第二節:その一日は
今俺は、コドラを肩車するような形で頭につかませ、町を歩いている。
昨日コドラを見つけ捕獲、拉致した後、すぐにドーガーの尾羽を回収し、町へと戻った。
道中はほかの魔物に襲われることなく、無事町へ戻ることができ、戻った後はすぐにギルドへ向かい換金を済ませた。
尾羽を換金所で清算すると、ちょうど9ガルンほどになったのだが、エマが夜明けの月の運営資金と言って、7ガルンほど持っていってしまったため、俺の手元には2ガルンほどとなってしまっている。
本当ならもう少しほしいところだが、エマには、色々と借りがあるのでひとまずはそれで納得しておく。
換金終了後は、ランクアップ手続きをすることとなった。
当然のことながら格上の敵を倒した俺のランクは、Eから一気にCランクに上昇することになり、傭兵として一人前のランクとなった。
まぁ、俺より2ランクも上の敵を、二人でとはいえ18匹も倒したのだ。
一気に上がってもらわねば困ってしまう。
ランクアップの手続きが済んだと思ったら、今度は病院へ直行。
左腕の内出血は薬草をすり潰したものを塗り、包帯を巻いて完了。
ドーガーに引っかかれてついた足の傷は思ったよりは深くは無かったが、それでも5針ほど縫い合わせることとなってしまった。
この傷の治療、縫わなければ治りが遅くなるため、縫い合わせてもらってよかったのだが、さすがに、麻酔無しで縫うのは勘弁してほしかった。
麻酔無しになった訳は、その麻酔の料金である。
麻酔を使うのに1ガルン2シーターと今の俺達にはお高かく、すぐにぱっと出せる値段ではなかった。
一応、医者に麻酔の値段を言われた時エマのほうに顔を向け、払ってくれないかなと期待はしてみたが、目が合うとあさっての方向を向いてしまい、支払いを拒否されてしまった。
そうなると自腹を切ることになるのだが、俺の全財産の半分以上を消費してしまうので、迷った挙句、麻酔無しという決定したのだ。
一応ここの治療費は夜明けの月の運営資金から出してもらったので、強くはいえないが麻酔代も出してもらいたかった。
治療は傷口をさらに抉るように縫い合わされたため、かなりの痛みをともない、思わず叫び声を上げてしまった。
男でも痛いものは痛いのだ、叫ぶぐらいいいだろう。
俺がそんなつらい治療を受けている時、エマは俺の叫び声か、その時の表情がよほど面白かったのだろう。
俺を見ながら笑い声を上げていた。
治療代出して貰ってなんだが、エマに対し少し殺意を抱いた。
いや、本当に痛かった。
なんだかんだで治療が終わると、日はだいぶ傾いており、もうすぐ夜を迎えようとしていたので宿屋へと歩みを進めた。
今回の狩りは、俺もエマも精神的にも肉体的にもかなりへとへとになり、体中から汗をかいたので、風呂付きの宿屋に泊まることになった。
この選択はベストチョイスだったのだが、風呂のお湯は容赦なく俺の傷口にクリティカルヒットを何度も叩き込み、俺のうめき声を誘った。
汗を流すために風呂に入ったはずなのだが、痛さのあまり脂汗がながれたのは言うまでもないだろう。
なんとか傷口以外の部分を洗うと、すぐさま風呂をでて、エマの酒の誘いを断り眠りについた。
エマは、風呂に入った後、俺に断られたため一人酒を飲んでいたようだが、コドラで遊びつつ飲んでいたようなので、俺のほうに酔っ払い特有の被害を受けることは無かった。
そして朝を迎えると、エマは案の定二日酔い。
俺の怪我があるから今日の狩りは中止! と言ってはいたが、二日酔いがひどいためで歩きたくないだけだろう。
俺は二日酔いもなく、晴れ晴れとした朝を迎えることが出来たので、芋虫状態のエマを放置してコドラを連れて町の散策に出かけたのだ。
本当ならコドラは置いていこうと思ったのだが、昨日エマに何かされたのか、エマと2人きりになるのが嫌らしく、こちらにしがみついてきたので連れ出すことにしたのだ。
