第二節:初日
ジャエナ達との戦闘を無事に終えることができた俺達は、自己紹介もほどほどに、街に行くことになった。
当然、この辺の地理についてわかるわけも無く、エマについて行くことになり、アヒルの子供のように後ろをとことことついて行く。
途中でどうやって森にきたのかと聞かれたりもしたが、異世界からいきなり飛ばされてきました。
なんて冗談としか思えない台詞を真に受けることはないと思い、道を歩いていたら夕方になりあせってショートカットしようとしたら森で迷ったという、なんとも情けない迷子説で取り繕うことになった。
「ここを、後10分ぐらい進めば町につけるわ」
エマが前方を指差しながらそう告げる。
彼女が言うとおり、前方にはうっすらとではあるが火の光が見え、集落があることが伺えた。
どうやら時代的には地球の江戸や、中世ヨーロッパといったような年代とかぶるようで、まばゆい蛍光灯の光ではなく、むらのある火の光であるため安易に想像できた。
「アキラ、あなた本当に森に迷っただけなのよね?」
「あぁ、じゃなきゃあんなところにいる理由がないだろ?」
「確かにそうだけど、ジャエナを倒せるような人は普通迷わないわよ? あなたもそんな格好をしているけど、ギルドの傭兵なんでしょ?」
俺は言葉を詰まらせた。
どうやら、俺が思っている以上にジャエナとは厄介なシロモノだったらしい。
おそらく一般人にとってはまず勝ち目のない相手だといえるもの、いうなれば森であった熊みたいなものか。
それを手負いながらも、貧弱な装備で倒してしまったのだ。
怪しまれるには十分。
もっとも、暗い森に1人でいる自体怪しいがな。
それにしてもギルドとは……まさにRPGの世界だな。
「ギルドには所属していないさ、なんたってついこないだ記憶を失っちまってね。昔何をしてたのかなんて、とんと思いだせん。唯一救いなのが、言葉まで忘れなかったことぐらいかな」
とりあえずそう切り返し、質問の答えとした。
はっきり言って非常にうそ臭い上、苦しすぎる言い訳である。
いきなりあった相手に、私は記憶喪失なのです。
いったい誰が信じるものだろうか。
普通なら十中八九間違いなく信じない。
しかも、地球という訳わからない地名についても尋ねている。
怪しさは今までで最大級だ。
だが、俺にはこれしかいい案が思いつかなかった。
なにせ、中学時代腐るほど読んでいた小説でも、大概この記憶喪失説で済ましていることが多い。
そんなわけで、俺も前例にならい、そう告げることしか出来なかったのだ。
「そう……それは、いやなこと聞いちゃったわね。ごめんなさい」
俺が、何冗談言っているの、と言う返答を予想し、絶対信じないだろうと思っていたことを、エマは素直に信じてくれた。
おまけに彼女は本当に申し訳そうな表情を、浮かべている。
なんとなく後味が非常に悪い。
確かに信じてもらってくれて非常に助かったのだが、嘘をついて信じさせてしまったことに対して後ろめたい気持ちになった。
俺はその気持ちを払拭するべく、気まずい雰囲気の中、声を上げた。
「べ、別に気にすることじゃない。ある程度一般的な知識はあると思うから何とかなるし、わからないことは、大抵さっきのジャエナみたいなやつとかのことだしな」
「え! 魔物のこと忘れちゃってるの!?」
エマが急に声のトーンをあげる。
先ほどまでの深刻な顔はどこへ行ってしまったのか、今度は呆れ顔を浮かべている。
そして続けざまにこう話す。
「それは深刻ね。魔物の種類や特性覚えないと死んじゃうわよ? ほんとよくこの森の中心まで無事だったわね~」
エマにかなり驚かれたのが気になり後で聞いてみたが、どうやら魔物とは町の外にでると、かなりの確率で遭遇するもののようだ。
そのため魔物の種類や特性なんかは学校である程度学ばされるらしい。
重要度としては、算数と同レベル、覚えてないとかなりつらい位置にあるとか。
「とりあえず、あなた町に行った後どうするの? 記憶喪失みたいだし、どこにも行く当ても無いんじゃないの?」
エマは呆れ顔を普通の顔に戻し、俺へと疑問をぶつけてきた。
その内容はまったく持ってその通りである。
異世界に転送されたばかりの俺に行く当ては無い。
それどころか食い物すらどうにもならないだろう。
今俺の財布には2万5千円と言う大金が入っているはずである。
