第九節:ルーダリア
ほっと一息ついたのもつかの間、運命というのは過酷なもので、落ち着けると思った矢先に試練を与えるものなのかもしれない。
「どこだよここ……」
時代が飛ばされるたびについてしまうであろう言葉を吐きながら、俺は辺りを見回した。
俺が立っていたのは、月夜に照らされた田舎道であった。
道は土と砂利が半々、旅人の歩みで固められたような感じで、道の両脇には膝ぐらいまでに伸びた雑草が生い茂っていた。
さてこうなってくると気になる道の先なのだが、左右見回しても見えるのは地平線のみ。
どちらにどれだけ進めばいいのかまったく検討の付かない。
「せめて……せめてあと1日飛ばすのを遅らせて欲しかった」
左の小指にはめられた指輪を恨めしそうに見つめながらつぶやく。
だが、そんなことをしても事態がよくなるわけでもないので、指輪をひとしきり睨み付けると、はぁ、とため息をつきとぼとぼと道を歩くのだった。
歩き始めてから30分、オーディグルスとの戦いのせいだろう。
かなりゆっくりとしたペースで歩いていたのにもかかわらず、俺は肩で呼吸しはじめており、脂汗がだらりと顔を覆いつくしていた。
それでもできる限り進もうと、気合を入れ進み続けたのだが、結局音を上げることとなる。
「だ、だめだ~」
今だ姿を変えることのない道の先に、絶望感だけが増え続け、ついに俺は地面へとへたり込んでしまった。
踏ん張ればあと少しは進めそうではあるが、どちらにしろ見えている範囲ぐらいにしか進めそうにはないので、町や村といった集落にたどり着くことはまず無理だろう。
こんな何もないただの道で、寝袋もないのに野宿をしなくてはいけないようだ。
ただ、唯一の救いとしては俺が座り込んだ位置に立てられた、道の行き先が書かれていると思われる看板があることだ。
文字は風雨にさらされてか消えかけていて読めないが、看板があることにより、この先に何かあるという事実と、もたれかかって眠れるという安心感が沸いた。
「ふぅ~――いつになったら戻れんだろ」
看板の支柱に背中を預け、俺は空に浮かぶ月を見てつぶやく。
俺に疑問を投げかけられた月は、表情を変えることはなく、静かに俺を見つめ、眠りを誘うのだった。
「…………きて……、お……、きてるのか!」
「う、う~ん」
「おい! 生きてるのかって聞いてるんだよ!」
「!!」
「うわぁ!」
急に耳からは言ってきた言葉に俺は思わず勢いよく立ち上がってしまった。
すると隣からは、ドスッという音が。
まだ意識ははっきりしていなかったが、その音につられるように俺は視線を移したのだった。
「ってぇ~……急に立つんじゃねぇよ」
視線の先にいたのは中学生ぐらいの男の子であった。
どうやら、俺が急に立ったせいで彼は尻餅をついてしまったらしい。
「あ、あぁ悪い」
なんとなく釈然とはしなかったが、俺は一言謝ると、男の子に手を差し出した。
彼はその手をとり立ち上がる。
「たく、人がせっかく起こしてやったってのに、ひっでぇ奴だな」
立ち上がった男の子は、厚手の生地で作られた長めのチュニックを着ており、それについた土を払いながらぶつくさと文句をたれた。
この男の子、キツそうな言葉遣いとは裏腹に、顔は端整で目尻が少し垂れていてとてもかわいらしい印象を受ける。
髪の色は黒で肩まではいかないが少し長めであり、女の子のように艶があった。
もし最初に声を聞いていなければ男の子だとは思わなかっただろう。
そんな彼が、服に付いた汚れをひとしきりとり終えると取ると、こちらを見据え口を開いた。
「あんた何やってるの?」
その言葉に自分が今どんな状況なのかを改めて確認してみる。
看板に寄りかかって熟睡。
……たしかに何やっているのか尋ねられてもおかしくはない状況である。
