第二部 第三話 『接触』 チトセの場合
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「……ふんっ! ふぅっ! むんっ!」
邸内の庭先で小さく、鋭い声が漏れ聞こえてくる。
植村新六郎が夕刻前に始める剣術の鍛錬、素振りの気合いも終盤に差し掛かり一層声に力が篭ってきた。
塀囲いの敷地の外を歩く人々にとっては、植村家の日課であると覚えているが、今日の掛け声はやや普段と雰囲気を異にしていることを感じ取ってもいた。
未熟なっ!! 某はこうも未熟であったか!!
自らの迷いを振り払うかの様に、真剣を力強く振るっている新六郎。
今年で数え十六歳の、現代では中学生か高校生にあたる、そんな若者の心中はざわめいている。
幼き頃に父に従って美濃国から遠江国、そして三河国へと移り住み、居を構えて植村家は松平氏に仕えた。
しかし先年に父を流行病で無くした為に、未だ嫡男たる自分が年若い為に一時は家名の存続が危ぶまれたものだ。
母の必死の嘆願により、昨年に家督を継ぐ事を認められたものの、母は直に身体を壊し、まだ幼い弟妹を引き連れて縁者を頼って家を出て行ったしまった。
新六郎は幼い頃から文武に励んできた。
様々な事情により居を転々とした事で、父も殊更に文武に研鑽し、主君たる松平氏に誠心を以って仕えてきた。
そんな父に扱かれ、また父の死後はより一層に、家督を継ぐ為にと心身を鍛え抜いてきた。
若さに反して恵まれた体格を持ち刀槍の術に長じ、今では剣術は鞍馬流の奥義にあと一歩に迫る程に熟達したのである。
その甲斐あってか、主君である松平清康の覚え目出度く、身辺の警固衆の一人に抜擢されたのだ。
三河国の気風は自分に合っていた。
質実剛健というものか、朴訥とした武士が多いが、その粘り強い性質は新六郎にとって好ましいものであり、自らを鍛え上げるには最適環境であったのだ。
むろん若者の一人暮らしともなれば、今も昔も様相は変わらない。
食事こそ身体を作る為にと絶やさぬが、手の込んだ品など作れる訳も無く、掃除や洗濯、繕い仕事などは無縁である。
よって拝領屋敷もその庭も荒れるに任せているのが現状である。
それでも、唯一心に、主君のお役に立つべく日々励んで来た。
そんな慎ましくも若さと荒々しさが混じる生活が、つい数刻前に一変してしまった。
昨夜の不寝番から正午前に下城して、屋敷に戻って来た。
屋敷の門前に小さな人だかりが出来ていた。
何事かとよくよく近付いて覗き見れば、一人の人間が倒れていた。
ちょうど門構えを塞ぐように、仰向けに倒れていたのだ。
一目見て、心の臓が打たれたように高鳴った。
可憐な女性だ、と思った。
咄嗟に知り人だと周囲を謀り、その女性を抱え上げて屋敷に連れて一室に寝かせた。
家伝の刀や甲冑にもそうは致すまいと思える程に、細心の注意を払って女性を扱った。
薄ぺらい布団がこの時程恨めしく思った事は無かった。
女性が目を覚ますまで、じっと寝顔を見詰めていた。
もう少し新六郎が経験を重ねていれば、そのような振舞いには及ばなかったのだろうが、生憎と触れた女性など今生では母と妹しかいなかった。
女性が目を覚ましてからはほんの僅かに、会話とも言えぬちぐはぐな遣り取りを交わしたが、その寸の間にどれほど心が満たされたことか。
ふとした拍子で彼女が崩れ落ち消沈してしまったのだが、どうにか出来ないものかとオロオロと無様な様子を見せてしまった事が悔やまれる。
ようよう落ち着いた気配であったが、話し掛ける事も躊躇われ、日課の素振りを思い出し、庭先にいると言い置いて床の間から逃げる様に出て来た。
新六郎の無垢な若さに一点の彩りが加えられた、記念すべき日となった。
「はああぁぁぁぁぁぁ……」
