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紅に咲く ― 鳥籠の姫君と誓いの護衛 ―  作者: ゆき
第八章 紅にとける夢
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わたしの死に様に、ついてきて 後編

すっかり日が山の向こうに沈み、囲炉裏の火も静かに落ち着いたころ。

伽耶は湯呑みに口をつけ、ぽつりとため息をついた。


向かいでは、誠が帳簿に筆を走らせている。

部屋の中には、紙と筆の音、そして湯の立つかすかな音だけが漂っていた。


その静けさを破るように――


「……はっ……!」


息を呑むような小さな声が、湯呑みの向こうから漏れた。

誠は帳簿の手を止めて顔を上げる。


「………伽耶様?」


そこには、目を見開いたまま硬直する伽耶の姿。


ややあって、彼女は湯呑みをそっと置き、真顔で誠のほうを向いた。


「――誠。わたし、気づいてしまったの」


その真剣すぎる眼差しに、誠の背中を薄い不安が這う。


「.....はい」


「死ぬ間際の台詞は、事前に考えておかないと碌なことが言えない」


きりりと断言する声に、誠の筆が止まる。

ぽたりと、帳面に墨が落ちた。


「…………はい?」


伽耶は悔しげに唇を噛む。


「夢の中のわたし、死ぬ直前にこう言ったの。『誠、きてくれたのね、誠』。2回も名前呼んだだけよ。我ながらなんて乏しい語彙力なの」


「…………」


拳を握りしめ、わなわなと震える伽耶。

誠は静かに筆を置いた。


「もっとあったはずなのよ。"今までありがとう”とか、”あなたと過ごせて幸せだった”とか、なんなら、”来世もまた見つけてね”くらい言いたかった......」


(そこまで盛り込むのですか……)


伽耶は深いため息をひとつ落とすと、再び湯呑みに手を伸ばす。


「その一言で、あなたの残りの人生が変わる可能性があるのよ。わたし、あなたの腕の中で、ちゃんと、感動的で美しくて、あなたの心に一生残る台詞を言いたいの」


そう言って、茶を口に含む。


(……死ぬ前提の会話というのが、やや胃にきますね)


誠は落ちた墨が帳面に染みていくのを見下ろし、静かに目を伏せた。


「そうと決まれば、こうしてはいられないわね……!」


湯呑みをトンと置き、伽耶は勢いよく立ち上がる。


そして、机に向かう誠のもとへと歩いてきた。


「ちょっと詰めて?紙と筆、借りるわよ」


「えっ、いま記録を――」


「後世に残す記録より、後世に残す台詞の方が優先順位は高いわ」


まっすぐな目で断言されて、誠は口を閉じるしかなかった。


伽耶は小さな机の端に腰を下ろす。

もともとひとり用の机だ。

誠が急いで少し身を引くも、肩も腕も、ぴたりと伽耶と触れてしまう。


「…………」


誠はそっと視線を逸らした。

その耳は、ほんのり赤い。


隣では、伽耶が意気揚々と筆を握っている。

墨をすり、紙を整え、すっかり“本番”の表情だ。


誠はため息をひとつこぼしながらも、帳簿へと視線を戻した。


……が、すぐ隣でまっすぐに“最期のセリフ”を考えている伽耶の横顔が、なぜだかとても愛おしくて、筆を持つ手がふと止まってしまう。


(……まったく、なにをしておられるのか)


それでも筆を取り直し、誠は静かに帳面を進める。





しばらくして、


「うーん……うーん……」


と、伽耶の苦しげな唸り声がもれる。


誠はふと横目で紙面を覗いた。


そこには――

“来世”、“道端に咲く花”、“最後のお願い”など、

詩的で意味深な単語たちが、ずらずらと並んでいた。


いくつかの語には太い墨で斜線が引かれており、そのうちのひとつには「凡庸」と小さく書き添えられている。


「………」


伽耶は、眉間に皺を寄せ、顎に指を当てて考え込んでいた。


(……お城での学びのときも、これほど真剣な表情はそうなかった気がしますね)


誠は苦笑をうかべる。


「…もっと感動的で、ちょっと詩的で…それでいて衝撃的な.....」


「どこを目指しているのですか伽耶様…」


誠は思わず声が出てしまい、その声に伽耶は首を傾げ、嬉しそうに横に座る誠の顔をのぞいた。


「いっそ句にするのどうかしら?

