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夜明けの月  作者: びるす
タイムトラベル
76/89

第十二節:クラーケン

「風が気持ちいいな~!」


 テンションが上向きになり、自然と口からこぼれる。

 船首に片足をかけ頬に風を感じ、気分は上々。

空には雲ひとつ無く、波は穏やか、帆は風を受けピンと張りまさにこれ以上に無いほどの航海日和。

そんな日に船首で大海原を見れたのだ。

気分が高揚しないわけが無い。

 体全体に風を受け、きらきらと光る水面と、船と併走するトビウオのような魚を交互に見つめながら、俺はクラーケンが現れるという場所にたどり着くまで、楽しんでいたのだった。

 そして出港してから一時間ほど経っただろうか。

陸は水平線にかろうじて映るか映らないかぐらいに小さくなり、海は深さが変わったのか10メートル近く下までは見えていたはずなのに、映し出すのは黒い闇のみとなった。

 しかし、それでも船首で大海原を突っ切って進む快感は、高揚を維持させるのに十分であった。


「おいルーダリアお前もこっちに来てみろよ。風が気持ちいいぜ」


「うっ……無理、吐きそう……」


 唇は紫色に変色し、顔は青白く脂汗がにじむ。

そんな顔につく口からは、すでに無いものを無理やり搾り出したような、潰れたか細い声。

 船に乗って5分ともたなかったルーダリア。

そう彼はあろうことか船酔いになっていた。


「あんたの相棒大丈夫なのかい?」


「う~ん、大丈夫じゃないかも。でもまぁいざとなったら俺が2人分働きますから」


「お前さんが2人分働いたとしても、魔術師じゃないしな~」


 黒光りするつるつるの頭と、見事なまでのドロボウ髭を蓄えた船長は俺に困ったような目を向けた。

 確かに俺は魔術師ではないので、ルーダリアの変わりはできないが、怪物退治なら少しは自身がある。

こうまであからさまに微妙な顔をされると少し、落ち込むな。


「とりあえず、クラーケンが出たら頼むぜ。相棒にもそれまでには何とかしてくれといっといてくれ」


 俺は違う傭兵達に声を掛けにいく船長の背中を見送ると、ぐったりと横になっているルーダリアの近くに腰を落とした。


「だとさ。いけそうか?」


「無理、空が歪んでる。うっ……」


 ルーダリアは勢いよく立ち上がったかと思うと、そのまま船の縁まで口を押さえながら走っていった。

すると、すぐに嫌な音が聞こえてきた。

…………背中を擦りにいこう。


「どうだ少しは楽になったか?」


「ほんの少しな……、それにしても何なんだよこれ、こんなに揺れるなんて聞いてないぞ……」


「そりゃ誰も言ってないからな。海の男にゃ当たり前なんだろ」


 ルーダリアの背中を擦りつつ、周りを見てみるが多少船酔いの影響が出ている人物はいるが、こうまでひどいものはいない。


(子供ゆえに、何かと敏感なのかもな)


「とりあえず、何にせよこの揺れにはやくなれることだな。クラーケン退治がうまくいったら2日は船の上だからな」


「うっ……」


 2日も船の上にいなければいけないのかと、想像してしまったのだろう。

落ち着いた吐き気が再発し、ルーダリアの頬が膨れるのが見えた。


「…………先が思いやられるな」


 そんな俺の心配をよそに船はどんどんと沖合いへと進んでいった。

相変わらずルーダリアは船になれることは無く、発情の来た犬のようにうーうーとうなり声を上げ、横になっている。


「船長の話によればここら辺に出るらしいが、――その様子じゃ出たからといって何かできるって訳でもなさそうだな。まぁ大恩あるルーダリアさんがこんな状態でも俺がしっかり働くので問題はないか」


