番外編 風船戦記 弍
くじの結果、誠と煌辰は紅軍に、蓮臣は白軍に配された。
紅軍の面々が輪になって腰を下ろすと、すかさず煌辰が立ち上がる。
「大将は俺な。文句あるやつ、いるか?」
軽い笑みを浮かべたまま、周囲をぐるりと見回す。
その剣の腕を知らぬ者などいない。誰ひとり、言葉を発さなかった。
「決まりだな」
煌辰が得意げに笑うと、輪の中心にすとんと腰を下ろした。
「で、作戦はどうする?」
そこからは、少年たちの自由な発想が飛び交い始めた。
「弓兵が隠れてて、出てきたやつを狙うのはどう?」
「でもそれ、隠れてるところに敵が来たら負けじゃね?」
「じゃあ、槍兵で突っ込んで、剣兵が裏に回るとか――」
あれこれと声が重なる中、
輪の隅で、黙って紙風船を見ていた誠が、すっと手を挙げた。
声が消える。
全員の視線が、彼ひとりに向かう。
「囮作戦としましょう」
静かに放たれたその一言に、空気がぴたりと張り詰める。
「……囮?」
ぽつりと誰かが言ったのを受けて、誠は前に置かれた地図に指を滑らせる。
「少人数が前に出て、敵を引きつけます。
当然、伏兵を警戒されるでしょう。その瞬間、敵はおそらく二手に分かれます」
地図から顔を上げ皆の顔を見回し、そっと目線を地図に降ろした。
「こちらの道を選ぶと見ています」
誠は指を動かし、別の道筋を指し示した。
「そこに、我らの風船と同じ色の偽風船を吊るしておきます。
敵はそれを伏兵の気配と誤認し、混乱するはずです」
「俺らの軍の人間がいると見間違えるってわけだな」
煌辰が目を細めて口にすると、誠は小さく頷いた。
「偽風船に気を取られ混乱した敵を、伏せていた少数の弓兵で狙撃します。
囮に群がった敵本隊は、残りの全軍で包囲・制圧を」
指がすっと地図の外縁をなぞり、止まる。
「……被害を最小限に、勝利を確実に得るための策です」
しん、とした静寂。
さっきまで騒がしかった空間が、一瞬にして息を潜めた。
「……待て。それなら、囮は大将の俺がやる」
沈黙を破ったのは、煌辰だった。
「そのほうが、相手も本物だと思うだろ。俺なら目立つし、一人で済む」
誠はゆっくりと顔を上げて、煌辰の横顔を見つめる。
「……確かに。蒼煌辰であれば、陽動の効果も高く、
その分兵を他へ回すこともできます。ですが、危険です」
「俺を誰だと思ってる。二十人に囲まれても、負ける気はしねえ」
にやりと笑う煌辰に、誠もまた、小さく頷いた。
「……承知しました」
そして、誠は全員を見渡し、ひと呼吸おいて言葉を継ぐ。
「以上です。
もし問題がなければ――この策で、明日、勝ちを取りにいきます」
誰も、すぐには言葉を返さなかった。
やがて、ぽつりと少年の一人が呟く。
「……すげえな」
「じゃあ……軍師は、お前だな。陸誠で」
その言葉に、周囲からいくつも頷きが返ってくる。
煌辰がふっと笑って、誠の背を軽く叩いた。
「じゃあ決まりだな。軍師陸誠、大将俺。
……なあ、俺は暴れるだけでいいんだよな?」
「誰よりも派手に。お得意でしょう?」
誠の静かなひと言に、煌辰は満足げに目を細める。
「よしっ、勝つぞ!」
そう叫んで拳を振り上げると、それを合図にしたように、紅軍の少年たちがいっせいに声を上げた。
「おおーーっ!!」
「やってやるぞー!」
「紅軍、勝つぞ!!」
輪になった少年たちの士気が、一気に天井まで跳ね上がる。
ただひとり――
その中心で誠だけは、静かに地図を見つめたままだった。
その瞳は、誰よりも静かに、
でも、誰よりも強く、確かに――
明日の勝利を見据えていた。
一方その頃、白軍。
蓮臣は集まった少年兵たちを一ヶ所に座らせ、その先頭に立っていた。
「大将はこの梁蓮臣だ。いいな?」
張りのある声に、少年たちはびくりと肩を揺らし、次々と視線を伏せた。
蓮臣は腕を組み、ぐるりと全員を睨むように見渡す。
「この戦、梁家の名にかけて――絶対に負けるわけにはいかない」
それでも返ってくるのは、沈黙だけだった。
わずかな緊張と息遣いだけが、静かな空間に漂っている。
「なにか策がある者は?」
蓮臣が問いかけるも、誰ひとりとして声を上げない。
空気が凍ったように、しん……と静まる。
そんな中、ぽつりと後方から間延びした声が上がった。
「……隠れてたらいいんじゃない?」
「風船、見つからなきゃ割られないよな」
「俺、崖の上で寝とくわ」
「ふざけるな!!」
蓮臣が声を張る。
その怒鳴り声に一瞬こそ少年たちはびくついたが、空気は依然としてまとまらない。
会議というには程遠い、ただの雑談のようなざわめきが残っていた。
(この試験には父上も……姫様方もいらっしゃるというのに……)
冷や汗がじわじわと背を伝う。
焦りだけが、胸の奥で燃えるように膨らんでいく。
その時だった。
一人の少年、陳子安が、恐る恐る手を挙げた。
「僕らの軍は、槍兵と剣兵が多いです。向こうは弓が多いと聞きました。1番の脅威はあの蒼煌辰です。
ならば、鶴翼の陣で迎え撃つのはどうでしょうか?」
蓮臣はぐっと子安を見据え、ふむ、と頷く。
「……では、それでいくぞ。お前があとの策を考えろ」
正直なところ、“鶴翼の陣”の詳細までは把握していない。
だがようやく出てきた“それらしい案”に、蓮臣は内心安堵していた。
(これで――奴らの鼻の内を明かせる)
「陸誠に、蒼煌辰……絶対に負けないからな」
小さく唇を噛んだ少年の瞳には、
誰にも気づかれないほど、強い炎が灯っていた。




