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差別と区別と分別と

作者: 西順
掲載日:2026/05/30

「ましろちゃんのはだ、なんでそんなにくろいの?」


 バッと目が覚める。暗く淀んだ部屋に、遮光カーテンの隙間から日差しが一条射し込んでいる。


「はあ……」


 溜息混じりにそのカーテンを閉めて、部屋を

真っ暗にする。こうすれば、私でも肌が白くなるかも知れないと。


 またあの夢。保育園で言われた、特に仲良くもない同じ組の子から言われた一言に、私は返す言葉を持っていなかった。


 父が黒人と言う事もあり、ハーフの私は生まれつき肌が一般的な日本人よりも黒く、それからは逃れられないのは分かっていても、日を浴びなければ、肌は他の子たちと同じような色になるのではないかと、今でも思ってしまう。


 スマホを見れば、既に昼に近い時間だ。あの日から保育園にも小学校にも行かなくなった私は、一般的には中学二年生の年齢だ。


「はあ……。お腹空いた」


 無為な生活を続けていても、お腹は空くし、トイレにも行くし、眠くもなる。私の人生はその繰り返しだ。いつまでこんな生活を続けるのか。いい加減学校に行かないといけないとは分かっていても、あの日のあの子の声が、目が、私の勇気を未だに奪い続けている。


「言い訳だよね」


 起きてから何度目かの溜息をすると、部屋のドアがノックされた。私がこの時間に起きるのを知っている母が、朝昼食を持って来てくれたのだ。生きているだけで迷惑を掛けているのに、母も父も何も言って来ない。ただ見守られていると言うのもプレッシャーだ。いっそ、「学校に行け!」と怒鳴られた方が、言い訳が出来て学校に行ける……はず。


 などと脳内で答えの出ない堂々巡りをしていると、また部屋のドアがノックされた。いつもなら、朝昼食をドアの前に置いて、静かに去るのに、何事だろう。


「ましろちゃん、ましろちゃんにお客様が来ているのだけど」


 私の返事も聞かず、母はドア越しにそう話し掛けてきた。私にお客様? そんな人間いるはずない。ただでさえ、父との結婚を両親や親族から反対された母だ。親族が私を心配して尋ねてくる事もない。父に至っては、祖父母がどんな生活をしているかも私は知らない。


 またノック。でもその後に聞こえてきたのは、知らない男の人の声だった。


「ましろさん、初めまして。貴女のクラスの副担任の伊藤です」


 日本は中学校までは義務教育。それくらいは私も知っている。そう言えば、去年も中学校から誰か来ていたのを思い出した。


「ええ〜と、何を話せば良いのかな?」


「いや、私に聞かれても」


 思わず返事をしてしまい、咄嗟に口を塞ぐ。いつもの独り言のノリで返事をしてしまった。


「良かった。返事ありがとう。今、話せる? いや、私の方が話題がないな」


 何それ? 中学校から、学校に通うように説得に来たんじゃないの? …………はあ。


「……こ、んにちは」


 返事をしてしまったのは失態だった。居留守で凌ぐのも何か居心地が悪いので、ドアを少しだけ開けて、副担任の伊藤先生? と言う人に挨拶する。伊藤先生は、二十代後半くらいのどこか頼りない印象の男の人だった。


「え? 黒い?」


 驚いた目でそんな事を口にされ、私は直ぐ様ドアをバタンと閉めた。第一印象は最悪だった。


「ノンデリ!」


 しかし伊藤先生はそれから、毎日我が家に通ってきた。初日以来、昼だったり、夕方だったり、または朝だったり、平日でも休日でも、日時を問わず、通ってくる。


 そのせいか、母と父は伊藤先生に気を許すようになったようで、たまにリビングの方から三人が笑い合うような会話が漏れ聞こえるようになっていた。それが私を更にイライラさせた。


 だからだろう。とある日、私はリビングから漏れ聞こえる会話に我慢ならなくなり、部屋を飛び出し、リビングまで行くと、伊藤先生の前で仁王立ちとなり、


「何で、いるの!? もう来ないで!!」


 普段から声を出さない私の精一杯の怒声はカスカスで、怒鳴ったところで、伊藤先生を追い払う程のものではなく、ただ先生を驚かせるに留まるものだった。


 そんな私を、目を丸くして驚きながら見ていた伊藤先生だったが、我に返った先生が初めにしたのは、私に対しての謝罪だった。


「済みませんでした。いやあ、担任の矢島先生に言われて、事情も知らずに尋ねてきたもので、まさかハーフの子だとは知らなかったもので、不快な思いをさせて、本当に済みませんでした」