「おまえになんか……うっ」


 反論しようとするが、言葉より先に違うものがでてきそうになっている。

やはり俺が気張るしかないようだ。


「子供が無理すんな。さすがにそんな状態で戦えとは俺でもいわんから」


「くそ……」


「まぁどうやら今日は出る気配は無いから、お前は船に慣れることだけ考えておいたほうがいいぞ」


 船乗りに持ってきてもらった水桶に布を浸して絞り、ルーダリアの額へとのせる。

さすがにこれは気分が楽になるのか、ルーダリアはその行動を制止する言葉はだすことは無かった。

 そして揺られ揺られて、太陽が水平線に近づき鮮やかなオレンジ色を放ち始めてもクラーケンは姿を表すことは無く、船の上には倦怠感を伴う空気が漂い始めていた。


「やっぱり、今日はでなそうだな」


「早く帰してくれ…………」


「まぁまてあと少しの辛抱だって。おっ船長が舵を持ったぞ」


「乗組員諸君、これ以上は日が暮れてしまい危険度が増してしまう。なので今回はここで引き上げる。それじゃ野郎ども帆を張れ!」


「「「了解です。船長」」」


 船の上があわただしく動き始める。

船長の掛け声で、休んでいた船員達が作業にかかりだしたのだ。

そしてものの5分ほどで、船を動かす準備が整った。


「船長、いつでもいけますよ」


「よし、出発! 帆を張れー!」


 船長の指示の元、船員が帆を絞ると一気に帆が張り、船は徐々にスピードを上げ水面を切りながら進み始めた。

あざやかな夕焼け空の下、海面をすべる船は朝と違った楽しみを与えてくれそうだ。


「見てみろよ。夕日が綺麗だぞ。って楽しむ余裕はないか。」


「わかってるなら誘うな……」


「まぁわかってはいたけど、見ないのはそんだと思ってなぁっと!!! 何だ!!」


 不意に船が急停止した。

バランスを崩した俺は船へとしがみつく。

 顔を上げ、帆を見るが帆はピンと張っており、今の急停止が明らかにおかしいことを示していた。


「なんだなんだ!」


 船上がざわめき始める。

傭兵だけでなく、船員もあわてた様子であるため故意でないことが分かる。

 嫌な予感しかしない。


「おい……どうなってるんだ?」


「わからん。どうやら急に船が止まったみたいなんだ」


「それってやばいんじゃないか?」


「たぶん……俺とお前の予想は当たってると思うぞ」


 俺はルーダリアにそう返すと、腰のものを抜き放った。

こちら側を見ていた船員や傭兵達は驚きの表情を見せたが、そいつらにかまって剣をしまうなどということはしない。

 何せ奴らの後ろには、食堂で見たあの何倍もある触手が船の側面から、まるで天に向かって生えるように姿を現したのだから。


「お前ら後ろだ! 配置につけ!」


 いまだ状況を把握していない連中に、怒鳴り声で指示を出す。

本来なら船長がその役目を果たすはずだったのだが、船の舵を力いっぱい支えている様子を視界の端で捕らえたため、できないと判断したのだ。


「な、なんだよこれ!」


「こ、ここまででかいなんてきいてないぞ!!」


 後ろを振り返った連中がその触手を捕らえると、怯えあとずさる。

ここから生きて戻るには、戦って勝つしかもうすでに無いというのにその表情からすでに戦うと言う意思は消えていた。

 触手はうねうねと不規則な動きをしながらも、船上にいる獲物を捕らえようとしているように見える。

その様子を見るだけで、脂汗が流れるのを感じた。

船上の緊張がピークに達する。


「ルーダリア、お前は船の中に入ったほうがいいぞ。こいつは予想以上だ。お前を守りながら戦えるほど俺は器用じゃないんだ」


「よ、余計なお世話だ。俺は戦える」


 よろよろとルーダリアが立ち上がる。

そんな状態で、いったい何が出来るのだろうか?

