第八節:契約交渉
荷馬車の手綱を引きつつ、城の門の前へと進んでいく。
以前訪れたときと同様、門の前には兵士が立っている。
その兵士を確認した俺は、自分の表情が和らいだのを感じた。
そこにいたのは以前俺が城に入るときに対応した、兵団長だったのだ。
「ひさしぶりですね。お元気そうで何よりです」
こちらと目が合った時、俺から彼に対して挨拶をする。
すると彼も俺のことを覚えておいてくれたのだろう、俺に挨拶を返してくれた。
「おぉこの前の。お前さんこそ無事で何よりだな」
返事をくれる兵団長の笑みに、ハンスも幾分か緊張がほぐれたようだった。
門の前まで荷馬車を誘導した後は、さすがに荷馬車を城の中へ入れるわけにはいかないので、荷物を運び出す。
その様子を見て兵団長は、彼の部下である一般兵に指示を出した。
「おいお前ら、こっちに来て手伝ってやれ」
彼にそう命令された兵士達は、『わかりました』と返事をし、荷物運びを手伝ってくれる。
ありがたい。
中に入っている荷物は、目の細かい麻袋が10袋、幅が1メートルほどの木箱、鍬、水が入った樽が2つと、そのどれもがかなりの重量なので、俺は兵団長の気遣いに心から感謝した。
「これで全部か?」
荷物は次々に降ろされ、城の庭先へと運ばれていく。
その勢いは止まる事はなく、荷馬車から荷物がなくなるのに、5分とかからなかった。
俺とハンスだけだったら、きっともっと時間がかかっていたことだろう。
荷馬車の中が空になったのを確認すると、自らも荷降ろしの手伝いをしていた兵団長が俺に話しかける。
ほかの兵士よりもすばやく運んでいたというのに、息を切らすことなくその声には余裕が感じられた。
ハンスはぜぇぜぇ息をしているというのにだ。
さすが城の最前線を守る兵士、よく鍛えられている。
「えぇ、ありがとうございます。これで全部です」
「そうか、おいお前ら。誰か1人その荷物を見張ってろよ」
「はっ!」
俺が兵団長の質問に答えると、彼は手伝ってくれたほかの兵士2人に向け指示を出し俺達の荷物の管理を任せたのだった。
そしてこちらへと顔を戻すと、彼はこう尋ねてきた。
「それで、今日はどんな用なんだ? 一応セリア王女からはこの前同様、手紙で知らされていたが、荷物もちでくるとは聞いてないから用件を尋ねさせてもらうぞ。一応これが仕事なんでな」
「今回城に来たのは、ちょっとした商売をするためですよ。一応ダルマ=G=シリウスト氏から紹介状もあります」
俺は手に持っていた鞄をあさり、朱色の蝋で判の押された用紙を彼へと差し出した。
兵団長はそれを受け取ると、文字に目を走らせ確認する。
「なるほど、確かに本物だ。つまりダルマ氏の紹介の元、商売に来たと。それであれがその品物というわけか」
ひとしきり読み終えたところで、兵団長は用紙からこちらへと顔を向け降ろした荷物を指差した。
「えぇそうです。これじゃまだ説明足りませんか?」
「いや十分だ。それじゃ城の中に案内するとしよう」
「お願いします」
俺が軽く兵団長に一礼すると、ハンスもあわてて俺と同じように彼に対して礼をする。
思うのだが、商売をしていたにしては、ハンスは礼儀を知らなすぎる。
一度社会人とは何か? というのについても叩き込まねばならないかもしれん。
兵団長に案内され進んでいくと、城は以前と同じ一本道が続いていく。
最初訪れたときのような感動はないが、それでも十分に楽しめる。
調度品や壁に描かれたレリーフを見て楽しんでいると、すぐに分岐点へと差し掛かった。
(確かここを右に曲がれば、セリアの部屋にたどり着くはずだな)
そう思い右に曲がろうとしたのだが、俺の予想に反し兵団長はそのまま直進を進めたのだった。
俺は不思議に思いながらも兵団長の後を追い、歩を進めていく。
すると、そこにはかなりの段数の階段が現れた。
その階段の現れは、その先に玉座があることを安易に想像させる。
