#01. こんにちは、ドラゴンさん
――ひょっとすると、自分は思っていたより気の抜けたヤツなのかもしれない。
ダンジョン調査系配信者、小鳥遊辰樹はぼんやりとした顔で思う。
眼前にはドラゴンの頭。
熱を帯びた蒸気のような息が吹きかけられ、額にジワリと汗が滲む。
しかし、状況を把握出来ていない青年の頭は、あろうことか生存本能や危機感の類を鈍らせていた。
「……うん、よし」
ひとまず辰樹は、落ち着くことにした。
職業柄、状況を整理するのは得意なのだ。
ここはダンジョン。
世界中で見られるダンジョンゲートから行くことができる異世界。
ダンジョンの魔力は人々に【スキル】という異能力を発現させたが、同時にゲートからモンスターが溢れ出るオーバーフローも懸念されている。
なので辰樹のようにダンジョンを攻略しようとするヒーロー的存在がいるのだが、辰樹が発現しているスキルは戦闘では頼りにならなかった。
ただ一点、見ることには自信がある。
(配信を見てくれてる人が応援を呼んでくれたり……は、しないか)
チラリと、自身の横後ろあたりを浮遊する球体型ドローンを見る。
ダンジョン配信用のライブドローンだ。
戦闘員にはなれない辰樹は、戦える人が少しでも安定して攻略できるよう情報を収集して発信している。
目立たないし盛り上がらない配信なので、リアルタイムで見てくれる視聴者は少ない。
なのでいつもは危険になりそうなら無理せず退避を心掛けているが、今日のこれは大悪運だった。
危険が突然、目の前に現れた。
いくら警戒していても危機管理のしようがない。
――そうか、だから。と、辰樹は自分を納得させる形で思考力を取り戻す。
調査中、自分の背丈ほどの牙を持つ巨大なドラゴン……いや、ダンジョンのボスと出くわした。
一瞬の思考停止くらいする。
「コルルル」
威嚇しているのか、ドラゴンの喉が鳴った。
巨龍は依然として辰樹を睨んでいる。
爬虫類にも似た淡紅色の瞳。
牙は凶悪だが、顔はよく見るとシャープな面持ちで、それがどこか女性的だ。
銀に煌めく甲殻はどんな傷も受け付けず、尾は一振りで木々を薙ぎ倒すだろう。
大きな翼を折り畳んでいるところを見るに、飛び去る気はなさそうだった。
長い首を垂らし、辰樹の匂いを頻りに嗅いでいる。
「……っ」
冷や汗かもわからない汗を拭いたい気持ちもあったが、しかし指一本でも動かせば食い殺されてしまいそうだ。
蛇に睨まれた蛙、いや龍に睨まれた人と言うのが正しいか。
1秒か2秒、銀鱗の巨龍と見つめ合った辰樹はようやく、乾いた喉へ固唾を飲み下す。
今、辰樹に出来ることは少ない。
得意の土下座による命乞いか、今すぐダッシュで逃げ出すか、はたまた死を覚悟し、せめて一矢報いるか。
どれを選んでも恐らく死。
しかしまあ、本当に死ぬわけではない。
(当然、めちゃくちゃ痛いけど……)
痛いには痛いが、ダンジョン内ではHPが全損してもアイテムを全て失う代償があるだけで、死後はダンジョンの外、つまりゲートの前で復活する。
一つのダンジョンで一度きりの奇跡だ。
だからと言って、辰樹にそう易々と命を投げ出せるほどの覚悟があるはずもなく。
(それなら……)
どうせ、死ぬのなら。
眼前の巨龍に一矢報いてから死んだほうが――、
(…………いや)
そうすることが出来る蛮勇を、辰樹は持ち合わせていなかった。
土下座や逃げも、やる意味がないことをわかっているのにやっても仕方がない。
無駄なことに時間を費やすのは好まない主義だった。
なのでここは、第四の選択肢。
辰樹はおずおずと片手を上げて、ぎこちない笑みを浮かべる。
「――こ、こんにちは、ドラゴンさん。その、いい天気……です、ね!」
辰樹は、なんとドラゴンに世間話を繰り出した!
今更な恐怖心で声を震わせながら。
空模様は黒く、雷が轟いていることを知りながら。
小鳥遊辰樹という青年は、ドラゴンに話しかけたのだ。
「…………」
人間の対応が予想外だったのか、銀鱗の巨龍は目をぱちくりさせる。
淡紅色の瞳でジッとちっぽけな生き物を見つめ、やがて首を上げた。
――――大気が揺れる。
巨龍の頭が持ち上がったからではない。
その顔の前で、光が円を描いたからだ。
「魔法陣……!?」
辰樹がそれを見るのは初めてだったが、不可思議な文字が連なり円を形作るそれは、漫画やゲームでよく見た魔法陣だ。
薄緑色に発光する、真円に近い巨大な魔法陣。
それはドラゴンの角をアンテナに周囲から必要量の魔力を集め、円を中心に霧のようなものが渦巻いていた。
――怒らせたか!?
と、今更ながら土下座して命乞いが正解だったかもしれないと後悔。
小鳥遊辰樹は、今度こそ死を覚悟した。
魔法陣はなおも貪食に辺りの魔力を呑み、刻一刻と輝きを増している。
淡緑の光は今にも溢れ出しそうなほど脈動し。
円はさらにひと回り大きくなって。
光はひときわ強く輝いて。
眩い薄緑色の光が、今まさに解き放たれようとしていた。
「あぁ、終わった……」
辰樹は、瞼を閉じて死を受け入れる。
――痛くないといいな。
――生き返ったら、仕事を辞めよう。
――もう、静かに、平穏な日々を過ごそう。
そんな変わらぬ日常を望む平凡な男は、その願いごと光に呑まれて――。
「…………?」
光に呑まれ――直後、違和感。
痛くない。というか、温度すら感じない。
それどころか瞼越しに見ていた光は消えて、今や視界は静かな暗闇を映している。
何が起きたのか、辰樹はおそるおそる目を開けた。
片目だけ、うっすらと。
【魔王龍ゼルフルートは変身魔法を使用した。】
うっすら開けた視界にあったその文字は、辰樹のスキル【記録閲覧】だ。
相手が何をしたか、何が起こったのか、辰樹は履歴として見ることが出来る。
だから、魔王龍というのがあの銀鱗の巨龍であることは初めからわかっていた。
しかし、変身魔法とは?
と。そも何に変身したのかという辰樹の疑問は、すぐに晴れた。
「臆せず余に話しかけるとは、面白い……っ!」
軽やかに弾んだ声。
目の前に居たあの巨龍はどこへやら。
視線を落とすと銀髪の少女が一人、巨龍の代わりとばかりに仁王立ち。
啞然とする辰樹を見上げる少女は面白げにニッと口角を上げ、ふんぞり返っていた。