 ルーダリアの意地っ張りさに舌打ちを鳴らしそうになった時だ。

一本の触手が腰の抜けた傭兵に襲い掛かった。

 触手はうなりを上げ、鞭のように襲い掛かる。

風を切る音はその攻撃をただものではないことを示唆している。

このままではあの傭兵は間違いなくあの触手につぶされるか、捕らえられてしまう。

そうなれば命は無いだろう。

 その様子が目に映りこむと、俺は自然と体を動かしていた。

2本の剣を逆さにしてクロスさせ、肩と剣の腹を密着させ防御を固めると、腰の抜けた傭兵と触手の間に入ったのだ。

 次の瞬間すさまじい衝撃が襲う。

体だけでなく踏ん張りをきかせた甲板から、軋んだ音が聞こえてくるほどだ。

こんなものを何回も食らっていては、体がいくつあっても足りはしない。


「くぅ……戦う意思がないなら引っ込め! 邪魔だ!」


「ひぃ!」


 視線だけ傭兵へと向け怒鳴る。

傭兵は腰の抜けたままはいずるように、船の中へと入っていった。

 それを確認した俺は、触手を押し返すように力を込めた。


「うりゃ!」


 うまい具合に吸盤から逃れていたため、触手は体から離れた。

ただ、何度も大きな力を込められた甲板は限界に達したのか、ミシッと音を立て小さな穴を開けた。


「ふぅ、さてこれからどうするかな? 刺身にするには骨が折れそうだ」


 うねうねと動く触手。

見えるだけで5本ほどあるが、船を掴んでいるのもあるのでもっとあるだろう。

 一撃で気力の8割方は持っていかれるような攻撃だ。

そんなものが連続したらたまったものではない。

出来るだけ早くあの触手をどうにかしないと、悲惨な運命を辿りそうだ。

 俺は甲板の上を走り出す。

目標はもちろん触手。

 天を仰ぐ触手は船から少し離れているため、船にへばりつくものから狙っていく。

クラーケンの攻撃を受けることなく、切りかかる。

 右の剣で切った途端、剣からなんとも言えない弾力ある感触が伝わってきた。

そのまま力任せで押し切ろうと思ったが、予想以上に硬い。

まるでタイヤのゴムのようだ。


「くそ! なら!」


 押してだめなら引いてみろ。

昔の人は良く言ったものだ。

 押し切るのは無理だと判断した俺は、剣の鋭さを生かし手前に引いた。

剣は魔法で強化されたからとはいえさすがオーディグルスを断ち切った名剣。

 その鋭さは刀のそれに近く、触手を見事切り裂いた。


「よし! うおっ!」


 触手を断ち切ると、船が大きく揺らいだ。

 数多くの船を襲ってきたクラーケンはきっと今まで反撃という反撃は受けてこなかったのだろう。

今までに無い攻撃に過敏に反応したに違いない。

 俺は船の揺れに耐えるため、左の剣を甲板に突き刺し支えとする。

そして、大きく揺れる船の上で、海面から現れるクラーケンの本体をキッと睨み付けた。

 やはりでかい。

体長は触手を除けば7メートルほど触手も入れるとなると15は超えるだろう。

また、触手が生える中央の部分からは時々除かせる口がより恐怖を誘う。

 ルーダリアが気持ち悪いと言ったのもうなずける。

ここまででかくなると醤油をつけて一杯やりたいなとはさすがに思えない。


「く、くそう。や、やってやる! すべてを飲み込む赤き炎よ。我の命にしたがいその身を現し、力を見せよ。ファイアー!」


 揺れが落ち着き、ようやく2本足で立てるぐらいになった時、後ろから赤い炎が飛んでいった。

ドッジボール大の火球はクラーケンへと一直線に飛んでいく。

 しかし、その本体にあたることは無く、ブンとうなりを上げる触手によって打ち落とされた。

