司書見習いのお仕事②
人って風車みたいに回るんだなあ。
アリエットは呆然として、そんな感想を抱いていた。
目の前には、ボムゥリオの護衛役だった三人の傭兵が突っ伏して積まれている。
叩きのめす。
そうスピアが宣言すると、まず一人の傭兵が罵声を上げた。
最初の“おデブ発言”にも反応して絡んできた、厳しい顔つきをした男だ。
まるで酔っ払いが子供に八つ当たりするように、スピアを蹴りつけようとした。
直後、男は宙を舞っていた。
いったい何が起こったのか、アリエットにはまったく分からなかった。
ただスピアが軽く手を払ったように見えた。
ともかくも男は地面に頭から激突して、濁った悲鳴を上げたまま動かなくなった。
そこからはもう一方的だった。
二人目の傭兵は、ぺたりと腹を叩かれただけで悶絶した。
そのまま気絶して、一人目の上に積み重ねられた。
三人目は蒼褪めた顔をして、アリエットを人質に取ろうとした。
けれど上空から飛来した鷹に、その手と顔を切り裂かれた。
さらには雷撃まで喰らって、他の傭兵と同じく転がされた。
「き、貴様! 儂にこんな真似をしてただで済むとぉぼへぁっ!?」
ボムゥリオも転がされて、街路樹の下敷きにされていた。
もちろん街路樹が偶然に倒れてきたのではない。スピアがひょいと引き抜いて、そのままボムゥリオの上に乗せたのだ。
まるでちょっとした荷物を片付けるような、軽やかな所作だった。
「ただで済まないのは、そっちです」
ボムゥリオの顔を石ころみたいに蹴って、黙らせる。
そうしてから、スピアは地面に落ちた証文を拾い上げた。
「こんな偽物を作って。詐欺の現行犯です」
「いっ、言い掛かりだ! それは間違いなく本物で……」
「書かれたのが、ほんの十日前です。わたしの鑑定眼は誤魔化せません」
「んなぁっ……!?」
あり余った肉を震えさせ、ボムゥリオは絶句する。
その反応からすると、どうやら図星らしい。
怪しいとはアリエットも思っていたが、まだ事態が呑み込めずに呆然とするばかりだ。
「そうなると、証文官って人も怪しいですね。なんだかややこしい話になってきましたけど……」
ボムゥリオを押さえている街路樹を、スピアは片足でぐりぐりと揺らす。
無様な悲鳴が上がるけれど気にも留めない。
しばし思案を巡らせてから、ぽん、とスピアは手を叩いた。
「よし。エキュリアさんに相談しましょう」
「え……?」
辛うじて、アリエットは声を漏らす。
丸投げするつもりだ―――そう口に出すのは躊躇われた。
けれどスピアの言葉は、むしろボムゥリオに衝撃を与えていた。
「え、エキュリアだと!? まさか『竜殺し』のエキュリアか!」
「また二つ名が増えましたね」
「私は『王国最強』とか、『剣王』とか聞きましたけど……」
「じょ、冗談じゃない。まさかエキュリア様と知り合いだとは……ど、どうか御勘弁を! 謝ります! 心の底から謝罪致しますので!」
街路樹に半分潰されたまま、ボムゥリオは命乞いじみた言葉を連ねる。
冷や汗もだらだらと流していた。
それだけで痩せられるんじゃないか、というほどに。
けれどまあ、だからといって信じられるかどうかは別問題だ。
どれだけ反省の弁を並べられても、ボムゥリオの胡散臭さは消えていなかった。
「とりあえず、エキュリアさんを呼びましょう」
「あ、はい。そうですね……って、そんな気軽に呼んでいいんですか!?」
「大丈夫です。エキュリアさんは、こういう卑怯な人を一番嫌ってますから。きっと喜んで大暴れしてくれます」
さらりと述べられた未来予測に、ボムゥリオはまた悲鳴を上げてじたばたと手足を動かす。けれどしっかりと街路樹で押さえつけられていて逃げられるはずもない。
哀れみすら誘う様子を横目にしつつ、アリエットも呆然として状況に流されるしかなかった。
スピアが作った、図書館の特別閲覧室―――、
室内の空気は魔導具によって清涼なものに保たれている。
眠気を誘うほどに柔らかなソファもあって、とても快適な空間となっている。
そこでいま、アリエットはガチガチに緊張していた。
「こ、此度はたいへんお世話になりましゅたっ!」
噛んだ。
けれどそれに気づく余裕もなく、アリエットは深々と頭を下げていた。
なにせ目の前には『千人殺し』のエキュリアがいるのだ。
以前にセフィーナと面会した際にもエキュリアの姿を見掛けていたが、だからといって慣れるものでもない。伯爵家の息女というだけでも、アリエットにとっては遥か上位にいる貴族だった。
もっとも、畏まられているエキュリアの方も困惑顔をしているのだが。
「あー……大袈裟に構えないでくれ。アリエット殿のおかげで、悪徳商人だけでなく、不正を行った証文官も捕らえられたのだ」
