第二部 第一話 『漂着』
第一部が前話で終わり、第二部に突入します。
どうでしょうか?
読み辛い部分や誤字脱字などございましたら
厳しくご指導下さい。
もちろんご感想やご意見もお待ちしております。
ちなみに。
暦の表記についてですが、
原則として、過去の人物が語るその時の暦は
旧暦としてお考え下さい。
例>植村栄安「文月の末」 (本話より)
⇒旧暦の七月下旬⇒現代西洋暦の八月中旬から下旬
以上です。
あ……うぁ……い、生きてるのか
カズミは次第に意識を取り戻してゆく。
記憶は意外な程、しっかりしている。
自分はつい先ほど殺されかけた、と覚えている。
はっきりと意識を取り戻した瞬間、あの時に感じた、絶対的な強者への根源的な恐怖が甦り、身震いした。
背中が痛い。
固くゴツゴツした場所に寝そべっている感覚だった。
目を開くのも億劫な程の強烈な日差しを、瞼の外から感じている。
耳には、小鳥の鳴き声や風にそよぐ草木が踊る音色が運ばれていく。
気持ちがいいな、とカズミはもう少し目を閉じていようと思った。
「な、なんじゃ……行き倒れか?」
「ひぇぇ……身体中、血塗れではねえか」
「お武家かの? 刀を握っておるぞ」
微睡んでいたカズミの傍らから人の声が聞こえた。
「……し、死んでおるのか?」
「血塗れじゃあ。斬り死にしたんじゃろ」
「うへえ……南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏……」
右手に握ったままの、村正が引っ張られそうになった。
「あっ! 行き倒れは名主様に届けねばなんねえぞ!」
「誰も見ちゃおらん! お前らにもこいつを売っ払ったら分け前を呉れてやるわい」
「儂には刀の良し悪しなど判らんが、高く売れるんかの?」
どうやって、驚かせてやろうか……
カズミは声が聞こえてきた時からそればかり考えていた。
どうやら死体だと思われたらしく、先刻までの立ち回りを省みれば自分の恰好は酷い有様だろうとも思う。
そして、見知らぬ声の人物が刀を更に強く引っ張った瞬間。
「うぬっ! 死んでおるのに随分、」
「うががっががっがが!!??」
「「「うぎゃあぁぁぁ!!??」」」
カズミが勢い良く立ち上がり、叫びを上げてカッと目を見開いた。
目の前には草臥れて薄汚れた生地で出来た衣服に身を包む三人組。
物凄い顔で驚いている。
更に悪戯心がカズミの内に湧き上がる。
両腕をダランと伸ばし、白目を剥いて、顔を傾けて大口を開けて一歩一歩と彼らににじり寄った。
あーあー、と意味不明な呻き声を上げながら。
「ううえうえぁぁ!」
「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏ぅぅ!!」
「うっひゃあぁ! ぁ痛ぁっ!」
一人が跳び上がった拍子にそのまま尻から地面に着地してしまった。
一人は必死に自分を相手に拝み倒し、もう一人はその男の背中に廻って隠れてしまった。
「ご、五助ぇ! は、はよ、早う逃げい!」
尻餅を着いた男、五助が後退りながら腰に手を回してなにかを抜き出した。
錆びにまみれた、ぼろの鎌だ。
ブンブンとカズミに向けて振り回して、しかし目を瞑っているので全く掠りもしないのだが。
もう潮時かな、とカズミは表情を変えて、慣れたもので人懐っこい笑顔を向けて話し掛けた。
「いやいや、ごめんなさい! 冗談っすよ、ゾンビっぽかったでしょ? 凄えいいリアクションっすね、こっちがビビっちゃった」
「ぅ? あ?」
死人が流暢に言葉を喋る様にポカンとした顔を見せる男たち。
もちろん死んだと思っていたのは勘違いであったかと直ぐに気付きはしたのだが。
「あー……うん。まぁ気付いてはいたんだよね……」
カズミは一人そうごちて、辺りを小さく見渡す。
見事な田舎である。
目の前には百姓姿の男たち。
自分が見知っているような物も人も、あたりには全く見当たらない。
どうやら、先刻までの博物館での事態と同等か、或いはそれ以上の厄介な状況なのだろうと推測出来た。
「ここはどこでしょう?」
カズミはセオリー通りの質問をする他に無かった。
「う……うぅん……し、七本槍だぁっ!!」
ガバッと身を起こす。
なにか物凄い寝言を叫んだ気がする。
恥ずかしいなぁ、と思ってはみたが二度寝に掛かるべくチトセは身を横たえようとして、身体の痛みを唐突に思い出した。
「ぃい痛っったい! 骨折してるかも……」
「ぷっ!……ぷっははは!」
チトセの顔が一気に青褪めてゆく。
意識が覚醒してゆく。
布団だ、板敷きに薄い敷布団だから、自宅の慣れたベッドでは無い。
床の間……? 障子……破れている。
見事な和室だが、いささか見栄えが悪く、掃除が行き届いていないことが判る。
腹部がひどく痛む。
患部を直に見てみたいが、躊躇われた。
すぐ側に誰かが居るのが分かったから。
ガバッと意を決して腰を捻って、後ろを見返る。