だが、おそらくここの世界ではまったく通用しないだろう。
なにせ、地球ですら違う国にいくと、円がたちどころに使えなくなってしまうのだから、異世界で通用するはずがない。
つまり俺は行く当ても無く、食事を摂ることもできないということだ。
そんな現実と向き合わされた俺は思わず弱音が口から漏れた。
「うっ……まったく持ってその通りだ。それどころか今日泊まる宿や、明日食べる飯にすら困っている始末だよ」
改めてそのことを自覚すると、徐々に気分が落ち込み、乾いた笑いがでてくる。
戦闘の興奮から醒めたのもあるのだろうが、改めて自分が今置かれている立場を理解すると、異世界に来たことにより生じる問題がぽつぽつと浮かび出してきた。
問題を頭にめぐらせていると、気分の落ち込みに加速がかかり、軽く肩落とした。
乾いた笑いは、はぁ~とため息へと変わる。
周りの空気がどんよりしたように感じられた。
そんな俺を見かねてか、エマがこれ以上にない提案をしてくれたのだった。
「ふ~ん大変そうね。それじゃアキラ、私と組まない?」
「へ?」
急な誘いに思わずそう返してしまったが、間違いなく彼女の言葉は俺の耳をとおり脳へと刻まれた。
『私と組まない?』
この一言が――。
俺の間の抜けたな返事を気にすることもなく、エマはさらに話を続けた。
「いくら私に気をとられていたとはいえ、ジャエナを倒すなんてまず普通の人じゃ無理よ。大概腰が抜けてしまい襲われて、はい終了って感じだから。それなのにアキラ、あなたはジャエナを倒したわ。恐れずにね。つまり傭兵として大事な度胸があなたには備わっているのよ。だから、アキラも私と同じように傭兵ギルドに所属して、魔物退治で生計を立てたらどうかってこと。まぁ何も知らずに傭兵になるのは心配でしょうから、慣れるまでは私と組むってことでね」
最初あっけにとられて、正常に作動していなかった脳がエマの提案を聞くうちに正常に作動し始める。
すると先ほどの一言と、提案が脳の中で整理され結論をたたき出す。
なるほど、いい考えだと。
しかし、いい考えではあると思うが、一般的リーマンの仕事しかやったことない俺に出来るのか疑問である。
彼女が気軽に進めるからには、おそらく所属事態はなんら難しくはないとは思うのだろうが……。
体力や精神力、その他もろもろ心配もあるし、もし同情だけで誘われたのだとしたら、かなり惨めな気分になるなと、色々と考える。
考えたのだが、あまりに考える事が多すぎてきりがないので、俺は彼女の提案を受けるのを前提とし、エマの意見を聞いてみた。
「話の内容はわかったが、いいのか? 森であった変なやつと命がけの仕事をするなんて?」
「それについてはさっきの戦闘で文句なしの合格。何より私をおいて逃げなかったのがポイント高いし。それにしても自分でも変なやつって認めてるんだ~」
エマの寛容な心に胸打たれ、彼女の笑顔がやけに目にしみる。
が、後半の一文によりちょいと気だるさが、こぅなんとなくせめてくるのはなぜだろうか。
エマの了承を得られた俺は、一度気分を切り替えるため地面を見つめた後、ふぅーと息を吐いてから、彼女へと顔を向け笑顔で答えた。
「行く当ても無く、怪しい人間かもしれないがよろしく頼むよ」
「おう! よろしく頼まれた。これで私も団長か~」
俺が右手をエマに差し出すと、彼女もそれに答えてくれた。
久しぶりに握手はした相手は異世界の住人であったが、今までで一番の出会いのような気がする。
結ばれた手が離され、めでたく傭兵仲間になることが決定した俺達。
そんな感動する場面で、俺の体が1つわがままを言い出した。
そのわがままは俺の力ではどうしようもないので、申し訳ないが彼女に頼るとしよう。
俺は目の前にいるエマに、照れ隠しに頭を書きながらこう話を切り出した。
「なんかこんなことした後すぐにこういうこと言うのもなんだけど、ひとつ頼みたいことが」
「ん? なんだい?」
俺に話しかけられたエマはかなりご機嫌なのか、満面の笑みを浮かべこちらへと顔を向けた。
その笑顔は今まで彼女を見た中で一番の笑顔だった。
そんな笑顔のエマに頼みごとをするのは非常に心苦しく、恥ずかしかったが本当に自分ではどうしようもないことなので彼女に伝える。