これ以上無いという程に深く、藤原千歳は溜め息を吐いた。
先程見えた若者との遣り取りで、事態を朧気ながら認識したチトセ。
なにか、理由はさっぱり解らないが、自分はタイムスリップしてしまったのだ、と本能で把握してしまった。
もちろん、そう至る前にはタイムスリップして来たような連中を目の当たりにしてしまったからこそ、納得出来るものであったが。
「来る人がいるなら、行く人がいたっておかしくないよね……」
そもそもそんな事象が起こる事自体が眉唾ものだが、我が身に降り掛かっては否やは無かった。
チトセは今までに培った歴史オタクな知識を全力で思い出しながら、状況の更なる把握に努めている。
天文四年って言ってた、あの子の言う事が本当なら……確か元年が1532年だから、1535年か。
戦国時代、って言うにはちょっと早いな。
三河国って言ってたけど、まだ家康も産まれてない筈。
たしか、織田信長が1534年産まれだから、まだまだ戦国時代のピークは先だわ。
清康って言ってたもんね……家康のお祖父ちゃんだ。
どうしてこんな事になったんだろ……
やっぱり、この刀の所為なのかな……妖刀伝説……まさかね。
元の時代に帰りたい……あっっ!?
佐藤君!? 彼がいないっ!?
一緒に……タイムスリップしたわけじゃないの……?
でも、あの人達は、福島正則に加藤清正……本当に、意味が解らない……
無理だ、どんなに考えても理由なんて判る訳ないや。
それに、元に戻る方法だって……来た方法も判んないのに、判る訳ないし。
いまのわたしに、なにが出来るんだろう……
この時代で一生過ごすの……それは無理だ、そこまで諦めるには早い。
来た時と、同じシチュエーションを作る、のが基本かな。
とすると、やっぱり、佐藤君がこの辺りにいるかもしれないし、探さなきゃ。
いなかったら……ううん、見つかるまで探してみせる。
わたしもそうだけど、こんな格好だし、目立つ筈だもん。
でも、わたしは三河だけど、彼も同じとは限らないし……
ダメダメ!? 弱気は駄目っ!!
そもそも、ここは安全なの……?
さっきの男の子、体格は良かったけど、たぶんわたしより年下だよね。
家族の姿が見えないけど……
戦国の最初期だけど、歴史に名前が残らないような小競り合いなんて星の数ほどあっただろうし。
この場所が安全とは限らないんだよなぁ……
でも、いきなり外に出るのは無理だ。
まだあの福島さんに殴られたトコが痛いし、頭がうまく回転しない。
実際、文字通り右も左も判らない状況だしね。
あっ、そう言えば、村正しかないの……?
ハンドバッグも、剣道グッズも見当たらないし。
携帯なんて……有っても使える訳ないか……
あ……あれ……
清康って、たしか、村正で殺されたんだっけ、村正銘の真偽は別として……
ちょっと待って!?
考えろっわたしっ!?
わたしが持ってる刀は村正、たぶん何処かにいる佐藤君も村正を抱えてる筈!
嘘でしょ!?
もしかして、私たちが清康を殺す可能性も有るってこと!?
思い出すのよ千歳っ!!
守山崩れ、だっけ……
清康殺害事件……ダメだ! 何年だっけ!?
思い出せない!!
犯人……無理だ、全然憶えてない……
わたし織田信長派だもん!!
徳川系のイベントってあんまり興味無かったし……
たぶんあの子は武家の男の子だろうし……あの口振りならまだ清康は生きてるのよね、きっと。
たしか……清康が死んで、家康パパの広忠が次に……
いや、違う違う……今川が介入する筈だ。
あぁ……信長の小説ばっかり読んでたからなぁ……
戦国全体の年表なんて憶えてないよ……
もしかしてもしかすると、この時代に来ちゃった以上、わたしや佐藤君がこの時代に介入する危険もあるんだよね……
それって、やっぱりなんとなくマズい気がするし……
まず第一目標は!