「……いろいろあったんだよ」
俺は一言そう言うと、体を起こし男の子と同じように、体についていた土を払った。
「ふ~ん、まぁいいや、それじゃおっさん俺もう行くからな」
男の子は特に俺に対して興味はないのか、曖昧な返答に納得し先へ進もう一歩踏み出した。
しかし、こちらとしてはこの男の子が初めてこの時代で出会った人間である。
はい、そうですかと彼をそのまま行かすつもりはもうとうない。
俺は少しでもこの出会いを生かそうと、男の子に町の情報について訪ねるのだった。
「あっ、ちょっとまってくれ、1つ尋ねたいんだが、あっちとこっちではどっちが町に近いんだ?」
「ん? こっちに決まってんじゃん」
男の子は自分が進もうとしていた道の先を指差した。
「そうか。ありがとう。それじゃ俺も一緒に行くとしよう」
「ついて来るのかよ」
「あぁ、悪いが一緒に行かせて貰うよ。このところいろいろあって飯もろくに食ってないから俺はいち早く町につきたいでね」
俺がそう説明すると、ちょうどいいタイミングで腹の虫が鳴った。
1日以上飯を食ってないと腹も鳴るってものだ。
「へ~それじゃこれ食べる?」
俺の腹の音を聞いた後、男の子はふと何かひらめいたような表情をすると、背負っていたリュックからパンをひとつ取り出し俺へと手渡した。
男の子のその表情はなにかあるなと勘ぐらせる。
だが、目の前に出されたパンに視線を移すと口の中は生唾で満たされ、男の子の思惑がなんであったとしても、このパンは食べようと俺に決意をさせてしまう。
「ん、いいのか?」
「いいぜ」
「それじゃ遠慮なく」
一応ことわりの台詞を吐き、その許可を得ると俺はすぐさまパンへと噛り付いた。
パンは時間が経っていたのか硬くて決しておいしいというものではなかったが、腹ペコな俺にはそんなものは関係ない。
少し大きめのパンだったが、ものの数秒で俺の胃へと流れ込んでいった。
勢いよくパンを食べる俺を凝視する男の子。
そしてすべて食べ終わると、男の子はにやりと笑った。
どうやら俺の勘は当たっていたらしい。
男の子は笑ったまま事後承諾として、俺の左手につけられている指輪を指差してこう言ったのだった。
「ただしその指輪貰うけどな」
「これか?」
「そうそれ」
俺がしている指輪はクレアから預かった指輪しかないのだが、一応確認のため左の小指についている指輪を彼によく見えるようにして聞き返すと、男の子は首を縦に振り答えた。
男の子のやり方は、あまり褒められたやり方ではないが、それでも一応飯をいただいたのだし何かお礼の1つでもとは考えたが、さすがにこの指輪は譲れない。
俺は首を横に振りながら男の子に答えた。
「こいつはダメだ。これは俺にとってなくてはならない……!?」
「へ、へ~ん、も~らいっと、それじゃおっさんがんばれよ」
ふと左手の小指の感触が変わったのに気がつき、俺は自分の左手を見る。
すると、今までちゃんとつけていたはずの指輪が、なくなっているではないか。
まさかと思い男の子に視線を移してみると、どうやって取ったのかわからないが、指輪は男の子の手平に。
俺の視線に気づいた男の子は舌を出して俺から奪った指輪をこれでもかと見せつけて挑発すると、一目散に町への道を走って行った。
「おい! 待てこら! お前どうやって指輪を取った! っておい! 飛ぶな!」
俺はあわてて男の子を追ったのだが、男の子が何かつぶやいたかと思うと、彼はそのまま空へと飛び上がり悠々と飛んでいったのだった。
「何なんだよいったい!」
息が荒れる中、俺は悪態をつく。
目の前を進む男の子が、指輪を奪い去って飛び始めたのは約30分ほど前。
その間、ほぼ全速力で走ってきた俺だが、ここまで真剣に持久走に励んだことは初めてではないだろうか?