「町についたら何か食べさせてくれないか? 15時間以上飯を食ってなくて。自分で何とかしたいと思ったんだが……金がなくてね」
俺が自嘲気味にエマへと伝えると、彼女は笑いながら肯定し、それじゃ急ぎましょうと先ほどよりも歩みを速め、勢いよく町へと進み始めたのだった。
歩みが速まったため会話の後、予定していたよりも早い時刻で町に付くことが出来た。
そして俺の空腹を満たすため、エマは町についてすぐに食事が出来る酒場へと俺を案内した。
本来なら食堂のほうがいいのだが、空の暗さが深夜である事を告げている。
こんな時間帯に開いている店は酒場か宿屋ぐらいだ。
俺達は人通りがない暗く静かな町中を歩き、そこだけ世界が切り離されたかのように明るい酒場へとたどり着いた。
酒場のウエスタンドアをエマが開くと、一斉に視線が集まってきた。
それぞれ、酒を飲んでいた者、仲間内で話をしていた者、食事している者、寝ている者と多種多様な行動していた彼らは新しい来訪者に視線を向けたのだ。
しかし、その集まった視線もすぐに元の位置へと戻っていく。
それにしても、皆思い思いの行動、格好をしていて共通点など皆無と思われたが、唯一顔が強面だという事が共通していた。
その顔のつくりは目線をあわせた瞬間、目の前に拳が飛んでくるのではないかと思わせる。
俺としては、そんなことは是が非でも遠慮したい。
そんな俺の心中を察してかエマがつぶやいた。
「基本的に無視してれば、何もなんないから大丈夫よ」
「わかってはいるが、ある意味さっきのジャエナよりも威圧感があるぞ」
「はいはい、それはないって。ここにいる人たちのほとんどがCクラスよ? まず一人じゃジャエナなんて狩れないわ」
ちょっとした会話があったが、エマがAクラスだからといって大きな声でこの会話を成立させなかったことに安堵した。
はっきりいって、大声であんな会話をしたらお前らは弱い、と喧嘩をふっかけていると同意義である。
俺は自分の相方となる人物が、少なからず一般的な常識を持っていてよかったと胸をなでおろした。
会話もほどほどに、酒場の中を颯爽と歩くエマは、空いていたテーブル席を陣取り、俺に座るように促す。
彼女に導かれるように俺が椅子に座ると、テーブルに置かれていたメニューを差し出した。
「どれでも好きなの頼んでいいよ。さっきの奴等で報奨金も入るだろうし」
「それじゃ遠慮なく……すまん、文字が読めないことを忘れていた」
渡されてメニューを受け取り、意気揚々と注文しようとしたのも、つかの間俺が愕然と打ちひしがれることとなった。
非常に残念なことに、文字がまったく読めないのである。
ここまでエマと日本語での会話が成立していたため、不思議には思っていたが、まぁこんなものかと思い、これなら文字も読めるのではないか? と安易に考えていたので、ちょっとショックが大きい。
俺は差し出されたメニューを、エマへと返した。
「エマ、適当にうまそうなやつを頼んでくれないか?」
読めないなら仕方がないと、俺は気持ちを切り替えた。
これから対等な立場で仲間としての関係を作りたかったため、必要以上に彼女に頼りたくは無かったのだが、俺の腹が食物をよこせと怒鳴り散らすのでその考えは捨てることにしよう。
なぁに、プライドだけでは腹が膨れないことは、前の世界で嫌というほどわからされていたではないか、そう自分に言い聞かせ俺は微妙な感情を振り払った。
そんな俺の感情など露とも知らずエマは、メニューを見ながら話しかけてきた。
「そういえば、記憶喪失なんだったわね。文字も忘れちゃってるなんて結構不便ね。後でギルド手続きのときに名前を書く必要があるから、自分の名前くらいは覚えないとね」
「そうだな、といってもどう書くのかわからんから、エマに聞くしかないんだが教えてくれるか?」
メニューから視線をはずして顔を上げたエマは、にんまりと笑っていた。
どうやら、頼りにされるのが好きらしい。
「よろしい、お教えしましょう。とりあえずは食事の注文だけして、後はメニューを見ながら文字をおぼえましょう」
そう言って彼女は、右手を上げてウエイターを引き止めた。
するとウエイターは前掛けのポケットの部分から手帳とペンを取り出し、エマが注文をするのを待つ。
「ご注文は?」
「コカ肉のから揚げと、タッブのスープ、後はソルムを4つとエール2杯お願い」