不本意だけど、体調が戻り次第で佐藤君を全力で探す!
第二目標が、不本意だけど、彼と協力して元の時代に戻る方法を探すこと!
最終的には、絶対に元の時代に帰るんだ!!
こんな感じかな……
って言うか、ウエムラって言ってたっけ、あの子……
どういう字だろ……上村? それとも植村かな?
徳川の家臣でそんな苗字で有名な人いたかな……
マイナーな人かな……教科書に出るレベルじゃあないね、きっと。
良い人そうだったな……優しそうな目だったもん……
あの意地悪い男とは大違いっ!
庭にいるって言ってたっけ……
俯き沈思しながらも、眉根を顰めたと思えば目を見開いて驚いたり、かと思えばほっこりと柔和な顔をしてみたり、なんとも表情豊かなチトセ。
しずしずと室内を障子戸までにじり寄って、障子の縁に女性らしからぬ武張った指先を掛ける。
ふと指先を見つめて思った。
ひどい……ガサガサだな、わたしの指。
この三年間、剣道ばっかりだったもんな……手も竹刀だこでゴッツゴツだ。
可愛くないなわたしは、と自嘲した笑みを浮かべながら、障子を薄く開いた。
障子を開いたチトセの目に飛び込んできたのは、植村某を名乗った少年の上半身裸の姿だった。
チトセの部屋に背を向けたまま、一心不乱に真剣を振り続けている。
ふと左腕に嵌めた腕時計に目を向ける。
時刻は間もなく夕方の四時になろうとしている。
彼の言葉を信じるならたぶん文月の末、七月の下旬であろうが、暦の問題を考えるならば現代の西洋暦での八月頃という可能性もあった。
とは言え、夏の盛りである。
陽が沈むにもまだ時があり、まだ日中の暑さが残る時間帯だが、吹き出る汗をものともせずに、植村某は素振りを続けている。
素振りをひとしきり続けた後には、型稽古のようなゆるやかな動きになった。
その動きには見覚えがあり、思わずチトセの口から言葉が漏れた。
「……鞍馬流? 将監とは違うのかな?」
突然の背後からの言葉にビクッと肩を竦め、しかし振り返るでも無く、植村新六郎は肩を落として刀を下げて立ち竦んでしまった。
「あっ、ごめんなさい、お邪魔しました……」
そう言って訳も無く悪い事をしてしまった気がして、チトセは障子を潜って部屋に戻ろうと腰を浮かせかけた。
「あいや! お待ち下され……」
最後の方は、引き留めようとしたのであろうが、随分と声がか細く、ついついチトセは首を伸ばす様に縁側から身を乗り出そうと姿勢を庭に戻した。
「お邪魔では、ありませんか?」
「邪魔などと……お見苦しい所をお見せして申し訳ござらん……」
「見苦しくなんて、ないですよ。力強い型です」
「鞍馬流を、ご存知か?」
ようやく振り返った新六郎の頬は、僅かながらに上気しているように赤みを帯びていた。
それは己の流派を解する者と見えた事への喜びか、或いは別のなにかによるものか。
「えっと……わたしが知ってる型とは少し違う気もしますけど……」
「あいや、相違ござらん。ご推察の通り、某は鞍馬流を修めており申す。お見事な眼力にござる」
「あっ、ありがとうございます……」
「……藤原殿は、刀を振るわれるのか? その刀を?」
「剣道はしてますけど……この刀は……」
福島を名乗る人物の指を切り飛ばした瞬間を思い出し、身震いしてしまった。
「いや、深くは問いますまい。おなごながらに刀を携えておられるのだ。なにか深き仔細があっての事でござろう」
「普段から、そんな喋り方なんですか?」
「……は?」
「い、いえ! ごめんなさい!」
ついつい無意識に問うてしまった。