打ち落とした触手は少し蒸気を発してはいたが、ダメージは見受けられない。


「だ、だめだ。か、かてない……」


 彼の最大の魔術だったのか、あっさりとかき消された火球をみて魔術師はその場にへたり込んでしまった。


「おい! なにそんなところに座り込んでるんだ! はやくにげ――!?」


 怒鳴りつけ、逃げるように催促したがすでにそれは遅かった。

船首のほうから延びてきた触手が魔術師を絡めとったのだ。

 腰の抜けた状態では、たいした抵抗も出来るわけが無い。

魔術師はなすすべなく水中へと引きずり込まれ、そのまま姿を消してしまった。


「くそ! おいほかに魔術師はいるか!?」


 戦意をなくさずまだ甲板に残る数名に向けて声を上げる。

各々討伐用の武器をその手に持っているので、可能性を薄い。

そう思ったが、その予想に反し、小さなナイフを持つ男から返答があった。


「俺は多少なら魔術は使えるぞ」


 俺の場所まで走ってくると、くるりと反転し背中を付け合せ俺の後ろを守る。

さすがに最後まで残っただけあり、それなりに状況は分かっているようだ。

 クラーケンが全体的に攻撃しようと判断したのか船首の方へと移動し、触手を船の両側面から出してきたので、彼の判断は正しい。


「どんな魔術が使える?」


「さっきの奴とどっこいってところだ」


「それじゃ雷のような電撃は? 右から来る屈め!」


 視線を触手から逸らさず会話を進める。

 うねうねと不規則に動く触手は、甲板の上にいる人間を左右から襲い始めている。

 背中を合わせて行動しなければ、前面からの攻撃は避けられたとしても後ろからの攻撃にはまず対応できない。


「そいつは無理だ。中央に行くような実力がないとだせんさ」


「なら、氷は?」


「それなら出来るがどうするんだ?」


「海を凍らせて足場を作って欲しい。出来るか?」


「出来るといいたいが、難しい。俺の魔力じゃせいぜい漂流を何個か作るしかできそうにない。 左からだ!」


 2人して屈んでやり過ごす。

上空を過ぎる触手の風切り音が、体の芯を振るわせる。


「なにそれで十分だ。注意をいったんこっちにひきつけるから足場を作ってくれ」


「わかった」


「あぁそれと」


「なんだ?」


「それが終わったら中にいる子供にこう言ってくれ」


「…………!?」


「頼んだぞ」


 背中を離し足場を作ろうとする男を呼び止めると、振り向きざまに彼に耳打ちをして俺は甲板においてある樽へと走っていった。

 急激に動く俺はクラーケンの目に留まった。

触手が3本襲い掛かってくる。

 1本目の触手は今まで通り、横なぎの一撃。

ただ背面からの攻撃で、避けるタイミングでは根こそぎ持っていかれる。

 背中から迫りくる恐怖に耐えながら、タイミングをはかりそのまま体を倒し、スライディングのような形で避けた。

髪の毛をかすりながら頭上をすぎる。

 2本目の触手は、1本目の触手で崩れているところへ今度は前から横なぎで襲ってきた。

位置を調整して攻撃してきたそれは1本目より機動が低く、屈んでは避けられない。

 そうとなれば飛ぶしかないだろう。

無理な体勢であるが、怪我はまだ無い。

 いうことの聞く肉体は両手を甲板の上につけて飛ぶという、跳躍を可能にしていた。

ブリッジのような形で飛ぶと、触手はその下を通っていく。

だがクラーケンも俺が飛んだのに反応し、触手を少しだけ上へと動かしていた。

 そのため両手に持った剣に触手があたり、その反動で体がくるりと回る。

予期せぬ回転に反応がついていかず、顔から滑り込むように甲板にキスをした。