ズボンの裾に捕まり、上目づかいで『きゅい~』と哀願されたら誰だって連れ出してしまうだろう。
そんな訳で、俺達は町をぶらぶらと出歩いている。
途中、りんごのような果物が売っていたので、買ってコドラに渡してみると、丸呑みしてしまったのには驚いた。
体の1/5の大きさの果物を丸呑みしてしまったのだから、驚いて当然だろう。
しかし、それ以上に驚かされたのはさらに果物を要求してきたこと。
普通なら体の大きさの1/5もの食べ物を入れたら、苦しくなって当然だと思うのだが、そんな態度は見せず、もっとくれと催促するだけであった。
こいつの胃袋はどうなっているのか一度開いて確かめてみる必要があるかもしれない。
ちなみに、コドラを肩車させたのはあまりに歩幅が違いすぎて、はぐれてしまいそうだったため。
最初は、なれない振動と高さによって暴れたりしていたが、慣れてくるとそれが逆にコドラは気に入ったのか、俺の髪の毛で遊びながら、きゅっきゅっと楽しそうな声を上げるようになっていた。
「きゅ~きゅっきゅっ」
「ん、どうした?」
急に、コドラが騒ぎだした。
コドラに視線を向けて確認してみると、どうやら左側のほうを見ながら叫んでいるようだ。
何なのか気になりそちらのほうを向いてみると、なにやら怪しげな人だかりがある。
好奇心旺盛な俺としては見過ごすことは出来ず、近づいて周りにいた人に尋ねてみた。
「いったい、どうしたんですか? こんなに集まって」
「腕相撲大会だよ。よかったら兄ちゃんも参加したらどうだい?」
中心のほうを見てみると、丸いテーブルが置かれ、ごつい野郎どもがしっかりと相手の手を取り合いプルプルと震えている。
「これって何か賞品出るの?」
「あぁ10ガルン賞金としてでるぞ。」
「へ~、それで参加方法はどうするの?」
「おぉ兄ちゃんやる気だね。参加方法は3シーター払えばいいだけさ。そんでもって、あのいかつくて、ごつい奴に勝てば賞金をいただけるよ。」
おっさんが指を指す方向を見てみると、海坊主と言うニックネームが似合いそうな、いかつくて、ごつくて、頭がつるつるな大男が1人ふんぞり返って座っていた。
その男の不敵な笑みは、どんなやつが相手でもかまわないといった感じだ。
海坊主の横には、すこし体型は小さくなるものの筋肉隆々の男が1人と椅子が1つおいてある。
男達の上に賞金額が書いてあるので、倒せばその金額がもらえるというものだろう。
ただ小柄の方(小柄といっても俺よりでかいのだが)の男の金額には大きく×印が書かれているので、おそらく誰かに倒されたのだろう。
あの男を倒すのでさえ、俺ではまず無理だろうな。
そう考えていると、なにやら中央で騒ぎが起きる。
どうやら先ほどの、試合の結果がでたらしい。
残り1つの席に、汗だくの男が座ると、試合の進行役が男の上の賞金額に×を入れる。
挑戦者が勝ったようだ。
「さぁ、残る賞金は最高の10ガルン! しかし相対するは、この屈強で不敗の男! エメリヤーエンコ=ヒョードル! さぁ立ち向かう相手はいないのか!?」
「うん、こりゃ無理だ。」
10ガルンという大金を手にすることが出来ればこれから楽な生活が出来るが、名前からして無理ってもんだ。
なにせ、世界最強の男と同じ名前の奴となんて、やりたいとも思わん。
俺は腕相撲に参加するのをあきらめ、また町の散策に戻ろうと会場を後にしようとした時、不意に腕がつかまれる。
何事かと思うと、先ほどのおっさんが俺の手を取って高々と上げているではないか。
「この兄ちゃんが参加するぞ。試合組んでやってくれ」
「ちょっとまっ……」
おっさんの手を振り払い、参加を拒否しようとすると俺が反論する前に周りのギャラリーから、『頑張れよ』『応援してるぞ』と言う激励をかけられた。
