第五節:病院
「明君、折り入って頼みたいことがあるのだがね」
そう言って話しかけてきたのは、50はとうに過ぎているだろう老人だ。
「なんですか社長? また、転勤とか言わないでくださいね。つい二週間前に東京から九州まで行ってきたのですから」
いやみとも取れる言動に対し、社長は苦笑いを浮かべている。
どうやら予想通りまた転勤らしい。
「すまないね。うちには君ほど優秀で、融通の利く社員はいないのだよ」
「はぁ~……わかりました。いったい今度はどこですか?」
「それがね、今回は少しばかり遠いのだよ」
そういいながらタメを作り、自分がどこに飛ばされるのか期待? させる。
まるでクイズ番組で出題された難問の後の答えを、CM後に回された感じだ。
「今度はアメリカとか言わないでくださいよ。さすがに自分でも英語圏で生活するのは、無理ですよ」
「いや、それについては大丈夫だよ。言葉は通じるさ。ただアメリカより遠い場所だよ」
社長はにこやかに、答えた。
アメリカより遠い場所?
ブラジルって結末か!?
そんな答えがよぎった時、社長のCMがようやく終わり答えを告げた。
「異世界だよ」
ガツッ!
頭に強烈な痛みが走る。
目をぱちくりと動かすと、そこには白くて見慣れない天井があった。
俺はどうやら夢を見ていたらしい。
地球での生活は、転勤につぐ転勤でかなり慌ただしい毎日を送っていた気がする。
英語はだめだといっているのに、最近は日本から脱出することも多くなってきていた。
それにしてもここはいったいどこだろうか?
それとさっきの痛みはなんだったのだろう。
そう思い頭だけを動かして辺りを見回した。
白で清潔感に保たれた部屋は、病院を思わせる。
先ほどの痛みについては、ベッドの横にある椅子に座っているこやつが原因のようだ。
「まったく、怪我人で遊ぶんじゃない」
「いつまでたっても起きないから、死んでるんじゃないかと思って試しただけよ」
悪びれる様子もなく、エマがコドラを抱きながらそこには座っていた。
痛みの原因はエマがコドラに俺の頭をかじらせたため、噛んだコドラは髪の毛が喉に入ったのか、咳き込んでいる。
「いったい、あれからどうなったんだ? それと……何日経った?」
俺が気になるのは結末。
たしかに俺はレベアルに致命的なダメージを与えることには成功したが、奴はその攻撃を受けても膝を屈しなかった。
逆に力を使い果たした俺のほうが崩れ落ち、身動きが取れなくなった俺にレベアルは止めを刺そうとしていたはずだ。
「3日ほど経過しているわ。リンクスは無事捕獲で報奨金も支払われたし、あなたが倒したレベアルの報酬もいただいてきた」
そういって、取り出したのは分厚い札束を2つ。
200ガロンはあるんじゃないだろうか。
「…………それがレベアルの報酬か? さすがSSといったところか」
「えぇそんなところよ。アキラに言われたとおり、救援で5人ほど雇ったからその分を差し引いてだけど」
「そうか……それでレベアルはどんな感じで倒れていたんだ?」
「アキラの横にうつぶせに倒れていたわ。最後のとどめに背中に思いっきり切りかかったんでしょ?」
「!?」
背中に傷? 俺はそんな攻撃一切していない。
それどころかほとんどの攻撃は銃によるもの、唯一のソードを使っての攻撃は最後に力を振り絞って突き刺したあの一突きだけだ。
不思議に思った俺は自然と言葉を発していた。
「なぁ、エマ。俺のほかに誰か周りにいなかったか?」
「いなかったけど? ほかに誰かいたの?」
「いや……気のせいらしい。あんなにぼろぼろになったのは初めてだから、幻覚でも見たのだろう」
「……アキラやっぱりさっきの一撃が効いちゃった? 頭大丈夫?」
エマは俺の頭に手を当て、先ほど噛み付かれた場所を擦る。
なんだかんだいって人に頭をなだれられるのは気持ち良いのだが、この年でそれをやられると恥ずかしいものがある。