一歩一歩しっかりした足取りで階段を上りきると、そこはこれでもかというほどのとても広いフロアで、直線距離にして30メートルぐらいあるのではなかろうか。
フロアの出入り口の両脇には、武装した兵士が左右に1人ずつ配置されていた。
そして引かれている赤い絨毯の先には玉座がどんと構えており、その玉座に座っている人物が1人。
間違いない、ここは謁見の間である。
セリアに会う予定だったのに、まさかここに呼び出されると思っていなかった俺は軽く握られた拳に、汗がじわっと吹き出るのを感じていた。
座っているのはおそらくセリアだと思う。
だがそうわかっていても、汗が引くことはなかった。
セリアと知り合いの俺でさえ緊張しているのだ。
初めて彼女に出会うハンスはさぞ緊張していることだろう、と目線をそちらに移すと、奴は目の前にある玉座を見つめるのではなく、玉座のはるか上を見つめていたのだった。
「すっげぇ~。あれを見て欲しいっすよ。あんなガラスみたことねぇっすよ」
一瞬だけ俺へと顔を向けると、自分が見ていたものを指し示しまた顔をそちらへと向けたのだった。
あんぐり口を広げ、ただただその美しさにハンスは目を奪われていた。
ハンスが示したのは、20色以上使われたステンドガラス。
その一枚一枚が、外の光を受けきらびやかに輝き、赤い絨毯へとそのシルエットを映し出している。
描かれているのは母親が子供を抱いている様子。
よく描かれる題材だが、ハンスが目を奪われるのに無理もない。
そのできは背筋がぞくっとするような迫力があった。
「あぁ確かに見事だな。だがなハンス。目の前をよく見ろ。それ以上に目が離せなくなるぞ」
俺がハンスにそう注意してやると、えっと言った表情を浮かべ、前を見る。
ちょうど兵団長の姿がかぶって見えなかったのだろう、ハンスは体を少し左へとずらし絨毯が引かれている先を覗き込んだ。
するとみるみるうちに、顔がこわばり緊張の色、一色へと染まっていった。
(こうなるとわかっていたが、緊張しすぎだな。わざわざリンカ使って話させて、耐性をつけたと思ったのに)
対策を施したのにもかかわらず、ハンスの極度の緊張に俺は頭を悩ませる。
ハンスの緊張は極限まで高まり、手は色が白くなるまでギュッと拳が握られ、歩き方は膝がなくなったように、棒となっていた。
俺ですら緊張しているのだ、緊張するなと言うのは酷だと思うが、さすがにこれはひどすぎる。
できることなら、日を改めて訪れたいところだったが、ここまで来てしまっては引き返すわけにもいかず、ハンスの緊張ができるだけ早くとかれることを切に願う。
「王女様、アキラ様、ならびにそのお連れの方をお連れしました」
「ご苦労。グラゴルム、おぬしは下がって待機しておれ」
「はっ」
そんな俺達の様子を知ってか知らずか、兵団長は歩みを進め、とうとう玉座に座るセリアの前へとたどり着いたのだった。
たどり着くとすぐに兵団長は、片膝を付きセリアへと用件を述べる。
そしてそれに答えるセリアは、労いの言葉を兵団長へと渡すと、彼を階段の位置まで下がらせたのだった。
「久しぶりだのう、おぬしの用件も気になるところだが、わらわとしてはジェシーがどうなったかの方が気がかりじゃな」
「それなら、なんとか見合いを回避しているところだ。ただそれも時間の問題といったところで、根本的な解決にはなっていないけどな。まぁ俺の用件がうまくいけば、解決に向かうことは間違いないけどな」
俺がセリアにそう話しかけると同時に、セリアの隣についていた騎士と思われる人物が腰に挿していた、剣へと手をかけた。
俺とセリアの話し方については、セリアのほうからため口でよいとされているのでいつもの調子でしゃべっていたが、さすがに騎士の前でというのはまずいかったようだ。
だが、騎士の剣は抜き放たれることはなかった。
セリアが手を上げそれを制したのだ。
騎士団長のゼルバといい、まったく騎士というのは融通が利かない。
