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6.ファリオ王国の要人とスミス子爵家

「エレナ様、おはようございます」


 教室移動のためにルーシーと校庭を歩いていたら、ケイトに呼び止められた。昨日のオペラハウスの火事の件だろう。火事でドレスが汚れてしまったから、カフェで待つルーシーには「急用ができたので、先に失礼します」とパメラに伝言してもらった。


 エレナが火事の特別席から男を助けた事情をルーシーは知らない。だから、当たり障りのない返答をする。


「どうかされました?」

「あの、昨日はありがとうございました。どうか、お礼をさせてください」


 過日の不愛想な態度ではない。エレナが助けた男は、ケイトにとって大切な人だったのだろう。


「いえ、当然のことをしただけです。お気になさらず」


 立ち去ろうとしたら、ケイトに腕をつかまれた。目が何かを訴えている。


「ちょっと、エレナ様に失礼ではありません?」と注意するルーシーに、「いいのです」と愛想笑いした。


 ケイトの手は震えていた。スミス子爵か、助けた男の関係者にエレナを連れてくるように言われたのだ。拒絶したらケイトが責められる。エレナはため息をついた。


「どうすればよろしいの?」

「放課後、お迎えに参ります」

「いいですわよ」


 ケイトは納得したのか、深々と礼をして去っていった。


**


 スミス子爵家の馬車は郊外を目指した。草原にぽつんと建つ屋敷。くすんだ屋根、アーチ型の窓枠のペンキがところどころ剥がれ、木の素地が覗いている。その古い屋敷は、時間が止まったように、そこに建っていた。


 敷地内やバルコニーの衛兵は望遠鏡で周囲を監視している。長閑な場所に建つ古い屋敷に似合わない、厳重な警備体制。


「エレナ様、こちらへ」


 ケイトは入口に立つ衛兵の横を抜けて、中に入った。


「ここは?」

「スミス子爵家の別荘です。周囲には何もありませんから、侵入者を監視するのに適しています」


 エレナにお礼をしたい、とケイトは言った。しかし、連れてこられたのは、人をもてなすには物々しい屋敷。まさか、エレナを殺害しようとは考えてはいまい。


 屋敷の中は、外観からは想像できないものだった。天井にシャンデリア、廊下には黒い絨毯が敷いてあり、壁には肖像画が並んでいる。肖像画はどれも、エレナの見たことがない顔だ。


「スミス子爵家の方々ですか?」

「いえ、歴代のファリオ王です」


 きっと、外交関係で別荘を使用しているだろう。ファリオ王の肖像画を飾っているくらいだから、スミス子爵家に頼めば、感謝祭で会った男の子の情報を入手できるかもしれない。


 突き当たりを左に折れると、応接室の扉が見えた。重厚なマホガニーの扉には、真鍮の大きな取っ手がついている。ケイトはノックした後、扉を開いた。


「こちらです」


 革と古い本の匂いがした。背の高い、若い男が立っている。


「エレナ様、こちらはヘンリー・アンダーソン様です」

「昨日はありがとうございました」


 ヘンリーは手を差し出した。状況が呑み込めないエレナは、ヘンリーの手を取り、愛想笑いを浮かべる。


「お気になさらず。たまたま、オペラハウスの前のカフェにいただけです」


 救出するのに必死だったから、ヘンリーの顔を覚えていない。外傷はなさそうだし、体調もよさそうだ。良かった。


「いえ、エレナ様に助けてもらわなければ、僕はこの世にはいなかったでしょう」


 ヘンリーは頬が赤らみ、目が輝いている。ここまで感謝された経験のないエレナは、ヘンリーの視線に耐え切れず目をそらした。


 応接室の扉が開いた。黒い制服に身を包んだ老召使いが、銀のトレイを両手で抱えて入ってきた。召使いは無言でテーブルに白磁のティーセットを置いた。エレナの革張りの椅子の前にくると、ポットから紅茶を注いだ。部屋中に淡いハーブの香りが広がる。


「スミス子爵家からも感謝申しあげます」


 老召使いがエレナに深々と頭を下げた。口をぽかんと開けたエレナに、「父です」とケイトは小声で言った。スミス子爵から、小さく「やった」と声が漏れた。

 スミス子爵は老人のメイク、召使の衣装で変装したのだ。まんまと騙された。


「ヘンリー様を助けたのは、偶然です。たまたまカフェにいて、たまたまオペラハウスの中に入って、たまたま特別席の扉を開けました。それだけです。それに、スミス子爵に礼を言われることではありません」

「いえ。もし、ヘンリー様が亡くなられていたら、警護していたスミス子爵家の責任です。だから、エレナ様は、私どもを救った恩人なのです」


 前世では、ヘンリーはオペラハウスで亡くなった。新聞にはオペラハウスの死者の情報はなかった。社交場、王立学院でも死者の噂を聞かなかった。


 平民や下位貴族であれば隠す必要がない。情報を隠匿するのは、政治的な懸念を生じさせるような、王族または高位貴族の当主の死。


 スミス子爵はエレナのカップに紅茶を注ぎ足してから、経緯を説明した。ヘンリーはファリオ王国の要人の息子で、王立学院に留学している。ディロン王国の協議会からの命令により、スミス子爵家はヘンリーの滞在時の世話、警備をしている。オペラハウスでヘンリーが死んでいたら、ディロン王国とファリオ王国の関係が悪化し、最悪の場合は、戦争が勃発した。どうやら、エレナは歴史を変えたらしい。


「助かったのだから、よいではありませんか」


 そう取り繕いながらも、事の重大さに気付いたエレナは、長いため息をついた。


 スミス子爵は「申し上げにくいのですが」と前置きし、犯人がエレナの命を狙う可能性があると説明した。オペラハウスでエレナが犯人と遭遇したかもしれないからだ。


「階段でぶつかった黒いコートの男でしょうか? 急いでいたので、顔ははっきりと見ていません」

「エレナ様が犯人の顔を覚えていなくても、犯人はエレナ様の顔を覚えています」


 突然のことに、エレナは手元が落ち着かず、カップを指先で触る。

 不遇だった前世をやり直そうとしたところなのに……ついていない。それでも、婚約破棄され、ベネット家が落ちぶれて惨めに死ぬ前世に比べたら、悪くない。


「そうですか。どうせ死ぬのだし、そんな人生も悪くないですね」


 明るい声でこたえるエレナに、「怖くないのですか?」とヘンリーが訊いた。


「怖いですよ。不安です。でも、後悔したくありません」


 エレナは首をすくめた。


「エレナ様のことはスミス子爵家がお守りします。王立学院にはケイトもおりますから、ご安心ください」


 スミス子爵は右手を胸に当てた。王立学院で女子生徒から虐められているケイト。エレナがケイトを守ってあげる、の間違いではないだろうか? エレナは愛想笑いを浮かべた。


 舞踏会まであと14日。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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