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紅に咲く ― 鳥籠の姫君と誓いの護衛 ―  作者: ゆき
第八章 紅にとける夢
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わたしの死に様に、ついてきて 前編

空は分厚い雲に覆われ、朝だというのに夕刻のような暗さが漂っていた。

重たく湿った風が吹き、遠くで雷鳴が鈍く鳴っている。


誠はいつものように伽耶の宮へと向かっていた。


(今日は歴史の続きを進めなければ――)


そんなことを考えていた、その時だった。


「きゃああっ!!」


女官の悲鳴が空を裂く。

方角は――伽耶の宮。


誠の足が、無意識に速まる。

鼻をついたのは、血の匂い。

心臓が、ずるりと沈んだ。


「何があった……!」


駆けつけると、女官たちが恐怖に顔を引きつらせ、指を震わせていた。


その先にあったのは――

倒れ伏す伽耶の姿。


白い衣が赤に染まり、胸元からは血が流れ落ちている。

口元にも赤がにじみ、うっすらと笑ったような顔が、ただ静かに揺れていた。


「姫様――!!」


誠は駆け寄り、その身体を抱き起こす。

冷たい。だが、まだかすかに息がある。


「姫様、しっかり……!」


何度も呼びかけると、ふるりと睫毛が揺れ、ゆっくりと瞼が開かれた。


焦点の合わない目。

それでも、その瞳が誠を捉えた瞬間、微かな笑みが浮かぶ。


「……誠……」


震える声が、わずかに唇から漏れた。

耳を澄ませなければ聞こえぬほどの、かすかな声。


「来てくれたのね……誠……」


そう呟くと、伽耶はそっと目を閉じた。


そのまま――静かに、動かなくなった。


 


──それから一年後。


月の出ない、新月の晩。

誠は黒衣に身を包み、ある屋敷に忍び込んでいた。


季国の重臣――

伽耶の殺害を命じたとされる男の家だ。


寝所の扉をそっと開け、忍び寄る。

寝台には、鼾をかいて眠る男の姿。


誠は、何の感情も浮かべぬ目で刃を振り下ろした。


「――っぐ……!」


鋭い悲鳴を上げた男に、すぐさま猿轡を噛ませる。

呻きながらもがく男を見下ろし、低く呟いた。


「お前のようなものが、姫様と同じ最期を迎えるなど――虫唾が走る。

……すぐには死ねないと思え」


血が飛び散る音も、呻きも、

誠の表情を一切揺らさなかった。


 


──その夜。


誠は血のついた黒衣を脱ぎ捨て、伽耶の墓前に立っていた。


沈黙の中、そっと墓に手を伸ばす。


「……姫様は、寂しがり屋ですから……」


そう呟いて、懐から刀を抜いた。


「いま、参ります」


そう言うと、

その刃を――己の胸へ、まっすぐに突き立てた。







「……っっ!!」


伽耶は、がばっと布団の中で上体を起こした。

呼吸は荒く、額にはうっすらと汗が滲んでいる。


窓の外は明るく、小鳥たちが楽しげに囀っていた。

朝の気配はのどかで、何もかもが平穏そのものだというのに――

伽耶の顔は、真っ青だった。


(……いまの……夢……)


「わ、わたしが刺されて死んで……

誠が冷たい目で人を殺して……

しかも“虫唾が走る”とか言って……

挙げ句の果てに、わたしのお墓で自害してた……!!」


ぽかんとしたまま、唇がわななと震える。


「ど、どんな願望持ってるの、わたし……」


夢は深層心理の表れ。

以前読んだ本には、たしかにそう書いてあった。


(……こんなの、誠には絶対言えない……!)


と、そのときだった。


廊下から聞き慣れた声がかかる。


「伽耶様、朝食を――」


「ひっっっ!!!!!!」


あまりにちょうどいいタイミングに、思わず声が裏返った。

扉の向こうで、ぴたりと足音が止まる。


「……えっ……?」


困惑の声が返ってくる。


伽耶は、そっと布団を抜け出し、扉の隙間から顔だけを覗かせた。


「ごめんなさい誠……わたしの深層心理が……あなたをめちゃくちゃにしたの……

自分に、あんな欲があったなんて……恐ろしいわ……」


心底申し訳なさそうに眉を下げる伽耶に、誠はしばし沈黙したのち、静かに息を吐いた。


「………………何があったんですか、伽耶様」


「言えない!!こんなこととても言えない!!