「ほう、それはどういうことか気になるところじゃの」
「んじゃ、早速本題に移るとするか?」
セリアの目には興味の二文字が浮かんでいる。
俺はすぐさまその興味が消えないうちに、本題へ移ることにした。
彼女もそんな俺の意見に、賛同する。
「そうじゃな」
「それじゃ、外へ来てくれ。持ってきた荷物はそこにおいてある。まぁ外といても城の敷地内だけどな」
「わかった。行くとしよう」
セリアは玉座から腰を上げ、赤い絨毯をその足で踏みしめた。
そんな第一歩を踏み出したときだ、今まで黙っていた騎士が声を上げる。
「姫様!」
その顔は憂いにも似た表情であり、ここを離れるのはとんでもないといった様子であった。
「大丈夫じゃ。おぬしはここで待っておれ。護衛はグラゴルムに任せる」
「しかし……」
「心配するでない。いくら騎士団長不在だからとはいえ、間違いを起こす輩はおらんであろう。それにギルバーン決勝戦でぼろくそに負けたけれども、一応2位のアキラもいるのじゃ心配はないわ」
「いえ……そういうことではなくて……」
「くどい! 何度も同じ事を言わすな、おぬしはそこで待っておれ」
騎士の心配を知らず……いや、セリアなら知っている、というか気づいているだろう。
それなのにもかかわらず、セリアは騎士へと毅然とした態度で命令したのであった。
その迫力は、やはり王族の血筋なのか、普通の者が放つものと種類が違っている。
それにしても、確かにぼろくそに負けたのは事実だが、わざわざ強調することないよな。
「はっ!」
主君に怒鳴られた騎士は、その命に従うことしかできず、彼は玉座の横でセリアの帰りを待つこととなった。
「よし、これでよいじゃろう。それじゃグラゴルム案内せい。どうせおぬしもこやつらの荷降ろしを手伝っておるのだろう?」
「セリア嬢にはかないませんな。その通りです」
騎士との距離がひらき、声が聞こえない位置になると、兵団長ことグラゴルムさんはセリアに対しセリア嬢と言い放った。
さすがにこれには俺も驚いた。
まさかこの城に仕えている者で、王族をそんな風に呼ぶ奴がいるとは思っても見なかったからだ。
セリアはそんな俺の顔を覗き見ると、心を読んだかのように答えた。
「グラゴルムもおぬしと同じように、城下であってわらわ自らスカウトした兵士じゃ。そしてそのときにわらわを呼んでいたのが今の呼び方じゃ」
俺に悪戯っぽい笑みで、そう話しかけると、セリアは案内するグラゴルムさんに何か一言告げる。
すると、彼はこちらに向き直りぐっと親指を立てたのだった。
なんなんだいったい。
お仲間とでもいいたいのだろうか。
それにしてもあいつ、俺と会う前にも城を抜け出したことあったのか、と俺は目の前を歩く王女様を見つめて思う。
ちなみにハンスはガチガチに緊張しており、会話には一切参加せず、ただただ俺の後ろを歩いていたのだった。
俺らが通ってきた道をひたすら戻り、外へと出た俺達は荷物を置いた場所へとたどり着く。
「これがそうか?」
「あぁ」
突然現れたセリアにそれまで荷物を見張っていた兵士は、これまで以上にピンと背筋を伸ばし恐縮している。
若干、緊張しているハンスに似ているなと思い振り返って奴を確認すると、……向こうの方がましだという結論に達した。
この状態では無理だなと思った俺は、自身で実演することに決めた。
荷物に近づき、麻袋を1つ開け、それを木箱へと流し込んだ。
「なんじゃ、粉ではないか」
期待してついてきたセリアからはあからさまな落胆の声が上がった。
見た目はただの灰色の粉なのだから、仕方ないといえば仕方ない。
「まぁまてって、これからだから」
俺は作業を止めることなくセリアへと返事をすると、もう1つの麻袋を開けて木箱へと注ぎ込んだ。
中には砂や小石が入っており、ただの砂利である。
それを見てよりセリアの落胆の顔を強くしたのだった。
「セリアあからさま過ぎないか?」
「期待を持たせた後、ただの粉と砂利を見せられればこうもなるわ」
