死亡
書きたい。
書き続けたい。
とにかく、自分の世界を表現したかった。
その一心で、僕は小説を書いていた。
朝、目を覚ますと、机の上に置かれた空のエナジードリンク缶が目に入った。昨夜飲んだものだ。もう何本目なのかは覚えていない。覚えようともしていなかった。
「……だる」
布団から出て、椅子に座り、ノートパソコンを開く。画面には、昨夜と同じ場所で止まった文章が表示されていた。カーソルは点滅したままだ。
書けなかった。
結局、昨日も一文字も増えなかった。
玄関で靴を履きながら、カバンの中身を確認する。教科書、弁当、体育着。それから、エナジードリンク。学校で飲む分だ。
外に出ると、見慣れた通学路が広がっていた。昨日と同じ景色。昨日と同じ空気。変化がない。それが、何よりも苦しかった。
教室に入ると、笑い声が飛び交っていた。クラスメイトたちは楽しそうに談笑している。僕は自分の席に座り、机に伏せる。話しかけられることはないし、こちらから話す気も起きない。馴染めない、というより、最初から輪の外にいる感覚だった。
昼休み、エナジードリンクを一本開ける。喉を通った瞬間だけ、一時的に気分が良くなった。だが、それも長くは続かない。すぐに、いつもの鈍さに戻っていく。
家に帰ると、真っ先に机に向かう。
小説を書く。それが、僕の唯一の習慣だった。
僕は小説家ではない。
なりたかった、なりきれなかった人間だ。
中学の頃、初めて異世界ものを読んだ。
あの時の衝撃と感動は、今でも忘れられない。
美しい、と心の底から思った。
現実には存在しない自由な世界。毎日が変化に満ちていて、何にも縛られない生き方。漫画を見ても、絵を見ても、本を読んでも、異世界の感動はどれも凄まじく僕の心を引くものだった。
(こんな世界を、自分なりに表現してみたい)
絵は描けない。漫画を描く構成力もない。アニメなんて、夢のまた夢だった。
残ったのが、小説だった。文字だけで世界を作れる。その自由さが、たまらなく美しいと思えた。以前までは。
キーボードを叩く音が、静かな部屋に響く。
だが、指はすぐに止まる。画面に並ぶ文章は荒れていた。日常のストレスが、不満が、そのまま文章に出てしまっている。
これは、僕が書きたいものではない。
いつの間にか、小説は憂さを晴らすための道具になっていた。日常で溜まった不満や苛立ちを吐き出すためだけのカタルシス。それ以上でも、それ以下でもない。
「……違う。」
こんな世界を描きたかったわけじゃない。
美しい世界を、自分の汚いカタルシスで汚したくなかった。
机の上には、空になったエナジードリンクの缶がいくつも並んでいた。一本、また一本と開ける。刺激にも、もう何も感じない。
続きを書こうとして、指が止まる。
書けない。この先を書けば、僕の美しい世界は完全に壊れてしまうだろう。指が震える。
その瞬間、視界が大きく揺れた。
立ち上がろうとしても、力が入らない。膝が崩れ、床に倒れ込む。
頭が、異様に重かった。
エナジードリンクの……飲みすぎか。
「あ……あぁ」
これで終わるのだと、直感的に理解した。恐怖はなかった。この世界に未練はない。ただ――美しい世界を、最後まで描けなかったこと。
それだけが、心残りだった。
もし選べるのなら。数年でもいい。数か月でもいい。一度でいいから、本当に美しい世界を見てみたかった。
そこで、僕の意識は途切れた。