はっきりいって、すでに体力は限界を超えているのだが、それでも食い下がっているのは、あれが俺にとっての希望であるからだ。
あの指輪が無くては、俺は元の時代戻れないのだから。
そんな俺の事情など知らない男の子は、悠然と飛んでいく。
なんとしてでも捕まえたいのだが、5メートル近く上空を飛んでいる男の子を捕まえるのは、至難の技。
唯一の救いとしては男の子が道なりに飛んでいることぐらいか。
「き、きつい……」
治りきっていない体に鞭打って走り続けたせいか、視界が徐々に狭まる。
耳も良く聞こえなくなってきており、心臓の音だけが鳴り響き始めていた。
このままでは、男の子に振り切られてしまう。
脳裏にそうよぎり、絶望が沸いてきた時だった。
この急に始まった鬼ごっこは終わりもまた急であった。
どういう訳か男の子は徐々に高度を落とし、地面へと着地したのだ。
この機会を絶対に逃すわけには行かない!
そう思った俺は、死に物狂いでに彼に近づいて服の裾を掴んだのだった。
「ゆ、指輪を返せ……」
何とか男の子を捕まえ、一言告げることはできたが、残念なことに言葉を発し終えると、俺の視界は黒一色に染まり意識を失ったのだ。
そんな俺が目を覚ましたのは、日がだいぶ傾いて、空が綺麗なオレンジ色に染まり始めた頃だった。
目を覚ました場所は田舎道と言うわけではなく、なぜか木でできた個室のベッドに寝ており、窓から差し込む西日が部屋をオレンジ色に彩っていた。
俺はまだ頭がはっきりしないため寝ぼけた目を擦ろうと右手を顔に持っていく。
すると、その手に男の子の服がきつく握られていたことに気がついた。
「これってあの子のだよな……まぁ、それはいいとしてここどこだ?」
握っていた服を手放し、考えをめぐらせる。
だが、俺は男の子ばかりに目が言っていたため、自分が走り終えた場所を覚えていないことに気がついた。
そのためか、なんとも間抜けな言葉が漏れた。
すると、ちょうどそのタイミングで、トレイにパンの野菜のスープを載せて男の子が部屋へと入ってきた。
「宿屋だよ。まったく、町の入り口で人の服思いっきりつかんで気絶しちまうなんてありえねぇし。おかげで俺は町の人に白い目で見られるは、おっさん運ぶのに力使うは、で最悪だ」
どうやら俺の独り言は男の子にも聞こえていたようで、答えとともにぶつくさと文句を垂れる。
そしてそのまま、ベッドの近くに置いてあった机にトレイを置き、自分は木でできた椅子へと座る。
「俺を運んだのか?」
「あぁ、できたら捨てていきたかったんだけどな。あの状況の中でおっさんを町の入り口に捨てていくほど、俺は度胸が無いんでな」
ちっと舌打ちをして、ぶすっとした表情のまま俺のほうから顔を背ける。
男の子の話と今の状況から察するに、どうやら俺の執念は無駄じゃなかったらしい。
それならば、と俺は男の子に指輪を返すよう催促した。
「そうか、なら俺にあの指輪を返してくれよ」
「それはダメだ。ここまでしたんだぜ? あの指輪は絶対貰うからな」
「あのな、お前がここまでしたのはお前自身のせいだろ。人のもの了承も無しで持っていったんだからな」
俺が正論をぶつけると、根は素直なのか男の子は何か考えた後指輪を返すことを了承した。
「むぅ……じゃぁ金払えよなここの宿代お前持ちだぞ」
「あぁそれぐらいならいいぞ。で、ここの宿代はいくらだ? 何ガルンだ?」
内心パンの礼が高くついたのと思いながら、俺は自分のズボンの中に入っている財布を取り出して、札を取り出した。
だが、そんな俺を見つめる彼が発した言葉は素っ頓狂な声だった。
「はぁ?」
「ん? もしかしてガルンもいかないのか? 安いな。そうしたら何シーターだ?」
「お前、何言ってんの?」
怪訝そうにこっちを見ている。
何かおかしなことでも俺は言っているのだろうか。
「何って宿代の話だが?」
「じゃぁなんだよ、そのガルンって?」
「何って金の単価だろう?」
「はぁ? 金の単価って普通はソラリス銀貨だろ? またはリリム銅貨。そんなガルンだかシーターだか聞いたこと無いぜ?」
「……まじで?」
「まじで」
