第四話 ようこそ、私の家族へ
書房に、静かな朝の空気が満ちていた。
いつもと変わらず、誠が伽耶の隣で筆をとり、机に並ぶ書巻へと視線を落とす。
伽耶も、少し下唇をかみながら集中していて――
──バァンッ!!
「伽耶ーッ!!!」
突然、扉が跳ね飛ばされるようにして開き、
勢いそのままに、ひとりの少女が飛び込んできた。
長い髪を風にゆらし、紅の衣をなびかせながら、彼女はまっすぐ伽耶へ駆け寄る。
「姉様っ!?」
伽耶が目を丸くして立ち上がったその瞬間、
少女は伽耶を強く抱きしめた。
「やっと戻ってこられたわ! 伽耶、会いたかったのよ!」
「わたしもですっ……!」
再会を喜ぶふたりの間で、誠は思わず筆を止めた。
(な、なんという勢い……)
「元気だった?少し背が伸びたんじゃない!?」
と華蘭が無邪気に笑った直後――
「やれやれ、また華蘭は……」
「伽耶、元気だったか?」
ふたりの兄――烈翔と総雅が、遅れて書房へと姿を現した。
華蘭の腕の中にいた伽耶が、ぱっと顔を上げる。
「お兄様たちまで……!」
ぱっと咲いたような笑顔で、嬉しそうに声をあげた。
(……三人も、いらっしゃるのですか!?)
誠の脳内に警鐘が鳴り響く。
初対面にして、想定の三倍の兄姉登場である。
もちろん、伽耶の指導係である以上、いずれこの国の王や、その後継たちと顔を合わせる日が来るだろうとは考えていた。
だが――まさか、こんなにも早く、そして“こんなかたち”で出会うことになるとは……
あまりの勢いに、身体が一瞬、動かなくなっていた。
突然、華蘭は陸誠の方へ向き直り、ずいっと詰め寄る。
「あなたが、陸誠ね!?」
「は、はい。陸誠にございます……」
思わず姿勢を正し、きっちりと返答する誠。
その様子をじーっと見つめたあと、
華蘭はいたずらっぽく口角を上げて、ニヤッと笑った。
「ふふっ、なるほどね――」
そう言うと、華蘭は今度はじっくりと、誠を上から下まで観察する。
その真剣な眼差しに、誠は思わず背筋をもう一度ぴしっと正してしまう。
「……うん、顔も悪くないし、真面目そう!伽耶が書いていた通りね!」
ぱんっ、と手を打って納得顔の華蘭。
「この子ったら、ちょっと前まで“桃の花が咲いたの〜”だの、"小鳥が遊びにきたの〜"だのそんなのばっかりだったのに、
最近は“陸誠がね〜”“誠ってね〜”ってあなたのことばっかりなんだから!」
「姉様っ!! もう、やめてくださいっ……!」
伽耶が顔を真っ赤にして華蘭の腕に触れた。
「ふふっ、だって本当のことでしょう?あのときの総雅兄様なんて――」
華蘭はにっこり笑いながら、まるで悪戯話の続きを語るように囁いた。
「あなたからの手紙を読んで“陸誠がね、陸誠がね”って続くたびに……
手にしてた木簡を“バキィッ”って、へし折ってたのよ?」
「やれやれ……話が長くなる前に、俺たちも入れてくれよ」
烈翔がのんびりとした口調で笑い、総雅は控えめに頷いた。
「お騒がせしてすまない。伽耶、元気そうでなによりだ」
総雅のその言葉に伽耶はぱっと顔を輝かせ、嬉しそうに微笑んだ。
が、すぐに姿勢を正し、小さく深呼吸をするとくるりと誠の方へ振り向く。
「陸誠、紹介するわ。こちらが私の兄姉たち――
長兄の烈翔兄様、そして次兄の総雅兄様、それから華蘭姉様よ!」
まっすぐな瞳で一人ずつを見やりながら、丁寧に紹介する。
「私の、自慢の家族なの」
恥ずかしさの中にも、誇らしげな笑みが浮かぶ。
誠は深く頭を下げた。
「初めまして、陸誠にございます。姫様の学び役を仰せつかっております。どうぞ、よろしくお願い申し上げます」
その姿を見て、烈翔と総雅はそれぞれ頷き、華蘭は満足そうに腕を組んだ。
「ふむふむ、礼儀はバッチリね! じゃあ――」
──パンッ! パンッ!
音も高く、芳蘭の手が二度、鳴らされた。
ぴしりと空気が張り詰め、部屋の熱気が一瞬にして冷える。
「皆様。ご挨拶は結構ですが――姫様は、これより“筆のお時間”にございます」
「う……っ」
伽耶がわずかに眉を寄せ、口をへの字に曲げる。
芳蘭はすかさず、三人の兄姉へと扉を示しながら続けた。
「皆様も、陛下へのご報告があるのでは?さ、どうぞお戻りを」
「……そうだな。そろそろ行かねぇと怒鳴られちまう」
烈翔が小さく肩をすくめ、のそりと扉へ向かう。
「兄上は普段から遅刻が多いですからね。また筆頭侍官殿に叱られますよ」
総雅は苦笑しながら兄の背中を押しつつ、
「また後でな」
ふっと唇の端を上げて、伽耶へと目をやった。
「えぇ〜、もう……じゃあ、伽耶! またあとでね!」
華蘭は名残惜しそうにふわっと笑い、片手を大きく上げてひらひらと振った。
扉が閉まり、ようやく静けさが戻る。
伽耶は名残惜しそうに扉の方を見つめ、
「姉様たち、やっと戻ってこられたのね……」
とポツリとつぶやいた。
そして、伽耶は誠の方へと向き直りふわっと微笑んだ。
「ふふっ、わたしの家族、素敵でしょ?」
誠は、少しだけ苦笑しながらも、
「……ええ。なんと申しますか……
まるで“春嵐”のようでございました」
と答える。
「たしかに〜!」
伽耶がうれしそうに笑ったそのとき――
「さあ! おふたりとも!」
パンッパンッ、と芳蘭がもう一度手を叩いた。
「お勉強の時間は、まだ終わっておりません!」
「うぅっ……わかりましたぁ……」
伽耶は小さく肩をすくめて席に戻り、誠は黙って、少しだけ笑みを浮かべた。