猪鹿蝶(邂逅と勧誘その2)
前回から半月ほど空いてしまいました……。
ここを書く前に、フリースタイルフットボールというものを初めて知りました。
改めて、不勉強のまま書き始めてしまったな……と反省してます。
菊鞠は3人に連れていかれたあやめを追ったが見失ってしまう。校内をあちこち探し回り、ようやく校舎裏で話しているのを見つける。
「八橋あやめさん、君には是非とも、僕たちが結成したサッカー同好会に入会して欲しいんだ」
確か鹿戸と名乗った女性だったか、あやめにそう告げるのを聞いた菊鞠は混乱する。昨日、サッカーボールを蹴ったのは菊鞠だ。確かにあの時、一緒にあやめもいたが、菊鞠とあやめ2人のどちらかを確認してから勧誘するのならばまだ解る。しかし鹿戸は迷わずあやめを選び、そして確信をもって勧誘しているように見える。これはどういうことなんだろう。
菊鞠は戸惑うものの、自分の失態を友人に被せて迷惑をかけるわけにはいかない。
あやめちゃんを、助けなきゃ!
「あ、あの!」
菊鞠はあやめ、そして3人のほうへと声を掛けながら近づく。
「あ、あやめちゃんは、サッカーなんてやりません!」
「……えっと……君は?」
突然の闖入者に鹿戸は戸惑いを隠せない様子だ。
「わ、私は1年B組の神酒盃菊鞠といいます。それはそうと、あやめちゃんをサッカー部に勧誘しないでいただけますか?」
「……菊鞠ちゃん…………」
「これは失礼した。僕は鹿戸椛。それで、神酒盃さん、実はまだサッカー部ではなくてね。サッカー同好会なんだ。入学早々に立ち上げたから、まだ会員はここにいる僕たち3人しか居なくてね」
「昨日、八橋さんをお見かけしまして、是非とも勧誘しないといけない、と思った次第なのです……失礼しました。私、蝶名林牡丹と申します」
「アタシは猪目萩子!」
「自己紹介ありがとうございます。……それで、どうしてあやめちゃんなんですか?……実は昨日、あなた方にサッカーボールをお返ししたのは私のほうなんです。あやめちゃんじゃありませんっ」
菊鞠の告白に、鹿戸は一瞬戸惑うようにあやめを見て、それから菊鞠のほうを向き直る。
「昨日、サッカーボールを返してもらったのは助かったよ。でも、本当に神酒盃さんがあの鮮やかなパスボールを?……失礼だけど、ちょっと信じられないな」
「私、家が神社なんですが、その神社で蹴鞠をしているんです。だから鞠というか、ボールを蹴るのもそれなりに経験があるんです。でもあやめちゃんは……」
「ひ、菊鞠ちゃん、ごめんなさい!」
突然、あやめが深々と頭を下げて菊鞠に謝る。
「えっ?どうしてあやめちゃんが謝るの?迷惑をかけたのは私のほうだよ?」
「違う、違うの菊鞠ちゃん!……ずっと菊鞠ちゃんに秘密にしてたんだけど……実は私、小学校の頃にサッカーをやってたの」
「……えっ?」
あやめの突然の告白に、菊鞠は絶句する。
「その様子ですと、ご存知ではなかったようですわね」
「カスティーヨ江戸っていうサッカークラブの下部組織のサッカースクールがあって、小学生の頃はそこにに入ってたの。小学校卒業と同時に辞めちゃったんだけどね」
「……」
「菊鞠ちゃんが、サッカーにあまり良い印象を持ってないのも知ってたから、もう辞めちゃってたしいいかって、言いそびれちゃって……本当に、ごめん、ごめんなさい、菊鞠ちゃんっ」
今一度、深々と頭を下げて謝罪するあやめ。
「……ううん、知らなかったとはいえ、私もそんなあやめちゃんにサッカーの悪口を言ってたなんて……私のほうこそごめんなさい」
菊鞠もまた、あやめに頭を下げる。
「ま、そんな感じで、アタシらは八橋あやめを勧誘しようって思ったわけよ」
「ちょっと、萩子さん!少しは空気をお読みなさい!」
「えー、だってこのままじゃいつまで経っても話進まないじゃんか」
