4.隠蔽された死者
「どうかしたのかしら?」
王立学院の中庭に女子生徒の集団ができていた。一人の女子生徒を囲んで、何か口論になっているようだ。
「あれが、この前お話ししたケイト・スミス子爵令嬢です。彼女を嫌っている女子生徒は多いです」
ルーシーの目が輝いている。さすが王立学院の情報通だ。
スミス家は国内外の諜報活動をしており、その功績を認められてディロン国王から子爵位を与えられた。しかし、汚れ役のスミス家に爵位は相応しくない、と考える貴族も一定数いる。そのような貴族の令嬢にとって、ケイトは恰好の虐めの対象である。
エレナはスミス子爵家を何とも思っていない。それよりも、ファリオ王国の感謝祭で会った男の子を探すのに、スミス家は役に立つはずだと考えた。
「どうかしたのですか?」
集団に近寄ると、女子生徒は一斉にエレナを見た。輪の中心にいるケイトだけが下を向いたままだ。
「ああ、エレナ様。何でもありません」
女子生徒は揉め事を教師に密告されるのを恐れたのか、「ごきげんよう」と言い残して去っていった。
「大丈夫ですか?」
手を伸ばすと、ケイトはエレナから目をそらして立ち上がった。
「何でもありません。失礼します」
会釈をすると、ケイトは去っていった。
「あの態度は失礼ですわね?」
ルーシーの眉が吊り上がる。たしかに、助けてあげたのだから、礼の一言があってもいいはずだ。虐められていたのを見られたのが恥ずかしかったのか、エレナに助けられたのが屈辱的だったのか。何か気に入らないことがあったのだろう。
「いいではありませんか。難しい年ごろなのですよ」
10年前の自分を思い返す。世間知らずで、見栄ばかり張る、生意気な伯爵令嬢だった。自分を中心に世界が回っているとまではいわないけれど、自分は他人とは違う特別な存在だと信じていた。
「エレナ様、変わられましたね」
「そうですか?」
「ええ、以前のエレナ様なら、きっと怒っていました。服装やメイクも変わりましたし、何かありましたか?」
「いえ、特に。ただ、周囲を気にせずに生きることにしました」
二度目の人生なのだから、前轍を踏まない。前世とは真逆の人生を生きるつもりだ。
「そういえば、オペラハウスの前に、新しいカフェができたのをご存じですか?」
オペラハウスの前の……フルーツタルトが有名なカフェだ。エレナは前世で何度も通った。
「そうなのですか。ぜひ、行ってみたいですわ」
**
巨大なバロック様式のオペラハウスは、閑静な通りに鎮座していた。灰色の石造りの壁、夕陽を受けて淡い金色に染まる。外壁、バルコニーには天使や女神の彫刻が掘られている。
カフェに入ったエレナは、給仕にフルーツタルトと紅茶を注文した。ルーシーはしばらく悩んだ後、エレナと同じものを注文した。
窓際の席に座ったエレナは、ルーシーから噂話を聞きながらオペラハウスを眺めた。オペラハウスは火事で焼失し、10年後には博物館が建っている。この場所で何千回、何万回の舞台を見届けてきたオペラハウス、失うのはもったいない。焼失前の外観を目に焼き付けておくために、エレナは細部まで観察した。
「あれ、どうしたのでしょう?」
ルーシーがオペラハウスの入口を指した。黒いドレスの女性、燕尾服の紳士が走って出てくる。口にハンカチを当てている。煙から身を守るように……火事だ。
この火事で死者が出たのを覚えている。たしか、特別席にいた観客、誰なのかは新聞に書かれていなかった。特別席で鑑賞していたのだから、死者は貴族。しかし、新聞に名前が掲載されないばかりか、両親、王立学院の関係者の誰もが、死者の情報を知らなかった。
隠蔽された死者の情報。エレナは興味を持った。
「火事ですわね。ルーシー様、少し席を外します」
エレナはカフェの勝手口から出ると、観客が逃げ出すオペラハウスに入った。赤い絨毯がエレナの歩を静かに受け止める。いつもは冷たい空気が流れるエントランス、しかし、今日ばかりは熱かった。
特別席のある二階を目指した。天井のシャンデリアの細かいガラス玉が通路に散っていた。急がなければ、すぐに火が回る。
「エレナ様、どちらへ?」
振り返るとパメラが立っていた。馬車で待たせていたはずなのに、エレナがカフェを出たのを見つけて追ってきたのだ。
「逃げ遅れた人が二階にいます。私はその人を助けに行きますから、パメラは消防団を呼んできてもらえますか」
パメラは目を大きく見開いた後、「わかりました」とエントランスへ走っていった。
エレナはドレスを捲し上げ、階段を駆け上がる。途中、黒いコートを着た男とぶつかった。二階から避難してきたのだろう。「失礼しました」と男に会釈して、やり過ごした。
二階の通路を走りながら、特別席の中を確認した。ほとんどの扉が開かれており、中に観客はいない。一番奥の特別席の扉が閉じていた。扉開閉部の取っ手に金属製の棒が挟まっている。この状態では、中から押しても扉は開かない。
エレナは棒を取っ手から外し、扉を開けた。黒い煙が通路に飛び出す。
「誰かいますか?」
咳込みながら、特別席の中を見回す。座席の横に男が一人倒れていた。意識がない。エレナは男の脇の下に腕を入れて、特別席の外に引っ張り出した。男を背負って搬送できればいいのだが、エレナの力では難しい。
「助けてください! 誰かいませんか?」
男を抱え込み赤い絨毯の上を引きずった。二階の通路には黒い煙が充満している。煙を吸い込まないように低い体勢を維持する。咳が止まらない。視界の端でシャンデリアが揺れた。落ちてくるシャンデリアを避けるため、強引に男を引っ張った。肘を打ちつけたけれど、過度の緊張のせいか、痛みは感じない。
「エレナ様! エレナ様!」
通路の半分まできたところで、パメラの声がした。「おーい」と叫ぶ男の声も聞こえる。
「ここです! 助けてください!」
何度か叫ぶと、パメラと2人の男が走ってきた。長身の2人は、黒いローブのような衣装を頭から纏い、水が滴っている。平民の消防団員だ。
「大丈夫でしたか?」
「ええ、私は大丈夫です。それよりも、この人を」
消防団員は意識のない男を背負った。火から守るために、エレナには水で濡れた布を貸してくれた。煤が付着しているのか、布は黒ずんでいた。
消防団員は軽々と階段を駆け下りていく。濡れた布を頭から被り、口元にハンカチを当てて、エレナも階段を走った。煙を吸い過ぎたのか、意識が朦朧とする。なんとか、入口に着いた。
オペラハウスの前には、火事を見物にきた野次馬が集まっていた。
「ヘンリー様!」
助け出された男に、女が駆け寄った。どこかで見た背格好、顔立ち……「ケイト?」
女は視線を上げ、目を大きく見開いた。
「エレナ様?」
ケイトはエレナに深々と礼をした後、意識のない男を搬送するために馬車に乗り込んだ。
舞踏会まであと15日。
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