親衛隊長のお仕事③
ぐつぐつと鍋が煮えている。
立ち昇る湯気とともに、食欲を刺激する匂いを振り撒いている。
「今回のメインは鶏肉です。昆布ダシでもいいんですけど、贅沢に鶏ガラスープを使いますね。野菜は白菜を多めに、葱やキノコも、鶏の部位もあちこちを使って、旨味を混ぜ合わせます。まあ適当で大丈夫です」
練兵場の一角に、調理場が設営されていた。
当然と言っていいのか、スピアがダンジョン魔法で作り出したものだ。
天幕や、広い席も用意されて、大勢で食事を囲めるように整えられていた。
建前としては、野営の訓練ということになっている。だから幾名かの親衛騎士も手伝って、新しい料理のレシピに目を輝かせている。
もっとも、野営で作るには少々手間の掛かり過ぎるレシピばかりだが。
「こっちのタレは、スダチの搾り汁とお醤油を合わせたものです。好みが分かれますから、取り皿でつけるように置いといてください」
エプロン姿のスピアが、調理台の合間をちょこちょこと動き回っている。
鍋の様子を見たり、手伝いの騎士に指示を出したりと、忙しなく働いていた。
まるで繁盛している料理店の子供みたいに見える。
本人も忘れがちだが、スピアはお料理研究会で部長を務めていた。
料理は好きだし、その腕前だってなかなかのものだ。
まあ、親衛隊長であることとはまったくもって無関係だが。
「どうしてこういう仕事ばかり張り切るのだ……」
エキュリアは呆れながらも苦笑を零す。
その手元では、デザート用の果実が綺麗に切り分けられていた。
いまも練兵場では、親衛隊が訓練を行っている。ちょうどワイズバーンが連れてきた部隊との模擬戦が終わったところで、両部隊が集まって反省会の最中だった。
ここ数日、厳しい訓練の後に、皆で揃って食事をする流れができあがっている。
一度食事を振る舞って以来、ワイズバーンから是非にと要望されていた。味覚に傷を負ったままのワイズバーンだが、どうやらスピアの料理は口に合うらしい。
先日の“ちゃんこ鍋”にしても、十人前はたいらげていた。
「ザームさんも喜んでましたよ。親衛隊の予算が浮くって」
「まあ、今回の訓練費用は、ワイズバーン殿がすべて出す形になったからな。細かな手続きなどで、またザーム殿の仕事は増えたが……」
「ひよこ村も大儲けです」
「そういえば、ショーユの大量注文もあったそうだな。他のレシピにしても、随分な額で売りつけたのだろう?」
「食べ物にはいくらでもお金を掛ける、って言ってました。正しく、太っ腹ですね」
上手いことを言ったつもりなのか、スピアは得意気な笑みを浮かべる。
でもエキュリアは微妙な顔をしていた。
料理が並べられていくのを眺めながら、ぽつりと呟く。
「……納得はしたつもりなのだがな」
ワイズバーン侯爵と、エキュリアの故郷であるクリムゾン領はずっと険悪な関係にあった。敵対関係と言ってもいいほどで、いまだって明確な和解はしていない。
それに、先の動乱でも、エキュリアたちの前にワイズバーンは立ちはだかった。
レイセスフィーナに対しても剣を向けようとした。
スピアによって被害もなく撃退されたが―――。
それら一連の行動は、すべて魔族に操られて行ったこと。表向きはそうなった。
いまは国内の安定を優先させたい、というレイセスフィーナの意向もある。
加えて、ワイズバーンから己の失態を認める進言があった。
曰く―――、
魔族に操られていた失態を償うため、国外への“援軍”として出向きたい、と。
現状、ベルトゥーム王国にとって強く警戒すべき勢力は二つ存在する。
ひとつは東の帝国。こちらは国境に堅牢な砦を築いて、常に守備部隊が目を光らせている。
もうひとつは魔族。こちらは直接に国境を接してはいないが、すべての人類の敵であって、いつなにを仕掛けてくるか分からない。先の動乱にしても、魔族の関わりは無視できなかった。
その魔族と戦いを続けている国がある。
ベルトゥーム王国から北西、海を越えた先にあるインバルシア海王国だ。
海を越えると言っても、そう遠い距離ではない。上手くすれば小船でも渡れる程度の距離だ。クリムゾン領の北、アルヘイス領と交流があって、これまで軍事的な支援も行ってきた。
歯に衣着せない言い方をするなら、魔族に対する壁、という訳だ。
それでも友好的な関係は続いている。相手に倒れられては困る、という点で両国の利益は一致していた。
今回、ワイズバーンはそのインバルシア海王国へ向かうことになる。
領軍を再編して大規模な派兵を行うと、自ら進言した。
ワイズバーンが資金を捻出するのだから、王国としてはほとんど懐が痛まない。それどころか隣国への貸しになるし、先の失態への罰として体裁も整う。いまひとつ信用できない相手を国外へ置いておける、というのも悪くない。
ワイズバーンとしても、戦場で暴れられるのは望むところだ。
ただし、ワイズバーン領の領民が戦場に駆り立てられるという問題はある。
その点はレイセスフィーナが危惧して、困窮する者が増えないよう配慮を促した。報酬を充分に出し、訓練もしっかり行うように、と厳命した。
それ以外は、感情的な問題を除けば、実に良い提案だった。
交換条件として出されたスピアとの試合も、ひとまず無事に終わった。親衛隊員にも良い刺激になっていた。
「同じ釜の飯を食った仲間、なんて言葉もあるんですけどねえ」
エプロンで手を拭きながら、スピアが首を傾げる。
綺麗な眼差しで見つめられて、エキュリアはばつが悪そうに表情を歪めた。