そして俺を試合へと導いた張本人であるおっさんも『兄ちゃん頑張れよ!』と背中を叩き中央へと導く。
あれよあれよと言う間に、俺は中央へと歩を進め、いつのまにかテーブルの前へと誘われていたのだった。
「ここにきて、チャレンジャーだー! 何人もの男の腕が粉砕されてきた、このリング。勇気ある挑戦者に拍手を」
粉砕という言葉を聞いた瞬間、俺はなぜあのおっさんに声をかけてしまったのだろうかと後悔の念を募らせる。
昨日病院に行ったばっかりなのに、また行くとか冗談にもほどがある。
しかも、今度は街中で怪我だ、エマに笑われるのが目に見えている。
だが、ギャラリーはそんな俺の心中をあざ笑うように、声援を送るのだった。
そんな不本意な声援に後押しされ、海坊主と向かい合う。
改めて見てみるがやはりでかい。
身長は、2mは軽く超えているだろうか、体重もおそらくは200kgを超えているだろう。
それだけでもかなりのものなのだが、この男の腕は子供と変わらないぐらいの大きさだ。
それに比べ俺は、身長175cm、体重75kg、体脂肪率14%と一般人よりは筋肉質だが、明らかに負けている。
けれどここまできてしまっては、仕方が無い。
俺は進行役に金を渡すと、腕を捲くり上げひじを突いた。
「坊主、覚悟は出来たのかい?」
男が、ニヤニヤとこちらを見ている。
おそらく、カモがネギ背負ってやってきた、とでも思っているのだろう。
もしくは、いまだ俺の頭の上にいるコドラを見て和んでいるかだ。
「出来てないがやるしかあるまいよ。できればこのままとんずらしたかったんだけど、あんなに応援されて逃げちゃ男として廃る」
「いい心がけだ。その心意気に免じて全力でやってやるよ」
まじっですかー! と心の中で叫ぶ。
そこは手を抜いて、怪我させずに帰して欲しかったのですが。
そんな、チキンな考えを悟らせないように、顔は男をにらみつけた。
あぁ、やっぱ無理。
もともと、腕相撲は強いほうだったので、手を合わせただけで大体相手の強さがわかるのだが、海坊主と手を合わせた瞬間、敗北といい二文字が、俺の中にでかでかと筆文字でサクラの背景の上にレインボーに書き出されてしまっていた。
「両者、準備はよろしいですね!?」
司会が、勢いよく声を上げると周りからも色々な歓声が飛び交う。
2m超えのモンスター級の大男にただの一般人が挑むのだ。
こんな結果のわかりきった、試合にどうしてそこまで熱を上げられるのかと疑問に思ってしまう。
だが、横を見るとこの試合のオッズがでた看板が出てきたので、それでかよ、と納得する。
トトカルチョも兼任してやっているらしい。
しかし、いくら負けそうだからとはいえ大男が1.01で俺が198倍とはどういうものかと、さすがにへこむぞこれ。
「俺の準備はいいぜ? そっちの坊主はいいのかどうかわからんがな」
「あ、あぁ俺も準備はいいよ」
海坊主が司会に答えこちらに軽い挑発をかけてきたので、意識を自分の右腕へと戻した。
伝わってこなくてもいい、海坊主の体温と握力がひしひしと伝わってくる。
「それでは、試合を始めたいと思います。セット、レディーゴー!」
掛け声とともに全身の力を爆発させ右腕に注ぎこむ、だが、予想通り右腕は動かず依然中央でプルプルと震えている。
ちきしょう遊びやがってと海坊主のほうを見てみると、なぜだかこの男もいかつい顔をゆがめ、人でも殺しそうな表情を作っているではないか。
観客のほうからは、どよめきと歓声が巻き上がっていた。
よく理由はわからないが、俺と海坊主は力で拮抗しているようなのだ。
こちらの世界に来て、身体能力の向上は確かに感じていたが、ここまで上がっているとは自分自身でも驚きである。
そんな冷静な判断をしていると、徐々に押され始めた。
(やばい! 少しでも意識が違うところにいくと、もっていかれる!)
