第四節:変身、夜明けの月
「な、なかなか似合ってるわよ」
その一言で、どう思っているのかがすべてわかる。
小刻みに震える肩、吹き出すまいと口に当てる手、赤らむ顔。
似合ってると、一言口に出したことに驚きを覚えるような状態だ。
「……エマ」
「な、なによ」
まるで膨らませた風船のようだ。
エマが口を開くたびに勢いよく息が漏れている。
「いっそ笑え……」
「そうする。あははははっ! おかし! おかしすぎる! あ、アキラすっごく似合ってるわ! あははっははははっは!」
笑い声が伝染する。
エマの笑い声を皮切りに周りにいた侍女や騎士たちも一斉に声を出して笑ったのだった。
「ほんと似合っておるのう」
「そいつはどうも」
エマ同様、寝転げるかと思うほど笑ったセリアが、笑いで込みあがった涙を手で拭う。
一応、似合っていると褒めてはいるが明らかに褒める意味合いが違っている。
俺が今着ている衣装は侍女と同じもの。
着方を意識しておかしくはしていないので、いたって普通の着こなしではあるが、如何せん体の形は男、おまけに身長も女装するには無理のある背丈である。
そんな恰好ではすぐにばれてしまうため、化粧が施されるのだが化粧する相手、これがいけなかった。
化粧を最初にしてくれたのはシルメリアだった。
そこまではいいのだが、途中から面白がってその作業に入ってきた2人。
誰だか言わなくてもわかると思うが、一応語っておこう。
そう、エマとセリアである。
この2人が何とかまとまりかけた俺の顔に、あれやこれやと塗りたくっていき、今の状態にしてくれたのだった。
鏡を見た瞬間、自分自身でも引いてしまうほどだった。
「……アキラどうしたのそれ」
「後ろの二人に聞いてくれ……」
そういって深いため息とともに肩を落とす。
驚き顔のジェシーは俺の肩の向こうを見ると、納得した表情をしたのだった。
「とりあえず、把握はできたわ。また遊ばれたのね」
「従妹なら何とかしてくれ」
「今度からそうしておくわ。とりあえず、その化粧じゃばれるからこっちに来なさい」
そう言ってジェシーは、化粧台を積んでいる馬車へと入っていった。
ジェシーの言うことは、まったくもってその通りなので、俺はその言葉に従うのだった。
馬車のなかは化粧台が二つ並んだ形で作られており、こじんまりとした楽屋のようになっている。
そのうちの一つに前にある、金物でできた桶にジェシーは水を張ると、今度は化粧の準備をし始めた。
「アキラ、化粧をその水と隣の石鹸で落としてちょうだい。さすがに私でもそこから作り変えるのは無理ですわ」
「わかった」
俺はジェシーに言われるがまま顔を洗う。
「ふぅ」
洗い流すと軽いため息が漏れる。
化粧などしたことがなかったためわからなかったが、化粧を落とすことが、こんなに気持ちいいものだとは。
逆に言えば、化粧がこんなに息苦しいものだとは思わなかった。
世の中自分を磨くために化粧をする女性はたくさんいるが、その努力は尊敬に値すると思う。
そんなことを考えつつ、綺麗に化粧を洗い流した俺はジェシーが用意していた椅子へと腰を落とした。
「私も人に化粧をするのは初めてだから、うまくできるかわからないけれど我慢してね」
「誰かさん達よりは数倍ましだよ。それに心配はしてないさ。いつも見てるジェシーの顔は綺麗だし。まぁ元が良いってのが大きいんだろうけどな」
ジェシーの手が少しの間止まった。
鏡越しで見たその顔は少し赤くなったように思える。
化粧されるというこんな状況で、こんなことを言えたのだ。
今日の俺は上等だろう。
その後黙々と、作業は進んでいった。
そして、30分後にはぎりぎり女?と思える顔が鏡の中に出来上がっていた。
「とりあえずはこんなところかしら」
「上等だよ。よく俺の顔をここまで持って行ったな」
元が元だけに本当に驚きである。
リットならともかく、自分を疑問符が付くとはいえ女に見えるようにしたのだから。
「基本を押さえてやっただけですわ。それよりもアキラ。唇に手を当てない!」
「あぁすまん。気になってな」