もしかしたら男の子が嘘をついているのじゃないかと思い、俺は男の子の目を見つめるが淡い期待もむなしく嘘をついている目をしていなかった。
そんな男の子の目を見て、はっとあることを思い出す。
(ここは俺がいた時代じゃないんだった)
あまりに当たり前で忘れていた。
いや、そうで会って欲しくなかったから、忘れたことにしていた。
そう、時代が違えば金の単位も変わる。
しかも、今いる場所は数百年近く違う恐れのある場所だ。
むしろ違っていて当然だ。
俺はふぅと一息ついて、心を落ち着かせるとゆっくりと口を開いた。
「…………坊主」
「何だよ」
「いいことを教えてやろう」
「何だよ!」
「俺が持っている金はどうやらこの国では使えないらしい。よって俺は今、一切金が払えん!」
胸を張っていう事ではないが、俺はそこをあえて腰に手を当て、胸を張りながら誇らしげに男の子へ言い放ってやった。
なかば、やけくそである。
「…………やっぱ指輪貰うわ」
男の子は最初俺のその行動に目を点にしながら見つめていたが、やはり胸を張って堂々と言い放ったのが悪かったらしい。
点にした目は徐々に狭まり、ジト目となって呆れ顔をつくり、男の子に身支度を整えさせた。
そして、すぐさまこの部屋を出ようと椅子から腰を浮かせたのだった。
「それは困る!」
男の子の行動に焦りを覚え、あの状況であれは無かったかと俺は反省しつつ、出て行こうとする男の子の腕を必死に掴んだ。
俺が男の子は腕を掴むと、彼はすぐさまその手を振り解き、こちらに向き直る。
そして、俺を指差して怒鳴り散らしたのだ。
「困るじゃねぇよ! パンもやったし指輪だって返してやるって言ってるのに、金が無い? 冗談じゃねぇ! やってられるかよ!」
男の子は言い終わると、荒くなった息を整える。
彼の言うことはもっともである。
だが、ここで引いたら指輪は男の子のものになってしまうのも確かだ。
それはどうしても避けなければならない。
ならばと、俺は先ほどのことを思い出すように、満面の笑みを浮かべながら一言告げた。
「でも、その指輪を持っている限り俺はお前を追い続けるぞ」
「うっ……それは困る」
さすがに男の子もそれは嫌なのか、顔をゆがめる。
その男の子の顔を見て俺はしめたと思った。
なぜなら、あの指輪を持っていることは、あまりいいことではないと思わせることができたのだから。
「だろ? でだ、交渉といこうじゃないか」
「交渉?」
男の子も指輪をただで指輪を返すよりは良いと判断したのか、先ほど立った椅子へと腰掛けた。
俺も落ち着いて話すために、男の子が席に着いたのを見てから、ベッドへと腰を掛ける。
「あぁそうだ。俺はお前に借りがあるが指輪はどうしても渡せん。だから俺が借りを返すまでその指輪はお前が持っていてもいい、だけどだ、俺が借りを返したらその指輪を返すこれでどうだ?」
「これでどうだって言われてもな。だいたい借りを返すってどうやってだよ?」
「それを今から話し合って考えようじゃないか」
俺がそう男の子に言うと、男の子はまたもあっけに取られたような顔をする。
「おまえ…………めちゃくちゃずうずうしくないか?」
「そうか? 大人になりゃこんなもん普通だぞ?」
「うわ、俺大人になんてなりたくねぇわ」
「なりたくなくても自然と年はくうものだぜ。とまぁその話はさておいてだ、とりあえずどうやって返すかはまだ決まってないが、俺が借りを返すまではお前についてまとうからな。あぁそうだ。これから長い間一緒になりそうだからな。俺の名前を教えておく。俺はアキラ、よろしくな」
「よろしくって……」
急に話を進められ、ついていけない男の子。
けれど俺は休めることなく、俺の話を通すべくさらに一押ししかける。
「名前は?」
そう言って俺は笑みを浮かべたままじっと男の子の目を見続けた。
すると男の子はあきらめたのか、はぁ一息吐いてから自分の名前を教えてくれる。
「…………ルーダリアだよ」
「おぉ、ルーダリアだな。覚えた。これからよろしくな」
俺は嫌そうな顔を浮かべるルーダリアの手をとって、無理やり握手をしたのだった。