「つぅ……」


 自分の顔を見ることは出来ないが、おそらく頬の皮がむけている。

傷が残らないようにすぐにでも治療したいが、そうも言ってはいられない。

俺へと向かってきた最後の触手が今度は俺を押しつぶそうと、上から思いっきり叩きつけてきたのだ。

 甲板へと寝そべる形になっていたため、シルエットでそれを捕らえた俺は上空を確認せずにすぐに横へと転がった。

 次の瞬間体が浮いた。

叩きつけた反動で甲板が跳ね、体を浮かせたのだ。


「食らってりゃ。ひき肉の出来上がりだな」


 両手両足をつけ、甲板へと着地しながら見たクラーケンの攻撃の後は大きな穴が開いていた。

 救いとしては船底まで達しなかったことだろう。

そんなことを思いながら、体制を整えるとクラーケンの次の攻撃が来る前に俺は樽を担ぎ上げた。

 この中身は高濃度の発火物質。

製法等は分からないが、匂いからガソリンに近いものだと分かった。

普通はこんなもの船になど積んではいないが、クラーケン退治のため急遽用意しそうだ。


「おい! イカやろう! さっきのでもうおしまいか!? 俺はまだぴんぴんしてるぜ? あれで攻撃とは笑わせてくれる。姿形がくそみてぇだと思ったら攻撃もくそったれだな! てめぇみてぇな醜悪な野郎は初めてだ。とっととくたばたっらどうだ?」


 声を上げ罵った。

クラーケンに言葉が分かるとも思えないが、それでも出来る限りの声を上げ罵った。

すると、音に反応してか奴は思惑通り俺への攻撃を再開したのだ。

攻撃のスタイルはあいも変わらず横なぎ。

ただ、今度は俺を捕まえようとしているのか絡めと先端をフックのように曲げて迫ってきている。

 チャンスだ。

頭の中でそう思う。

だが、リスクも大きい。

ミスればクラーケンの餌である。


「だけどやらなきゃ始まらないってね」


 無理やり笑みを浮かべ、恐怖を断ち切る。

勢いよく襲い掛かる触手。

 俺は動き出せと命令してくる体に、無理やり待ったをかけて、樽を盾にしながら奴が俺を掴もうとする瞬間を待った。

樽と触手が接触。

すると、触手はくるりと包み込むように先端を一気に丸めだした。

 ここだ!

俺はすぐさま樽を手放した。

 しかし手放すだけでは、不十分である。

背中からは俺ごと絡めとろうとする触手の先端がきている。

これを避けなければ成功ではない。

 屈むだけでは高さがあるため完全には避けきれない。

後ろに倒れるように自然に任せては遅すぎる。

 ならば、自然に任せることなく一気に後ろに倒れるしかない。

俺は右足に力いっぱい力を込めた。

 クラーケンを罵った際にロープを結ぶ金具に俺は目をつけていた。

船と溶接されている金具は輪になっており、ちょうど俺の足の甲がすっぽりとはまる。

これならば、と思い右の足をその金具に差し込んでおいたのだ。

 そして思惑通り金具を利用し、落下の速度を上げると、触手の先端が眼前を通り過ぎ水しぶきを降らしていく。

これでうまく樽だけをクラーケンに掴ませることに成功した。

だがまだ遣り残した事はある。

 あれに火をつけなければいけないのだ。

だが心配は要らない。

準備はすでに終わっていたのだから。

 俺は通り過ぎる触手を見送ると、両手に持つ剣をカチンと擦り合わせた。

なんてことのないただの動作だが、火花を散らすには十分だ。

 普通ならこれだけであの樽に火をつけられないが、あの液体が漏れ出していたらどうだろう?

しかも片方の剣にはあれと同じ発火する液体がついていたとしたら。

 火花を散らすと剣は燃えあがった。

なぜ液体が剣についていたのか?