「い、いえ、私はなにもしてなくって、すべてはスピアさんのおかげでして……」
ぺこぺこと、アリエットはお辞儀を繰り返す。
スピアとはまったくもって対照的だった。
「ほらエキュリアさん。わたしも誉めてください」
「ああ、分かった分かった。偉いなぁ」
「むぅ。心がこもってません」
薄い胸を張るスピアの頭を、エキュリアはわしゃわしゃと撫でる。
スピアは唇を尖らせながらも嬉しそうに目を細めた。
エキュリアも言葉こそ呆れ混じりだったが、誇らしげに表情を緩めている。
「……御二人は、本当に仲が良いのですね」
なんとなしに呟いてから、はっとしてアリエットは自分の口を押さえる。
失礼な物言いだったかも―――、
そう後悔して肩を縮めたが、スピアたちの反応は柔らかなものだった。
「はい。ぷるるんやトマホークも、エキュリアさんを大好きですから」
「その評価はどうかと思うが……まあ、信頼できる友人だな」
ソファに腰掛けた二人は、互いに優しげな眼差しを交わす。
何気なく肩を寄せ合う様子を見て、アリエットはほっと胸を撫で下ろした。
怒られずに済んだ、という安堵だけではない。
この二人が王国を支える重要な立場にいる、というのが嬉しく、誇らしくもある。
もちろん助けてもらった感謝もあって―――、
だけど同時に、スピアへ隠し事をしているという罪悪感も、アリエットの胸には留まっていた。
「あ、そうだ。忘れない内に渡しておきます」
唐突に述べて、スピアはソファから立ち上がった。
戸惑うアリエットの手を取ると、小さな指輪を握らせる。
「あの、これは……?」
やや大きめな、複雑な装飾の施された指輪を、アリエットはまじまじと見つめた。
魔力が感じられる。
知識しか持たないアリエットだが、まさかと思えた。
「防犯グッズです」
「は? えっと、それはどういう意味で……?」
「待て、スピア。もしやその指輪、魔導具ではないのか?」
アリエットが覚えた疑問を、代わりにエキュリアが訊ねてくれた。
ソファから立ち上がり、真剣な面持ちでスピアへと詰め寄る。
魔導具となれば、ほとんどが高級品だ。下手な装飾品よりもずっと価値がある。
しかもアリエットに渡された指輪は、素人でも分かるほどに多量の魔力が蓄えられている。つまりはそれだけ高価な物だということ。
だとしたら、迂闊に受け取れない―――、
そう怯えるアリエットに対して、スピアはあっさりと答えてみせた。
「雷撃が出ます。十回分まで魔力を溜められるので、使ったら補給してください。あ、発動する時には『バルバトス!』って叫んでくださいね」
「な、なんですか、『バルバトス!』って!?」
問題はそこじゃない気がする。
内心で自分にツッコミながらも、アリエットは上手く言葉が出せない。
あわあわと口を上下させるばかりだ。
そんなアリエットの代わりに、またエキュリアが呆れながらも問い掛ける。
「言葉ひとつで雷撃を放てるというのか? だとしたら、凄まじい魔導具だぞ」
「大丈夫です。アリエットさん専用の安全仕様です」
「また価値が上がったではないか! しかも魔力を溜められるとなれば、使い捨てではないのだろう? 雷撃というのは、どれくらいの威力だ?」
「そっちも、一応は安全ですよ。人が気絶するくらいです」
優しい配慮です!、とスピアは得意気に笑顔を輝かせる。
まあ確かに、殺傷能力がなければ躊躇なく使えるのかも知れない。
けれどもっと他に配慮すべき部分があるだろうと、エキュリアもアリエットも揃って頭を抱えた。
「まあなんだ……アリエット殿、ひとまず受け取っておくといい」
「で、でも、いいんでしょうか? こんな高価な魔導具……王族への献上品にだって使えそうですよ?」
「構わんさ。スピアは無茶苦茶な行動ばかり取るが、それが正解の場合も多い。今回もアリエット殿を守りたいと思ったのだろう」
苦笑を零しつつ、エキュリアはソファの方を見やる。
まるで何事もなかったかのように、スピアが寝転がっていた。
やけに分厚く、綺麗な挿絵の入った本を広げて目を輝かせている。
「この世界にも、美味しそうな果物がいっぱいあるんですねえ」
そんな呟きを零しながら、スピアは足をぱたぱたと揺らす。
高価な魔導具を渡したことすら、もう完全に忘れていそうな様子だった。
「素直に受け取った方が、スピアも喜ぶはずだ」
「……はい。感謝します」
アリエットは受け取った指輪を嵌めると、そっと手を握り込む。
小さな指輪には、ほとんど違和感を覚えない。
だけど、とても重たい物を譲られた気がした。
珍しく、エキュリアさんに怒られずに誉められました。
あと合言葉は、某鉄血なガン○ムとは関係ありません。
スピアがなんとなく思いついただけ。