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私、ダンジョンマスターやめます! ~迷宮少女の異世界譚  作者: すてるすねこ
第五章 王宮図書館の司書見習い編(ダンジョンマスターvs英知の神)
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図書館の少女

いつの間にか100話到達してました。

これも皆さんの応援あってのものです。ありがとうございます。

 細い指が紙をめくる。

 ぱさり、と。

 乾いた音が冷ややかな空気を優しく撫でていく。

 そうしてまた静寂が訪れる。


 ベルトゥームの王城に備えられた図書館は、中流貴族の屋敷くらいの広さを持っている。それなりに歴史のある一国の図書館なのだから、蔵書の数もなかなかのものだ。古い書物も写本が重ねられて、丁寧に保管されている。


 少なくとも、人一人では読みきれないほどの蔵書数を誇る。

 管理するのも同じく、一人では難しい。

 けれどいま、その図書館には一人の少女しかいない。


「……これも、違う」


 その少女、アリエットは小さく呟いて読んでいた本を閉じた。

 まだ成人もしていない少女の肌は瑞々しく、透きとおった白色をしている。けれど陽の光の下にいれば、その顔色があまりよろしくないのも分かるだろう。目の下に浮かぶ隈を、黒縁の眼鏡が辛うじて隠していた。


 アリエットは溜め息を落としつつ、肩口で指先を回す。

 編まれた藍色の髪が肩に掛かっていて、それを弄るのが癖になっていた。


「やっぱり簡単には見つからないよね」


 分厚い本を抱えて席を立つ。

 項垂れかける顔を上げて、アリエットは書架の奥へと向かった。


 この王宮図書館には、本来ならば数名の司書が働いていた。大切な史料もある場所なので、上級貴族が司書長を務めるのが慣例だ。

 下級貴族であるアリエットは、司書とは言っても雑務ばかりを担当していた。

 しかし冬の少し前から、いきなり司書長にされてしまった。

 いまは退いた国王ロマディウスの命令によって―――。




 切っ掛けは、他の司書たちが逃げ出したことだ。

 ロマディウスの暴挙に巻き込まれては堪らないと、王宮を離れる貴族は多かった。

 とりわけ神への信仰心の高い貴族は、真っ先に去っていった。

 敬虔な者ほどロマディウスから目をつけられると、噂になっていたから。


 図書館には、英知の女神メルファルトノールの神像が置かれている。司書の日課として、その神像に祈りを奉げることから仕事が始まっていた。

 必然、神への信仰が深くなる者も出てくる。

 全員がそうという訳ではないが、ロマディウスを恐れる切っ掛けには充分だった。


 そうして人がいなくなり、図書館は閉鎖される運びとなった。

 書物など保管しておけば充分だろう、とロマディウスは言い捨てた。


 けれどそれでは、アリエットは職を失ってしまう。

 下級貴族はさほど裕福ではないのだ。平民とは隔絶した地位にあるとはいえ、貴族としての体裁を保つためにも金は掛かる。街の商人よりも貧しい暮らしをしている貴族だって、けっして少なくはない。


