よくある朝の風景
ベルトゥーム王城の一角に、要人を迎えるための客間がある。
本来なら、他国からの客人などのために用意されている部屋だ。
王国貴族でもおいそれとは踏み入れられない。
けっして、風の通りが良いから、なんて理由で使われてよい場所ではなかった。
「んん~……よし! 今日もいい朝だね」
ベッドから起き上がり、身体を伸ばして、スピアは柔らかく目を細めた。
最近のスピアは、朝もすっきりと目覚められる。
“こちら”での生活にも慣れてきたおかげだろう。
王国内の状勢もひとまず落ち着いて、のんびり過ごせているというのもある。
とはいえ、王の退位という大きな出来事は混乱も招いている。
城内の関係者は、いまも新たな体制へ移行するため日々忙しなく働いていた。
スピアだって、城内でだらだらとしているばかりではない。
「さて、行こうか」
「はい。お屋敷の支度は、いつでも整っております」
部屋の隅に控えていたシロガネを伴って、スピアは転移陣へと足を向ける。
こっそりと設置した物だ。
いつものように、エキュリアなどに見つかったら怒鳴られる物でもある。
転移陣の技術は未だ解明されておらず、大陸のどの国でも稀少な物だ。
気楽に使えるのはスピアくらいだろう。
だけど幸か不幸か、いまはまだ見つかっていない。
なのでスピアは気兼ねなく、ひよこ村へと向かう。
「おかえりなさいませ、ご主人様」
「うん、ただいま。おはよう」
揃って出迎えてくれた奉仕人形たちに、スピアは手を振って応える。
そうして身支度を整えると外に出た。
軽い走り込みを兼ねて、村をぐるっと一回りするのが最近の日課だ。
ほんの数十名から始まったひよこ村も、どんどん賑やかになってきている。春先になって引っ越してくる住民が増えたし、商人の出入りも活発だ。北方のアルヘイス領から訪れる者も多くなった。
冬の寒さで倒れる者は一人もいなかったし、畑では種蒔きの準備も進んでいる。職人たちの仕事も、街との取引もあって順調だった。
スピアが村を回っていると、皆が挨拶をしてくるのもいつもの光景だ。
目を覚ました人々が、ばらばらと広場に集まってくる。
ほとんどの住民が出揃う頃になると、スピアもその広場の中央で足を止めた。
「それじゃ、今日も一日頑張ろう。朝の体操第一ー!」
「腕をぉぉぉうぇぇぇぇぇい上げてぇぇぇーー! 背伸びの運動ぉぉぉーーー!」
「ミュモザちゃんはいっつも元気だねえ」
少々おかしな住民もいる。
未だにスピアへ祈りを奉げる者がいるのも、村が作られた経緯を考えれば仕方ない。穏やかな空気とともに、住民たちの笑声が流れていく。
体操を終えると、それぞれが雑談を交わしながら家に戻っていった。
スピアも屋敷へと戻って、朝食の席に着く。
「あれ? ユニちゃんはまた寝坊?」
「いえ。いまも“課題”に取り組んでおられます」
「そっか。あんまり無茶させないでね」
「最近は、ご本人も楽しんでおられるようです。ご心配は無用かと」
「期待できそうだねえ」
シロガネたちから報告を受けながら、スピアは焼きたてのパンに齧りつく。手作りのジャムも程好い甘さで美味しく仕上がっていた。
王都で買い込んだ食材も増えて、村での食事も豊かなものになってきている。
茹でたジャガイモとベーコン、チーズを混ぜたサラダが、最近のお気に入りだ。
もきゅもきゅと、スピアは頬張る。
「ロウリェさんも、ちょこちょこ遊びに来てるんだよね?」
「はい。転移陣を利用した海産物の取引に関しましても、順調に進んでおります。そちらの詳細は、クロガネから報告を」
シロガネに促されて、クロガネが歩み出る。
皆一様に冷ややかな気配を纏った奉仕人形は、その所作も似通っている。一礼する際の腰や頭の角度などは、もしも調べたらまったく同じ数値が出るだろう。
でも当然ながら、其々の個性もある。
シロガネと比べて、クロガネは幾分か小顔で、艶のある黒髪も短めだ。子供っぽくも見えるけれど、その眼差しは鋭い。
同時に創り出されたアカガネは、対照的に、ぼんやりとしている部分もある。
オモイカネは一番背が高く、眼鏡をしているので分かり易い。
目立つという意味では、大きなハンマーを手にしたクマガネが一番だろう。
「でも色分けなら、ピンクを入れた方がよかったかも……」
「ご主人様?」
「ううん、こっちの話だよ。続けて」
余計な思考を打ち切って、スピアは表情を引き締める。
真面目な話はあまり好きではない。
だけど、ひよこ村を拓いたのはスピア自身だし、村長としての務めを放り出すつもりはなかった。
「続けます。クリムゾン領と王都では、順調に販路を拡大中です。漁獲量の多いものは薄利多売を基本方針として、平民への認知度を広めているところです。また何種類かの高級魚を設定し、利益率を上げております。こちらも貴族への売り込みが徐々に成果を上げております」
ふむふむ、とスピアは頷く。ほっぺについたジャムを指で掬いながら。
「夏の前には、充分な利益を上げられる予定です。それに伴いまして、セイラールの街での漁業拡大も計画しております。商業ギルドとも話を進めておりまして、就きましては、ご主人様よりのご裁可をいただきたく存じます」