俺はすぐに右手に力を入れなおし、意識を集中させまた中央まで腕を立て直した。
観客からは『おぉーーーーー!』と熱のこもった歓声が沸きあがる。
お互い、全神経を右腕に集中させ力を込め、相手をなぎ倒そうと一進一退が続く。
汗が頬から流れ滴り落ちる。
ついには、腕のほうからも両者汗が流れ始め、それぞれ力をいれ無酸素運動のまま顔を赤くし、相手が力尽きるのを今か今かと耐え忍んでいた。
腕を支えるテーブルは、両者の左腕でしっかりとロックされ、ミシミシと破壊の音を奏で始めている。
そんな激しい試合が始まって、約30秒たっただろうか、急に右手から押す力が消えた。
何だと見てみると、手から出された汗により、しっかりと組み合っていたはずの手が、勢いよく解き放たれらしい。
「おーっと、両者の腕がはなれてしまったーーー! 試合は仕切りなおしだー!」
ギャラリーの声援を上回る声で、司会が声を上げた。
そしてそれに呼応するかのように、ギャラリーもまたボリュームを上げる。
ぜいぜいと方で息をする俺と海坊主には、司会はタオルを渡してきた。
もともと、こいつらはたくさんの挑戦者とやるはずだったのだ、これぐらいは用意して当然だろう。
俺達は迷わず、顔についた汗をぬぐい、手についた汗を丹念にふき取る。
顔を拭いたさいに、あまりにも集中しすぎて載せているのを忘れていた、コドラに気がついた。
コドラは俺と会場の熱気にあてられ、すこし高揚状態なのか顔の頬の部分が軽く赤みを帯びている。
俺の目線に気がつくと、『きゅっきゅ~』と応援してくれる。
うん、本当に最高でかつ卑怯くさいほどかわいい生き物だなこいつは。
「坊主、やるじゃねぇか! 俺とタメはるなんてな!」
海坊主が、汗を拭きながら俺に話しかけてくる。
「俺も、正直驚いてるよ。あんたみたいなやつと自分が戦えたことにね」
両者、汗をふき取り終えもう一度手を握り合い、腕をセットする。
今度は、手が離れることのないよう司会は布で俺達の手を固めていた。
「それでは、波乱に満ちたこの試合再開したいと思います。両者準備はいいですね!」
「あぁ」
「こっちもいいよ」
俺と海坊主はお互いにうなずき司会に答えた。
観客からも今か今かと、熱い視線が送られてくる。
「両者の準備が整いました! それではいきましょう! セット、レディーゴー!!」
先ほどの試合よりも、熱のこもった開始の声が鳴り響く。
俺と海坊主は、先ほどの試合同様しっかりと組み合い、力を入れる。
「とっととくたばれや、このくそガキ!」
「くたばるのはてめぇだ! ハゲ坊主!」
声を荒げ、全身を震わせ、相手の悪態をつきながらひたすら右腕に力を込める。
しかし、お互いの力は互角、中央からほとんど動かない。
そんな均衡した状態のまま時間だけが進んでいく。
これでは埒が明かんと、俺が体勢を少しずらし足の力をうまく伝えられるように立て直す。
すると、少しずつではあるが、海坊主を押し始めた。
「おーっとここで挑戦者が仕掛けてきた! ヒョードル苦しそうだ!」
司会の言葉どおりに、海坊主が苦しそうにしている。
観客のほうも『そこだー!』『いけー!』とさらにヒートアップ。
俺も、このチャンスを逃す手はないと、もう一度全身の力を振り絞り一気に右手に注ぎ込んだ。
しかし、注ぎ込んだ瞬間体が大きく揺れたためか、頭に載っていたコドラがずり落ちそうになり、『キューーーー!』と大きな声で叫びをあげる。
そして、落とされないように思いっきり俺の髪の毛に噛み付いた。