「分かっている。遺恨も飲み込まねばならんことも……そうだな、侯爵殿が無事に帰ってきた時には、ちゃんとした笑顔で迎えるとしよう」
「エキュリアさんは、誰に対してもツンデレですね」
「なんだそれは? 意味は分からんが、誉められた気がしないぞ?」
じっとりと睨まれて、今度はスピアが目を逸らす。
そうして雑談を交わしている内に、反省会を終えた騎士たちがこちらへ向かってきていた。
「それじゃ、ご飯にしましょうか」
「ああ。待たせるのも心苦しいな。皆、いまにも涎を垂らしそうだ」
すでに辺りには美味しそうな匂いが溢れている。
スピアは丁寧にエプロンをたたむと、食事の席へと足を向けた。
食器の片付けを終えて、アリエットはふうっと息を吐いた。
百名近くが食事をした後なので、けっこうな作業量になった。
もっとも半分以上は、いつの間にか現れたシロガネが片付けていたが。
「アリエットさんも、お疲れ様です」
スピアは、ぷるるんの上にいた。
だらりと寝転がっている。
軽く食後の運動をすると言っていたけれど、そのまま休憩に入ったらしい。
アリエットは困惑混じりの笑みを浮かべながらも、手を振って返す。
「いえ。私の方こそ、ご馳走になってしまって申し訳ないです」
なにも片付けのためだけに、アリエットは呼ばれたのではない。ちゃんと食事の際にも同席していた。
まあ、むさくるしい男ばかりの席で小さくなっていたけれど。
それでも調理台の隅には、持ち帰り用の小さな土鍋も置かれている。
「リゼットの分までいただいちゃって。本当に、ありがとうございます」
「気にしないでください」
ぷるるんの上で寝返りを打って、スピアは屈託なく微笑む。
「姉妹二人だけって、なにかと大変だと思いますし。困ったことがあったら遠慮しないで言ってください。あと、お鍋の後のお雑炊は、一晩寝かせても美味しいですよ。冷える時に味が染み込みますから、味噌を加えてもいいですし……」
楽しそうに語っていたスピアだが、不意に言葉を止めた。
ぐにぐにと黄金色の塊を撫でながら、首を捻り、隣にいたエキュリアに訊ねる。
「いまのわたし、近所のおばちゃんっぽかったですか?」
「知らん。が、親切なのは悪いことではないぞ」
エキュリアも苦笑しながら、黄金色の塊に手を当てて押し込む。
寝転がっているスピアが上下に揺らされた。跳ねるベッドに身を任せて、スピアはごろんごろんと転がる。
どうやら、恥ずかしさを誤魔化しているらしい。
「えっと……それにしても、スピアさんは随分と料理にお詳しいんですね」
どう反応していいものか、と困惑しながらも、アリエットは話を移した。
あれこれと鍋で煮込むのは、王国でも知られている基本的な調理法だ。鶏ガラスープも知られてはいたが、ほとんどのものは雑味が多く、獣臭さも残ってしまう。
しかしスピアが作ったスープは実に洗練されて、旨味ばかりが凝縮されていた。
これは下処理が丁寧だったり、“圧力鍋”を使っていたりするからだが―――。
ともあれ、簡単に出せる味ではない。
それを気軽に披露できるスピアに、アリエットが興味と戸惑いを覚えるのは当然だった。
「戦いにしてもとても強いですし……いったい、何処でこういった知識を得られたのですか? あ、いえ、もちろん答え難いなら……」
「故郷の味です!」
遠慮がちに訪ねたアリエットに、スピアは即答する。
でも、どうにも理解に苦しむ返答だった。アリエットはまた困った顔をして首を捻ってしまう。
「それで思い出しました。梅干しです」
「また唐突に何だ? そのウメボシというのは?」
「お雑炊に入れて食べたくなりました。大失敗です」
「また食べ物の話か! あれだけ食べておいて……」
言葉もないアリエットに代わって、エキュリアが呆れた声を返す。
そうしてスピアの頬っぺたに人差し指を当てた。ぷにぷにとした感触を突つく。
「子供はよく食べた方がいいが、太らないか心配にもなるな」
「むぅ、子供じゃありません。それに運動もしてるから太りませんよ」
「だらけた生活をしているようにも見えるがなあ」
まあいい、とエキュリアは肩をすくめる。
実際に太っていない以上、あまり気に掛ける必要もなさそうだった。
「それよりも……今日の訓練を見て、どうだった? 食事ばかりでなく、少しは親衛隊長らしい助言などないのか?」
「そうですねえ……」
緩んでいた空気が、幾分か張りつめる。
真剣な眼差しを見せたエキュリアに、スピアはぼんやりとしたまま答えた。
「集団戦闘とか、正直よく分かりません」
「ふむ……指揮官には、独特の経験が必要とも聞くからな。私も偉そうなことは言えんのだが……」
「単純な戦力アップだったら、方法は思いつくんですけどねえ」
言いながら、スピアは空中に腕を伸ばした。
指先を広げる。と、そこに淡く輝く魔法陣が浮かび上がった。
いったい何を!?、とエキュリアたちが声を上げる暇もない。
ずずっ、と。
魔法陣の中から押し出されるようにして、一本の黒い大剣が現れる。
両刃で幅が広く、先端は緩やかな曲線を描いている。仄かな魔力を帯びて青白い光を放っていた。
「名付けて、『魔剣えっくす』です。エキュリアさんも使ってみますか?」
問われても、エキュリアは答えられない。
妖気すら纏っているような魔剣に目を奪われ、ただ立ち尽くしていた。
そろそろ鍋料理が美味しい季節。
作中では春先ですがね。
ちなみに、作者は鶏鍋が一番好きです。