ピクニックを続けよう
風の刃が楕円形の端っこを割いた。まるで、お饅頭を一口だけ食べたみたいに。
黄金色の塊に赤味が差す。
それは、ぷるるんの痛みを表しているようだった。
体の一部を失ったのだから、痛みや怒りを覚えないはずがない。
まあ、キングプルンに痛覚があるかどうかは謎だけれど。
それに、見た目ほど大した傷でもなかった。空中に跳び上がっていたぷるるんだが、着地するまでには元の形に戻っている。ほんの少しだけ小さくなっていた。
ちょっと水を飲めば完全に回復する程度の傷だ。
「よかった。すぐに回復しそうだね」
安堵するスピアの横には、黒い壁が立っていた。
横だけでなく四方を囲んでいる。スピアとアリエット、ぷるるんを守る形だ。
無数の魔法攻撃は、その黒壁で完全に防がれている。
けれど、やがて魔法の雨はピタリと止まった。
木陰に隠れた襲撃者たちの姿はいまだに見えないが、攻撃を続けても無駄だと悟ったらしい。
静かになった周辺を窺いながら、スピアは口元を捻じ曲げていた。
「誰だか知らないけど、許せませんね。ぷるるんに怪我させるなんて」
「怪我って……えっと、大丈夫ですか?」
アリエットは蒼褪めた顔をして問い掛ける。
自分が誘い出したから―――その自覚と、罪悪感はある。
それでもアリエットには安心している部分もあった。
スピアへの信頼感なのか? 神が心配はいらないと言ってくれたからか?
アリエット自身にも分からず、胸の内には複雑な不安も同居している。
だけど対するスピアの返答は簡潔だった。
「やっつけます!」
問い掛けには答えていなかったが。
ともあれ、スピアは涼やかに宣言すると、足踏みをひとつする。
直後、天地が逆転した。
周囲の地面がまとめて跳ね上がり、空中へと浮かんだ。草木も一緒くたに巻き込まれている。当然、そこにいた襲撃者たちも。
みすぼらしい格好をした三人の男の姿が、空中で曝け出されていた。
まるで玩具箱を引っ繰り返したような光景だった。
けれど長くは続かない。跳ね上げられただけで、それらは重力に引かれて落ちる。
ダンジョン魔法による地形変化を起こしたのだが、そこに巻き込まれる者は堪ったものではない。土砂災害を食らったようなものだ。
襲撃者たちは樹木や土石に覆い被される。
抵抗する暇も与えられず、あっという間に身動きできなくされていた。
そんな光景を目の当たりにしたアリエットも、一歩も動けず、ただ口をぱくぱくと上下させるばかりだ。
「大丈夫です。あとでちゃんと、残った木は植え直します」
「……は? えっと、そういう問題……?」
「ぷるるんは、アリエットさんを守っておいて」
了解!、と言うみたいに黄金色の塊が揺れる。
守られる方のアリエットは困惑しきっていたが、スピアは軽やかな足取りで壁の外へと出て行った。
土砂の中から、襲撃者の一人が顔を覗かせていた。
うつ伏せのまま呻いている。いきなり高々と跳ね上げられ、地面に叩きつけられたのだ。その衝撃だけでも無事でいられるはずがなかった。
「んん? 何処かで見た顔のような……?」
「……ぅ……ろす、殺す……殺してやる……!」
男が顔を上げて、スピアを睨む。
と同時に、辛うじて動く片腕を突き出した。
その掌には赤黒い痕が刻まれている。
しかし、たったいま土砂で削られたような傷ではなかった。血は固まっているし、その痕は複雑な紋様にも見えた。
「あれは……まさか呪刻陣!? スピアさん気をつけて―――」
壁の端から様子を窺っていたアリエットが声を上げる。
男の掌から青白い魔力の輝きが発せられた。そこにある痕も魔法陣のように輝いて、直後、炎弾が撃ち放たれる。
先程スピアたちを襲った際にもあった、人の頭ほどに大きな炎弾だ。
一呼吸の間に数発も発動される。しかも至近距離から。
並の兵士などでは丸焼けにされてもおかしくない。
「抵抗は無意味です」
スピアはさらりと述べて、手刀を振るった。
炎弾は放たれる先から斬り裂かれ、消え失せていく。
それでも男は構わずに炎弾を放ち続けたが、スピアがいつまでも守りに回っているはずもなかった。
弾幕を裂き、スピアが踏み込む。男の手を捻り上げる。
呻き声を上げる男は、空へ向けられた手から炎弾を撃ち続けたが―――、
ボギリ、と。男の腕が圧し折られた。
「ん。やっぱりこれで止まるみたいだね」
スピアは小首を傾げて、輝きを失った『呪刻陣』を見つめる。
その『呪刻陣』という言葉さえ、スピアはついさっきまで知らなかった。
けれどアリエットが告げてくれたおかげで、『知識書庫』を探ることができた。
要は、即座に魔法を発動可能にする刺青だ。正しく“刻み込む”ことによって、魔力を流すだけで特定の術式を扱えるようになる。
便利ではあるけれど、その反面、代償も大きい。
体内での魔力の流れが強引に作られるため、使うたびに自身も徐々に壊れていく。刻まれた魔法陣の種類によっては、限界以上に魔力消費を強いられて、それもまた自身への大きな負担になる。
かつては、“使い捨て”の兵士に刻まれた。
しかし壊されていく人々を見て、慈愛の神イルシュターシアがこれを禁忌と定めた。魔導の神マグナヴァールも、愚者の知恵だと断じた。
いまではほとんどの国で禁止されて、教会も監視の目を光らせている。
一般には、その刻印方法さえ知られていない。
だというのに、襲撃者たちはどうやって『呪刻陣』を得たのか?