クロガネが分厚い紙束を差し出す。
セイラールの街との取引での損益や、今後の事業計画をまとめたものだ。細かな数字と文字列がビッシリと書き連ねられている。
「むぅ……文化祭でお店をやった時は、ちぃちゃんにお任せだったけど……」
スプーンを咥えたまま、スピアは書類束をめくっていく。
ぱらぱらと。紙をめくる手はどんどん早くなる。
読んでいるというより、読み飛ばしているといった方が正確なのはともかくも。
眉根を寄せながら笑みを深めるという器用な真似を、スピアはやってのけた。
「うん。だいたい分かった」
書類束を閉じて、スピアは自信たっぷりに頷く。
並んでいる五名のメイドをぐるりと眺めると、片手を軽く上げた。
「多数決で決めよう。この計画に賛成の人は、挙手!」
問われて、シロガネたちは微かに目を見開いた。
どうやら予想外の展開だったらしい。
ほとんど間を置かずに手を上げたのはクマガネだ。
がぅ、と。きっと何も考えていない。
ややあって、提案者であるクロガネも手を上げる。
次にシロガネとオモイカネが続いて、アカガネは「判断を保留いたします」と一礼した。
「それじゃ、賛成多数ってことで」
承認!、と書類の上に大きく書き加える。
面倒くさくなって逃げた―――そう指摘されたら、スピアはきっと否定するだろう。
けれどまあ、丸投げしたのは事実だ。
そもそもスピアは、村の経営や商売の手法なんて知らない。
ダンジョン製作でさえ、細かな計画を立てるのが苦手で避けた部分もある。
だけど苦手なら、他から力を借りればいい。
今回の判断にしても、シロガネたちへの信頼があってこそ。
自分が下手に考えるよりも上手くいくだろう、と考えたから。
それに、最終的な責任を放り出すつもりはなかった。
「思う存分にやって。あ、でも利益を独占しすぎないようにね。商売の基本は、関わったすべてが幸せになれること、らしいよ?」
どこで聞いた言葉だったかなあ、と考えながらスピアは話を区切った。
メイドたちは揃って頭を下げる。
「あとは……村の拡張は、まだ大丈夫かな?」
「はい。住民の増加を考えましても、充分な土地が空いております」
「必要な設備とかがあったら言ってね。ダンジョン魔法で大抵のものは作れるし、いまなら魔力にも余裕があって……あ、そうだ!」
ぽん、とスピアは手を叩く。そして嬉しそうに頬を緩めた。
もしもこの場にエキュリアがいたら、嫌な予感を覚えただろう。
「鉄道を敷こう!」
「……鉄道、ですか?」
シロガネは問い返して、僅かに眉を揺らした。
他の面々も冷ややかな態度は保ったままだが、それぞれに目線を交わしたり、静かに首を振ったりする。
「ぷるるんやサラブレッドがいればひとっ飛びだけど、この村って、クリムゾンの街とけっこう離れてるからね。もっと便利になってもいいと思うんだ」
元々は、傷ついた女性たちを匿うための村だった。
けれどその役割はほとんど達成されて、彼女たちの傷も癒えてきている。
ならば次は、村の発展を目指す。
極めて真っ当な判断だと言える、が―――、
スピアが関わると、とても非常識なものになってしまう。
「さすがに電車は無理だから、まずはトロッコかな。馬車くらいの大きなのも通れるようにしたいね」
「鉄の路線を、クリムゾンの街と繋げる、ということでしょうか?」
「うん。最初はね。北のアルヘイスだっけ? そっちとも繋げたいね」
にんまりと頬を緩めて、スピアは目を輝かせる。
こうなるともう誰にも止められない。
「魔法で動くようにすれば、大勢が使うのにも楽かな。王都の地下にあった船もそんな感じだったし。それを確認して……作ったら、まずはエキュリアさんを乗せてあげよう」
無邪気に微笑んで、うんうんと頷く。
ひよこ村のさらなる発展が決定した瞬間だった。
村の様子を確かめ、朝食も片付けると、スピアはまた王都へと戻った。
転移陣を踏めば、そこはもう客室だ。
ただし、暗闇になっている。こっそり設置した転移陣を隠すためだ。
その暗闇から、スピアは上機嫌で扉を開けた。
差し込む明かりに目を細めながら、狭い空間を抜ける。
きっと気が緩んでいたのだろう。
普段のスピアなら、『領域』内に入った者がいればすぐに気づく。
王都内とはいえ、手が届く範囲くらいには『領域』を設定してある。
だから、同じ室内に誰かがいれば察知できるはずだった。
「あ……!」
一歩を踏み出したところで、スピアは間の抜けた声を漏らした。
ぱちくりと瞬きを繰り返す。
目の前に、エキュリアがいた。
「……何故、タンスの中から出てくる?」
エキュリアも呆然とした顔をしていた。
けれど伊達に、何度もスピアに驚かされてきたのではない。
すぐに立ち直ると、怪訝な眼差しを向けた。
「えっと……転移陣なんて無いですよ?」
「あるのか!? あるんだな!」
穏やかな朝を迎えていた城に、エキュリアの怒鳴り声が響き渡った。
スピアの弱点その1。数字と隠し事が苦手。
あと、歌詞じゃないはず……はず……そのつもり……。これだけ崩せば大丈夫……?
そもそも歌じゃなく、掛け声ですし……。
ダメだったらすぐに修正します。