番外編 風船戦記 参
そして、試験当日。
澄み渡る青空の下、少年たちの緊張と高揚が混じり合う空気が張り詰めていた。
誠は人波の隙間で、一人静かに地図に目を落としていた。
地形、風向き、陽の差し込み――何度も確認したはずの情報を、指先でなぞる。
その肩を、突然後ろからぱしんと叩く手があった。
「おい! 今日こそ、あのいけすかねえ七光り野郎をこてんぱんにしてやろうぜ!」
振り返るまでもなく、声でわかる。蒼煌辰だった。
誠は叩かれた肩に目を落とし、そっと手で払った。
「策は万全です。あとは、あなたにかかっています」
「なら、まったく問題ねぇな。俺は今日も体調万全!」
自信満々の笑みを浮かべた煌辰は、今度は誠の肩に腕を回すと、模擬戦用の木剣をぶんぶん振り回しながら鼻歌を歌い出す。
まるで緊張の“き”の字も感じていないようなその姿に、周囲の少年兵たちからもくすくすと笑いが漏れる。
その瞬間。
「――鎮まれ!」
鋭く張り詰めた声が場に響き、空気が一変した。
試験官の一喝に、騒いでいた少年たちが一斉に静まり返る。
「本日の試験は、光栄にも姫様方が御見学なさる。無礼のないように振る舞え!」
その言葉に、抑えきれないざわめきが広がった。
「うそっ、ほんとに伽耶姫ちゃん来るの!? まじかよ!…余計負けらんねーじゃん、な、誠坊?」
煌辰が相変わらず誠の肩を抱いたまま、
にやにやと顔を覗き込んでくる。
しかし誠は、無言でその手をもう一度払い落とした。
「……おい、姫様方だ! 梁 蓮臣もいるぞ!」
誰かの声に、少年兵たちの視線が一斉に上がった。
誠もふと顔を上げる。
高台に立っていたのは、色とりどりの装束を纏った姫君たちと何人かの大臣たち。
その中心には、華蘭、その隣に梁 蓮臣、そしてもう一人――伽耶の姿があった。
蓮臣はやや緊張気味に、しかし張り切った様子で何やら伽耶に熱心に話しかけている。
だが伽耶の唇には、愛想の良い“張り付いた笑顔”が浮かんだままだった。
どうやら蓮臣は会場を案内しているらしく、
手で誠たちが並ぶ広場を指し示した――その瞬間だった。
伽耶の視線が、誠をとらえる。
「……!」
声は聞こえなかったが、
彼女の口元が「誠」と名を呼んだように動き、
ぱっと咲いたような笑顔が浮かぶ。
両手を上げかけたところで、
伽耶の背後の芳蘭がすっと口元に手を当てた。
(咳払い、ですね)
誠は静かにそう思いながら、その様子を目で追う。
伽耶はあわてて両手を下ろすと、控えめに小さく手を振った。
それから、一度視線を外すようにすました表情を見せ――
もう一度、まっすぐに誠へと目を向ける。
“がんばって”
声なき言葉が、唇の動きとともに、真っ直ぐに届いた。
誠の口元がふっとゆるみ、小さく頷く。
その横で、煌辰がぽつりと呟いた。
「……あれ、絶対俺に言ってたな…」
誠は地図に視線を戻しながら、その軽口には応えず、けれどほんの少しだけ、肩が揺れた。