答えは簡単。

樽の横っ腹を剣で刺しておいたからだ。

 燃え上がった炎は、穴の開いた樽から漏れる液体へと引火した。

炎は一気に空を駆け上がると、すぐに樽までたどり着く。

そして、強烈な爆発音と光を解き放った。

 すさまじい熱風と爆音、それとすべてを飲み込むような光により頭を鈍器で殴られたような間隔に陥った。

しかし、頭を振るって意識をしっかりさせる。

そして、黒煙が上がるその場所を見据えた。

 煙がはれた場所には、触手はなくなっており、海面にはクラーケンの触手だったと思われる肉片がばらばらに散っていた。


「火傷した甲斐はあったな」


 熱風と剣が燃えたことにより、皮膚がじりじりと痛みを発している。

だが、成果は上がった。

 樽を掴んだ触手だけでなく、その近くにあった2本の別の触手もあの爆発で吹き飛んだのだから。


「おい! 準備が出来たぞ!」


 声に反応し海を見る。

 暑いとは言わないまでも、2桁を越す気温であるこの場所に不自然な流氷がそこには浮いていた。

数は5つほど、どれも歪ではあるが直径3メートルぐらいの大きさはある。

 俺は魔術師の下へと駆け寄った。


「これならいけそうだ。中の奴をたのんだぜ?」


「分かった。しかし、知ってたなら教えてやればいいものを」


「何事も慣れる事が大事だと俺は思うんでね!」


 ルーダリアのことを任すと、俺はクラーケンへと続く流氷へと飛び乗っていった。

 船の戦闘は不安定なこともあり、自然と闘いにくいと言う感想が浮かんだが、流氷の上に乗った途端まだあちらのほうがましだと強く思う。

 ジャンプし着地した瞬間大きく揺れる。

足場も踏ん張りが利かないため、バランスを取るのに必死だ。

クラーケンが先ほどのダメージで悶えていなかったら、格好のまともいいところだ。

 ただ大きく動くクラーケンは周りに大きな波を生み出すので、流氷の上はどちらにしろ動きづらいことこの上ない。

救いとしてはあの魔術師がちゃんとした仕事をしたため、流氷がクラーケンに向かって一直線に伸びていることと、揺れはするが足場が沈まないことぐらいだ。

 だが、ここで文句を言っても状況は好転はしない。

それどころか時間が経てば経つほど、こちらが不利になるのは目に見えている。

 俺は波のリズムに合わせ慎重にかつ正確に流氷の上を飛んでいった。

そして4つめの流氷へと飛び乗る。

今までと同じように両手両足をついて着地し、バランスを取って次の流氷へと視線を向けた。

 その時だ。

今まで悶えるだけで攻撃の無かったクラーケンからいきなり攻撃が始まった。

 なぜ急に攻撃が始まったのか? 痛みを克服したとでもいうのだろうか?

