ピクニックへ行こう
城門の脇で、アリエットはそわそわしながら待っていた。
いつもより早目に起きて、準備は万端だった。
忘れ物だってない。しっかりと確認した。
それでもやはり目上の相手を待つのは、気弱なアリエットには緊張を強いられる。
スピアとは大分気さくに話せるようにはなっていたけれど―――、
たぶん、後ろめたさもあるからだろう。
「完全な嘘でもないんだけど……」
呟いて、アリエットは大きな革袋を強く抱きしめる。
今日はこれから、王都郊外の森まで採取へ行く約束をしていた。
森で採れる草木や果実には、食材や薬、魔導具の素材になるものまである。そういった素材が欲しいとアリエットが告げると、スピアも興味を示したのだ。
スピアを誘い出す―――、
英知の女神から、アリエットはそう指示されていた。
だけど何処に誘い出すのかは、最初の時点では聞いていなかった。だから適当に話を切り出しただけ。
素材を買い付けるからと言って、街へ連れ出すこともできる。
魔導具の製作をするからと、家へ招くこともできる。
そんな計略も、アリエットの頭には咄嗟に浮かんでいた。
「結局、騙したのは同じ……ううん、でもこれもスピアさんのためなんだから」
アリエットは頭を振って姿勢を正す。
城門を守る兵士からは奇異の目で見られていたが、そんなことには気づかない。
ほどなくして、門からひとつの影が出てくる。
正確には、ふたつでひとつ。
ぷるるんの上に乗ったスピアは、とても目立っていた。
「お待たせです!」
「い、いえ。わざわざ足を運んでいただいて、ありがとうございましゅ」
アリエットは丁寧に礼をする。
貴族としては当然の態度だが、スピアはあまり嬉しくなさそうに口元を歪めた。
「また固くなってますよ。普通に話してください」
「は、はい。分かってはいるんですけど……」
あらためて畏まってしまうのは、やはり罪悪感があるからだろう。
そんなアリエットに、スピアは朗らかな笑みとともに手を伸ばした。
「とにかく、早く行きましょう。乗ってください」
「え? 乗るって……わぁっ!?」
手を引かれて、ぷるるんの上に乗せられる。
アリエットは戸惑うばかりだったが、スピアは構わずに黄金色の塊をぺしりと撫でた。
「急がないと、エキュリアさんに捕まっちゃいます」
「つ、捕まるって……まさか、また仕事を放って―――」
不安混じりの疑問は、最後まで言葉にされなかった。
スピアとアリエットを乗せて、ぷるるんは大きく跳ねた。そのまま勢いよく街路を進んでいく。
「ピクニックなんて久しぶりです」
「え? ピク……?」
「今度、休みの日にエキュリアさんも誘います。そうすれば許してもらえますよ」
「や、やっぱり仕事を放ってきたんじゃないですかぁ!」
アリエットの指摘は虚しく響く。
ちょうどぷるるんが速度を増したところで、その声には悲鳴も混じっていた。
街を一歩出れば、そこはもう危険地帯だ。
野生動物や、狂暴な魔物がいくらでも徘徊している。
とはいえ、ベルトゥーム王都のように大きな街となれば、周辺の安全もいくらかは確保されている。魔物だって学習して、自分が狩られるような場所は避ける。兵士や冒険者が訓練も兼ねて、定期的に巡回をしている。
スピアとアリエットが訪れた森も、穏やかな空気に包まれていた。
春先の陽射しは柔らかく、森林浴も楽しめそうだ。
街を出る際に起こった騒動も、きっとすぐに忘れられるだろう。
「あの兵士の人、大丈夫でしょうか……?」
「ちょっと振り回しただけです。すぐに立ち直れます」
未だに王都には、ぷるるんを見て警戒する住民がいる。
広い街なので仕方ない。今日の門衛は血気盛んだったので、少しだけ不幸な目に遭ったが、ほとんど怪我もしていなかった。
「まあ、いきなり斬り掛かってきた方も悪いと思いますけど……」
心配しても仕方ないか、とアリエットは顔を上げる。
二人はぷるるんから降りて、ゆっくりと森を散策していた。
辺りには新緑の香りが漂っていて、小鳥の囀りも聞こえてくる。街の外だという警戒心も薄れていって、アリエットの表情も和らいでいった。
「この森って面白いですね」
「面白い、ですか?」
「はい。まだ春になったばかりなのにリンゴが実ってます。あそこなんか、枝の先っぽにシイタケが生えてますよ」
スピアは嬉しそうに果実や木枝を指差す。
だけどアリエットは不思議そうに首を捻っていた。
あまり街の外へ出た経験もないアリエットだが、動植物に関しての知識は持っている。その知識によれば、目の前にある森には、とりたてて珍しいものなど無いはずだった。
「リンゴなら、どの季節でも実ることで有名ですよ。あっちのキノコも、少しの魔力で簡単に育つそうですし……」
「ん~……そうみたいですねえ。やっぱり似てるようでも別物っぽい」
頷いてから、スピアは唐突に駆け出した。
前方を進んでいたぷるるんに飛び乗って、大きく跳躍する。
手刀が振り払われると、リンゴが三つ、くるくると宙を舞った。
スピアも軽く身を捻って着地する。リンゴ二つはその手に受け止められて、最後のひとつはぷるるんの上に落ちた。
「アリエットさんも、どうぞ」
「あ、はい。ありがとうございます」
差し出されたリンゴを、アリエットは戸惑いながらも受け取る。
よく熟れているのは漂う香りからも感じられた。
スピアは早速齧りついて、にんまりと頬を緩めている。
「リンゴがいつでも食べられるっていいですね。美味しいし、医者要らずですし」
「医者要らず……?」
「一日一個か、半分かは忘れました。とにかく栄養たっぷりです」
「はぁ……」
よく意味が分からず、アリエットは首を捻る。
リンゴは体に良いってことかな?