"君を想い 逝くは無念の 雪の中"

.....おしゃれじゃない?」


「"の中"はなくても伝わります。…違います。そういうことを今、申し上げたいのではありません」


「むぅ…たしかに」


伽耶は唸りながら、唇を尖らせる。

誠は小さく首を振ると、湯呑みに口をつけた。


そして――


「……はっ!」


不意に、伽耶が息を呑む。


誠は茶を飲み下しながら、横目でちらりと彼女を見やる。

すると、伽耶は瞳をきらきらと輝かせ、赤墨の筆を手に取っていた。


さらさら、さらさら。


「…なにか、お気づきになられましたか」


「言葉で難しければ、視覚よ!大事な情報源の一つだわ」


機嫌よく筆を走らせる伽耶は、満足そうに描き終えると紙を両手で持ち上げた。


「完成したわ!血で描く最期の"記憶の庭”の試作!」


「記憶の庭…」


誠は静かにその紙を見つめる。


(魚、だろうか…角?が生えている…?これは……雪、でしょうか……)


やや不安げに首を傾げ、そっと口を開く。


「題目は……祟り、でしょうか?“末代まで祟る”といったような……」


「違うわよ!こっちは鯉、こっちは桜の花びらよ。あの宮の中庭が題材なの。わたしたちの思い出の場所でしょう?」


にこにこと笑みを浮かべながら首を傾げる伽耶。

誠は、ふぅ……と小さく息を吐いた。


「……まず、こちらの“鯉”についてですが。

 わたしの知る限り、鯉に角はございません」


「あ、それは“感情”を表してみたの。怒りを湛える鯉、みたいな」


「……そういった装飾の前に、まず鱗とヒレの存在をご確認ください」


誠の言葉に伽耶は唇を尖らせる。


「......花びらはどう?ひらひらと舞って、優雅でしょう?」


「…失礼ながら申し上げますと、先程の句を引きずってしまい、雪かと……」


「もうっ…!」


伽耶はぷんと頬をふくらませ、腕を組むとふいっと顔を背けた。


(……言いすぎたでしょうか)


誠は一瞬だけ迷い、そっと筆を取る。


「……このあたり、少し先端を尖らせて……ここに模様を加えて……はい、こうするといかがでしょう?」


隣から、ちらりと紙を覗き込む気配がした。


「…っすごいわ誠!ちょっとそれらしくなった!」


ぱっと目を輝かせる伽耶に、誠はふ、と笑みを浮かべる。


「ご満足いただけて、なによりです」


そう言いながらも、筆を持ったままの手がぴたりと止まる。

伽耶が、そっとその手に自分の両手を重ねてきたのだ。


「じゃあ、“死に際の絵”はあなたが担当ね!」


「わたしは、蘇生担当です」


誠が小さく肩を落とすと、伽耶は満足げに筆を置き、にこにこと笑みを浮かべた。


囲炉裏の火は静かに揺れ、部屋の中に、落ち着いた沈黙が戻る――かと思われた、その時。


「…はっ!」


雷に打たれたような声とともに、伽耶の動きが止まる。


誠もまた、ぎぎ……と音が鳴りそうなほどぎこちなく顔を向けた。


「………次はなにに気づかれてしまったのですか、伽耶様」


恐る恐る問いかけると、伽耶はゆっくりと顔を向け、目をきらきらと輝かせて言った。


「歌はどうかしら?」


「……はい?」


もはや誠の声は、呟きにも似ていた。


「以前お城にいた時、劇をみたでしょう?死に際になぜか突然歌い出したあれよ。とても元気に、高らかに、思いの丈を歌っていたわ!」


「………」


誠のまぶたが、微かに引きつる。

その劇ならば、たしかに覚えがあった。

城下で流行りの劇だとかで、伽耶に頼み込まれ、城に招いて共に観劇したのだ。


「正直自信はないけれど…試す価値はあると思うの」


伽耶の瞳はすでに、決意の色を宿していた。


「……ちょっと、練習が必要ね。いきなりは……さすがに恥ずかしいし。ふふ、たのしみにしていてね?」


にこりと笑うと、伽耶は足音も軽やかに、ふわりと居間を出ていった。


その場に残された誠は、しばらく何も言えずにいた。


静かになった部屋には、ぱち、と炭のはぜる音だけが、やけに大きく響いていた。


(……いや、もう何を楽しみにすればよいのやら……)


誠はそっと湯呑みに手を伸ばし、口をつけた茶がぬるくなっていたことに、今さら気づいた。







翌朝。

朝食を終えた伽耶は、どこか思い詰めたような顔をしていた。


「……では、行ってまいります」


それでも笑顔を作って手を振るその姿に、誠は言葉にならない不安を覚えながら、家を出た。





そうして太陽が真上に登る頃、畑作業を終えた誠は早々に家路へと戻っていた。

朝の伽耶の表情が気になり、正直仕事が手につかなかった。


家の外にはいつものように洗濯物が干されている。


(杞憂でしたか)