その表情があまりにもあからさまだったため、俺は軽く突っ込むとセリアからの返事が返ってくる。
隣にいる兵団長を見ても、まぁそりゃそうだ、といった表情をしていた。
第一印象はあまりよろしくないようだ。
唯一の味方であるハンスはいまだ緊張が取れず、直立不動なため応援は期待できない。
何気にピンチかもしれないな。
俺はそのピンチを乗り切るため、鞄の中から一辺10センチの立方体を取り出し、セリアへと渡したのだった。
「重いから気をつけろよ」
「おっ、これは……石なのか?」
「いや、ちがうさ。今俺が作っているのがそれの原料だ」
きれいに整えられた立方体を、セリアへと渡すと、見た目よりもはるかに重かったためだろうか、セリアがよろめく。
しかし、セリアが転ぶ前にグラゴルムさんが支えたため、俺が渡したものを落とすこともなく、石にしてはあまりに形の整ったものについて尋ねてきた。
俺はその反応によし! と思いながら木箱の中身を指し示す。
「ほう。して名前は?」
「コンクリート。これからこの国を豊かにする、魔法の建築材料さ」
俺は鍬を杖にしながら、セリアへそう言い放った。
セリアは俺の言葉を聞くや否や、先ほどの落胆の顔をにやりとした笑顔にすり替えて答えた。
「ほぉ、ずいぶんと大きく出たものよのう」
「まぁな。それだけの性能がこいつにはあるってことだ」
「ならば続きを見せてもらうとしよう」
セリアは持っていたコンクリートのブロックをグラゴルムさんへと預けると、それまで興味を示さなかった木箱の中身に注目したのだった。
俺はその視線を感じ取り、作業を再開する。
「あぁじっくり見てくれよ。……ハンス、いい加減お前も手伝え」
鍬を使い、均等に混ざるように動かしていたのだが、目の端で捕らえたハンスがいまだに棒立ちで突っ立っていたため、俺は奴に対して催促の言葉を投げつけた。
その言葉には少なからず、俺の怒りが込められており、それを察してかハンスの頭がようやく作動し始める。
「えっ! あっ! そのっ! 了解っす」
やっと動きはじめたハンスは、混ぜられた砂とセメントを見て樽を近くまで運んでくる。
中には水が入っているため、持ち上げてとはいかなかったが転がすことにより、ハンス1人でも運ぶことができたようだ。
樽を運び終えたハンスに鍬を渡す。
さすがにハンスが樽を持ち上げて、木箱に水を注ぐのは無理だから交代したのだ。
樽を持ち上げるときに腰に負担がかからないよう、きちんとかがんでから持ち上げる。
この忙しい時にぎっくり腰などという情けない症状はなりたくないから。
「ハンス、蓋を開けてくれ」
「わかったっす。……うっす。開いたっすよ」
持ち上げる前に蓋を開けなかったため、ハンスに蓋を開けるように頼む。
蓋を開けてなかったおかげで、持ち上げたときに水が飛び散らずに済んだが。
決して開けるのを忘れていたわけじゃない……はず。
ハンスにより蓋が開かれた樽を俺は傾け、中の水を木箱へと注ぎ込んだ。
木箱の中に入っているコンクリートの原材料たちは、瞬く間にその水を吸収していく。
元が砂や粉だけに、そのスピードはできの悪いスポンジなどよりずっと早い。
液状にならないよう、水分量を調節しながら水を加えていく。
最初からしゃぶコンなんて見せては、これからの商売に支障をきたしてしまうため、普段以上に慎重におこなった。
「一応ここで実践して見せているけど、毎回王都に足運ぶわけにはいかないんでな。使い方はこの説明書を見せてやってくれ」
水がちょうどいい量入ったのを見計らい、樽を地面に置いた俺は、鞄から一枚の用紙をセリアへと手渡した。
そこに書かれている内容は、使用用途はもちろんのこと、セメントと砂、砂利の割合、おおまかの水分量、そしてそれに伴った注意点と、コンクリートの使い方の応用である。
俺が知りうる限りのデータを記述したつもりだ。
若干説明が足りない部分があるかもしれないが、さすがに本職というわけではないのでこれが限界である。