「……あー、そういうことなんだ、神酒盃さん。……それで、八橋さんに対する誤解が解けたところで、さっきの話に戻るんだけど、本当に昨日のあの返球は、神酒盃さんが寄越してくれたものなのかな?」
あやめの過去―――小学校時代にサッカーをしていたこと―――を今更ながら知り、ショックを引きずっていた菊鞠だったが、そんな彼女を鹿戸のは引き戻してくる。
「その、そうです。それは間違いありません」
「ちょっと、俄には信じられませんわね」
菊鞠の返答に、蝶名林も疑義を呈する。
「んー……ならさ、ここでこの子に、実際にボール蹴ってもらえば早いじゃん!」
「確かに……」
「萩子さんに言われるのは癪ですが、そのとおりですわね」
「……だ、大丈夫?菊鞠ちゃん……?」
勝手に話を進めていく3人と、心配してくれるあやめ。だが、あやめの平穏な高校生活を守るためには自身の犠牲も厭わない菊鞠。何よりも、自分自身の不用意が招いた事態だ。自分で解決しなくてはならないだろう。
「……ええ、それで御三方が納得してくれるのなら、それでいいです」
菊鞠は覚悟を決める。
猪目が抱えていたサッカーボールを受け取る。
「ありーやー、ありっ」
「「「!?!?」」」
足元に落とし、右足で真上に高く蹴り上げる。
菊鞠の請声に3人がビクッとなったのが見えたが気にしない。
「やあ」
落ちてきた鞠を再び右足で受けて、今度は小さく蹴り上げる。
「おう」
「あり」
「やあ」
請声に合わせて鞠を蹴る。高く、低く、高く。基本となる練習法の一つの数鞠だ。一足、二足と請声と共に数を重ねていくものの、菊鞠は自身の失敗に気付いて焦り始めていた。
(思わず蹴り始めちゃったけど、何足まで蹴ればいいの?これ!?)
やろうと思えば一晩中でも蹴り続ける自信はある。たぶん、そこまでは求めてはいないだろう。
「なるほど。フリースタイルフットボールを彷彿とさせるけれど、似て非なるものだね、これは」
「フリースタイルフットボールにあるようなトリックはないのでしょうか?」
鹿戸と蝶名林の声が耳に入る。フリースタイルフットボールといえば、菊鞠に勝負を挑んできたサッカー男子にも、フリースタイルフットボールが得意だと息巻いていた人がいたのを思い出した。
思えば、彼との勝負が一番熱く、そして菊鞠も負けを覚悟したほどだ。
しかし勝ちを焦ったか、より難易度の高い技を披露しようとして自爆。結果的に菊鞠は辛勝することが出来た。しかし、菊鞠自身は勝負には勝って試合に負けたと悟ったのだった。
彼ならばあるいは受け入れても良いかも……とは思ったものの気持ちの整理は付かず。モヤモヤした気持ちを抱えたまま彼の披露した数々のフリースタイルフットボールの技を調べ、蹴鞠の技として取り込んで習熟した。
そして彼にリベンジを挑もう!と意気揚々と彼に会った時、彼は既に別の女性との交際を始めていた。
ちなみにこの間、わずか一週間。
思えばあれが、菊鞠の初恋だったのかも知れないし、同時に失恋でもあったのかも知れない。
ただその一件が一番堪えたのは確かだ。
たぶん、サッカー嫌いになった最大の理由だろう。……自業自得だとか逆恨みだとか、そんな後ろめたい気持ちを自覚しているだけに、余計に意固地になってしまっていた。
あの時に習得した技を披露するか、それともこのまま無難に終わらせるか悩みながら、ただただ惰性で数だけを重ねていると。
「それにしても、蹴鞠ってなんか単調なんだな」
「!!」
「あああ……」
「えええええ……」
「ちょっと、萩子さん!空気をお読みなさい!」
猪目だったか、彼女の何気ない一言に、場の空気が固まる。菊鞠も頭に血が上り、よくボールを落とさなかったと思うぐらいだ。
しかし、彼女の一言は空気は読めないものの、菊鞠が妥協に甘んじようとしていた内心を突いていたのも事実。
(そこまで煽るのなら、いいでしょう、私が覚えた妙足、見せてあげます!)