だったら、妹にも持って帰ってあげよう。
あの病気が治るとは思えないけれど―――、
そんなことを考えながら、アリエットはスピアの小さな背中についていった。
「ところで、何処まで行くんです?」
「あ……考えてなかったんですね」
呆れを笑顔で取り繕いつつ、アリエットはあらためて周囲を見渡す。
実際に訪れるのは初めてでも、王都周辺の地図は図書館で見て頭に入っていた。森に関する細かな話も、いくつか聞いた覚えがある。
「このまま進むと、小さな湖があるはずです。そこに花畑があって、採集にも良い場所だと聞きました」
「なるほど。花畑なら、お昼寝をするのにも……ん?」
ふと、スピアが足を止めた。
首を回して、その先に窺うような視線を向ける。
「マンドラゴラです!」
声を弾ませると、スピアは小走りに駆け出した。
アリエットはまた唖然としてしまう。だけどすぐに我に返ると、走るスピアの後を追った。
「珍しい植物なんですよね?」
「は、はい……でも本当にマンドラゴラが? とても高価な薬の材料になるそうですけど、でも掘り出すのは危ないですよ?」
「ぷるるんなら大丈夫です」
さらりと述べて、スピアは横にいた黄金色の塊に手を当てた。
ぺしぺしと撫でると、少し先にある木陰を指差す。
ちょうどそこだけ雑草が避けたように地面が剥き出しになっている。だけど中心の部分には、太い草が一束だけ生えていた。
その草の上に、黄金色の塊がぷよんと乗っかった。
「ま、待ってください! マンドラゴラの悲鳴は―――」
慌てて声を上げながら、アリエットはスピアの頭を抱き寄せた。
小さな頭を胸に押し当てて耳を塞ぐ。残った片手も自分の耳に当てると、神に祈るように身を丸めた。
マンドラゴラは掘り返されると悲鳴を上げる。
その悲鳴を聞いた者は、例外無く正気を失ってしまうという。だから何重にも結界を張って、慎重に扱わなければならない。
アリエットの知識ではそうなっていたのだが―――、
「……あれ?」
何も起こらなかった。
恐る恐る、アリエットは顔を上げる。
ぷるるんの中で、マンドラゴラがじたばたと暴れていた。大根に人面がついたようなマンドラゴラは、確かに悲鳴を上げているように見える。
だけどやはり何も聞こえない。静かな森の音が流れているだけだ。
「ぷるるんは頼りになるんです。大根にも負けません」
胸に抱えられていたスピアが、そっとアリエットを押し離した。
宥めるように柔らかな笑みを見せる。
「可愛らしさだと完全勝利ですね」
「は、はぁ……」
アリエットは気の抜けた返事しかできなかった。
そうしている間にも、マンドラゴラの蠢きは鈍くなっていた。やがて完全に動かなくなって、粘液体の中から押し出される。
スピアはそれをしばらく眺めていたが、興味を失くしたみたいに『倉庫』へと仕舞った。
「分けるのは後にしましょうか。それよりも、湖へ向かいましょう」
一方的に告げて、スピアはまた歩みを再開する。
アリエットはしばし立ち尽くしていたけれど、慌てて追いかけた。
ぷるるんが呑気そうに跳ねていく後を、二人も緩やかな足取りで進んでいく。
やがて森の気配が変わった。
木々の合間から差し込む光が多くなって、湖が近いのだと分かる。
そこで、また不意にスピアが足を止めた。
「……どうかしましたか?」
ぼんやりと空中を眺めるスピアに、アリエットは遠慮がちに問い掛ける。
もしもエキュリアがいれば、すぐに周囲への警戒態勢を取っただろう。
けれどアリエットは、そこまでスピアの行動に慣れていない。
「三人です。森に入る辺りから、近くにいたんですよね」
「え……? それって、私たちの他に……?」
「なんだか後を尾けられてたみたいです。いま、散らばりました」
スピアが僅かに眉根を寄せる。
直後、周囲の木々が大きく揺らいだ。
膨れ上がる魔力の気配は、アリエットにも感じ取れた。
「ぅ、わひゃぁっ!?」
揺れた木々の合間から、無数の魔法攻撃が放たれた。
光弾や炎弾、鋭い風の刃も混じる。それらはすべて、明らかにスピアたちを狙っていた。
「ぷるるん、迎撃!」
ほぼ同時に、スピアは声を上げていた。
ぷるるんもすぐさま反応していた。跳び上がり、黄金色の体を震えさせる。
魔法攻撃が着弾するよりも早く、幾筋もの高圧水流が放たれた。
スピアたちの頭上から水流が四方八方に広がる。けれど魔法攻撃の数は多く、すべてを撃ち落とせはしなかった。
それでも残ったものは、スピアが手刀を振るい、払う。
どうにか守りきれそうだった、が、
「―――ぷるるん、っ!?」
一際鋭い風の刃が軌道を変えて、ぷるるんの体を切り裂いた。
ぷるるんが大ピンチだー(棒