「もう……、唇は塗り直しですわね」
そういってジェシーは俺に顔を近づけ、筆で口紅を塗っていく。
真剣な表情のジェシーの顔が眼前にある。
美人を本当に目と鼻の先で見る。
かなりいいものである。
無意識でやったことのはずなのだが、これが見たかったために、口紅をわざと落とすようなことをしたのかもしれない。
そう思うほどである。
そんな俺の気持ちを知ってか知らずか、塗り終えた彼女は満足そうに笑みを浮かべていた。
「いちゃつくのもほどほどに、そろそろいくわよ」
不意な声に振り返る。
そうだ。
こいつが、こんな状況を放っておくはずがない。
「べ、べつにいちゃついてなんていませんわ!」
「…………いつから見てた?」
「最初から」
顔を赤くしたジェシーの後ろから言葉を投げかけると、声の主はにやっと唇の端を挙げる。
リットの化粧を見に行ったと思ったが、本命はこちらだったか。
「……趣味が悪いぞ」
「団長として団員の監督をしていただけよ」
しれっとした表情でそう返す。
その表情をしっかりと確認した後、ジェシーへと視線を移す。
彼女の顔はまだ赤い。
ジェシーからエマに対して何かを口にするのは少し難しいだろう。
この話を引きずるとジェシー同様、俺も気恥ずかしさがきっと表に現れてくる。
ここはとりあえず、話題を変えることにする。
「そういうことにしておこう。それでほかのみんなは?」
「もちろん準備はできてるわ。特にリットはすごいわよ。ほら!」
リットをすでに横に連れてきていたようで、エマは馬車の入り口にかかったカーテンを大きく開けた。
バサッと音を立てながら開かれたその先にあった光景は、俺とジェシーの言葉を詰まらせた。
「「!!!!」」
目が見開き、口をあんぐりと開けてしまう。
ジェシーも俺と同様に驚いているようだ。
目の前にいたのは、どこからどうみても女の子。
しかも、うちの女性陣と並んでもなんの遜色もないほどに、きれいでかわいらしい。
「そ、そんなにまじまじと見ないで下さいよ!」
俺とジェシーが凝視したせいか、見ている対象は顔を手で軽く隠した。
「リット、あなた生まれてくる性別を間違えましたわね」
ジェシーの口からぽつりと漏れる。
その言葉にエマが満面の笑みで答えた。
「でしょ! アキラもそう思うでしょ?」
「だな。似合うとは思っていたがここまでとは……」
化粧をしていない時点で、すでに普通の町娘に見えてはいたが、それでも若干ボーイッシュな感じではあった。
だが、化粧をし、カツラをつけられたリッドは、男として一切見ることはない。
それどころか酒場で働こうものならたちまち人気者となり、まず間違いなく看板娘となることだろう。
「リオと並んだところなんてすごいんだから! 美人姉妹もいいところよ! ほら!」
「うぅ……」
自分の男らしさとはなんなのか。
そんな気持ちが漏れるようにリットの口からは声にならない声が漏れる。
だがリットの横に並んで連れてこられたリオを一緒に見ると、これはエマの意見に同意せざるを得ない。
そしてじろじろとリットとリオを見ること数分、リオが口を開いた。
「団長、そろそろ」
リットの変貌ぶりに目をキラキラさせていたエマにリオが一言そう言うと、あっ、とした表情を浮かべ、話を切り替える。
「あぁそうだったわね。コホン。みんな、いよいよよ。警戒されているとは思うけど、外交上ずばりしてきしてくることはまずないと思うわ。だから堂々としていましょう。それがばれないコツだわ」
わざとらしく咳払いで空気を変え、話しだす。
「だけど、アキラあんたはできるだけ下を向いてて頂戴」
「それは重々承知だよ」
手を上げてこたえる。
これについてもエマの指示に全力でしたがおう。
リオやエマ、そしてリットと並んで自分は侍女ですなんてとてもじゃないが言えない。
それはエマも、というか全員が感じていることだろう。
俺の答えを聞いてうむっと、うなずくとエマは全員の顔をそれぞれ覗き込む。
「よし! それじゃ皆行くわよ」
エマの一声に、こくりとみなそれぞれ首を動かすと、馬車の外へと出て行ったのだった。