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8.ミラー公爵家とコリンズ侯爵家

「無視かよ?」


 廊下ですれ違ったジョンが吐き捨てた。どうせ婚約破棄されるのだから、ジョンにかまう必要はない。


「あら、ジョン様。ミラー嬢もごきげんよう」


 会釈して立ち去ろうとしたら、「ファリオ王国の王族に取り入って、何を企んでいるんだ?」とジョンの語気が強くなった。


「ファリオ王国の王族? 誰のことですか?」

「とぼけるな! 露店で仲良さそうにしていたそうじゃないか」


 どうやら、ヘンリーのことらしい。コリンズ侯爵家の関係者が、あの場にいたのだろう。


 ヘンリーはファリオ王国のアンダーソン子爵家の次男、とケイトから聞いた。そのヘンリーを、ジョンは王族と言った。ヘンリーが王族であれば、前世でオペラハウスの死者の情報が隠蔽されたのもうなずける。


「ああ、ヘンリーのことですね。下級生のケイトの友人です。ファリオ王国から留学してきた、たしか……子爵家の次男のはずです」


 ジョンは失言したことを誤魔化すように、落ち着きなくカーラを見た。カーラは首を横に振った。

 ここらが潮時だと悟ったのだろう。エレナを睨みつけると、ジョンは去っていった。


 **


 エレナは休み時間にケイトの教室を訪ねた。中を覗くと、白いカーテンが風に揺れる。差し込む太陽が、床に柔らかな四角形を描いていた。


 女子生徒に尋ねると、「あそこです」と教室の中ほどを指した。数人の女子生徒に囲まれて下を向くケイトがいた。


「ケイト、ちょっといいかしら?」


 上級生の呼び出しに、女子生徒たちはケイトの席から離れた。


「あの、なにか?」


 廊下に出てきたケイトに、ジョンとの会話を説明した。


「ヘンリー様はファリオ王国のアンダーソン子爵家の次男、と王立学院では登録されています。これは、協議会の要請です。王立学院の教師も生徒も、ヘンリー様が王族であることを知りません」


 ケイトはさらっと言ったのだが、ヘンリーは王族らしい。やはり、王位継承問題で命を狙われたのだ。


「そうだとすると、二人の情報源は王立学院以外。つまり……」

「あの火事には、ミラー公爵とコリンズ侯爵が関わっていた。そう考えるのが自然ですね」


 ファリオ王国から小麦を仕入れて、市場を大暴落させるリシャール辺境伯。コリンズ侯爵の義弟だ。ファリオ王国の王族とつながっていても、不思議ではない。


 ミラー公爵家の損失回避のための小麦の取引を、エレナは断った(正確には、小麦取引を断ったのは父なのだが)。オペラハウスで暗殺しようとしたヘンリーを、エレナは助けた。ミラー公爵家とコリンズ侯爵家の企てをことごとく阻止したエレナは、両家にとって目障りな存在である。


「とにかく、両家を調べるようにスミス子爵に伝えてくださるかしら?」

「承知しました。すぐに父に報告します。あの……」

「どうしたの?」

「早退することになるので、ヘンリー様を屋敷まで送っていただけませんか?」

「いいですわよ」


 安請け合いしてしまったものの、大丈夫だろう。命を狙われるとスミス子爵に忠告されてから、父に護衛として剣士を雇ってもらった。登下校に同行してもらっている。腕に覚えのある剣士なので、敵の数が多くなければ撃退できる。


「ありがとうございます」

「いいのよ」


 エレナは引きつった笑みを浮かべた。


 **


 放課後、校舎を出ると、ゆるやかな石畳の道を下って馬車置き場に到着した。屋根には赤褐色の瓦が敷き詰められており、重厚な柱がそれを支えている。柱の根元には家紋を刻んだ銘板が並ぶ。馬はよく手入れされ、毛並みが夕陽を浴びて艶やかに輝く。馬が鼻を鳴らすと、曇った吐息が白く舞い上がる。御者は馬車の脇に立ち、帰宅する貴族子女を待っていた。