「大丈夫だ。あれぐらいの一撃でおかしくなっているなら、レベアルと戦ったときに、10回は軽く幻覚が見えてるぞ」
「それもそうね。私達がついた時には、周りの様子ががらりと変わっていたから、よほど派手など突きあいしてたのね」
あきれているのか、その表情は馬鹿を見るような感じだ。
俺だって好き好んで奴とタイマンで喧嘩はしたくなかったさ。
ほとんど一方的にど突かれていたし。
ただ、このことはあえて言わないでおこう。
俺はエマの冷ややかの目線をどうにかするため、話題を変えることにした。
「エマ、ここ病院なんだろ? 医者は俺の怪我見て何日ぐらいで治るっていっていた?」
「歩けるようになるのに8ヶ月、完治するのは1年以上、ちなみにリハビリ期間は一生もの」
エマから、淡々と発せられたその言葉はやけに重い。
「…………そんなにかかるのか?」
「擦り傷、切り傷、裂傷多数、全身打撲、ヒビ19箇所、骨折12箇所、粉砕骨折4箇所に、複雑骨折3箇所、そして左足は治ったとしても、完全に元通りとはいかないらしいわ」
改めて聞かされ、俺の体はこれ以上に無いってくらいぼろぼろになっていたことがわかった。
どおりで痛いわけだよ。
左足の治療は、さすがに時間がかかるだろうなと思ってはいたが、完全に元に戻らないかもしれないと言われてしまうときついものがある。
「ふぅ……かなりの重症だな。現状が把握できたから俺は寝る」
俺は右手で顔を隠し、目を閉じ眠りにつこうとする。
「そうね、そのほうがいいわ。私はこれからギルドに行って色々と手続きがあるから、夜にまた来るわ」
そういって、エマはコドラをつれて部屋を出て行いった。
部屋を出て行く際に、コドラがまたねと言ったつもりなのか軽く鳴く。
まったくこんな体になっても、かわいいと思ってしまう。
「1年はなげえよな」
そうつぶやき眠りについた俺だったが、今思うと驚くことしかできない。
なにせ先ほど動かした右手は医者の診断で、ヒビが3箇所入っていると診断書に書かれていたのだから。
しかし、この時の俺そのことについて気づくことは無かった。
そしてそれから3週間の時が経ち、今の俺がいる。
月日が経つのは早いもので咲いている花達がつぼみの状態の時から、俺はこの何の変化も無い病室で過ごしてきた。
病室の窓から差し込む日差しは、春を思わせるぽかぽか陽気で、外を見れば花壇に植えられた花達が、自分が一番、私を見てと、自己主張し咲き誇っている。
そんな外の風景はいいのだが、中は白い天井、来客用の小さな椅子、着替えなどを入れる棚、暖かな日差しを通す窓、そして入院患者用のベッド、これだけしか配置されていない部屋は飽きるのに時間はかからず、ただ寝ているだけの生活に俺は嫌気がさしていた。
変化を求め、時折診察に来る医者に話しかけようとするのだが、驚いた表情をした後一方的に怒られてしまうので、会話を楽しむことも出来ない。
怒られる理由はわかっているのだが、ここにいるだけではかなり暇なのでやめようとは思っていない。
なにより体が資本の傭兵家業を続けていこうと思っているのだ、これぐらいやったっていいだろうと思う。
俺が怒られている訳は、ベッドから降りて腕立てをしているせいだ。
医者の初診で俺の怪我は完治までには1年かかるといわれていたのだが、どういう理屈かわからないが、異世界に来た事により発揮されることとなった超回復能力のおかげで、ヒビなどは3~5日で治り、骨折は2週間でほとんどの部位が完治、一番ひどかった左足の怪我は、まだ少し違和感が残るものの問題なく動くようになっていた。
つまりほとんど治っているのだ。
ベッドでずっと寝ていろというのは酷である。
そんな俺の様子を毎日見に来るエマはというと、あきれたというか、なんと言うか珍獣を見るような目をしている。
けれどここの医者に比べたらまだ好意的だろう。
「早く治ってくれる事にこした事はないわ」
そう言ってくれるのだから。
ただしその後の台詞が、多少やる気を削ぐ結果となっている。