それは深刻な問題だったが―――、
「アリエットさーん! この人、見覚えありませんか?」
スピアの疑問はまったく別の部分に向けられた。
まだ呻いている男の頭を掴むと、その顔がよく見えるようにする。
たっぷりと殺意が込められた眼光も、アリエットへと向けられた。
「ひっ……え? あ、その人ってたしか―――わひゃらぁっ!?」
アリエットは泣き出しそうな顔になって肩を縮める。
その背後、少し離れた場所から轟音が響いてきた。
同時に閃光も辺りを照らしている。上空にいたトマホークが、他の襲撃者が動こうとしたのを察知していた。
いきなり間近に雷撃を落とされて、アリエットは膝をがくがくと震えさせる。
「大丈夫です。一割くらい生きてます」
「それって、トドメを刺してあげた方が幸せなんじゃ……」
言いながら、アリエットは頭を振った。
驚かされてばかりで混乱していても、襲ってきた相手を気遣うのが間違いだというくらいは判断できる。
それに、いま注意を向けるべき部分は別にあった。
「その人、以前にも会った傭兵ですね。覚えていませんか? スピアさんが捕まえたボムゥリオを護衛していた……」
スピアに叩きのめされた男たちだ。
その後、ボムゥリオとともに牢に入れられていた。けれど雇われただけで、直接的な犯罪には関わっていなかった。だから極刑は免れていた。
そうアリエットは聞き及んでいた。
それでも強制労働くらいには処せられたはずだ。
なのにどうして街の外にいるのか?、とアリエットはまた疑念を覚える。
だけどスピアにとっては細かな部分はどうでもよかったらしい。
「ああ、思い出しました。あのガラの悪い人たちですね」
スピアは晴れやかに言うと、男の顔を地面へ叩きつけた。
そうして完全に意識を奪う。
「んん~……この『呪刻陣』っていうのも、なんとかした方がいいんですかね。体内の魔力回路と繋がってるみたいだから、こっちを弄れば……」
首を傾げて呟くと、スピアは倒れた男の背に手を当てた。
その手から淡い魔力光が漏れる。なにかしらの施術を行っているようだったが、見ただけで分かるものではなかった。
ただ、男の身体がビクリと震えたり、声にならない悲鳴を上げたりもして―――。
「それじゃ、ピクニックを再開しましょう」
「は、はい。って、えぇぇぇぇぇ!?」
まるで何事もなかったような態度のスピアに、アリエットは目を白黒させる。
周りの森は破壊されっぱなしだし。
襲撃者たちも放置するのはマズイはずだし。
そもそもピクニックとか言っていられる状況じゃないし―――、
そう訴えようと、アリエットはあわあわと手を振る。
「え? 皆殺しにした方がいいですか?」
「ち、違います! そうじゃなくって……せめて、街の兵士には知らせた方がいいと思います」
真っ当な意見を述べるアリエットだが、胸の内では躊躇いも生まれていた。
あるいは、罪悪感だろうか。
やはり今回の件と、英知の女神が無関係とは考え難い。
だけど同時に、有り得ないとも思える。
神がなにかを仕組んだにしては稚拙すぎる。
スピアを害しようとするには、襲撃者は力不足だった。でも下手をすれば無事では済まなかったし、実際、ぷるるんが傷を負ってもいた。
神の思惑を測ろうとするのが傲慢なのかも知れないけれど―――。
そんな思考が、アリエットの頭の中でぐるぐると巡っていた。
「ん~……やっぱりこれって事件になりますか」
「え? あ、はい。そうです! ともかくも街に戻りましょう!」
スピアの言葉に、アリエットは現実に引き戻される。
まだ何も解決していないけれど、ひとまず真っ当な対応をしようと提案する。
「でもそうなると、エキュリアさんに捕まっちゃいますね。フィールドワークとか言っても誤魔化せそうもないですし」
「……やっぱり仕事を抜け出してきたんですね?」
スピアはさっと目を逸らす。
問いには答えないまま、ぷるるんをぺしぺしと撫でた。
呑気そうな横顔を眺めつつ、アリエットは溜め息を落とす。
自分も悩みなんて忘れなれればなあ、と。
謎の襲撃者の正体は、ちょっと前に倒された傭兵でした。
細かい事情は、スピアは気にしません。
エキュリアさんの仕事がまた増えました。
あと、書籍版の発売が12月末(23日)に決まりました。
以前は1月を予定していましたが、もっと早くにお届けできそうです。詳しくは活動報告で!