 ヘンリーはベネット伯爵家の銘板の前に立っていた。御者と手振りを交えながら話している。いつもは口数の少ない御者なのに、楽しそうに頷いている。珍しいことだ。


「早かったのね」

「まあね。走ってきた。置き去りにされると困るからね」


 ヘンリーは首をすくめた。ファリオ王国の王族と聞いたけれど、そうは見えない。今さら態度を改めなくてもいいだろう。


「そんなことしないわよ。ブーニュのお礼もあるし、屋敷まで送るわ」


 スミス子爵家の別荘に向けて馬車は走る。敵の襲撃を避けるため、人通りの多い市街地を通った。


 門を抜けようとしたら、荷馬車が進路を塞いだ。衝突をさけるために馬車は急停止した。裏通りから出てきた男4人が、馬車に近づいてくる。挟まれた。


 護衛の剣士に男4人を足止めするように指示し、エレナはヘンリーと馬車から降りると、追手と逆方向に走った。4人全員は無理でも、護衛の剣士が2~3人を足止めしてくれれば、追手から逃げきれる。


 パン屋を通り過ぎ、仕立屋の角を曲がる。急に曲がったら、壁に肩をぶつけた。


「大丈夫?」エレナを気遣うヘンリーに構わず、路肩の水たまりを踏みつけながら、走った。


 背後から重い靴音が聞こえた。足止めできなかった男が追ってきたのだ。スミス子爵家の別荘までは距離がある。エレナの屋敷も遠い。


「そっちに回り込め」


 背後の男の怒鳴り声が追ってくる。追いつかれるのは時間の問題。エレナは古い倉庫に飛び込んだ。逃げきれないだろうから、隠れてやり過ごすことにする。冷たい鉄扉の影にしゃがみ込んだ。


 靴音が近づいてきた。エレナは肩を抱えながら、息を殺す。男はすぐ近くにいる。心臓の鼓動が早くなる。バッグから万華鏡を出して、握りしめた。鼓動が少しだけ緩やかになった。


 しばらくすると、靴音は遠ざかった。男は別の場所に探しにいったようだ。


「行ったみたいだね」

「戻ってくるかもしれない。もう少し、ここでじっとしていよう」

「どれくらい?」


 ヘンリーの目が輝いている。命を狙われたのに、楽しそうだ。巻き込まれたエレナは、語気が強くなるのを必死に抑えた。


「100数えるまで。いい?」


 ヘンリーは小さく頷いた。声にださず、頭の中で数字を数える。1,2,3……


「ねえ? それ何?」


 ヘンリーはエレナの手元を指した。まだ3秒しか経っていない。ため息が漏れる。


「不安なときにこれを眺めると、心が落ち着くの」


 エレナは小声で言うと、万華鏡をヘンリーに見せた。


「万華鏡? ディロン王国では売ってないよね?」


 ヘンリーは目を丸くした。


「ええ、5歳のとき、ファリオ王国の感謝祭で迷子になって泣いていたら、男の子がくれたの」

「ブーニュを食べた男の子?」

「そう。それ以来、これは私のお守り」


 エレナは万華鏡を胸の前で握った。婚約破棄されたとき、家が没落したとき、流行り病で体が動かくなったとき、辛いときはいつも眺めていた。万華鏡の中の世界が、エレナを救ってくれた。


「僕も万華鏡にはいろんな思い出がある」

「どんな思い出?」

「子供のころ、母にもらった万華鏡を失くしたら、すごく怒られた。父に貰ったとても大事な万華鏡だったんだ」


 ヘンリーは頭をぼりぼりとかいた。


「そういえば、この万華鏡には名前が書いてあるの。男の子のお母さんかな?」

「何と書いてあるの?」

「リズ(Liz)。あなたのお母さんの名前は?」

「僕の母はエリザベス(Elizabeth)だよ」

「ふーん」


 エレナが視線を移したら、ヘンリーは目をそらした。不安な時でも、誰かと一緒にいると心強い。数えるのを邪魔されたけれど、ヘンリーと話して落ち着いた。


「じゃあ、100数えるわよ」


 エレナは声に出して数え始めた。


「1,2,3……99,100」


 耳を澄ましても、靴音は聞こえない。倉庫から出て、通りを注意深く観察した。遠くに買い物袋を下げた老人が見えた。


「今度こそ、本当に行ったみたいだね」


 ヘンリーは胸に手を当て、深く息をついた。馬車に戻ると、追手と遭遇するかもしれない。それに、護衛のないまま、郊外にあるスミス子爵家の別荘に移動するのは危険だ。


「私の屋敷に戻ろうと思うけど、いい?」


 ヘンリーは「いいよ」と笑顔だった。

 教会の前で馬車を貸し切り、ベネット伯爵家に向かった。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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