第13話 森を裂く影、精霊のまなご
◆森を裂く影、精霊のまなご◆
春の兆しがまだ遠い、ある雪解けの日のことだった。
王都の北、フォルクの森――。そこはかつて妖精が多く住まうとされた、精霊の息づく場所。だが今、その森に“黒煙が立ちのぼっている”という報せが、工房街に届いた。
「森に異変……?」
アントニオは、ゼフとともに王都の役人から状況を聞いていた。
「動植物の異常死が相次いでる。どうも“呪い木”が根を張ったらしくてな……魔力を吸って、周囲を腐らせる厄介なやつだ」
「呪い木って……精霊が宿る森にそんなものが?」
「誰かが意図的に“魔核”を埋めた可能性もある。だが、地脈を荒らされる前に食い止めねば、王都の結界にも影響が出る」
王都の精霊回廊にも繋がる大地――放ってはおけない。
「……行きます、俺」
アントニオは迷わなかった。
胸元のペンダントに触れる。精霊ヴィネリアから授かった“契約の印”が、かすかに淡緑の光を放った。
*
フォルクの森は、ひどく静かだった。
鳥のさえずりも、枝のざわめきもない。ただ風のない空間に、焦げたような匂いと、土の苦味だけが漂っていた。
「これが……精霊の森だった場所……?」
足を踏み入れた瞬間、アントニオは吐き気を感じた。まるで大地そのものが、痛みに呻いているようだった。
――まなごよ。気をつけて。ここには、精霊を喰う“影”がいる。
ヴィネリアの声が、頭に直接届いた。
「“影”……?」
それは呪い木の根の奥、森の中心部に潜んでいるという。
かつて、失われた古代術式のひとつ――精霊との契約者を憎む“影喰らい”の残滓。その瘴気に引き寄せられ、森が腐っているのだ。
「じゃあ俺が、精霊の力で……」
アントニオは手を伸ばした。
すると指先に、ふわりと緑の風が集まる。まるで葉が舞うように、彼の周囲に小さな光が渦を巻いた。
「風精霊、来てくれる?」
――しゅるりっ
小さな風の精霊が一匹、彼の肩に乗った。
「頼む。俺に力を貸してくれ。森を、守りたいんだ」
精霊は、嬉しそうにキィと鳴き、アントニオの手のひらに飛び込んだ。
次の瞬間、彼の全身を風が包み、足が地を滑るように軽くなった。
*
森の中心――そこは、巨大な黒い根が地上に露出し、まるで竜の骨のように森を貫いていた。
根の中心には、一体の“魔物”が立っていた。
痩せ細った人型のような姿、顔は仮面に覆われている。だがその足元には、精霊の痕跡が幾つも倒れていた。
「……お前が、影喰らいか」
アントニオがそう呟くと、魔物がゆっくりと顔を向けた。
「マナゴ……精霊の寵愛……喰らう……うまい……」
仮面の口元が裂けるように歪む。
ドシュッ――!
魔物が突如、アントニオめがけて黒い蔓を放ってきた。
「風よ、舞え!」
アントニオは身をひるがえし、風の加護で跳ねた。
空中で印を結び、ヴィネリアから授かった術を呼び出す。
「《翠風の結界》!」
淡緑の魔法陣が足元に浮かび上がり、黒い蔓を絡め取った。
魔物が呻くように後退する。
その隙に、アントニオは“魔核”のある根元へと一気に駆けた。
「これを……断つ!!」
工具ではなく、精霊の風で刃を生み、黒い根を断ち切る。
ズシュッ――ッ!!!
大地が揺れ、黒煙が天へ昇る。
魔物が悲鳴のような声を上げ、消えていった。
代わりに、木々がささやき、かすかに緑が戻り始めた。
*
翌朝、王都の工房へ戻ったアントニオを、ゼフとマルタが迎えた。
「無事だったか、アント!」
「少しは疲れましたけど……森、元に戻りそうです」
笑ったその顔には、疲れと誇りが滲んでいた。
「お前、もう立派な“守り手”だな」
ゼフの言葉に、アントニオは照れ臭そうに笑う。
だが胸の奥では、確かな実感があった。
――あの日、精霊と出会ってから。
自分はもう、過去の焼けた村の少年ではない。
精霊に選ばれ、そして自分で“選び取った”道を歩く者。
その背に、今日も見えない羽が――風のように、そっと揺れていた。




