第三話 見守る瞳たち
庭に咲き誇る桃の花もすっかり新緑に変わった頃の昼下がり、季景仁は執務室で書類に囲まれていた。
そこへ、トントンと訪室を知らせるノック音がなり、続けて
「芳蘭でございます」
と声が響いた。
景仁が入室を促すと、芳蘭は頭を下げたまま入室し、その机の前で膝をついた。
「陛下、お求めに応じ参上いたしました」
芳蘭の凛とした声が室内に響く。
「うむ、面を上げよ」
景仁の落ち着いた声に、芳蘭は恭しく顔を上げた。
「それで、首尾はどうだ?」
問いかける声音には、どこか確信と、ほのかな楽しさが滲んでいた。
芳蘭は真っ直ぐ景仁の目を見つめたまま、口を開く。
「はい。陸誠様の教え方がとても丁寧で、伽耶様は楽しそうに筆が進んでおります。
どうやら息も合うらしく、毎朝陸誠様が来られるのを心待ちにしておられます」
それを聞いた景仁は、満足げに小さく頷いた。
しかし、芳蘭は少しだけ表情を曇らせ、続ける。
「ただし……いささか、距離が近いようにも感じますが……」
その言葉を聞いた景仁は、一瞬大きく目を開き――次の瞬間、豪快な笑い声を上げた。
「よいではないか!」
机に肘をつきながら、景仁はどこか遠くを見るような目をした。
「……あの子は、幼い頃に母を亡くしてからというもの、“姫”として立派に育てようと、必要以上に閉じ込めてしまった節がある。
…その分、“少女”として笑う時間は、あまりに少なかった」
少しの沈黙の後、彼はゆっくりと足を組み直し、芳蘭の方へと顔を向けた。
そして――どこか“わざとらしく”いたずらっぽく笑った。
「それに――“仲の良い友人を作ってやれ”と、進言したのは他でもない。
芳蘭、おまえであろう?」
「そ、それは……!
そうではございますが……っ!」
思わず語気を上げてしまった芳蘭は、はっと我に返り、姿勢を正す。
その様子を見て、景仁はまた、愉快そうに笑った。
だが――その瞳には、深い信頼とあたたかさが宿っている。
「――見守ってやれ」
静かに、けれど確かにそう言った。
芳蘭はまだ何か言いたげに一度口を開きかけたが、
やがて、それを飲み込んで――静かに頭を下げた。
「……王の御命令どおりに」
芳蘭はそう言って頭を下げると、
背筋を伸ばし、書の山に向き直る景仁をしばし見つめ――ほんのわずかに、目を細めた。