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7.ブーニュの思い出

「エレナ様、ご一緒してもよろしいでしょうか?」


 カフェテリアでルーシーと昼食をとっていたら、ケイトがやってきた。ヘンリーも一緒だ。ルーシーも気にしていないようだから、「どうぞ。ヘンリー様もご一緒に」と二人に席を勧めた。


「あの、僕の国では身分に関係なく、敬称を省略して呼び合います。それに、僕は下級生です。ヘンリーと呼んでもらえますか?」


 ヘンリーはそう言うと目をそらした。


 ディロン王国では、貴族が敬称を付けずに相手を呼ぶことは稀だ。敬称を付けないのは、家族、親族、親友、恋人など、ごく親しい間柄に限られる。

 ヘンリーは家族、親族ではない。昨日会ったばかりだから親友でもない。とすると……恋人? 体温が上がり、顔が赤くなる。心拍数が高くなる。


 いや、ファリオ王国では敬称を省略するのは、普通のことなのだ。気にすることではない。エレナはそう解釈した。


「わかりました。これからは、ヘンリーと呼びますね」


 それを聞いたヘンリーの目が輝いた。


「あの、僕もエレナと呼んでいいですか?」


 ヘンリーからは、自然に笑顔がこぼれる。


 下級生が上級生を敬称なしに呼ぶなど、言語道断である。しかし、ファリオ王国では普通のことだとしたら? どうしたものか……。エレナは横を見た。

 ルーシーは口をぽかんと開けている。何が起きているのか理解できず、遠くを見つめたまま動かない。ケイトは下を向いたまま黙っている。きっと、関わりたくないのだ。


 人生経験25年のエレナ。些細なことで腹を立ててはいけない。


「いいですわよ。ルーシーやケイトも、私のことをエレナと呼んでください」


 エレナは引きつった笑みを浮かべた。もうやけくそだ。

 昼食が終わって、席を立ったらルーシーが言った。


「エレナ様……いえ、エレナ。良かったのですか?」


 ルーシーが呆れている。とっさのことで、ルーシーに迷惑を掛けたことを反省する。


「ヘンリーはファリオ王国からの留学生です。ファリオ王国では身分に関係なく、敬称なしに呼び合うらしいので、4人のときは、それに倣いましょう」


 ファリオ王国の慣習など知らない。まあ、どうにかなるだろう。

 それに、ヘンリーはあの男の子を知っているかもしれないのだから、仲良くなっておいたほうがいい。


 **


「パメラ、あれは何です?」


 王立学院からの帰り、馬車から外を眺めていたら、屋台が見えた。


「ファリオ王国との文化交流のための催事です。ディロン王国からもファリオ王国に露店を出しているようですよ」


 前世には無かった文化交流イベント。元々予定されていたのかもしれないが、前世ではヘンリーが暗殺されたから開催されなかったのだ。


「少し、立寄ってもいいかしら?」


 エレナは馬車から降りて歩いた。屋台が連なる通り、売り子の呼び声が騒がしい。甘い香りのする屋台、赤く艶やかな飴玉が吊るしてある。ファリオ王国の感謝祭で嗅いだ懐かしい匂い。射的、風鈴を売る屋台、目を細めてひとつひとつ屋台を見てまわる。


 通りの中ほどに行列のできている屋台があった。女性が多いから、人気のスイーツだろう。屋台に近づくと「エレナ?」と声がした。振り向くと行列に並ぶヘンリーがいた。


「これは何の屋台?」

「ブーニュだよ。食べたことある?」


 ブーニュ、揚げた生地に甘い砂糖がかかったフワフワの菓子。表面のかりっとした皮、噛んだ後のもちもちした食感が蘇る。


「もちろん。私の大好きなお菓子なの」


 エレナが列の最後尾に並ぼうとしたら、「一緒に買うから、そこで待っていて」とヘンリーは広場の椅子を指した。無神経なやつだと思ったけれど、案外いいやつかもしれない。


「お待たせ」


 ヘンリーが袋いっぱいのブーニュを抱えてやってきた。油の匂い、甘い匂いがふわっと広がる。


「食べていい?」

「どうぞ」


 エレナは素手でつかんだ。「あつっ」揚げたてのブーニュを口の中に放り込む。硬い食感の後、優しい甘さが広がった。10年振りに食べたブーニュ、迷子になった感謝祭の光景が鮮明に蘇る。どこを見るでもなく、ぼんやりと前を見つめた。


「泣いているの?」

「え?」


 ヘンリーが何を言ったのか、分からなかった。頬を触ると、湿った感触がある。覗き込むヘンリーから目をそらした。


「懐かしくて……つい夢中で。5歳のとき、ファリオ王国の感謝祭で迷子になったの。そのときに、両親を一緒に探してくれた男の子とブーニュを食べた。優しい味だったのを覚えている」

「悪い思い出でなくて、よかった。その男の子とは、その後、会ったの?」


 エレナは首を横に振る。


「会いたい?」

「もちろん、会ってお礼がいいたい」

「じゃあ、僕が一緒に探してあげるよ」


 ヘンリーは照れたように頷いた。


 朱色の空が、いつのまにか群青に変わっている。屋台の灯りが静かに揺れていた。

 舞踏会まであと10日。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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