わたし、もう誠を直視できない!!!」


顔を真っ赤に染めて、ぶんぶんと首を振る伽耶。

それでも、どこか楽しそうにさえ見えるのが、この姫様らしい。


「いやもう、充分にわたしを直視していただいています」


冷静にそう返しながらも、誠はそっと手を伸ばした。


が、伽耶は数歩よろよろと後ずさり――


「ち、近寄らないで誠!!本気で怖くて……かっこよかったんだから!!!」


「……怯えておられますか?

それとも、褒めていただいてますか?」


「両方!!!!」


はぁ、はぁ、と荒く息をつく伽耶。

それを見た誠は、ふと小さく笑みをこぼした。


そして、やさしくその手を取る。


「さあ、朝食できておりますから。

 ――“虫唾の件”も含めて、夢のお話は、そちらでお聞かせくださいませ」


「き、聞いてたの…?!」


伽耶は、さらに顔を赤く染めて、ぷるぷると震えるしかなかった。









いつもより少し賑やかな朝食を終え、伽耶は庭に面した縁側に腰掛けていた。

干した洗濯物が、風に吹かれてさらさらと揺れる。


その白さに目を細めながら、伽耶は湯呑みにそっと手を伸ばす。


「それにしても、夢の中の誠…かっこよかったなぁ…」


ぽつりと呟き、瞼を閉じる。

黒衣をまとい、闇の中で刃を振るう誠の姿が、ふわりと脳裏に蘇る。


「刀をシュッと抜いて…こう…」


夢で見たままの仕草を真似して、湯呑みに口をつける。


そのとき。


パァン、と薪を割る音が庭の端から響いた。


「――はっ!」


反射的にそちらを見る。

誠が、木陰で斧を振るっていた。

日差しを受けた汗が、腕を伝って滴っている。


伽耶は湯呑みをそっと置くと、すぐに立ち上がり、ぱたぱたと庭に駆け出した。


「誠〜っ!」


声に気づき、誠は手を止める。

斧を静かに下ろし、こちらを振り返った。


「…どうされました、伽耶様。薪割りの途中に近づかれると、危のうございます」


手拭いで額の汗をぬぐいながら、誠はやや不安げな目で伽耶を見やる。


「あのね、お願いがあるの。再現してみてほしいの!」


伽耶の声は明るく、目はきらきらと輝いていた。

誠は一拍遅れて、胸の奥に微かな嫌な予感を覚える。


「再現…ですか?」


「夢よ!ねえ、やってみて?刀を抜いて、“お前のようなものが姫様と同じ最期など――虫唾が走る”って」


誠、固まる。


「……はい?」


「あなたがそう言ってて、すっっっごくかっこよかったの!!声が低くて、眼差しが鋭くて、髪がわずかに乱れてて……」


(どれも、普段の自分とはかけ離れている気もしますが…)


興奮して拳を握り笑顔を浮かべる伽耶に、内容はどうあれ褒められた誠は、静かに目を逸らした。


「……姫様、わたしはそんなことを申し上げた覚えが一切ないのですが」


「夢の中の誠が言ってたの!だから、再現して!お願い!」


「………………」


熱っぽく手を組んで見上げられ、誠は額に手を当てると天を仰いだ。

そのまま10秒ほど沈黙し、静かに刀を拾い上げた。


「……よろしいのですか、本当に」


「うんっ、今の声の感じで、もう一度。低く、睨む感じで」


誠は静かにため息をつくと、すらりと刀を抜き、目を細め――


低い声で、言った。


「――お前のようなものが姫様と同じ最期など……虫唾が走る」


「っきゃあああ!!!!!」


とたんに伽耶は顔を真っ赤に染め、両手で頬を覆ってよろよろと後ずさる。

そのままペタンと腰を下ろした。


誠は静かに刀を鞘に収め、しゃがんで伽耶の隣に膝をつく。


「誠……かっこよかった……すごくかっこよかったわ…!もう一回言って……!!ねえもう一回言って……!!!」


熱のこもった目で見つめられ、誠は再び目をそらす。


「……これ以上続けると、“誠役”が本物のわたしを見失いそうです……」


伽耶は、そっと誠の腕に両手を添えると――


「いいのよ、見失って!!わたしを虫唾で沈めて!!!」 


「伽耶様!!意味が!!意味がまったく!!」


誠が盛大にため息をついたとき、

風が吹き、干された白い布がふわりと揺れた。

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