髪の毛は、コドラの体重によりピンと引っ張られている。
髪の毛を引っ張られた俺は顎が上がり力を入れにくい体制となってしまったではないか。
それだけならまだしも、コドラの体長は小さいとはいえ、約5キロと思われる体重が、一握りの髪の毛に集中したのだ。
「いってーーーー!」
俺は思わず声をあげてしまう。
そこを海坊主は見過ごすはずは無い。
意識が完全に頭部にいってしまい、力の弱まった右腕など打ちあげられた魚と同じ、海坊主の熱い魂の力を直に受け止め料理される。
そして意識は頭部から手の甲へと移った。
手の甲からは、木の感触。
「おーーーーーっと! ここで決着がついたーーーー! 勝ったのは、不敗の男! エメリヤーエンコ=ヒョードルだーーー!」
観客からは盛大な拍手が送られてきていた。
その拍手は、俺達の健闘をたたえるものだ。
俺は、負けが確定した瞬間、急いでテーブルから左手を放し、ずり落ちそうになっているコドラを支える。
支えなきゃ、俺は円形脱毛症になっていただろう。
コドラの、位置を直していると、司会のほうは右手の布を解いていく。
組み合っていた右手は、真っ赤になり熱を帯びていた。
「残念ながら、負けてしまった挑戦者! しかし、彼の健闘はすばらしいものでした。もう一度拍手を」
解き放たれた右腕を上げ、俺は観客の拍手に答える。
何だかんだで、悪くない気持ちだ。
ときおり、コドラも『きゅー』と鳴いて答える。
女子陣からは『かわい~!』、子供からは『あれ欲しい!』と母親にねだる声が聞こえてくる。
「坊主、なかなかやるようだったがまだまだだったな。今度もう一度勝負してやるからまた来い!」
「何がまだまだだよ、結構危なかったくせに」
海坊主は、ちょっとおちゃらけた笑みをこぼし、俺に右手を差し出してきた。
あんなに、強く右手をつないでいた俺達だが、やはりここは握手のひとつでもするものだろう。
俺は差し出された右手をしっかりと握り、握手を交わす。
「それではみなさま、両者の検討をたたえ、今一度盛大な拍手を!」
そういって巻き起こった拍手を、笑いながら俺と海坊主は互いに聞き入ったのだった。
腕相撲大会は、俺と海坊主の勝負で盛り上がったため、俺の試合がラストということになり進行役が大会を閉め、終わりを迎えた。
最後の試合で最高の試合でした。
なんてかこつけてはいたが、海坊主の体力と腕の疲労のため中止したのが本当の理由だろう。
なんだかんだで終わってしまった大会は、熱い空気をその場に残したまま人の流れとともに姿を消していった。
大会が終わった後、俺はいろいろと寄り道をしながら今日の一番の目的地、本屋へと向かう。
途中コドラに食べ物をねだられたり、コドラを触りたいとねだる子供にコドラの頭をなでさせたり、ちょっと柄の悪そうな連中に裏通りに呼ばたり、金をせびられたり、とりあえず、むかついたのでボコボコにして放置してみたりと、いろんな寄り道をしていたが、目的地の本屋につくことが出来た。
俺が入った本屋の間取りは、窓の数はそれなりにあるのだが、棚の配置のせいか少し薄暗く、どこかモダンな感じで新書を売っているはずなのにどちらかというと古本屋に思えてしまう雰囲気の場所だった。
もっとも日が直接差し込みすぎると本が焼けてしまうので、ちょうど良いといえばちょうど良い。
そんな店の主人はというと、店の入り口近くにあるカウンターに肘を突きこっくりこっくりと、居眠りをこいている。
仕事をする気があるのだろうか、あんな状態でいたら盗み放題だろう。