 大人が、私に対して深々と頭を下げている現実が、逆に現実感がなく、私は伊藤先生の謝罪に対して、どのように反応すれば良いのか分からず、その場で立ち呆ける事しか出来なかった。


「ましろも、座ったらどうだ。パパも久し振りにましろの顔が見れて嬉しいんだ。もう少しだけ、その綺麗な顔を見せていてくれないか?」


 父の声をこんなに近くで聞いたのはいつ以来だろう? 父の顔はこんな顔だっただろうか? 見守る母は涙ぐんでいて、どこか少しやつれているように見えた。


「はあ……」


 我が家のリビングはこんなに狭かっただろうか? どこか他人の家のような気がしながら、私はリビングの椅子に座った。


「ましろさん、学校には……」


「行かない」


「だよねえ」


 伊藤先生の最初から分かっていたかのような物言いが鼻につく。


「まあ、私もそれで良いと思うよ。別に我が校に通わなくちゃいけない決まりはないからね。今は通信教育の学校もあるし。人間関係が苦手な人は、大人にもいるから」


「……それで良いの?」


 学校の方針で、私を学校に通わせるのが、伊藤先生の仕事なんじゃないのだろうか?


「ええ〜。だって友達もいない学校に通うって、私でもハードル高いもの。何年も学校通っていなかったんでしょう? それなら更にハードル高いよ。無理しなくて良いって。まあ、学力は身に付けておいて損はしないから、通信でも良いから、学力を身に付けれられる環境は欲しいかな」


「はあ」


 学校に通わなくて良いなんて、変な先生。


「学力って必要あります?」


「ええ〜? 勉強を教える立場の人間に、それを聞くの? 私は学力(これ)で飯食っているんだよ?」


 確かに。教師と言う職業はもろに学力が求められる職業だった。


「まあ、さっきも言ったけど、学力はあって損はない。ってくらいだね。将来的に何の職業に就きたいかで、努力の方向や仕方は変わってくるからね」


「はあ」


「学力を身に付けるって言うのはね、その努力の仕方を身に付ける練習みたいなものなんだよ。努力って言うのは、自分の将来への投資だからねえ」


「投資、ですか?」


 私のオウム返しに首肯する伊藤先生。


「将来自分が就きたい職業に就く為には、的確な努力と言う投資を行わなければならないんだ。学校で幅広い学問を教えているのは、将来子供たちが希望する職業に就く為に、どんな学が必要か、どんな努力が必要か、その足掛かりの手助けをする為なんだよ」


「はあ」


 そう言われても良く分からない。これを察してか、伊藤先生は朗らかに微笑む。


「今度、ドライブでも行かない?」


「はあ!?」


 何をいきなり!? ロリコンなの!?


「ああ、大丈夫。娘も同行するから。週末のドライブが、我が家の習慣でね」


「ああ、は、はい」


「お! はいって言ったね! 言質取ったからね!」


「いや! 今のは、ものの弾みと言うか何と言うか!」


「娘を宜しくお願いします」


「ママ!?」


 他人の前で思わずママ呼びしてしまい、口を塞ぐ。恥ずかしさで顔が火照っているのが分かる。


「…………分かった。行く」


 多分、こう言わないと、この場は収まらなかったから。


 それから数日後の日曜日、伊藤先生は娘さんを連れて、白い軽自動車でやって来た。


「チカです! はじめまして!」


 恐らく保育園児くらいだと思われる女の子は明るく元気に挨拶してきた。それから私をジッと見る。その瞳が、私のトラウマをフラッシュバックさせた。


「ねえ。このおねえちゃん、おはだこんがりだね」


 ああ、やっぱり。私の心が陰鬱と沈んでいくのが分かる。


「ああ、この子は肌の黒い黒人さんのお父さんと日本人のお母さんがスキスキチュッチュして生まれた子だからね。だから私やチカよりも肌が黒いんだよ」


「へえ。よろしくね! おねえちゃん!」


 それで終わりだった。二人はそれ以上私の肌の話題に触れる事なく、まるでそれが日常であるかのように、伊藤先生はチカちゃんを後部座席のチャイルドシートにしっかり固定させ、私は助手席に座る事になった。