「わかりました。少々お待ちください」
エマはメニューを指差しながらウエイターへと次々に注文をしていく。
ウエイターもエマが口にする注文をすぐさま手帳に書き込み、すべて書き終えると軽い会釈をして酒場の奥のほうへと消えていった。
注文が終わるとエマは今までウエイターへ向けていた顔をこちらに向け、手に持ったメニューを読みやすいようテーブルの上へと置いた。
「今頼んだコカ肉のから揚げってのがこれね」
そう言って彼女は、俺の方に向けたメニューの一文を指差した。
メニューを覗き込んでみると、文字と思われるものが9個ほど書いてある。
これを見ただけではまだ断定は出来ないが、日本語と同じようにひとつの文字に対しひとつの読み方があるようだ。
「最初の文字、これね、これが(か)よ」
そう言って彼女は、指し示していた文の先頭へと指を動かした。
今のことから完全にこの世界は、日本とほぼ同一の文字形態をとっていると思われる。
「なるほど、そうするとこれが(ら)か」
「そそ、ひとつの文字に対してひとつの音があるの」
俺が次の文字である、らと思わしき文字を指し示すと、エマは首を縦に振ってくれた。
エマのその行動に、安堵を思える。
はっきりいってこれには助かった。
英語みたいな感じだったら、読める気がしなかったからだ。
だが文字と音声が対となっているこの言語なら、日本語のひらがなと変わりはない。
これなら予想以上に早く覚えられそうである。
ただ、文字は日本語のように漢字がないためか、名詞ごとにスペースをあけて書かれていた。
「次は、タッブのスープなんだけどこれをよく見て。」
「ブの文字が2つ並んでるな。」
「そう、よく気がつきましたね。なんて説明したらいいのかな、ちょっとした跳ねるようなアクセントのところは同じ文字を2つ並べて書くの」
彼女の話を聞くが限りでは、どうやら(っ)の部分は微妙にアルファベットのような形態を取っているらしい。
それにしても俺に文字を教えるエマは、わざとなのか、それとも素でやっているのか、よく気が付きましたね~と子供に教えるように笑顔を向けて答えている。
教えてくれるのは非常にうれしいのだが、その態度はなんとなくむかつくような、はずかしいような複雑な気持ちになるのでできればやめて欲しかった。
けれどそのことを突っ込んでしまうと、確実に話の腰を折ってしまうきっかけとなるので、俺はその気持ちを押さえ込み、気にしないことにした。
「なるほど、だが例えば、(ココ)って名前のやつがいた場合、同じ文字を2つ書かなきゃいけないだろ? そうすると(ッコ)ってならないか?」
「いい質問です。アキラ君そういう風に並べて同じ文字を読ませるときは、上にこんな感じに線を引いてあげるの」
とりあえず気を取り直し、質問を繰り出した俺にエマはすぐさま答えてくれた。
彼女は教える際に上に線が書かれている文字を指し示したので、俺はすぐに理解することができた。
「なるほど……なんとか覚えられそうだ」
「そう? それはよかったわ。とりあえず文字の読み方についてはこんなところかしら。詳しくはまた教えてあげるわ。自分の名前だけはしっかりと覚えてもらうわないと困るから」
「おまたせしました」
エマによる1年生異世界語の授業が終わった時に、ウエイターが頼まれた料理を運んできた。
ウエイターへと視線をやると、彼の右手に持つお盆の上には熱々の料理が、ジューっと音を立てながら湯気を上げている。
そして左手には、エールが注そがれたジョッキ2つを器用に持っていた。
彼はそれをそつなくテーブルの上に置き、一礼してまた厨房の方へと消えていく。
テーブルの上に置かれた料理は、香辛料と焼けた肉の香りが鼻をくすぐり、ジョッキについた水滴が食欲をそそる。
これは涎が出るな。
「それじゃ、料理もきた事だし乾杯しましょう。私たちの新たなる門出に」
「あぁ、そうしよう」
「それじゃ、かんぱ~い」
俺達はエマがとった音頭とともにそれぞれジョッキを持ち、勢いよく打ち合わせた。
並々と注がれたエールは、その勢いで多少こぼれたものの、2人ともそんなこと気にもせず一気にエールを飲み干した。
その後、アルコールが入り気分を良くした俺達2人は、ペースも考えずに、これでもかと追加でエールをジャンジャン頼み、異世界での初日を過ごしたのだった。