 白亜の城と、国ひとつが収まりそうな森すべてが、彼女が作った神域だ。人間はおろか、神でさえ無断では立ち入れない。

 この城でゆっくりと過ごしながら、人間の暮らしを眺めるのを彼女は好んでいた。


 手元にある本には、文字ではなく映像が浮かんでいる。

 人々が懸命に生きる姿が愛おしい、なんてことではない。人間自体にはさして興味を向けていなかった。

 けれど人々が織り成す物語、そこから生み出される新しい知識に対しては違う。

 “英知”を司る彼女にとって、すべての知識は愛すべき対象だ。


 神であるのだから、有益な知識が得られるとは期待していない。

 逆に、脅威となるものを監視している訳でもない。

 ほんの少し指先を動かすだけで、望みなどほとんど叶うのだから。


 いまの人間が持つ知識や技術は、神々によって基礎となる部分が伝えられた。けれどその基礎から、すでに独自の発展をしている。ましてや人の生きる様は、いつだって新しい発見に満ちている。

 だから面白い。興味を引かれる。

 メルファルトノールがその気になれば、世界すべてを知覚できた。

 けれどそんな退屈になる真似はしない。贅沢な料理を味わうように、事象をひとつずつ観察するのを好んでいる。


 それに、いまは彼女の力も制限されていた。

 神々が行っている『遊戯ゲーム』のためだ。

『遊戯』が不公平にならないよう、神々の合意によって人間世界への干渉は僅かしか行えない。メルファルトノールは遊戯に参加していなかったが、その制限には従わなければならなかった。


