#02. ドラゴンの全力ダッシュに、ただの人間が追いつけるはずもなく
「ごきげんよう、ニンゲンさん」
黒のマントに身を包む少女は、あの銀鱗を思わせる艶やかな銀髪をかきあげる。
先程まで睨まれていたはずの淡紅色の瞳は猫のようにくりっとしていて可愛らしい。
最も目を惹くツノはドラゴンの姿の時のように大きく、曲がりくねっている。が、背中の翼や尻尾と同じく、少女の姿に合うよう縮小されていた。
……それでも小柄な肉体にはやや大きすぎるが。
大きいついでに、辰樹の胸辺りほどしかない背丈だが、少女には不釣り合いなほど胸が大きい。おそらくは、あの巨体を人間大に押し留めるという無茶の結果なのだろう。
「確かにいい天気だ。ちょうど雲が晴れたな」
少女、いや……少女の姿に変身した銀鱗の巨龍。
《魔王龍ゼルフルート》は言う。
あんなに黒かった空は今や鮮やかな青一色。
青みがかった山脈が二人の成り行きを見守っている。
変身ついでに空模様を変えてしまうその御業は、相手がドラゴンという絶対強者であることを知らしめるようだ。
(変身魔法の魔力の余波で配信が停止してるな……)
横のライブドローンは飛行を続けているものの、ネットワークは完全にダウンしていた。
「お前、この世界の人間ではないな?」
「あ、えっと、小鳥遊辰樹と申します」
こちらだけ相手の名前を一方的に知っているのも失礼だと、辰樹はこの状況で常識的な判断をした。
社会人としてキチンとした挨拶を、と。
染み付いた動作で内ポケットから名刺を渡した。
「……ほう、タカナシと言うのか」
物珍しそうに名刺を日にかざす魔王龍。
視線は再び辰樹に向けられ、目を細めながら笑う。
気に入った、と呟いて。
「初めての来客が異世界からとは、余も運がいい」
「……は、初めて?」
「あぁ、余はこの地に長いこと封印されていてな。が、つい最近封印の結界に綻びが生じたのだ。晴れて自由の身となった余が、さてどうするか、と彷徨っている時にお前がやってきた。これを運命と呼ばずなんと言う! しかし、1000年ぶりゆえ話題の種が多いなっ……話したいことがありすぎる! タカナシ、余の話し相手になれ!」
ぐいっ、ぐいっ、と一歩ずつ迫るドラゴン娘。
それに気圧され、つい後ずさる辰樹。
両者の距離が狭まる。
(…………あれ?)
ふと、辰樹は違和感に駆られる。
いくら可愛くなったとて、相手はあのドラゴン。
人間なんて一捻りで、そんな大敵を前にすれば恐怖で震え上がるのが必然。鳥肌のひとつでも立つだろう。
それが至近距離ともなれば大の大人でも失禁ものだ。
なのに、辰樹は眼前のドラゴンに対して恐怖を全く感じていなかった。
彼女から殺意を感じないのだ。
目の前のドラゴン娘は辰樹の反応を待っているのか、キョトンと首を傾げながら顔を覗き込んでくるその姿は小動物のようにも見える。
「えと……今更なんだけど、ひとついいかな」
「なんだ、遠慮せず話すがいい。むしろもっと話せ」
「その、君は俺を殺さないのか?」
殺す。その一言を聞いた少女はますます首を傾げて眉間にシワを寄せる。
「なぜ話し相手を殺さねばならん。余は嬉しいのだ。こうして話せるのが」
「嬉しい……? 人と、話すのが?」
「想像してみるといい。寝て起きたら眠くなるまでボーッとする。腹も空かない、身体も動かない。石像のようにただそこに在るだけ……周りには人も竜も、虫も小鳥も居ない。それを1000年だ」
もはや、生物の扱いではないだろう。
1000年の孤独を経験したドラゴンに芽生えたのは、寂しさに他ならない。
「まぁ、そういえば封印前も、話したくても相手を怖がらせてしまってたから……変わらず余は独りだったな」
あはは、と小さく笑った少女の顔は翳りを帯び、覇気を失っていた。
あんなに大きなドラゴンなのに、今は子どものようにか弱く見える。
「そうか……」
辰樹は僅かに残っていた緊張を解いた。
自分の目に見えてしまった彼女の記録。
勝手に過去を覗き見るのは失礼だと承知しているが、辰樹のスキル【履歴閲覧】は嘘偽りなく彼女の1000年を映していた。