それにしてもまさか学生時代の社会科見学&自由研究がこんな形で生かされるとは夢にも思わなかった。
本当にこの世は何が起こるかわからない。
「なるほど、これならば今まで接着に使っていた粘土よりもはるかに使い勝手がよさそうじゃの」
「あぁそいつはまちがいないぜ。粘土よりも見ての通り乾燥前はやわらかい、型に流し込むなんて使い方もできるからな」
「それに、乾燥した後の強度が粘土なんかと段違いっす。並みの衝撃じゃ壊れることはないっすよ」
俺がセリアの関心にコンクリートの良さをアピールしていると、俺の言葉を後押しするようになんとハンスがセリアに話しかけたのだった。
さっきまでの緊張はどこにいったのか、ハンスは一度もかむことなく言葉を発している。
その様子を見てハンスが商人ではなく、すでに職人へと変わっていると確信する。
コンクリートを生き生きと混ぜるその顔をまさしくそれであったから。
「うむ……それで乾燥はどれぐらいじゃ?」
「量にも……」
「量にもよるっすけど2、3日もすれば、きれいに固まるっす」
俺がセリアの質問に答えようとすると、それにかぶせるようにハンスが話し出す。
セリアや俺の方など一切見ようとせず、コンクリートを均一になるよう入念に混ぜている。
こいつ……。
「なかなかよさそうじゃのう。ちなみに城の塀を建て替えるのにはこのコンクリートとやらを使うといくらになる? 人件費は差し引いて材料費だけでかまわん」
ハンスの不遜な態度などセリアは気にも留めず、城をぐるりと囲む塀を指差しながら質問してきた。
よし! と心の中でガッツポーズを取る。
セリアのことだ、こちらの意図を汲み取ってそう質問してくれたのかもしれないが、非常にありがたい。
コンクリート1立方メートルあたりに費やす値段を計算し、この塀の立替費用を算出したのが無駄にはならなかった。
「およそ2万ガルンになるはずだ。高いと思うかもしれないが、このコンクリートの材料の一つセメントなんだが、材料を砕いた後高温で熱し、その後もまた砕くと結構手間隙かかってるんだ。それで結構な値段になっているんだが、でもほかのところで作るよりは安いとは思ってるぜ、なにせシリウスト領で生産しているんだ。鉄鋼の産地というのもあって鉄を溶かすために使われていた炉がたくさんあるから、量産もほかよりも早く、多くできる」
俺がそう説明すると、セリアは予想外の反応を示す。
「安いな、この塀を作ったときの5分の1の値段じゃ」
「そう安い……って、もしかして高くないのか?」
「あぁ、安いぞ。この塀には石が使われておるが、その石がえらく高くてな。ほかの業者に頼もうとしたのじゃが、そこ以外この塀に必要な建築材料を集められなくてのう、結局材料費だけで10万ガルンが飛んでいったわ」
平然とセリアはそう言い放ったが、俺は驚きを隠せずにいた。
どんだけぼったくり会社なんだと。
確かに10メートル近い高さの塀を作るのにはそれ相応の値段はかかるが、はっきりいってかかりすぎである。
この壁には金でも含まれているのかとさえ思った。
しかし、ここでふと気づく。
この世界には石を運ぶトラックや、その石を切り出す削岩機がないのだと。
すべて人の手で行うとしたら……。
そう考えると、なるほどと言わざるを得ない値段なのかもしれない。
「で、どうするのじゃ? 今契約して、2万ガルンで材料を取り揃えられるのか?」
「契約!? セリア、こっちとしてもそれはうれしいんだが、勝手にそんなことして良いのか? 一応この城お前の父親のものだろう?」
「かまわぬ。財政を握っているのはわらわじゃ。父上や兄上がどうこう言おうと何とでもなるわ。それに2人とも今は隣の国で政じゃ、この国のことはすべてわらわに任されておる。つまり今この国で一番えらいのはわらわじゃ。そのわらわが良いと申しておるのじゃ問題なかろう」