誠はふ、と笑みを浮かべると、扉を開けた。


……が、そこには。


仰向けに倒れている伽耶の姿。

脇腹が赤く染まり、周囲にも“血”というには随分と鮮やかな赤い何かがにじんでいる。


その周囲にはーー

鯉と桜が描かれた紙が、伽耶を中心にまるで花びらのように配置されていた。


誠は一歩、足を止めた。


伽耶がゆっくりと瞼を開く。


「誠…」


かすれた声に、絵を踏まぬよう注意しながら、そっと近づき跪く。


「きてくれたのね、誠…」


伽耶はにこっと微笑み、片手を伸ばす。

誠はその手をそっと取った。


「君を想い.....逝くは無念の......家の中.....」

「家の中」


誠はほんの少しだけ、目を伏せて口を引き結ぶ。


が、その次の瞬間一ー


伽耶はすっ......と起き上がって立ち上がる。


(えっ...?)


「ーー♪君を見つけたあの庭で

ひらひら舞い散る桜の花

鯉はめぐりて愛を知り

.....いつまでもわたしを覚えていて♪」


(何と個性的な音階…)


胸に手を当て高らかに歌い切った。その顔はどこか誇らしげですらある。


(思えば伽耶様の“御歌”を拝聴するのは今日が初めてかもしれません…)


誠はごくりと唾を飲んだ。


歌い終えた伽耶はいそいそと誠の側に横になると、そっと目を閉じた。


そして。


「…どう?」


静かに目を開けてにこ、と笑みを浮かべる。

誠はしばらくじっとその様子を見ていたが、5拍の拍手を送る。


そしてーー


「.....伽耶様、欲張りすぎです。」


「えっ?」


身体を起こした伽耶がきょとんと首を傾げる。


「台詞、絵、血、花、鯉、詩、歌、演出、衣装、間合い、余韻......ひとりで物語の全要素を背負いすぎです」


誠の視線は、脇腹の赤い染みに移る。


「その“傷”は.....」

「あ、これね、果汁よ。染料を混ぜて濃く見せてるの。なかなか良い出来だとおもわない?」


誠、両手で顔を覆う。


「.....伽耶様。せめて本気で泣ける演出にしていただけませんか......?」


「今泣いてるじゃない。私にはわかるわ誠」


「それは違います......!」


誠は深く息を吐くと顔を上げた。


そして、伽耶の手を取り、赤く染まったその手のひらを優しく拭っていく。


「…あなたが、そんな台詞や演出をする機会がないよう…わたしが、守ります。必ず」


「誠…」


伽耶は誠の目をじっと見つめた。


「それに…このような演出などなくとも…わたしが遺される時は、美しいままのあなたが、いつまでも残るでしょう」


拭き終えた誠は、伽耶をそっと立たせ、散らばった紙を拾い集めていく。

両頬を染めた伽耶もまた、その隣に膝をついて、紙を手に取った。


かさ、かさ、と紙を重ねる音だけが、しばしの静けさを埋めた。


「……伽耶様」


「なあに?」


伽耶は顔を上げると、にっこりと微笑んだ。


「一ーでは、今度は。

"わたしが先に逝く"場合も、ご検討ください。」


「………え?」


伽耶はぴたっ、と手を止める。


誠は、視線を下に落とし、紙を集める手を止めぬまま淡々と続ける。


「伽耶様が遺される側になられるなら。言葉、音、景色.......何を残されたいのか、知っておきたいと思いまして」


誠は紙を集め終えると、手際よくとんとん、と整えていく。


「演出はなくとも構いません。

ですがーーせめて、"遺された伽耶様”が、寂しくならないように」


「………やめて」


誠、はっと顔を上げる。


そこには一ー

さっきまで笑っていた伽耶の姿はなかった。


唇を噛んで、目に涙を浮かべている。


「.....そんなの、考えたくない......」


「伽耶様……」


誠はまとめた紙をそっと床に置いた。


「誠がいなくなったら、わたし…生きていても色がなくなるわ。なにをしても、しなくても、絶対に楽しくなくなる…」


(わたしも、あなたの死を想像すると、同じ気持ちではあったのですが…)


誠は苦笑しながら、そっと伽耶の肩を抱き寄せた。


「ごめんなさい。わたしの戯言でした。あなたより先に死ぬことなど、絶対にしません」


伽耶は誠の胸にそっと手を当てる。


「絶対ね…?」


誠は、頷くと、伽耶の目尻を拭う。

溢れた涙がその手に落ちた。


「あなたのことも――守り抜きます。必ず」


伽耶は少し笑って、こくんと頷いた。

開け放たれた戸から吹き込む風が、ふたりの髪を優しく揺らしていた。

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