 自分には無関係なのだから、少々疎ましいとは思う。

 おかげで人間の眼を代替として使う必要にも迫られた。

 けれどその『遊戯』があったから、面白い観察対象が見つかったのも事実だ。


「あの程度の力で、ロキムスをどうにかできたとは考え難いのですけれど……」


 指先を顎に当てて、くすりと微笑む。

 思案を巡らせる余地がある、というだけでもメルファルトノールにとっては非常に珍しい出来事だった。


 数ヶ月前、幾柱もの神々が忽然と姿を消した。

 いったい何が起こったのか?、いまだに詳細は掴めていない。

 本格的に調査を行えば、神である彼女たちならばすぐに事態を把握できただろう。けれど真実を突き止めようとする者は少なかった。


 ただ姿を消しただけ。神である自分たちに危険が及ぶはずもない。

 消えた神が担っていた役割も、他で補う手段はある。だから騒ぐほどではない。

 恐らくは『遊戯』に関わる策略だろう―――、

 そういった意見が大半を占めていた。


 それでもメルファルトノールは興味を引かれた。

 限られた力で調査で行い、一人の少女(スピア)へと辿り着いた。


「因果の糸は間違いなく繋がっていますわ。ロキムスの使徒であった可能性は高い。だけどあの奇妙な力はあの子自身のもの……いったい、どう解釈すれば良いのかしらね」


 また呟きながら、メルファルトノールは手元の映像へ意識を向けた。

 その映像の中では、観察対象の少女が正座をさせられている。こってりとお説教を喰らっていて、こっそりと脱走しようとしたところで襟首を掴まれてもいた。


 とても神と接触をした者の姿には見えない。

 ましてや使徒になったとは、到底思えなかった。


「本当になんなのでしょう……もしかしたらと危険性も考慮しましたのに、慎重になりすぎたかも知れませんわ。まあ、いずれにしても……」


 くすり、と。自覚のない笑みを零す。

 緩やかに吊り上がった口元には、残忍な色も混じっていた。


「わたくしが知らない事象なんて在ってはならないのですわ。そろそろ本格的に……“解剖”を行っても良い頃合いですわね」


 手にしていた本のページをめくる。

 新たに映像が浮かんで、そこには別の少女の姿があった。

 ベッドの上で横になって浅い呼吸を繰り返している。その顔色が蒼褪めているのは、つい先程、病の発作が起こったからだ。


 少女リゼットが患っている病の正体も、神の目には明らかだった。

 その治療が、人の手ではけっして不可能なことも―――。


「まさか魔神の呪いが、こんなにも根深いとは少々意外でしたわね。千年以上も消えないなんて……あの愚か者は、どれだけ人を苦しめたかったのかしら」


 メルファルトノールの声色が微かに沈む。黒いベルトで目が覆われているため、その表情は読み取り難い。

 けれど眉根を揺らしたのは、悲哀か、あるいは同情だったのかも知れない。

 それを、自覚はしていなかったが。


「呪い子も早々に処分した方がいいのでしょうけどね。もう少しだけ役に立たせてあげましょう」


 傲慢な口調で述べて、メルファルトノールはまた本のページをめくる。

 新たな映像へと、すぐに興味は移っていった。






 ◇ ◇ ◇


 ぐってりと肩を下げながら、アリエットは自宅の門をくぐった。

 すでに日は落ちて辺りは暗く染まっている。

 長い時間、エキュリアからのお説教を受けていたのだ。スピアも一緒だったけれど、ほとんど巻き添えと言っていいアリエットの方が精神を大きく削られていた。


 襲ってきた三人組は捕まり、厳重に取り調べられることになった。

 貴族を襲っただけでなく、禁忌とされる『呪刻陣』も使っていたのだ。詳しい話を聞き出す必要があった。


 ともあれ、アリエットが積極的に関われることでもない。

 事件の経緯を話して、お説教を受けて、ひとまずは解放された。

 当初の目的が達成されたのかどうかも、アリエットにはよく分からない。

 神から指示された、スピアを誘い出すという点では、恐らく達成されたのだろう。


 だけど森での採取は、あまり成果は得られなかった。

 それでもまあ、皆無という訳でもない。お土産の入った包みを抱えたまま、アリエットは玄関のドアを開けた。


「ただいま……って、あれ? デボラさん?」


 自宅へ入ると、奥の部屋から侍女が慌てた様子で駆け出してきた。

 この時間ならもう仕事を終えて帰宅しているはずなのに―――と首を傾げかけて、アリエットは気づく。


「まさか、リゼットに何かあったの!?」


 問い掛けに、返ってきたのは戸惑い混じりの首肯。

 アリエットは持っていた荷物を侍女へ押しつけると、すぐに奥の部屋へと駆けた。お土産のリンゴがいくつか床に転がってしまってけれど気にしていられない。


「リゼット―――ッ!」


 部屋に入り、絶句する。

 暗がりの奥から、青白く明滅する光が溢れてきていた。

 その光はベッドに横たわったリゼットから発せられている。まるで全身から雷撃を放っているようだが、周囲にこれといった被害は及ぼしていない。

