表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
紅に咲く ― 鳥籠の姫君と誓いの護衛 ―  作者: ゆき
第三章 ただ、君を信じて
32/173

第一話 蠢く影

広間に響く楽の音。

天井の高い、重厚な造りの宴の間は、隣国を招いての大規模な饗宴にふさわしく、絢爛たる装飾が施されていた。


その一角。女官たちがひそひそと声を交わしていた。


「……あの春の舞のときから、姫様、すっかり有名になられましたね」


「十五になられて、ますますお美しく……ご縁談の話も、あとをたたないそうですよ。ああ、きっと今夜もどこかのお偉方が目をつけて――」




そこへ、楽の音に合わせて舞台へと現れるひとりの少女。

揺れる桃と白の衣をまとい、風に溶けるような柔らかな微笑を浮かべる。


「……始まった」


末席に控えていた誠が、ふと顔を上げる。

その瞳には、誰よりも強く、一心に舞台の少女の姿が映っていた。


(……今日も、お綺麗だ)


思わず零れた心の声。

それを遮るように、隣で盃を傾けていた煌辰が肩を突いた。


「おーい、見すぎだぞー?姫様から少しも目が離せないってか?」


「……戯れはおやめください」


誠はわずかに咳払いをして視線を逸らす。

けれど耳まで紅くなった横顔を見て、煌辰はにやりと笑った。


その時だった。

舞いの最後、衣を揺らしながら一礼を終えた伽耶が、ふと顔を上げる。

そして――末席に控える誠を見つけ、ふわりと、静かに微笑んだ。


(……どうだった?)


声にならぬ問いが、その瞳に浮かぶ。


「……っ」


誠は胸の奥を強く打たれたように、一瞬だけ目を伏せる。

その微笑は、まるでこの世で一番美しいもののようだった。


「……末席なのに存在感ありすぎだろ、おまえ」


ぽつりと呟いた煌辰の声に、誠の耳がさらに赤く染まったのは言うまでもない。








一方その頃――


舞台に見惚れていたのは、季国の家臣たちだけではなかった。

季の王――伽耶の父景仁のもとに、ひとりの男が酒を手に近づく。

大国紫国の王、紫宸(し・しん)。目を細め、扇を揺らしながら口元に笑みを浮かべていた。


「これが噂の姫君か。なるほど、美しい……いや、想像をはるかに超えておりますな」


盃を傾け、その視線の先には、軽やかに、華麗に舞う伽耶の姿。


「ええ。亡き妻によく似ております」


景仁もまた、盃を揺らしながら、静かに応じる。


「姫は縁談も後を絶たぬとか。

……あれほどの姫ならば、手中に収めたくなる気持ちも、わかりますな?」


「……ご冗談を」


景仁は笑みを浮かべながら、手元の酒瓶をとり、紫宸の盃に注ぐ。


「娘はまだ幼く、舞を好むだけの子。政には興味も、理解もいたしませんゆえ」


紫宸は注がれた盃をくるりと回し、

「そうでしょうか」と、意味深に笑った。


「お噂は聞いておりますよ。詩に文学、兵法に礼法……“噂の軍師どの”が教えておられるとか。見事な仕上がりですな」


「……」


盃を持つ手に、わずかに力がこもる。

景仁は表情を変えずに、もう一度、自らの盃を満たすと――

ぐい、と一息に飲み干した。


「……娘がそう見えたなら、師の力によるところでしょう。わが季国には、誇るべき若者が揃っておりますゆえ」


「ほう。頼もしいことですな」


紫宸の笑みは、まるで何も含んでいないかのように柔らかい。

だが、その背後にある“意図”を、景仁は誰よりも鋭く感じ取っていた。


(――軍師にまで目をつけるとは。やはり、油断ならぬ男だ)


景仁は、無言で盃を口元に運び――ぐい、と一息に飲み干した。


その表情に、笑みは浮かんだまま。

だがその笑みに、いつの間にか鋭い切っ先のような静かな闘志が宿っていた。


「我が季国の宴、楽しんでいただけているようで、何よりですな」


「ええ、ええ。実に……興味深い」


そう応じる紫宸の目もまた、決して笑ってはいなかった。


――視線の裏で交差する、剣より鋭い探り合い。

それに気づいた者は、ほんの一握り。








隣席の重臣たちがざわめく中、

そのやり取りを、ひとり遠巻きに耳にしていた男がいた。

小国の主、張昶(ちょう・ちょう)

その若き瞳は、伽耶の姿を、そして景仁と紫宸のやり取りを、確かに心に刻みつけていた。


「……あれが、季の末姫」


楽が終わる。

姫の舞が終わり、会場が賛辞と拍手に包まれる中、姫はふわりと微笑んだ。


張 昶は、その笑みをじっと見つめながら、低く笑う。


「……使えるな」


盃を揺らす彼の目は、紫国の王、紫宸へと向けられていた。


(この姫を献じれば、我が国も――)


彼の思惑に気づく者は、この場にほとんどいない。




だが――末席に控えていた、陸誠の視線が一瞬鋭くなった。


遠く離れていても、姫の微笑みに返す誰かの目が、“まるで狩人のよう”だったことに――気づいてしまった。


(……あの男、何者だ?)


表情は崩さず、誠はゆっくりと酒を口に運んだ。――ただ、わずかに目元の奥が冷える。


この日、宴の裏側で“何かが始まった”ことを、彼だけが感じ取っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