いや違う。

流氷の関係上、単純に奴の目の前に来てしまった。

ただそれだけだった。

 振り上げられた触手は波を荒立てる。

両手に剣を持つ俺は片方を軽く流氷に刺してバランスを取ろうとするが、それでも両足で経つには波が荒すぎる。

 次の流氷に飛びつくにはタイミングは悪く、だからと言って避けることも出来ない。

全身の毛が逆立つ。

食らったな。

 振り下ろされる触手を見ながら、そう思った。

次の瞬間、海の中へと放り出されていた。

 痛みよりも冷たさを感じる。

どうやら当たる直前、波によって流氷が動き直撃を避けてくれたようだ。

海面には乗っていた流氷と思われる残骸が見えた。

しかし、だからと言ってピンチ切り抜けた訳ではない。

 海の中で海洋生物に勝てるはずが無いのだ。

 立ち泳ぎで何とか水面から顔を出してはいるが、体が重い。

水を吸った服と、両手に持つ剣が泳ぎの邪魔をする。


「きっつ! あっ! やばっ! さすがに今度は無理かも……」


 頬に海水のほかに汗が流れるのが分かった。

クラーケンはすでに次の攻撃の準簿を完了させており、後は触手を振り下ろすだけとなっていた。

 流氷の上にいるときのようにまたイレギュラーを期待することは出来ない。

今度ばかりは確実に食らうと腹をくくり、それならばとできるだけダメージを与えられるよう剣を上に向けて構えた。

 触手は黒い影とともに一直線へと向かって来る。

ぶつかる。

 俺と同じ立場なら誰もがそう感じただろう。

だが俺はそこで笑みを浮かべた。

 海面に大きな波しぶきが上がる。

船のマストと同じくらいまで上がった波は船をも大きく揺らす。


「酔いはどうだ?」


「……最悪。このまま吐いてやろうか?」


「そいつは勘弁だ」


 俺は無傷だった。

空を飛ぶ一人の子供の手によって助けられたのだ。

 それにしても最悪だといいながらも、しっかりと魔術を唱えられていると言うことは俺の予想通りだったようだ。


「飛べば揺れは関係ないって気づいてたんならもっと早く教えろ! ものすっごく気持ち悪かったんだぞ!」


「だってお前2日も飛んでいられないだろ? なら早めに慣れといたほうがいいと思ってな」


 上を見る。

両手でしっかりと捕らえられている右腕の先には、ふくれ面のルーダリア。


「それはそうだけどよ……」


「とりあえずその話は今はよそう。やるならあいつをやってからだ。ルーダリア、雷の魔術は使えるか?」


「出来るけど、2つも同時に魔術は撃てねぇよ」


 旋回しながらルーダリアは高度を上げていく。

ひとまず上空からクラーケンの様子を見ようということだろう。


「そいつは大丈夫だ。打つときは空を飛ぶ魔術を解けばいい」


「解けばいいって……また船に揺られろと?」


「それでもいいが、それじゃ酔いでまた打てないだろ? だったら高く飛べ。そんでもって落ちてくるまでに雷の魔術を使え。なに、心配するな落っこちてきたらちゃんと拾ってやる」


「…………それしかないのか?」


「おそらくそれしかないな。剣での攻撃はこう身動きが取れないんじゃ効果的とはいかない。それにお前以外の魔術師が使える炎の魔術じゃ、火傷にすらなってない。となればおまえが使える雷の魔術が頼りってことだ。できるか」


「それしかないんだろう?」


 下を見たルーダリアの顔は、しかたないけどやるよといった表情。

あまり乗り気では無いかもしれないが、やってくれるだけありがたい。

後は俺がルーダリアの仕事がしやすいように、仕事をこなすだけだ。


「そういうことだ。雷を当てるのはこいつを目印にしろ。聞きそうな場所にぶっ刺してくる」


「刺してくる? どうやって?」


「こうやってだよ! それじゃ頼んだぞ!」


「お、おい!」


 左手の剣を掲げてルーダリアに見せると、俺は笑顔で彼の手を引き離した。

高度は約15メートル、落下地点にはクラーケンの本体がある。

 普段ならこんなことやりたくは無い高さだ。

だが、アドレナリンのでまくった頭は、口を吊り上げさせ笑みを浮かべさせた。


「やーやーやークラーケンさんご機嫌いかがかな。こちとらずぶぬれで最悪なんでね。とっととくたばってくださいよ!」


 空を飛ぶルーダリアを落とそうと何度も天へ向かって伸ばした触手を、今度は落ちてくる俺を撃退するために動かす。

 しかし落下はスピード思った以上にはやく、クラーケンの触手は空を掴む。

 俺は両手の剣を逆手に持つと落下のスピードを生かせるように下に突き立てた。

 両の肩が抜けそうになる。

衝撃はそれだけでは終わらず、しっかりと握っていた手は、皮がむけて剣を離させた。

だが、表情には笑みを浮かべさせる。

 剣は見事クラーケンの目と目の間に突き刺さった。

ちょうど中心線の位置あたりに。

 俺は海へと落ちると、すぐさま残っていた流氷へと体を引きずり上げた。


「今だ!」


「わかってるよ!」


 わずかだが返答が聞こえた。

この時の俺はクラーケンのことはすべて無視し、ルーダリアだけに集中する。

 ルーダリアの自然落下が始まった。

高い。

何とかすると言ったが何とかできるのか?