 アリエットには書物で得た知識や、魔法の心得もある。

 自分一人が暮らしていくだけなら、さほど困窮はしなかっただろう。

 けれどアリエットには、王宮図書館に勤め続けたい理由があった。


「―――お願いします! 妹を救いたいんです!」


 懸命の訴えが功を奏したのか、アリエットには分からない。

 ともあれロマディウスは、図書館の閉鎖を取り止めてくれた。それどころか、アリエットに司書長の地位まで授けてくれた。


 仕事は増えて、肩書きも身の丈に合わないものになって、恐縮するばかりだった。

 でも、それ以上に給金も増えたのはアリエットの助けとなった。

 だからロマディウスの退位に関して、アリエットの想いは複雑だ。

 暴君が退いて嬉しいと思う部分もある。

 けれど恩人が幽閉されたと考えると、悲嘆も覚えてしまう。


 だがいずれにしても、アリエットが王宮図書館に通い続けるのは変わらない。

 いまだに妹を救う術は見つかっていないから―――。




「古代にも、似たような症例はあったみたいだけど……」


 本を書架へと戻して、アリエットは視線を上へと向けた。

 明かり取りの窓から注がれる光は、もう大分蔭ってきている。天井には光を溜める魔法陣も施されているけれど、ずっと灯し続けられるものでもない。


 今日はここまでか。一旦、家に帰ろう。

 明日、また朝早くに来ればいい―――、

 そう考えて、アリエットは図書館の出口へと足を向けた。


「よかった。見つかりました」


「え……?」


 不意に投げられた声に、アリエットはビクリと肩を縮めた。

 それでも反射的に振り返る。

 書架の前に、小柄な女の子が立っていた。


「こんにちは。はじめまして」


「あ……は、はい。こんにちは?」


 十才くらいにしか見えない、黒髪の女の子だ。着ている服は簡素だが仕立ての良さが窺えて、何処かの貴族令嬢かとも思える。

 しかしアリエットには見覚えのない相手だ。

 それよりなにより、この場に誰かが居るというのがおかしい。

 つい先程まで、図書館にはアリエットしかいなかったはずだ。


「えっと、あの、どなたでしょう……?」


 とりあえず訊ねてみる。

 もしも上級貴族の子供だったら大変だと、アリエットは失礼の無いよう背筋を伸ばす。なるべく上品に見える笑顔も取り繕った。

 だけどそんな心構えは、あっさりと打ち砕かれる。


「教えません!」


 ひくり、とアリエットは頬を歪めてしまう。

 仮にも図書館を預かる者として、アリエットには不審者を叩き出す権利がある。たとえ相手が上級貴族の子供だとしても、正当な行為だったと言い張れなくもない。


 この可愛くとも生意気そうな子供をどうしてくれよう。

 本当に摘み出そうか―――、

 そんな考えを巡らせるアリエットの前で、少女はすっと腕を伸ばした。


 細い指の先に円形の影が浮かぶ。

 いきなり不可思議な光景を見せられて、アリエットはぱちくりと瞬きを繰り返してしまう。


「え……? な、なんですか、それは? 魔法?」


「『倉庫』です」


 簡潔だが分かり難い返答をして、少女はその影に手を差し込んだ。

 そうして一冊の本を取り出す。

 少女が押し潰されそうなほど分厚く、細やかな装飾の施された本だ。


「これを、何処か目につきそうな所に置いといてください」


「は? あの、その、意味が分からないのですが?」


「そのうち分かります。あ、いえ、分からないかも知れません。わたしのすることなんて、わたしにも予測不可能ですから」


 少女の態度は自信たっぷりだ。

 だけどその言葉は奔放すぎて、責任感の欠片も感じられない。


「えっと、どういうことなのか、もう少し詳しく……」


「とにかく、お願いします」


 差し出された本を、アリエットはつい受け取ってしまう。

 勢いに押し負けたのだ。

 ずしりと重い感触に、非力なアリエットは思わず体勢を崩して―――、


「あれ……?」


 顔を上げたアリエットは、また瞬きを繰り返した。

 そこにいたはずの少女が忽然と消えていた。

 怪訝に眉根を寄せながら、アリエットはきょろきょろと周囲を見回す。やはり誰もいない。だけど手元には、ずっしりと重い本が残されていた。


「どういうこと? あの子は、いったい……あの子? あれ? 子供だったかな?」


 首を傾げつつ、自分の記憶を探る。