と意気込む。もっとも、猪目自身は煽るつもりなど毛頭なく、素直に思ったことを口にしただけだったのだが。
「ようっ」
ボールを低く蹴り上げると、その蹴った右足でボールを跨いで右足を軸にしてジャンプ。そしてその右足再びボールを蹴って、今度は反対方向から跨ぐ。
「《ドラゴンフライ》!?」
確か、中学の時にサッカー男子が披露した時もそのような技名を言っていた気がする。あの時の彼は右足で蹴り上げたあと、軸足となる左足で蹴り上げていたし、何よりもっと高い位置でボールを跨いでいた。
蹴鞠ではあまり足を上げないことと、別の足で蹴るのは醜いとされるために、菊鞠なりにアレンジして、低い高さで蹴って跨ぎ、また右足だけで完結できるようにした。
それ故に元となった技よりも難易度は上がることとなったが、菊鞠は幾度とない練習の末に習熟させたのだ。名前も、《青蛉返し》とそれっぽい名を付けた。
「おうっ」
今度は少しボールに回転を加え、ボールが左方向に流れるように蹴り上げる。
するり。
とボールの方向に体を流し、右足は後ろから交差させて踵で蹴り上げる。
「今度はカリオカですわね」
確か、そんな名前だったか。こちらは《白稜城》の名を付けた。
「ありっ」
蹴り上げたボールは高く上がり、菊鞠の頭上を越えて背中側に。右足の踵でボールを蹴り上げ、また頭上を越えて前に戻す。
「おっ!レインボーじゃん!!」
中学時代の彼が失敗したのはこの技だった。蹴る為のコントロールが難しく、飛びすぎたり変な方向にいってしまうのだ。
菊鞠は更にそのボールを蹴り上げる。次はボールは高くは飛ばず、菊鞠の体を這うように駆け上がり、肩を通ると背中を這って落ちてゆく。菊鞠はそれをまた踵で蹴り、背中から肩を這うように前に落とし、右足で受け止める。
他にも、当時フリースタイルフットボールの技が気になって動画サイトを見て研究しながら蹴鞠の妙足にアレンジした技もいくつかあるが、掴みは上々、といったところだろうか。
それにしても、いつまでこれは続ければいいのだろう。
「その、神酒盃さん。君のトリックが素晴らしいのは理解できた。それで、蹴鞠なんかだと複数人でパス回ししていたような気がするんだが、違ったかな?」
鹿戸の言うとおりだ。
今は菊鞠は一人で蹴っているが、実際の蹴鞠では八人で行うのが常とされる。
「などと言いながら、本当は椛さん、貴女もボールを蹴りたくなったのでしょう?」
なんだ、そういうことか。
「ようっ」
ぽん。
とボールを鹿戸のほうに蹴る。ボールは背丈ほどの高さで弧を描き、鹿戸の足に収まる。
「おっ!?」
「……すげ」
鹿戸はボールを蝶名林にパスし、蝶名林は猪目にパス。
「あっ、悪ィ」
猪目は菊鞠にパスしようとしたようだが、明後日の方向に飛んでいく。
「おうっ」
菊鞠は左足の膝を突いて右足をするり。と延し、事も無げにボールを拾いあげる。
「アレをカバーするのかよw」
猪目は愉快そうに笑う。菊鞠も段々楽しくなってきてしまった。
「菊鞠ちゃん」
あやめの、少し拗ねたような声に菊鞠は我に返る。
「菊鞠ちゃん、私のことを忘れてすっかり夢中になっちゃってる。」
「あ、あはは。ごめんねあやめちゃん……」
「なんでこうなったのか、目的も忘れちゃってるよね?」
「あはは……。……ごめん」
そういえばどうしてここでボールを蹴ることになったんだっけ。
「素晴らしい!素晴らしいよ神酒盃さん!」
「素晴らしいですわ!」
「あんた、スゲーよ!」
三者三様で菊鞠を褒めてくる。先ほどまでの胡乱げな空気はすっかり無くなっていた。
「どうだろう、八橋さん、神酒盃さん。僕たちのサッカー同好会に、入会してもらえないだろうか!」
そうだった、そんな話からこうなっていたんだったか。あまりにも脱線し過ぎていて忘れていた。決して、ボール蹴りに興じるのが楽しかったからではない。断じてない。
鹿戸、蝶名林、猪目の、期待を込めた目が二人を見つめる。
菊鞠とあやめは同時に答える。
「「ごめんなさい、お断りいたします」」