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紅に咲く ― 鳥籠の姫君と誓いの護衛 ―  作者: ゆき
第三章 ただ、君を信じて
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第十話 彼の戦い

あれから季節はめぐり、陽の光がじりじりと差し込む大広間に、朝の定例会議を知らせる太鼓の音が鳴り響いた。


景仁は王座に腰を下ろし、

左右に並ぶ文官・武官たちを見回して言った。


「……本日の宴、ぬかりはないか」


烈翔や総雅、華蘭や誠、焉明に煌辰までも列席し、それぞれが静かに頷いていく。


最後に、後方に控えていたひとりの兵が、一歩前へ出た。


「報告がございます」


許可を受け、兵は手元の文書を広げた。


「例の張 昶の件――

先日、中央より正式に統治権を剥奪されました」


ざわり、と会議の空気がわずかに揺れる。


「主な理由は脱税と横領。

また、複数の証言により、不正に他国勢力と通じていた形跡もあったとのことです」


景仁はわずかに目を細め、口をつぐんだ。


その横で、煌辰がそっと誠の方へ身を寄せて、ごく小さな声で囁いた。


「……おまえ、まさか……」


誠は、視線を前に向けたまま。


ほんのわずかに、口元を緩めて言った。


「偶然では?」


その声は、誰にも届かないくらいの、小さな音だった。


煌辰はため息まじりに、ぽつり。


「……こわいこわい」


机上の報告は続く中――

誠のわずかな笑みに、すべてが語られていた。






そして数刻後――

夕暮れの空が金に染まる頃、

季国の城にて、各国の使節を招いた盛大な宴が開かれた。


広間には、色とりどりの酒器と豪華な料理。

華やかに装飾された天井の下、

中央に設けられた高座には、堂々たる姿で景仁が座している。


その隣に、ゆるりと歩みを進めてくるのは――

紫国王、紫宸。


「これはこれは、季景仁殿」


紫宸が口角をわずかに上げて言う。


「相変わらず、ご盛栄のご様子。ご招待、感謝する」


景仁もまた、わずかに眉を持ち上げたまま、

穏やかながら鋭い視線を返す。


「遠路よりのご来訪、感謝致す。

戦では敵と交わるとも、宴では客として遇するのが我が流儀――

どうか、くつろがれよ」


「ふむ、ありがたく」


二人の言葉は、丁寧でありながら、一歩も譲らぬ火花を内包していた。


その刹那――

紫宸がふと、酒を手に取りながら、

軽く首を傾けた。


「ところで、例の――

御令嬢は本日はご不在かな?

あの舞は、なかなかに印象深かったのでね」


広間の空気が、すっと冷えた。


景仁の表情は、変わらない。


けれど、その目の奥に、

わずかに揺れるものが走った。


「……あれは、先日少々怪我をいたしましてな。

本日は控えさせております。

いやはや、武門の家に育てたつもりが、

娘というものはなかなか手強い」


「ほう、それはそれは。

……ずいぶんと“大変だった”ようですな?」


一瞬、視線が交差する。


その一言が、“伽耶”という名を強く含んでいることに、気づかなかった者はいなかった。


そして、その名が口にされた瞬間――


誠の指が、ふと止まった。


杯に手をかけたまま、まるで微細な震えを押し殺すように、ほんのわずかに、動きを止めた。


誰にも気づかれぬほどの、ほんの一瞬。


紫宸の傍らに控えていた、紫国の軍師・凛鷹りん・ようだけは、確かにそれを見ていた。


何も言わず。

眉ひとつ動かさぬまま、

ゆっくりと視線を戻し、

小さく、ほほえんだ。


(……なるほど)


