プロローグは落とし穴とともに
『―――君たちには、ダンジョンの主として神々の使徒と戦ってもらう』
その始まりは、暇を持て余した神々の遊びだった。
其々の神が選んだ人間に力を与えて、複数の陣営に分かれて争わせ、どの人間が最後まで生き残るか賭けをする。賭けの対象は神としての序列であったり、宝物であったりと様々だった。
今回の遊戯では、とりわけ貴重な宝物が賭けの対象とされた。そのために多くの神々が参加し、選ばれる人間も多数となった。
総勢666名。
人間が真実を知れば、ろくでもない、と嘆くことは間違いない。
「選ばれたっていうか、巻き込まれたって思う人間もいそうだなあ」
苦笑混じりに呟いて、少年はベッドに横たわったまま頬杖をついた。
部屋の中空には幾つかのランプが浮かんで、仄かな明かりを齎している。ベッドの周囲には遊戯盤やカード、サイコロ、分厚い書物や職人が使う道具など、様々な雑貨が転がっていた。整理整頓をする気は皆無であるらしい。
悪戯と技巧の神ロキムス―――、
そんな名前を持つ少年には似合いの部屋とも言える。
「普通の人間なら混乱するよね。ダンジョンマスターなんて魔族や悪魔と同一視されてるし。あの男なんて酷い有り様……あ、ラアーラバルの信徒なんだ。よし。もっと泣いてくれていいや」
少年の呟きはすでに独り言だ。地上との繋がりは切ってある。
選んだ人間たちに告げたのも最初の一言だけで、あとはただ眺めて楽しむつもりだった。
「もっと丁寧に説明してあげてもよかったかもなあ。だけどまあ、ダンジョンコアの機能は充実させたし、たぶん大丈夫でしょ」
軽薄な笑みを浮かべながら、少年は目の前に幾つもの映像を浮かべている。
映像が捉えているのは、今回の遊戯で駒として少年に割り振られた人間たちだ。様々な人種から老若男女を問わず、六人が無作為に選ばれた。少年が振ったサイコロの出目に応じて、其々に個別の”恩寵”も与えられた。
龍の鱗も切り裂ける魔剣だったり、あらゆる魔法を使いこなせる才能だったり。
他の神々による”恩寵”に比べれば価値の低いものだ。
それとは別に、少年は全員が”ダンジョンマスターになる”という状況を整えた。
六名は世界各地に散らばっている。
しかし全員が薄暗い穴倉にいるのは同じだ。それと、穴倉の中央に紅く輝くダンジョンコアが浮かんでいる状況も。
その紅いコアに触れた時点で迷宮の主となる。ダンジョンを構築するための様々な知識が与えられて、コアを使いこなせるようになる。
そこからは其々の采配次第だ。自由にダンジョンを設計して、人間や魔物などの侵入者に対処していく。撃退するのも逃がすのも自由。けれどダンジョン内で侵入者の命を奪えば、それだけコアの力は増していく。
力を増し、ダンジョンを改良し、さらに侵入者を屠る―――、
そうして色々な悲劇や喜劇が生み出されるのを、少年は期待していた。
ただし制限もある。ダンジョンマスターはコアの支配域より外に出られない。つまりはダンジョンから出たら死ぬ。コアを壊されても同じだ。遊戯からの逃亡は許されない。
他の神々に選ばれた駒を全員殺せば解放される。
そうでなければ、自分が破滅する。
ダンジョンマスターとして成功する以外に、六名が生き残る術はなかった。
「わざわざ追跡する必要がないから、この方法だと観戦が楽なんだよね」
少年が浮かべる笑みには、いつしか残忍さも混じっていた。
映像の向こうでは、六名がダンジョンコアを手に取ったところだった。いまはまだ飴玉くらいの小さな石を見つめて、全員が驚きや困惑の表情を見せている。
ダンジョンマスターとしての知識や能力は、すでに与えられた。
とはいえ、人間がそれを受け入れるには少々の時間が必要だろう。
「さあて、どんなダンジョンを作ろうとするのか……え?」
少年は思わず、神にあるまじき唖然とした声を漏らしてしまった。
映像のひとつは幼い少女を捉えていた。十才くらいに見える少女で、やや奇妙な身なりをしている。白地に紺の装飾がされた服は、随分と仕立ての質が良い。神である少年にも見覚えのない意匠が施されている。
肩口まで伸びた黒髪も艶を纏っていて、顔立ちも整っている。全体としては可愛らしい印象なのに、黒い瞳の輝きからは力強い魅力も感じられる。
もしも治安の悪い場所に行けば、すぐにでも人攫いが寄ってきそうだ。
駒である六名は無作為に選ばれた。
だから物を知らなそうな子供であっても、ダンジョンマスターになれる。
少女の手にはしっかりとコアが握られているし、そこまではいい。
問題は、その少女の目の前に、一体の大きな粘体生物がいることだ。黄金色のぷるぷるの体が、少女に挨拶をするように震えた。
「あれは……キングプルン? え、ちょっ、まさかいきなり魔力全部を使って召喚したのか?」
ダンジョンコアには、初期値としておよそ1000の魔力が蓄えられていた。上手く使えば中規模のダンジョンくらいは作れる量だ。
ダンジョンを守る魔物などの召喚も、その魔力を費やして行える。
強力な魔物を召喚すれば、当然、必要な魔力量も多くなる。
キングプルンは確かに強力な魔物だ。ほとんどの物理攻撃は効かず、熟練の冒険者だって戦術を間違えれば一方的に斃される。中規模ダンジョンのボスくらいなら務められるだろう。
けれど、所詮は”それだけ”だ。