「じゃあ!」


「しゅっぱーつ!」


 車内では、主にチカちゃんが喋り続け、伊藤先生はそれを聞き続ける。幼稚園で何があったとか、誰々と遊んだとか、アニメの話とか、そんな取り留めのない普通の会話。たまに私に話を振られ、私がしどろもどろになっても、チカちゃんも伊藤先生も、急かす事もなく、私が漸く自分の言葉を紡ぐまでいつまでも待ってくれた。


「何処に、向かっているんですか?」


 チカちゃんのお陰か、一時間もドライブしていると、私にも伊藤先生に話し掛けるくらいの余裕が生まれていた。


「ああ。牧場だよ。チカが動物が好きでね」


「はあ」


 なら、動物園なのでは? そんな疑問が頭を過ぎったが、


「もう着くよ」


 と言う先生の言葉で、私の思考は中断された。


 そこはふれあい牧場と呼ばれる場所で、牛に馬、羊や山羊に触れられる牧場だった。伊藤先生とチカちゃんは、ここの常連なのか、入口でちゃんと消毒すると、チカちゃんは一直線に山羊のいる区画に走っていってしまった。


「良いんですか?」


「まあまあ。日曜日なんだし、のんびりしようよ」


「嫌味ですか?」


「ごめ〜ん」


 やっぱりこの先生ノンデリだ。


 チカちゃんがひとしきり山羊と戯れた後、物販スペースのウッドデッキで昼食を摂る。様々なお肉やソーセージなどを、牧場の職員さんが焼いてくれるのだが、この牧場で育った動物たちのお肉だと思うと、何とも微妙な気分になった。美味しかったけど。


「おや? 見掛けない顔だね?」


 食事も後半になり、デザートのソフトクリームを持ってきたおばあさんが話し掛けてきた。


「ええ。知り合いの子なんです」


「そうかい。楽しんでいるかい?」


「あ、はい」


 私の反応に満足したのか、そのおばあさんはソフトクリームをテーブルに置いて、物販スペースに戻っていった。


「…………」


「日本人特有かも知れないけれど、大体の大人は、相手の肌の色なんて気にしないものだよ。世界にはそんな肌の人がいる事を知っているからね。子供が肌の違いに敏感なのは、まだ選択肢の中に自分と違う肌の人間がいる事を知らなかったからさ」


「…………そう言う、ものですか……?」


「う〜ん。人による」


『人による』か。それは……そうか。


「チカも、良く何でそんな事に拘るのか、親でも分からない事を毎日言ってくるよ。誰々ちゃんと同じあれが欲しい。とか、それは誰々ちゃんと同じだから嫌だ。とか、子供の生活圏は狭いから、どうしても比べる相手が少なくなってしまうんだ。肌が違う。足が速い。頭が良い。車椅子生活に保健室登校。私からしたら、どれもただの個性だよ」


「…………」


「だからと言って、自分や家族、友人に対して心ない言葉を投げ掛けられたら、傷付くし、許すつもりもないけどねえ。はっはっはっ!」


 この人、先生としてちゃんとやっていけているのか不安になるな。


「パパ、トイレ〜」


「ったく、食べ過ぎだよ」


 そんな事を言いながらも、伊藤先生は微笑を絶やす事なく、チカちゃんをトイレに連れていった。


 不意に一人になり、手持ち無沙汰で空を見た。雲が早く流れているから、明日は雨かも知れない。


(こんなに他人と喋ったの、初めてだな)


 などと物思いに耽っていると、手に持っていたソフトクリームが筋となってこぼれて、


「冷た!」


 と奇声を発してしまった。はは、我ながら何をやっているやら。


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― 新着の感想 ―
大切な事をちゃんと伝えたいという意志を感じました 肌の色や髪の色目の色でその人の内面や思想や才能は 分かりませんからね、少し違いますが一応分別の話で 私は知的障害なので知的に劣ってると 皆に思われます…
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