第八話 小さな約束
帰路は、行きとはまるで違っていた。
行きは、早馬で突き進み、空気すら張り詰めていた。
けれど、今は。
伽耶を連れ、慎重に進む長い隊列。
無事を喜ぶ安堵の空気と、春のあたたかさに包まれながら、時折休みを入れ、ゆっくりと戻る道。
そして、西の空が茜色に染まりはじめた頃、
ふたりが乗る馬の先に、見慣れたあの城門が見えてきた。
「……帰ってきた」
伽耶がぽつりと呟いた。
その門の前には、ずらりと並ぶ人々の姿。
父・景仁を筆頭に、烈翔、華蘭、家臣たち。
そして、傷ひとつなく救出された同行の女官ふたりの姿もあった。
兵のひとりが駆けて前へ出ると、城門の上から旗が振られる。
「帰還の隊列、城門前に到達!!」
声が響いたその瞬間、城の前に集まっていた人々が、一斉に息を呑んだ。
そして――
「伽耶!!」
真っ先に叫んだのは華蘭だった。
彼女は制止も聞かずに駆け出し、馬から降りようとする伽耶を、地面に降りる前に、ぎゅうっと抱きしめた。
烈翔も駆け寄り、華蘭と伽耶、二人まとめて強く抱きしめる。
「……もう、ほんと、無事でよかった……っ!!」
「心配したんだぞ、伽耶…!」
「華蘭姉様、烈翔兄様……っ、わたし……っ」
抱き合ったまま涙ぐむその横に、静かに近づいてきたのは、景仁だった。
堂々たる姿で、しかし、夕陽が照らすそのまなざしは、どこかやさしげだった。
陸誠がすぐに一歩前へ出て、深く頭を下げる。
「伽耶姫様、無事に帰還されました。
賊の情報、被害の詳細については――」
「……よい」
その声が、重く、でもやわらかく響いた。
「あとでよい。今は、戻った娘の顔を見させてくれ」
陸誠は、その言葉に驚いたようにわずかに目を開き、すぐに、深く頭を垂れた。
そして景仁は、まだ抱きしめられている伽耶の頭を、大きな手で、ぽん、と静かに撫でた。
「……よく、帰ってきたな」
その一言に、伽耶の目から、また新しい涙がこぼれ落ちる。
「あっ……」
はっとして、伽耶は涙を拭おうと手を上げる。
「も、申し訳ありません、わたし……
こんなところで、泣いたりなんか……!」
小さく震える声。
人前で涙を見せてはいけない。
そう教えられてきた。
けれど。
その手を、景仁がそっと止めた。
「よい」
そう言って、ふっと、やさしく笑った。
それは、父としての顔だった。
伽耶の目が、潤んだまま見開かれる。
「……とうさま……っ」
そのまま、伽耶は景仁にぎゅうっと抱きついた。
景仁は何も言わず、その小さな肩をしっかりと抱き返す。
春の風が、ふたりの間をすり抜けていった。
そのあとは、まるで堰を切ったように、人々が次々に彼女のもとへ駆け寄ってきた。
城の誰もが、彼女の無事を喜んでいた。
その中心で伽耶は、少し圧倒されながらも、笑って、みんなに「ただいま」と何度も返す。
そのときだった。
「皆様、静まりなさいませ!!」
キレのいい声が響いた。
芳蘭が、腕をまくりながらずかずかと突入してくる。
誰も逆らえない、城でも一、二を争う“恐れられている存在”。
「お気持ちはわかりますが!
姫様はこれから医官の診察と、ご休息が必要でございます!!
感動の再会はけっこうですが、道を空けていただきます!!」
「えっ、でも……わたし、特に、怪我は……」
「そういうことではありません、姫様!
靴のまま倒れる前に、さあ、こちらへ!」
「きゃっ!? ちょっ、ほ、芳蘭……っ!」
ぐいぐいと引っ張られて、伽耶は人混みの中を後ろ向きに連れていかれる。
「せ、せめて皆に、一言お礼を……!」
「それもあとでございます!皆様もお仕事はどうなさいましたか!!」
もはや“お祭りモード”から“片付けモード”に突入しかけた広場。
けれど、連れ去られるその途中。
伽耶は、何かを探すようにきょろきょろと顔を巡らせた。
「……っ、どこ……」
誰の目にも留まらないように。
でも、自分にとってはどうしても、見つけたかった“誰か”。
――いた。
人々の隙間の向こう、少し離れた場所で、静かに佇む誠の姿。
見つけたその瞬間、伽耶は、連れていかれながらも、しっかりと目を合わせて、
『……また、あした』
声を出さずに口を動かす。
彼女のその言葉に、誠の瞳が、わずかに揺れたように見えた。
そして、誰にも見られぬように、ほんのすこし、頷いた。
春の光が、ゆっくりと傾いていく。
“日常”が戻ってきたその城の中で交わされた、ふたりだけの小さな約束だった。