 けれど当人は、その光以上に蒼褪めた顔色をしている。


 雷光病―――その名の通り、発作が起きると全身から雷に似た光を放つ。

 原因は不明。治療法も判明していない。

 ただ、体内の魔力が暴れて、それが患者に害を為しているのだと推測されている。

 放たれる光も、ほとんどが純粋な魔力のみだ。けれど稀に本当の雷撃が放たれたり、火がついたりするので、それがまた厄介なものとなっている。


「おねぃ、ちゃん……!」


 ベッドの上で、リゼットが小さく身じろぎした。

 呻くように唇を揺らす。

 呼吸は乱れて言葉は紡がれなかったけれど、その手は震えながらも掲げられた。

 救いを求めるように―――ではない。


 掌をアリエットへ向けている。近づくな、と示しているのだ。

 雷光病は、稀にではあるけれど周りの者にも被害を及ぼす。だからリゼットは遠ざけようとしている。

 苦しむのは自分だけで充分だから、と。


「そんなの……認められるはずないじゃない!」


 アリエットは躊躇うことなく、妹が横たわるベッドへと駆け寄った。

 震えている小さな手を握る。濃い藍色の瞳を覗きこんで頷いてみせた。

 掛ける言葉も思い浮かばない。

 だけど一人で放っておくなんて出来るはずもなかった。


「私は、貴方のお姉ちゃんなんだから……!」


 思わず言葉が漏れると同時に、小さな雷撃がアリエットの頬を焦がした。

 全身に痺れるような衝撃も走る。

 けれどアリエットは妹の手を握ったまま、横たわっている頭をそっと撫でた。


 リゼットを落ち着けるように。自分の心も宥めるように。

 いつもなら、そうして待っていれば発作は治まるはずだった。

 けれどいつまで待っても、光の明滅は止まらない。リゼットの呼吸もどんどん乱れていく。また雷撃が散って、今度はリゼットの白い肌を傷つけた。


「止まらない……? ううん、きっと大丈夫なはず……」


 激しい光に目を細めながら、アリエットは自分に言い聞かせるように呟く。

 雷光病の発作は、どんな切っ掛けで起こるかも分かっていない。当人が暴れる魔力を制御できれば治まるとも言われているが、それも気休め程度の治療法でしかなかった。


 それでも経験からして、そろそろ治まってもいいはずなのだが―――。

 アリエットの脳裏に最悪の予想が浮かぶ。

 このまま妹が命を落とすのでは、と。

 すぐに頭を振って否定したけれど、胸のざわめきは拭い去れなかった。


『くすくす。随分と焦っているようですわね』


「っ……メルファルトノール様!?」


 明滅する光に紛れて、アリエットの手首にあるお守りも輝いていた。

 悠然とした声に、一瞬だけアリエットは反感を覚えた。けれどそれもすぐに消える。


『手短に話しますわ。妹を救いたいのなら、わたくしの言う通りになさい。まずは結界を張るための道具が必要ですわね。それと―――』


 疑問はあったが、アリエットは頷いて行動を始める。

 まずは自室へ向かって、いくつかの道具を取ってくる。それを使って床に魔法陣を描いていった。ベッドの四隅を囲む形で、複雑な模様を床に刻んでいく。


 僅かな魔力を流し込むと、魔法陣は簡単に起動した。

 淡い白色の壁が、半球状になってベッドを包み込んだ。

 手を伸ばせば素通りできる薄い壁だ。防護障壁のような固さはない。


 青白い明滅は続いていて、リゼットは苦しげな吐息を漏らし続けていた。

 けれど、ほどなくして止まる。

 閃光の起こる間隔が長くなっていって、やがて白い壁の光だけが残った。


 息を呑んで事態を見つめていたアリエットは、ほっと安堵を漏らす。

 ベッドに近づくと、リゼットが静かな寝息を立てているのが確認できた。

 蒼褪めた肌には、いくつか裂傷や火傷が刻まれている。だけど大したものではない。アリエットは濡れた布で、そっと傷口を拭っていった。


「よかった……これでまた、しばらくは……」


『ええ、そうですわね。しばらくの時間稼ぎにしかなりませんわ』


 告げられた言葉に、アリエットは小さく肩を揺らした。

 神託、と言っていいのだろう。

 とてもありがたいことに、神のおかげでひとまず妹の命は長らえた。

 けれど教示されたのは、発作を鎮める方法だけだ。いつまた発作が起こるか分からないし、病の治療は為されていなかった。


「私は、どうすれば……?」


『くすくす……言ったはずですわ。何の心配も要らないと』


 悠然とした声は、嘲笑が混じっているようにも聞こえる。

 神の言葉を受けているのに不安が沸き上がってくる。

 けれどアリエットには、胸に手を当てて押し黙ることしかできない。


『次は少し手の込んだ計画になりますわ。貴方にも働いてもらいますわよ』


 僅かな逡巡を置いて、アリエットは深く頷く。

 痩せこけた妹の頬を優しく撫でると、胸に留まる罪悪感からは目を逸らした。



第五章も後半に突入。

いよいよ英知の女神が本格的に絡んできます。

そして、そろそろアレですね、アレ。

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