俺は目的の本をちょろまかそうかと思ったが、ガキじゃないんだからなと思いとどまる。
そんな不埒な考えを捨て目的の本を探すことにした。
俺が欲しい本は2つ、1つは、魔物について書かれた本。
魔物の習性や、性格、弱点など傭兵稼業にとって知っているのと知らないのでは、生き残る確率が極端に変わってくる。
本来なら、学校で習うはずの魔物の知識が無いのだからまず必要だろう。
そしてもう1つが、絵本だ。
別に、絵本の内容を楽しみたいというものではない。
まぁ、面白いに越したことは無いが、絵本ならばその話の内容に合った絵が描かれているため、文字を覚えやすいと思ったからだ。
なんだかんだで、いまだに文字をしっかりと覚えていないので勉強道具として買っておこうというのだ。
とりあえず、俺は魔物についての本を探すことにした。
文字が読めないため探すのには苦労する。
店の主人に聞こうとは思ったが、あの通り寝ているし困ったものである。
ぶらぶらと探すこと5分、いまだ見つからず。
さすがにこうまで探して見つからないのだ、主人をたたき起こそうと思ったとき、ズボンを引っ張られる感触に気がついた。
振り返り顔を下に向けてみると、かわいらしいフリルのついた洋服を着て、熊のようなぬいぐるみをもっている女の子が立っているではないか。
年の頃はおそらく10にも満たないんじゃないだろうか。
「なにかさがしているの?」
こちらがどうしたの? と尋ねる前に逆に尋ねられてしまった。
語尾もしっかりしていて、姿よりも年齢が高い印象を受ける。
「あ、あぁちょっと魔物についての本を探していてね。お嬢ちゃん知っているかい?」
ダメもとで聞いてみる。
いくらしっかりしてそうとはいえ、10歳にもみたない女の子が知っているはずは無いだろう。
そんな考えをよそに嬢ちゃんは俺の腕を引っ張り、案内を始めた。
「こっち」
急に引っ張られたため、バランスを悪くしたコドラが俺の頭から落ち嬢ちゃんの頭へと落下する。
コドラは重力に逆らうことなく落下している、その表情は何が起きたのかわかっていない様子だ。
俺はとっさに引っ張られてないほうの腕でコドラを持ち上げ、嬢ちゃんとの衝突を回避させることに成功した。
嬢ちゃんはというと、後ろの異変に気づいたのだろうか、後ろを振り向くとその顔の位置には先ほど俺が受け止めたコドラがぽかーんとした表情でいるではないか。
まずい、泣かれるかな。
そんな心配がよぎったが、嬢ちゃんはコドラを2,3秒眺めると、急に俺の腕から手を離し、コドラを抱きしめているではないか。
「こっち」
そして何事も無かったように、俺を案内する。
コドラのかわいさは、どうやら嬢ちゃんにも通用したらしい。
薄暗い通路を進みながら案内されたのは、奥の棚のほうだった。
「ここの棚、全部がそう」
そう嬢ちゃんが告げる。
棚の中にしまわれている本を一冊取り出してみると、嬢ちゃんの言うとおり、魔物について書かれている本だ。
「ありがとう。これで目的の本が見つかりそうだよ」
嬢ちゃんに感謝の意を伝えると、嬢ちゃんは照れているのか、首をコクと動かしてこたえただけで、そのあとはコドラと遊び始めた。
俺はその様子をほほえましく思いながらも、しっかりと本を選び始めた。
選び始めてわかったことだが、魔物について書かれた本ではあるのだが、ほとんどのものに絵がかかれていない。
絵が無いということは、どんな魔物なのかわからないということだ。