 しかし思い出せない。子供だったかどうかというだけでなく、相手の顔や声までも、なにもかもが曖昧なものになっていた。


 不審な者を見たのだから、警備の騎士へ報せるべきだったのかも知れない。

 けれどアリエットの胸には、まったく警戒心が浮かんでこなかった。

 それどころか、不思議な安心感がある。

 確かに、見知らぬ誰かと会ったのは覚えているのだけれど―――。


「……とにかく片付けをしないと」


 眼鏡を上げ直しながら、アリエットはまた小首を傾げる。

 手元にある分厚い本はいつから持っていたのか、それすらも忘れてしまっていた。







 ◇ ◇ ◇


 王城の周りを囲う形で、貴族街が設けられている。

 下級貴族であるアリエットの家は、その外れ、平民街に近いところにあった。

 何軒もの家がまとめて建てられている区画だ。


 両親が遺してくれた家は、貴族として一応は恥ずかしくない建物になっている。

 それでも周りの家に灯りがついている中で、一軒だけ暗がりにあるので寂しげな雰囲気は拭えない。春先になって、伸びてきた雑草も放置されている。


「……もう少ししたら、庭師に頼まないと」


 貯金が減るのを頭の中で計算しながら、アリエットは玄関をくぐった。

 家に入って、ただいま、と告げる。


 返答は期待していない。通いの侍女は雇っているけれど、夕刻には帰宅する契約になっている。

 作り置きしてくれているはずの夕食を温めて―――と思った時だ。


「おねぃちゃん、おかえりなさい」


 奥の扉が開いて、元気良く声が掛けられた。


「リゼット、起きて大丈夫なの?」


「うん。今日は調子いいの。借りてきてくれた本も、全部読み終わったよ」


 寝間着のまま、とてとてと歩み寄ってくる。リゼットは嬉しそうにアリエットの腰に抱きついた。


 今年で十才になるリゼットは、ほとんど家から出られない。

 もっと幼い頃は、父親から剣を習うほどに活発な少女だった。兵士たちの訓練場にも顔を出して走り回って、母親譲りのふわふわの金髪を風になびかせていた。

 けれど、とある病気を患ってからは、とても身体を鍛えるどころではなくなった。


「本当に大丈夫? 痛みとか、痺れもないの?」


「へーきへーき。いまね、夕御飯も作ってたところなんだよ」


 満面の笑顔を見せられて、アリエットは複雑に表情を歪める。

 久しぶりに妹の元気な顔が見られた。嬉しくないはずがない。夕食も楽しみだ。


 けれどやはり、不安も残る。

 ふとした拍子に、また何日も寝込んでしまうかも知れないのだから。


「すぐに支度できるからね。ほら、おねぃちゃんは着替えてきて」


「う、うん……あ、でも火を使うのは危ないから……」


「大丈夫だって。ゆっくり一休みしててもいいからね」


 リゼットに背中を押されて、アリエットは渋い顔をしながらも従う。

 手早く自室で着替えを済ませると、すぐに厨房へと向かった。


「もー! 休んでって言ったのに」


「そういう訳にもいかないよ。一緒に作ろう」


「うん! あ、でもおねぃちゃんは、味付けするのはダメだからね」


「わ、分かってるよぅ」


 二人の父親は、騎士として魔物討伐へ向かった先で命を落とした。その後の心労が多かったからか、母親も後を追うように息を引き取った。

 以来、二人は手を取り合って暮らしている。

 家事をするのも難しいリゼットだが、何をするにもとても器用だった。

 いまも手早く食材を捌いて、シチューを煮込んでいく。


「そっちのお芋は、もう少し小さくてもいいよ。ちゃんと溶けないようにするから」


「小さく……これくらい?」


「もー! 包丁を持つ時は、手を丸くして。危ないよ」


「だ、大丈夫。ちょっと忘れてただけだから。お料理の基本だよね、基本」


 ころころと表情を変えながら、リゼットが的確に指示をする。

 アリエットは困り顔になりながらも素直に従った。姉としての威厳は、もう拘るほど残っていない。


 自分の方が病気になっていれば―――、

 いったい幾度そう思ったのか、アリエットは覚えていない。

 でも一度それを口にした時のことは忘れられない。こっぴどく怒られたから。

 頬が腫れ上がるほどに往復ビンタを喰らわされた。


 その時のリゼットは、体調を崩してベッドから起き上がるのも難しかったのに。

 それまで一度だって、姉に対して手を上げたことなんてなかったのに。

 泣きながら怒っていた妹の顔を、アリエットははっきりと思い出せる。