男が居た、おそらく自分と同い年程度の若者だ。
いやそれよりも、枕元にもともと置かれていたのだろう、あの刀が横に寝かせてあった。
飛び掛かるように刀に手を伸ばして胸に引き寄せて掻き抱いた。
痛みも若い男のことも一瞬忘れてしまう程、チトセは我を失った。
「……随分と、その刀を大事にされておるのだな、お主は」
やや呆れた声音で若者が口を開いた。
「いや、笑ってしまったのは無礼であったな。許されよ」
胡座をかいたまま、小さくペコリと頭を下げる若者。
その佇まいは凛として、若さ故か言葉ほどに厳しい雰囲気は感じさせなかった。
チトセはまず最初の疑問をぶつけてみた。
「あ、あ……貴方は、どちら様でしょう?」
「うん?」
「あっ! いえ! あの……助けて……」
「いやいや、良い。こちらから名乗ろう。某は、三河松平七代目御当主、世良田次郎三郎清康様にお仕えしておる。植村新六郎栄安と申す者じゃ。」
ポカンと口を開けてチトセは不恰好な顔を見せてしまった。
「ぷっ……随分と、スヤスヤと眠っておったかと思えば、急に叫んだり痛がったり呆けたりと、忙しいのじゃな?」
「あっ! す、すみません、ごめんなさい!」
「いや済まぬ、責めた訳では無いのだ。して、お主は何者か?」
「わ、私は、藤原千歳と、申します」
「藤原? その身なり、百姓家の者ではないと思うたが、もしや都人か? 都は知らぬが、かような着物が当世物か?」
「いえいえいえ! もう! 普通の、しがない藤原です!」
「ふむ、生まれは?」
「あっ、京都です」
「都ではないか!?」
「えぇっ!? あれ? いや、都ですけど!」
おかしい、とチトセは強烈に戸惑っている。
戸惑ってはいるのだが、そこは妄想逞しい歴史オタク女子高生の事。
目覚める前までの記憶も次第にはっきりしてきた。
あの状況から、この状況。
最悪の予想が頭を過ぎる。
「あの! ここは、何処ですか? 東京では、ない?」
「トウキョウ? 聞かぬ名じゃ。ここは岡崎城下だぞ」
あぁ、たぶん、いや十中八九に、そうなんだろうと悟る。
植村という若者に気取られぬように、だが息遣いが次第に細く鋭くなっていく。
最後の問いで全てが判るだろうか、とか細くチトセは伺いを立てる。
「いまは、何年ですか?」
「天文四年じゃな、もう文月の末じゃ……おかしな事を聞くなぁ」
さも可笑しそうに、はにかんだ若者らしい笑顔を浮かべて植村は答えた。
しかし、チトセは最後までそれを聞くことなく、脱力してそのまま布団に突っ伏してしまった。
「ど、どうした!? チトセ殿!? しっかりせい!?」
側に駆け寄ってきた植村の言葉も、遠く遠く聞こえる気がした。
「あー……あれじゃな。村正とは、まこと厄介な刀じゃな」
「汝が要らぬ時に差し出口を叩くからよ。取り逃がしてしもうたわ」
「儂の所為ばかりではあるまい! お主が追い込むような真似をするから、彼奴らが飛んでしもうたのじゃ」
場所が、おそらく時代も変って、加藤と福島の二人が手持ち無沙汰に立ち尽くしている。
いまだ彼らの背後には謎の黒い丸々とした靄が浮かんでいる。
先ほど、あの男女を呑み込むように村正から放出された靄と同じ様にも見える。
福島は途方に暮れたように顔を俯けている。
あの男女を殺すつもりこそ無かったが、命じられた役目を仕損じた事には変わりない。
「殿下になんと申し開きをすればよい……」
「紀之助と佐吉めは既に一振りを献じたと言うぞ。他の連中はどうか知らぬが……」
「うぬ……忌々しき奴輩よ。小賢しく殿下に取り入りおるわ」
呆れた様に加藤は福島を見遣る。
「言うておる場合か……。彼奴らがどこに飛んだかは分からぬ以上、ここにおっても仕方が無い。他をあたるとするか」
「うむ! 助作らが蝦夷に向かうと言うておった! 儂らは京に向かうか!」
「よし……先ずは、殿下に報告に上がらねばな……」
加藤も沈鬱な表情を浮かべる。
彼らが命を仰ぐ、殿下という人物から与えられた役目が果たせなかった事への消沈か、或いは叱責を恐れての事か。
彼らがいる室内は静かなものであった。
本来は博物館の展示室として、営業時間を過ぎた今は係員らが見回ってきても不思議は無いのだが、どうした訳か全く気配が無い。
また、彼らが現れる前にカズミとチトセが斬り伏せた連中も、その死体は影も形も無く、辺り一面に飛び散っていた血の跡も無い。
どういう理屈なのかは彼らにとっても不思議だが、事実としてそうなのだから気に留めてもいない。
ちなみに争闘の跡として残っているのは、割れたショーケースや壁と床に刻まれた刀や槍の痕がある。
「往くか……」
力無く、加藤が呟き福島を促す。
二人は重い足取りで部屋の出入口に、あの黒丸の靄へと向う。
先ずは加藤が、ついで福島が身体を黒丸に差し入れる。
なにか底無しの沼に飲み込まれるように、二人の姿が見えなくなる。
そうして直ぐに、黒い靄がかき消えてしまった。
そして誰もいなくなり、村正の展示室は外界と再び繋がりを得た。