驚いた後思案顔になり、返事のない俺に対してセリアは契約について切り出した。
まさかこんな早く契約にこぎつけるとは思っていなかった俺は、さきほどよりも濃い驚きの表情をあらわにした。
それにしても父親や兄貴のことについて、何とでもなると堂々と言い放つセリアには、すでに王の風格が漂っていた。
こいつの兄貴がどんな人物か知らないが、王位継承の心配をしたほうがいいと思うな俺は。
セリアの台詞に玉座に座っていたのは、伊達ではなかったと思い知らされた俺は、これ以上何か言って契約しないなどと言われないために、いそいそと契約のために持ってきた用紙とペンを鞄から取り出し、セリアへと差し出したのだった。
「そいつにサインをしてくれれば、契約は完了だ。でだが、一応伝えとく。あくまで契約者は俺個人であり、ダルマさんではない。しかし、コンクリートの原材料、セメントを製造しているのはシリウスト領。そのため効率が良くなりように王族と深い間柄のダルマさんに、今後の交渉は行ってもらおうと思っている。もう一度言うぞ。あくまで今回のコンクリートの件は俺個人が契約者であって、王族とのコネによるものでは一切ないってことだ」
俺が念を押してセリアに向かってそう言い放つ。
だが、セリアはそんなのを気にする様子もなく、すらすらと用紙へサインしたのであった。
「わらわとてそれぐらいわかっておるわ。今の状態で王家からシリウストに金が流れれば、近隣の貴族が口を出してくることは目に見えておる。その対策といったところなのだろう」
それを聞いた俺はにこやかな笑みを浮かべる。
やっぱり、セリアは俺よりも頭がいい。
「話が早くて助かる。まっそういことだからよろしく頼む」
「わかった、まかせておれ。とりあえず手付けで1000ガルン渡しておくぞ。それを元で人を雇って生産効率を上げるんじゃな」
セリアがそういうと、グラゴルムさんに金を持ってくるよう指示を出した。
最初グラゴルムさんは自分では城の金を持ち出すのは無理ですといっていたが、セリアがわらわの命令だと言っておけと言われ、難しい顔をしながら金を取りに行ったのだった。
そして数分後セリアに言われたとおり、無事金を持ってきたグラゴルムさんはそれを俺へと手渡した。
金は袋に入っておりずっしりと重い。
「悪いな」
「なに、わらわは建築材料が良いと思ったから契約しただけじゃ。出来が悪かったのなら契約などせんわ」
そういってセリアは笑みを浮かべ、俺に手を差し出した。
俺はその手を軽く握り、同じようにセリアに笑みを浮かべたのだった。
「それじゃ俺達は帰るとするよ。残っている材料は城の修理の時にでも使ってくれ。ハンス、行くぞ。いつまでもコンクリートで遊んでいるな」
握った手を解くと、ハンスへと向き直り口を開き、こっちへこいとしぐさで示す。
声をかけられたハンスはこれでもかと綺麗に平らに伸ばしたコンクリートに凹凸がないか、じっと睨みつけていたが俺の声に気がつき、はっ! とした表情を浮かべながら急いで俺の脇まで走ってきた。
「またなんかあったらこっちにこいよ」
「えぇそうさせてもらいます」
「今日はありがとうございましたっす」
俺は声をかけてきたグガゴルムさんへ手を差しだし握手を交わす。
ハンスは深々と礼をして別れの挨拶とした。
「じゃまたな」
「あぁ」
そしてグラゴルムさんとの握手が終わると、セリアへ向け一言笑顔でいい残し、ハンスとともに城を後にしたのだった。
王都から出て3日、行きと同様旅は順調に進み、無事シリウスト領へと戻ってくることができた。
荷物がなくなったため馬車のスピードも上がり、予定よりも1日早い帰還である。
俺とハンスはどこにもよることはなく、まっすぐとジェシーの屋敷へと馬車を走らせた。 そして屋敷までたどり着いた俺達は、馬車を馬小屋へと運び、ノックをせずに屋敷の中へと入る。
すると、目の前にはジェシーが不安な様子でたたずんでいた。
「……どう、でしたの?」