年端も行かぬ、おそらくは自分よりも年下であろう少年の大仰な喋り方が、どうにもむず痒かった。
なにか、見縊られぬようにと精一杯に背伸びしているような、そんな雰囲気を感じ取ってしまった。
「某は、普段からこうでござる! 植村の家督を殿に許され出仕をお認め頂き、有り難くも俸禄を頂戴しており申す。同輩どもに侮られぬ様に、己を戒めておるのです! 藤原殿の喋り方こそ……おなごらしゅうないではないか……」
これも最後の方は小さな声になったが、チトセの耳はしっかりとその音を拾っていた。
ここで見事に負けん気を発揮してしまった。
「おなごらしい喋り方ってなんですか!? わたしだって普段からこうなんです! 男らしいとか女らしいとか、セクハラですー!」
「……せ、せくはら?」
「……あぅ……なんでもないです」
普段の振舞いを遺憾なく発揮してしまった結果、顔を真っ赤にして俯くチトセ。
なぜかそれを見て、更に顔を朱に染め上げた新六郎は、クルリとチトセに背を向けてしまった。
「ウエムラさん……藤原、殿はやめてください。殿って言うほどの者じゃありませんから……」
「で、では!!」
ガバッとまたも翻ってチトセの顔を見て硬直する新六郎。
「ち……」
「ち?」
「チトセ、殿とお呼び致す! 宜しいか!?」
「はぁ……はい、それでお願いします」
「某は、新六郎とお呼び下され! お頼み申す!」
「いや、頼まれても……」
「この通り!!」
そう言って新六郎は深々と頭を下げてしまった。
それに面食らったチトセが慌てて素足のままで縁台から下りて、駆け寄ってゆく。
「ちょ! なんで頭下げちゃうんですか!? 分かりましたから! 新六郎、さん、ってお呼びしますね」
「……忝なく……」
なにか感極まった様な声音で、更に深く腰を曲げる新六郎であった。
俯けたままの彼の顔から滴る水は、汗か涙か、藤原千歳には知る術も無く、ただ彼が身を起こすまで隣に佇んでいた。
本編で触れようもなかったので、
ちょいと余談をば。
男主人公の佐藤一三と、女主人公の藤原千歳の、歴史知識についてです。
カズミは平均的な男子高校生として、日本史の学力を一通り修めている程度の知識ですね。
それなりに有名な歴史的事件や人名は聞き覚えていますが、突っ込んだ知識は持っていません。
とは言え、高校生としての学力は中の上程度と決して悪いものであはありません。
チトセは本編でも触れておりますが、趣味が歴史系の読み物であったり、京都出身という事もあって史跡巡りが大好き。
しかし本格的な学術知識に昇華出来る程のものではなく、歴女のミーハー、との表現がしっくりくるかもしれません。
本人の述懐の通り、興味対象の人物や事件は絞られており、戦国全体の知識には欠けるものの、カズミよりはまし、といった程度です。
タイムスリップ後のアプローチとしては、カズミの方が早くに順応する姿勢を見せてゆきます。
現代の知識頼りに進むのではなく、本能レベルで状況把握に努めます。
自然と多くの人有象無象と絡むことにもなりますが、本人の資質はそうそう変わらず、腹の中はけっこう真っ黒なままです。
チトセは中途半端ではあるものものの、それなりの知識を動員して理解と納得を前提に行動範囲を広げてゆきます。
しばらくは新六郎君との共同生活に終始する予定です。
しかし、本編タイトルの通り守山崩れに焦点を当てておりますので、チトセも終盤には大きく行動に出ます。
新六郎と一緒に三河にいますからね。
こんな感じです。
今後とも宜しくお願い申し上げます。