「おねぃちゃん、どうかした? お城で嫌なことでもあった?」


「え? あ……違うの。ちょっと考え事をしてただけ」


「だったらいいけど……ん、そろそろいいかな。美味しそうに煮えたよ」


 鍋を掻き回して、リゼットはあどけない笑みを見せる。

 アリエットも笑みを返すと、食器を用意して席についた。

 神への祈りを奉げてから、熱いシチューを口へ運ぶ。


「おねぃちゃんは聞いた? 最近、王都で魚が出回るようになったんだって」


「魚って、それがどうかしたの? 食べたくなった?」


「川魚じゃなくて、海のお魚だよ。しかも干物じゃないんだって。生の魚で、他にも貝とか、珍しい食材がいっぱいらしいよ」


「え……それはおかしくない? 似たような魔物とかじゃないの?」


 アリエットはずっと城に詰めているし、リゼットも街には出られない。

 だけど通いの侍女が、あれこれと話を仕入れてくれる。

 雑談に興じながら、二人は食事を進めていった。


 アリエットの切った野菜は不揃いで、たまに硬い部分が混じっていたりする。だけどそんな失敗も笑声に混じって消えていった。

 そうして穏やかな時は、あっという間に過ぎていく。

 片付けも終えると、すっかりと夜は更けていた。


「リゼット、そろそろ寝ないと……っ!」


 バチリ、と小さな音とともに閃光が走る。

 雷光にも似たそれは、リゼットの体から発せられた。

 立ち上がろうとしていたリゼットは、蒼い顔をして椅子へ座りなおす。

 しばし慎重に呼吸を繰り返しすと、やがてほっと息を吐いた。


「大丈夫。今回は、大したことなかったみたい」


「そう……よかった。でも念の為に、またしばらくは安静にしておこう」


 妹の頭を撫でて、アリエットは憂い混じりの笑みを浮かべる。


「もう少しだけ我慢して。絶対に、治療法を見つけてみせるから」


「……うん。平気だよ。あたしたちは、何だって出来る」


 蒼褪めた顔で、リゼットは柔らかく微笑む。

 強がりだというのは本人も分かっているのだろう。

 だけどアリエットは迷いなく頷く。その言葉が真実になると信じられる。


 根拠なんて何処にもない―――、

 そう分かってはいても、たった一人の妹を見捨てるなんて出来るはずもなかった。








 リゼットを抱えて部屋へ運んで、眠るのを見届ける。

 そうしてから、アリエットも自室へと戻ってベッドに腰掛けた。

 肩に掛かった髪を、ぼんやりとしながら弄る。


「……リゼット、また軽くなってた」


 気のせいかも知れない。

 だけどずっと家に篭もっているのが身体に良いはずもない。

 どうしたら―――と、沈み込む思考を打ち切って、アリエットは頭を振った。


 考え込んでも答えが出ないのは分かっている。

 ひとつ深呼吸をすると、アリエットは手首をくるりと回した。

 そこには銀の鎖が巻かれていて、小さなお守りが吊るされていた。


 英知の神メルファルトノールの紋章を象ったものだ。司書となるのが決まった日に、両親がお祝いとして贈ってくれた。

 それに祈りを奉げてからベッドに入る―――、

 毎日繰り返してきたことだ。けれど、この日は違っていた。


「え……? な、なに!?」


 両手に包んだ神の紋章が、眩いほどの光を放ち始めた。

 そのまま紋章は宙に浮かぶ。

 もちろんアリエットが何かをした訳ではない。

 明滅する光を、ただ呆然として見つめ続けた。


『―――わたくしは、英知の神メルファルトノール』


 光の中、声が響いた。

 とても透きとおった、知性を感じさせるような女性の声だ。

 アリエットは愕然としながらも、ほとんど反射的に床に膝をついて頭を垂れた。


『くすくす……そんなに畏まらなくてもよろしくてよ。わたくしはただ、貴方に救いを授けようとしているのだから』


 いったい何が起こっているのか?

 紋章から響く声は、本当に神のものなのか?

 様々な疑問はあっても、アリエットの意識はたった一言に注がれる。


 救いがもたらされる。

 妹を、リゼットの病を治せる―――、

 そのためならば、なにもかもを投げ打つ覚悟はとうに決まっていた。



第五章開始。

図書館はなんとなくダンジョンっぽいので、今度こそダンジョンものっぽくなる……はず!


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