「こんなに治りが早いなら盾代わりでもいけそうね……」
聞こえないようにつぶやいたつもりなのだろうが、病室は個室なので思っているほど音が拡散しにくく、小声でも結構聞こえてしまっていたりする。
そんなささやき声を聞いたのは1週間ほど前で、そのささやき声の主は今どうしているかというと、医者との交渉中だ。
本来なら俺自身が交渉したいところだが、エマに一応怪我人なんだから、こういう時は任せなさいと言われ、病室に引っ込んでいる。
俺の怪我があまりにもひどかったので、当初完治までは1年、リハビリは一生ものと言われていた怪我が、いざ時が経ってみるとその期間は1ヶ月ぐらいで完璧になりそうだ。
医者は完治までは1年はかかると言ってしまった手前、俺を退院させづらくなっているらしい。
もともとその診察は間違っていないのだから、別に良いじゃないかと思う。
ただ単に俺の異常回復が原因なのだから。
それでも色々と医者の名誉にかかわってくるのか、足止めを食らっている。
「暇だな、エマにコドラをおいていってもらえばよかった」
午前中、エマが病室に訪れたときにコドラもつれてきていたので、おいていってもらうことも出来たのだが、すでにエマのぬいぐるみと化しているコドラをエマから引き離す事は出来ず、おそらく今も抱きかかえられたまま、エマと一緒に医者との交渉に臨んでいるはずだ。
コドラ自身は何とか隙を見てその腕から逃れようと試みているようだが、いつも失敗に終わっている。
あいつ抱きかかえられるより、肩車の方が好きだからな。
無いものねだりをしても仕方が無い、コドラの事はあきらめよう。
気持ちを切り替えた俺は何か無いかと棚を漁ってみた。
漁ってみたのはいいけれど、エマが寝間着用にと買ってきてくれた洋服しかやはり入っていない。
自分でもそれしか入れた記憶が無いので、これ以上探しても無駄だろう。
「ふぅ~」
ため息をつきベッドに腰掛けた。
左足が完璧ではないとはいえ歩けるのだから、出て行けばいいのだがエマが交渉しているのに、俺だけ外で楽しんでくるわけにも行かないだろう。
もし外に行こうものなら、後でエマに何をされるかわかったもんじゃない。
そんな事を思い巡らせていたとき、ふと視線を落とすと愛用していた鞄が目に付く、地球からともに過ごしている数少ない一品だ。
鞄を開いて中を見てみると、出番とばかりに四角い物体が俺の目に飛び込んできた。
大きさは、縦7センチ、横5センチ、奥行き1センチとかなり小さいがこちらの世界では見られない液晶がついている。
いわゆる1つのゲーム機だ。
「そういえば忘れてたな。こっちにきてから驚きの連続で毎日が充実していたからやろうと思わなかったから。まぁこれで時間はつぶせるか」
このゲームはいたってシンプルである。
上から落ちてくる、食べ物をうまく下のキャラクターを操作して受け止めるというものだ。
1つ受け止めるごとに10点入り、ただただ最高記録を目指すというもの。
ちなみに俺の現在の最高記録は3万5千点、かかった時間はおよそ3時間である。
地球にいた時に、よく色々な所に飛ばされていたので、その移動時間にやりまくっていた結果だ。
少し胸躍らせて、スタートスイッチを押してみるが…………つかない。
「おいおいおいおい、ここにきてそれかよ…………」
電子機器には致命的、電池切れである。
振ったり電池をこすったりしてみたものの、復活の兆しは見えず俺と苦楽を共にしてきたこのゲーム機は、ただの四角いごみと化してしまった。
「くそ、ほかに何か無いか」
気を取り直して、また鞄をあさりはじめるが、ゲーム機のように遊べる物はなく、唯一見つかったのがこちらの世界で買った2冊の本であった。
「ないよりましだが、さすがに読み飽きているし。けど、まぁこれしかないし、もう一度読んでみるか」
そうつぶやきながら俺はベッドに横になって、文字学習で大変お世話になった絵本を開き読み始めるのだった。