その声には不安とあきらめといった負の感情が込められていた。
驚かそうと、リンカで連絡せずに屋敷まで戻ってきたのだが、ここまで不安がられているとは思わなかった。
失敗したなと心の中で自分を叱責すると、俺はぐっと親指を突きたてジェシーに笑顔を向けた。
「成功だ。手付金として1000ガルンもらったよ」
親指を立てた拳を崩して、左手に持っていた袋を広げジェシーへと見せる。
すると不安な顔はいっそうされ、まばゆいばかりの笑顔へと変貌したのだった。
それを見て喜びとはこういうものなんだなと、俺は再認識することとなった。
「そ、それでこれからどうしますの!?」
興奮冷めやらぬジェシーは、目を輝かせ俺に話しかけてきた。
不安がかき消され、喜びがこみ上げているのだろう、俺達への労いの言葉を忘れているようだが、まぁいいか。
この笑顔が、俺にとっては一番の労いの言葉であるから。
俺はジェシーの笑顔を見ながら、口を開き今後のことについて話した。
「とりあえず、ダルマさんへ報告に行くよ。その後は全員が集まり次第作戦会議。まだ決定ではないけど、ジェシーにはこれから働いてもらうから覚悟しておけよ」
「えぇ! 任せてください!」
やっと自分の出番が来ることに喜びをいっそう強め、ジェシーの笑顔が輝く。
やはり、自分のことでこんなことになっているのに、自らが動けないことが相当ストレスとなっていたのだろう。
俺はそんなことを考えながら、開けた袋の口を縛りなおす。
「それじゃ行ってくるな。王都でのことで聞きたいことがあったら、ハンスに聞いておいてくれ」
「おれっちが説明するんですか!?」
「俺とお前以外で王都での出来事知っている奴いないだろ」
ハンスのおれっちっすか!? という反応に苦笑を浮かべながら答えると、ジェシー達にそれじゃと手を上げてダルマさんがいる部屋へと進み始めたのだった。
屋敷の中は、初めてきた時と同じように静かであった。
だが、俺の心は浮かれていた。
自分の作戦が、うまくいっていることに、喜びを感じていたのだ。
ジェシーの見合いをなくすのが最終目標ではあるため、不謹慎かもしれないがそれでもうれしく感じてしまっている。
そのことに気づいた俺は、ダルマさんの部屋の前で自分の気持ちを落ち着かせ、気を引き締め直す。
そして、コンコンとドアをノックしたのだった。
「開いているよ」
中からダルマさんの声が聞こえてくる。
俺はその声の主に会うためドアを開いた。
「失礼します」
ドアを開くと入り口と丁度反対の位置に置かれている机で、なにやら書類を整理するダルマさんの姿が確認できる。
眼鏡をかけ書類をいじっている様子は、できるサラリーマンといった感じだ。
俺は自分のレンズの入ってない眼鏡を、くいっと動かしてかけ直し、ダルマさんの方へ歩みを進めていった。
そして机の前まで来ると、ダルマさんはこちらに向き直り話を聞く体勢へとなる。
「長旅ご苦労様。君が無事で何よりだ。それで結果はどうなったのかな?」
「うまくいきましたよ。これがその印ですよ」
俺は手に持っていた袋をダルマさんの机へと置いた。
ダルマさんは確認してもいいかな? と目でたずねてきたので、どうぞと同じように目で返しこくりと頷く。
そして開いた直後にほぅ、と息を漏らした。
「とりあえずこれは手付けみたいなものです。後はセメントを量産して、事業として行えば残り1万9000ガルンが入る予定です」
「すごいな。まさかこんな短期間でこれだけの契約を結べるとは……」
そういいながら彼は袋を閉じ、机の脇の方へと置く。
実際ここまでスムーズに行くとは思っていなかった俺は、謙遜ではなくそのままの意味で答える。
「今回は運が良かっただけですよ。とりあえずそのお金で、職にあぶれている鍛冶職人たちを雇ってください。あとでハンスが彼らにセメントの作り方を教えますので」
「わかった。アキラ君の言うとおりにしよう」