「……これも何かの縁か……いいよ、俺でよければ話し相手になろう。実のところ、俺も異種間コミュニケーションってやつに憧れてたんだ」
よっこらしょ、と少々オヤジ臭く足を崩して座る。
エンカウントした時から危機感がなかったのは、この龍が初めから人間を敵視していなかったからで、自分の生存本能が欠如していたり、実は底抜けに気の抜けたアホでもなかったわけだ。
「いい、のか?」
「君から言ったんじゃないか。ほら、立ち話もなんだし座ろう。えと……魔王龍さん? ゼルフルートさん?」
「……ふはっ。その呼び方は好かん……勝手に付けられた異名だしな。あだ名でも付けてくれ」
「え? 急に言われると悩むな……マオ……いやゼル?」
そも、魔王龍ゼルフルートという呼び名を本人が気に入ってないなら、そこから安直に考えるのはどうなんだ。
と、辰樹は腕を組んで考え込む。
「……じゃあ思い切って、ルルト……とか、どうだろう?」
「ほう?」
「いやほら、名前、気に入ってないんだろ? これなら原型もほとんどわからないし、可愛いと思う。うん」
「ルルト……か。フハハッ、まあまあだな!」
「えぇ~、結構自信あったんだけど……他の考えるか?」
「いや、ルルトでいい。気に入った」
くすくすと楽しそうに笑いながら、ルルトは傍の岩に腰掛ける。
「そうだ、タカナシ。そういえば余は名乗っていないよな? 異世界でも魔王龍の名が聞こえているのか?」
「いや、それは俺のスキルだよ。相手が何をしたーとか、ここでは何があったーとか、そういう履歴を見れるんだ。勝手に見たのは謝る」
「へぇ……過去の記録を閲覧か。なかなか便利なスキルじゃないか」
「戦闘には使えないし、他人の過去を覗き見れるからって結構疎まれてるよ、コレ。……こっちも聞きたいんだけど、さっきの変身魔法、ツノが少し光ってたよな? どういう原理なんだ?」
「ん、それか。大抵のドラゴンはツノで魔力の流れを制御するのだ。ツノがなければ魔法を上手く使えない。だから人に変身してもツノは残しておかないと維持ができん」
「へぇ、意外と難儀なもんだなぁ……あれ、じゃあ尻尾は? 翼は消してるみたいだけど……」
「も、元々四足歩行だった生物が急に二足歩行できるはずないだろ! 尻尾でなんとかバランス取ってるのだ。……こ、こんなこと言わせるな、バカ者っ」
――やっぱり猫みたいだ。
と、喉まで出たツッコミを仕舞って、恥ずかしそうにぷいっと顔を逸らすルルトを微笑ましそうに眺める。
ドラゴンと会話なんて続くのかと少し不安だったが、話してみると案外面白い。
時間も忘れて、山からふわりと下りてくる異世界の風に当たりながら二人は話し込んだ。
念願の対話を、寂しさを埋めるあたたかさを、ルルトは楽しんだ。
辰樹も素直に異種間コミュニケーションを楽しんだ。
……そう、普通に楽しかったのだ。数刻前までは。
「ところでその横で浮いてるまるいの、なんなんだ?」
「あぁ、これはライブドローンだ。調査内容を配信して誰でも見れるようにしてるんだけど……ルルトが変身した時の余波で今は止まってる」
「はいしん、とは?」
「あー、なんて言えばいいかな。簡単に言えば、みんなで観戦してるんだ。配信者がダンジョン攻略する様子をカメラで映して、見てる人が配信者を応援して…………あっ」
しまった、と気付いた時にはもう遅い。
「冒険者! ダンジョン攻略! そうか、その手が!」
ルルトは嬉々として立ち上がる。
その目は決意に満ちていて、既に嫌な予感がしていた辰樹は胃がキリキリと痛み出していた。
「こうしちゃおれん! これ借りるぞ!」
「ちょ、ちょっと、どこへ? 待ってそっちはゲート!」
「こんな辺境とはおさらばだ! 余は日本に行くぞ!」
するとルルトは辰樹のライブドローンを掴んでゲートへ疾走。
陸上選手顔負けのスタートダッシュだ。
もう50メートル離された。
「ちょ……マジでちょっと待ってぇぇーーーーっ!!?」
疾走するドラゴン娘を必死に追いかける辰樹だが、魔法の余波で通信障害を起こしていたライブドローンはこのタイミングで調子を取り戻し、ドローンを掴んで走るルルトの顔を至近距離で映していた――。