本来なら学校の授業で済ませていることらしいので、ここの世界の住人にはそれだけで十分なのかもしれないが、俺にとってそれはちょっとばかりつらいものがある。
本の選別をはじめて10分。
またも、ズボンが引っ張られる。
「それ」
嬢ちゃんが、一冊の本を指差した。
「絵がたくさん。見てて楽しい」
俺は嬢ちゃんが指し示す本をとってみてみると、なるほど嬢ちゃんの言うとおり、魔物について絵を使い解説されていて非常にわかりやすい。
なかには、コドラのようなかわいらしい、規定外魔物も描かれている。
子供でも、楽しんで見ることが出来るだろう。
「ありがとう、お嬢ちゃんこれにしてみるよ」
礼をつげると、また恥ずかしそうにコクと首をうごかす。
非常にかわいらしく利口な子である。
それにしても、この子どこの子なのだろうかと思ったが、ここまでこの店のことを知っているのだ。
おそらくはこの店の子供だろう。
父親に似てなくてよかったなと思う。
「次は、何を探しているの?」
どうやら、俺がまだ探しものをしているのを、うすうす感じ取っていたらしい。
そのためか、嬢ちゃんは俺の探し物を一緒に見つけてくれるようだ。
本当にできた子供だ。
「絵本を探しているんだけど、わかりやすいやつはないかな? 面白ければよりいいんだけど」
そう告げると嬢ちゃんは、コドラを放し熊のようなぬいぐるみの背中を探る。
どうやら、ぬいぐるみと思っていたのはポシェットのようだ。
「これ」
そういって俺に一冊の本を手渡してきた。
「これがいいっていうのかい?」
返事を返すと、嬢ちゃんはうなずいてこたえる。
「でもこれお嬢ちゃんのだろ? 貰うわけにはいかないよ」
「大丈夫、これお店の」
おいおい、店のものを自分のポシェットに入れていたのかよ。
そう心の中で突っ込んでは見たが、相手はまだ子供。
それにこの店の子供ならば、別に問題ないのであろう。
「あぁじゃあこれを買ってみるよ。何から何までありがとう」
俺は嬢ちゃんに、感謝の意をつげ会計に行こうとしたが、ここまで世話になったのだ、名前ぐらい聞いておこうと思い、嬢ちゃんに向き直った。
「そうだ、俺の名前はアキラって言うんだけど、お嬢ちゃんのお名前は?」
「ロコ」
「ロコちゃん今日は本当にありがとうね。お兄ちゃんすごく助かったよ」
俺はまだ22才だ、お兄ちゃんと自分で言っても罰は当たらんだろう。
そう感謝したとき、ロコから開放されたコドラが俺の後ろで叫んだ。
「きゅーーーーー!」
驚いて俺は振り返っては見たが、何も無い。
「いったい何があったんだコドラ。訳わからんことで叫ぶんじゃないよ」
そう注意して、コドラを持ち上げ俺の頭の定位置へと戻すと、ロコに再度お礼を言うため振り返る。
「本当、ロコちゃんありが……ってロコちゃん?」
振り返ってみると、先ほどまでそこにいたロコはすでにいなくなっていた。
店内を探してみたが、やはりいない。
もうすこし、お礼をしたかったのだがしかたないのだろうか。
とりあえず、俺は本の会計をするため店の主人の元へと向かった。
「この、二冊の本の会計をお願いしたいのだが!」
俺は眠っている主人が起きるように、主人の耳元で叫んでやる。
「うぉ! あっ、いらっしゃい」
「この、二冊の本の会計を頼む」
「あ、はい、まいどどうも」
主人は、大急ぎで俺の本を袋に詰めた。
客に、起こされたのだ。
主人としては、しまった! て気持ちが頭の中を駆け巡っていることだろう。
「あわせて、4シーター500ゾルドです」
俺は金を手渡し、主人にロコのことについて感謝をつげる。