その瞬間――


「では、乾杯を」


総雅の声が、広間に響き、全員が盃を持ち上げた。


そして、宴が――始まった。





宴も中盤に差し掛かり、

賑わいの中心が舞台へ移る頃――

誠は、するりと席を立ち、

凛鷹の隣へと歩を進めた。


「……お隣、よろしいでしょうか」


「もちろん。

陸誠殿、ようこそ」


ふたりは、互いに盃を交わす。


盃の音が、かすかに響いた。


「大変、立派な宴ですね」


凛鷹が、酒器を傾けながら口を開いた。


「音楽、料理、設え……

どれを取っても、一国の威信を感じます」


「お褒めに預かり光栄です」


誠もまた、静かに盃を口に運ぶ。


「ですが――

宴が華やかであればあるほど、

その陰にあるものも、また深くなっていくように思います」


「……ふむ」


凛鷹は、目を細める。


そして、ほほえんだまま言った。


「光が強ければ、影もまた濃くなる――

なるほど、陸誠殿らしい言葉ですな」


その返しに、誠もまた、わずかに微笑む。


「最近、周辺国が……賑やかでして」


凛鷹は、盃をゆっくり回しながら、

わずかに眉を上げた。


「……ほう?」


「どうやら、賊の動きが活発なようです。

それも――まるで連携しているかのように」


凛鷹は、すぐには応えない。


やがて、ひと口だけ盃を傾けて、にこやかに言った。


「賊とは……都合のよい風に流されるものですな。誰の意志とも知れず、ただ混沌の中に流れるだけ」


誠は微笑んだまま、次の一手を差した。


「そういえば――

貴国の属国で、最近動きがあったとか?」


その言葉に、

凛鷹の盃の動きが、わずかに止まった。


ほんの一瞬。


それは、他の誰も気づかない、

鋭利な一手への“応答”だった。


「……小国の話。我が国としては、とくに干渉はしておりませんが……」


「なるほど」


誠は酒瓶を手に凛鷹の盃を埋める。

凛鷹は杯を傾けながら、何気ない風を装って、こう言った。


「……それにしても、本日はお姿を見られず、少々残念ですな。

あの方の舞は、まるで春先の霞のようだったと聞いております」


誠の視線が、一瞬だけ揺れた。


「……何の話でしょう」


「姫君のことです。伽耶様、でしたか」


その名を、はっきりと口にした凛鷹の微笑は、どこまでも穏やかで、それゆえに――底が見えなかった。


「まるで、その声すら風に触れさせぬよう――

静かに閉ざされた鳥籠のように、大切にされているのですね」


盃の縁に、指が触れたまま。


「何を警戒されているのやら……

それほどまでに、かの姫君は――

誰かにとって失いたくない存在ということでしょうか」


誠は、盃を置き、わずかに目を伏せた。


やがて、静かに口を開く。


「……美しい鳥というものは、

その姿だけで――狙われることがあると聞きます。

誰のせいとも、何のためとも限らず、

ただ、美しいというだけで――標的になることがある」


指先が、盃の縁をなぞる。


「だからこそ、時には……

番犬を傍に置くこともあるのだと。

たとえ、吠えぬ犬であったとしても」


誠は、はじめて凛鷹の方をまっすぐ見た。


その目は、穏やかでありながら――

一点の揺らぎもなかった。


それは、怒りではない。

誇りと、信念と、忠誠――

“この命に代えても守る”という覚悟そのものだった。


凛鷹は、誠の言葉を聞き終えても、すぐには何も返さなかった。


やがて、

唇の端をほんのわずかに上げて――


「……ふふ。なるほど。

――頼もしい番犬殿とお見受けしました」


その声は柔らかく、

けれど、まるで刃のない剣のように、

静かに場を断ち切った。


ちょうどそのとき、

舞台の方で楽器の音が鳴り始めた。


華やかな琴の旋律が、

ゆるやかに空気を変えていく。


視線が、自然とそちらへ向く。


凛鷹もまた、杯を持ち直し、

軽く目を細めた。


「……良い音ですね。

宴の楽しみというのは、こうした穏やかなものにこそある」


誠は、無言のまま盃を持ち上げ、

それに応えるように、酒を口にした。


こうして、言葉の火花は――幕を下ろしたのだった。

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