視線をこちらへと向けたダルマさんは、俺の言葉に賛同の意を示し、微笑を浮かべる。
「助かります。あぁそうだ。この用紙を渡しておきますね。そしてこちらには署名をお願いできませんか?」
同意がえられた俺は彼に笑顔を返すと、袋とは別に持ってきた鞄を開き用紙を2枚取り出して手渡した。
何の気なしに受け取ったダルマさんは、その2つの用紙を見たあと、その視線を俺へと向ける。
そこには驚きの表情が見て取れた。
「君は……君はこれで良いのかね?」
「えぇ、私は商人でなければ、発明家でもない。ましてや領主でもないんです。ギルドの一傭兵、夜明けの月の副団長。そんな私にとっては、ジェシーの見合いの方が深刻ですから」
そう言って再度俺はダルマさんへと笑いかけた。
渡した用紙の一つは、セリアのサインが書かれた物。
城で契約した時の物だ。
そしてもう一つの用紙は、俺がサインした物。
そこにはオーナーはあくまでも俺とはなっているが、セメントの製造、および販売で生じる利益すべてをシリウスト領主に譲渡するという内容のものだった。
つまりこの書類にサインをすれば、王家と交渉してもあくまで俺が経営者であるため、貴族間での摩擦が生じること無く、販売が行え、なおかつ利益はそっくりそのままシリウスト領へと入るというものなのだ。
「私としては、仕事柄こういう書類を渡されると何か裏があるんじゃないかと疑ってしまうが、今回ばかりはその好意を素直に受け取ろう。ありがとう。これでシリウスト領は持ち直せるよ。いや、ちがうな。持ち直すだけではなく新たな発展ができる」
そうダルマさんが言うと、すらすらと用紙へとサインを書き込んだ。
「それじゃ、写しを取るとしようか」
サインを書き終えたダルマさんは、同じように書類を作るため引き出しの中から紙を取り出し、ペンを走らせようとした。
しかし、そんなことをする必要は無い。
俺はそのことをダルマさんに伝えるため口を開いた。
「いえ、1枚で十分ですよ。私が持ち歩いてもただの紙にしかなりませんから」
するとまたも驚いたように、顔を上げ今度はダルマさんが口を開く。
「だがそれでは私が新しいオーナーであると主張した時、君が訴えることができないではないか。私がこの用紙を秘匿してしまえば、私にオーナーが移ったことを誰も怪しまなくなるぞ」
ダルマさんが諭すように話しかける内容は、もっとものことだと思う。
オーナーであること以外、すべての権利を譲渡した今、唯一の切り札となりえるそれは必須といえよう。
「それならそれでかまいませんよ。それにダルマさんがそんなことする人ではないと、短い期間ですが付き合っていればわかることですしね」
俺はそういって今日何度目かの笑顔を浮かべ、彼に向けて手を差し出した。
これからできる膨大な利益をすべて捨て、たった1人の仲間のためだけに俺は唯一残ったオーナーという権利すらすべて彼へと譲渡したのだ。
ほかの奴から見ればただの馬鹿、かっこつけと言われそうだが俺はそれでいいと思う。
馬鹿で何が悪い。
仲間を救えるのなら馬鹿にだってなろう。
かっこつけて何が悪い。
いい女がいるんだ、格好ぐらいつけるさ。
そんな馬鹿でかっこつけの俺の手をダルマさんは握ってくれた。
「ありがとう。私には君がしてくれたことに比べれば、たいしたことはできないが、それでも君に困ったことがあれば力になろう」
「その気持ちだけで十分ですよ。それでは私は部屋に戻ります。これからバウラス領への対策をとりたいと思うので」
ダルマさんから感謝の言葉を受け取る。
その言葉にはずっしりとした思いが込められていた。
人からここまで感謝されたことは、果たしてあっただろうか……。
すべての計画を成功させよう――そう新たに心に誓うと彼に一礼を残し、背を向けてドアに手をかけた。
「娘を頼む」
「任せてください」
丁度そのとき背中からダルマさんの声が聞こえてきた。
複雑な感情が入り混じった言葉であったが、俺は力強くそう返したのだった。