 不安に駆られるが、ルーダリアは俺を信じたのだ。

やるしかない。

幸いルーダリアの落下地点予想は俺に近い。

今のままなら落ちる前に、飛びつくことが出来るはず。

そう思いながら身構えていると、視界に触手が映り始めたのに気がついた。


「ん!? やばい!?」


 クラーケンも自身の危機を察したのか、触手を破壊されたときよりも立ち直りが早い。

また俺を狙うのではなくルーダリアを狙っていることから、きっとそうなのだろう。

 ルーダリアはかなりのスピードで落ちてはきているが、俺の時のように当たらないとは限らない。

もし攻撃が当たってしまっては、ルーダリアが危険だ!


「くっそ!」


 何とかして注意をこちらに向けなければと思った時だ。

ツララのように鋭い氷の塊が、クラーケンを貫いた。


「こっちだ!」


 貫くとともに大きな声が船から発せられる。

こんなことができるのは魔術師のみ。

そう声の主は俺の足場を作ってくれた魔術師だ。

 たく、いいところを持っていってくれる。

 クラーケンは不意な攻撃で触手の狙いはルーダリア外れ、狂ったようにうねうねと動く。


「すべてを貫く雷よ。道しるべの元へとその身で駆け抜けろ! ライトニング!」


 ルーダリアの魔術が発動する前に俺はルーダリアに向かって飛び跳ねた。

その瞬間、青白い光が輝き、轟音が鳴り響く。

空気の震え、海面からは蒸気が上がる。

 そんな中俺は何とか、ルーダリアを抱きとめると彼を守るように身を盾にして海面へと落下した。


「ぷっは! どうなった!?」


「ふぅぅぅーー! わからん!?」


 ルーダリアとともに海面へと顔を出す。

電撃で蒸発した海面によって霧が発生しよく見えない。

 しかし、そこに一陣の風が吹き抜けると霧は晴れ、クラーケンの姿を映し出した。


「あ、あれって……」


「あぁ俺達の勝ちだ」


 にっこりと笑顔を浮かべた。

霧の先にあったのは、目は白くにごりまるで茹で上げられたように浮かぶクラーケンの姿であった。


「さて、それじゃ回収してくるか」


 クラーケンに近寄ってみる。

煙を上げるその体は見事一瞬にして焼かれたようだ。


「よっこいせっと、うぉ!」


「ど、どうした!?」


「なんでもない。ただちょっと痺れただけだ」


 剣に触るとバチッ音を立て静電気がおきた。

油断しているときに起こったから、今日一番の驚きかもしれない。


「脅かすなよ。それより早く船に戻ろうぜ」


「あぁそうしろ。俺はいかないがな」


「はぁ?」


 空を飛んで海面から上がったルーダリア。

その表情はまたおかしなこと言っているなと、いったものだ。

 だけど今回はちょっとおかしなことでもないんだよな。


「今回のクラーケン退治、それなりの報酬が出たはずだ。そいつはお前にやるよ。それとここまでの道案内や、船に酔わないアイディア。まだ少しこいつを返して貰うには早いかもしれないけど、俺もお前と同じように行かなきゃいけない場所があるんでな」


 剣を鞘へと戻し空となった手には、赤い指輪が1つ。


「!? いつの間に」


「悪いがここでお別れだ。指輪の魔力は回復しているはずだしな」


「お、おいまてよ!」


「機会があったらまた会おう。じゃぁな!」


 手を振ってから指輪をはめると、光を発しながら俺は転送された。

今回は自分の意思で、そして別れも伝えることが出来た。

上出来な転送だと思いながら。


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