熟練の冒険者ともなれば、よほどの馬鹿でない限りは魔法攻撃の手段くらいは備えている。キングプルンだって危なげなく討伐できるだろう。
なにより、すべての魔力を使ってしまったのだから、もうダンジョンを拡張できない。初期のダンジョンは、入り口と部屋ひとつしかないのだ。このまま侵入者が現れれば、あっという間に攻略されてしまう。
「一応、一ヶ月は準備期間として封印してあるけど……これじゃ何もできないだろ」
少年は呆れた声を落とす。
もしも少女に与えられた”恩寵”が大きなものだったなら、まだ生き残る可能性はあった。けれど少年も、この少女には元よりさして期待していなかった。
だから恩寵は、少し器用になる、といったものだけ。
針の穴に糸を通すのが上手くなるくらいのものだ。天性の才能を持つ者を探せば、いまの少女よりずっと器用な者はいくらでも転がっている。
「子供じゃまともな判断もできなかったか。はぁ、一人無駄にしちゃったなあ」
他の者へ目を向けると、まだ悩んでいる者ばかりだった。これから自分はどう行動するべきか、どんなダンジョンを作るのが正解なのか、慎重に考えている。
命が懸かっているのだから当然だろう。
あっさりと決断した少女の方が異常なのだ。
その少女は、なにやらキングプルンと戯れている。ぺしぺしと撫でたり、飛びついたり、『ぷるるん』とか捻りもなにもない名前を付けたりしていた。
ひとしきり戯れてから、少女は真面目な顔をした。
静かに腰を落とし、両手を脇に構えて、ぷるるんに拳を叩きつける。
何度も、何度も。
もちろん、ぷるるんには物理攻撃は効かないけれど―――。
「……もしかして、自分を鍛えようっていうのか? プルンを相手に? そりゃあダンジョンマスターが倒されなければ問題は解決だけど……いや、無理だろ」
少女の動作は、それなりにさまになっていた。まだまだ稚拙だが、見る者が見れば、誰かに戦いの手ほどきを受けていたのだと分かる。
拳を、膝を、手刀を、足刀を、理に適った動きで振るっていく。
時折、ぷるるんが体当たりで反撃をして、少女がそれを受け流す。
まるで舞踊のような流麗さもあって、自然と少年の目は惹きつけられていた。
「ん……? ああ、休むのか。人間ってのは不便だね」
額から大粒の汗を流して、少女は地面に座り込んだ。ぷるるんに背を預けて、ぐったりと全身を脱力させる。
そこで、くぅ、とお腹が鳴った。
少女は唇を尖らせながら、自身のお腹をそっと撫でる。
「そういえば人間は食事も必要だったな。ダンジョンコアで物資も召喚できるけど、魔力を使い切った後じゃ……うえっ!?」
ぱくりと、少女はダンジョンコアを口に放り込んだ。
「ちょっ、なにやってんの!?」
「飴玉みたいで美味しそうだったんです」
「だからって食べるもんじゃないだろ! だいたい、コアが砕けたら本人も―――」
少年は言葉を失い、大きく目を見開いた。
幾度か瞬きを繰り返す。
唇を震えさせながら、ぎぎっ、と音がしそうなぎこちない動作で振り返った。
「こんにちは。はじめまして。あなたが人攫いさんですね?」
少年の背後、ベッド脇に、小柄な少女が立っていた。漆黒の艶やかな髪と、燃えるような”紅い瞳”が印象的な少女だ。
そして少年は、その顔に見覚えがある。
というか、瓜二つだ。
「え……? な、ど、どういうことだ……?」
「あ、さすがに美味しそうだっていうのは嘘です。冗談です。いくらお腹が空いたからって石なんて食べません」
「そんなことは聞いてない! おまえは、いったい―――」
たった今まで見ていた映像と、いきなり現れた少女と、視線を交互に巡らせる。
やはりそっくり。
若干、映像越し”ではない”少女の方が少しだけ長身にも見える。それと服装も違っていて、目の前の少女は黒いドレスを着ている。
だからといって可憐な顔立ちまでは変わっていない。
神の目で見ても、間違いなく同一人物だと思える。
「同位存在……? いや、時間移動? なんにしても、ここに現れるなんて……」
―――有り得ない。この場は神域だ。何者だって許可無く侵入は不可能なはず。いったい何が起こった? この少女は何をした? 訳が分からない―――
混乱した思考が、少年の頭を埋め尽くす。
「この当時の私も、すぐに決意したんですよ」
少女が軽やかに一歩を踏み出す。
自然な動作で、いつのまにか片手が頭上に上げられていた。
「人攫いに会ったら酷い目に遭わせてやろう、と」
少女が手刀を振り下ろす。
音も無く、少年の体は真っ二つになっていた。
けれど凄惨な姿が在ったのも一瞬で、直後には、血飛沫ごと消え失せた。
後には、少年が乗っていたベッドの形をした大穴が残されていた。
底が見えないほどの大穴だ。もしかしたら地獄まで続いているのかも知れない。
「ダンジョン武闘術初伝、落とし穴チョップです」
すっきりした顔で述べてから、少女は部屋を見回した。
見たことのない本や玩具が転がっている。それらを適当に拾い上げると胸に抱えた。あとで友達と一緒に遊ぼうと考えつつ、静かに片足を上げる。
そうして、部屋の壁を蹴り破った。
「人攫いのお仲間さんにも挨拶しないといけないよね」
この日、幾柱もの神が姿を消した。
けれどそれは地上の人々にはまったく知られず、世界は変わらずに巡っていった。