「あんたの子供のロコちゃんは、よく出来た子だな。その二つの本を選ぶのにすごく助けてもらったよ」
「はい? たしかにうちには子供がいますが、ロコなんて名前じゃありませんよ? 何か勘違いしているんじゃありませんか?」
「え?」
その後、主人と話してみたが、どうやらロコはここの本屋の娘ではないらしい。
いったい、あの子は何だったのだろうかと思いながらも、色々と考えてみたものの、近所の本好きの子供としか思いつかない。
俺はそんな疑問を残したまま、日が暮れてきたこともあり宿屋へともどっていった。
「エマ……お前もしかしてずっと寝てたのか?」
部屋の扉を開けると、朝と変わらない姿でベッドでごろごろとしているエマを最初に目にする。
「あ、おかえり~」
どうやら二日酔いのほうは取れたらしく、ぼりぼりとクッキーのようなものを食べながら、宿屋のメニューを眺めている。
「……さすがに、嫁入り前の娘がそんな姿をとるのはどうかと思うんだがな」
「いいでしょ、楽なんだし」
そう返事を返すと、立ち上がり俺の頭の上に乗っているコドラを引き摺り下ろす。
「きゅい~~~~」
コドラがエマに対して明らかな拒否を示しているが、エマはお構い無しに、クッキーのようなものをコドラの口もとにもっていく。
すると、先ほどの拒否の叫び声はなんだったのか、うまそうに食べるではないか、なんとも現金なやつである。
「やっぱかわいいな~、ダゴサクは~」
「おい、ダゴサクって変な名前をさらりというな。コドラだろうが」
明らかに意図的にやっている。
あわよくば、名前を改変してやろうと思っているのだろう。
「わかってるわよ、ん? その荷物は何?」
「これか、こいつは俺の勉学用の本だよ」
そういって、エマに本を手渡した。
「へ~魔物用の本じゃん、しかもこれすっごくわかりやすいわ。いい買い物してきたわね~。でこっちはと、……なにこれ? あんた少女趣味でも合ったの?」
「人聞きの悪いことをさらりと言うな、まだ文字に慣れてないから絵本で慣らそうとしているだけだ」
「冗談よ、でもこの本、女の子用よ? どうしてこの本にしたの?」
「魔物用の本を探すのを手伝ってくれた、お嬢ちゃんに進められたんでな。その魔物の本を進めてくれたのもその子だったし、問題ないだろうと思って内容を見ずに買ったんだよ」
簡潔に、今日あった本屋での出来事を話す。
「なるほどね、まぁいいんじゃない? 確かにこの本面白かったし、私も小さいとき読んだわ」
そういってエマは、俺に本を返すと出かける準備をする。
夜になってから仕度を整えるのではなく、できれば朝方に準備しておいて欲しいものだ。
「アキラも帰ってきたことだし、夕食にしましょう。隣の食堂で待っているわよ」
こちらの返事を聞かないまま、エマはコドラをつれ外に出て行いった。
元気になったとたんこの調子である。
しかし、絵本が女の子用とは、もっていたのが女の子なのだから当然といえば当然か。
それにしても急に消えたロコは、いったいどこに行ってしまったんだろう。
そんな考えとロコに合ったことを思い出しながら、彼女から手渡された絵本を開いてみた。
中にはぬいぐるみを持ったかわいらしい女の子が楽しげにしている、絵が書かれている。
あわてて絵本に出てくる少女の名前を見てみると、『ロコ』の二文字が書かれているのに気がついた。
「…………どうりで、本に詳しいわけだ。今日は本当にありがとよ」
そういって本に礼を告げると、俺はランプの火を消し、エマのいる隣の食堂に向かうのだった。