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紅に咲く ― 鳥籠の姫君と誓いの護衛 ―  作者: ゆき
最終章 紅に咲く
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エピローグ 紅に咲く 前編

「せい〜…たすけてぇ…」


巫児村(ふにむら)のとある片隅、小さな屋敷に情け無い声が響き渡る。


「どうされました、伽耶様!」


薪割りの手を止め、誠は汗をぬぐって顔を上げる。


『洗濯物は今日はわたしにまかせて!』


つい先ほど胸を張って駆けて行ったばかりだ。


きょろきょろと辺りを見回すが、目の前にはただ畑の実りが広がるばかりで、声の主の姿はない。


「動けないの…」


中庭のほうから聞こえてきた震える声に、誠は眉をひそめて駆け出す。


(まさか、獣に襲われて…?いや、賊が…?)


部屋を抜けて中庭の扉を開けた瞬間――


「伽耶様!どうされま……」


そこで目にした光景に、誠は言葉を失った。


首から下、寝具用の薄布にぐるぐる巻かれた伽耶が、てるてる坊主のような姿で立っていたのだ。


「干そうとしてたら風が吹いて…ほどこうと頑張ったんだけど…動けなくなっちゃったの…」


涙ぐむその声に、誠はぷるっと肩を震わせた。


「ふっ…」


あわてて口元を覆って目を逸らす。


「あっ!笑った!笑ったでしょいま!」


伽耶の顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。


(可愛い…)


誠は咳払いすると、何事もなかったかのような顔を作り、その側に近づき薄布に手をかける。

確かに薄布はどうしたらこうなるのか、といいたくなるほど絡まっていた。


「薄布は……慣れていないと難しいものです」


誠が手際良くほどいていくと、自由になった手足を伽耶はぷらぷらと動かした。


「どうしてこうなっちゃうの…」


伽耶は目を潤ませる。




伽耶がこの村にきてからというもの、事件が起きない日はなかった。


『誠、わたしも家事やる。やるったらやるの。もう、お姫様じゃないんだから!』


宣言したところまではよかった。

しかし…

食器を洗えば頭から水を被り、火をおこせば顔が煤まみれになり、畑で水やりをすれば水桶をひっくり返して泥だらけ。


元々、姫である伽耶は、家事はもちろんのこと、身の回りの世話や、入浴中に身体を洗うことすら自分でしたことはなかったのだ。


『洗髪の仕方と身体の拭き方はしってるわ!劇団胡蝶で習ったから!』


屋敷にきた初日に伽耶が得意げにそう話した時、誠は目を丸くした。


『…それは、素晴らしいです』


そう返せた自分を、寝床で褒め称えたくらいだった。





伽耶はぐしぐしと目をこすると、真っ直ぐに誠を見上げた。


「薄布は初めてだったからだから!やり方、教えて誠!」


その言葉に、誠はふっと笑みを浮かべる。


(できなくとも、腐れることがない…本当に、可愛らしいお方だ…)


実際に伽耶は派手に失敗はしてきたものの、練習を重ね、できることも着実に増えてきていた。


そっと布を伽耶へと手渡す。


「ええ。薄布は大きくて難しいですから。…共にやりましょう」


誠がそういうと、伽耶はぱぁっと笑顔を浮かべた。


「うん!」








中庭では、干された薄布が風に揺れ、涼やかな風が伽耶の髪を撫でていく。

その顔には、どこか満足げな笑みが浮かんでいた。


「さて、誠?今日は釣りに連れて行ってくれる約束よね?」


にこにこと笑顔で顔を覗き込まれ、誠はわずかに身を引いた。


「本当に……行かれるのですか?川辺は、まだ危険では」


「大丈夫!それに、約束したじゃない。火おこしが上手くできたら、釣りに連れてってくれるって」


つん、と唇を尖らせながら抗議するような目で見上げられ、誠は視線を逸らした。


たしかに言った――いや、言わされたような記憶がある。


(あのときも、“できた”とは言い難かったのに、満面の笑みで見上げられて……)


ぐるぐると言い訳を探す誠の胸に、伽耶の声がふわりと入り込む。


「お願いっ。わたし、また近所の子に“魚釣りもしたことないの?お姫様みたい”って笑われちゃう……」


うるうると潤んだ瞳で見つめられ、誠は思わず頭を押さえた。

ほんの数ヶ月前、川に落ちた彼女の姿が、記憶の奥で警鐘を鳴らす。


(……しかし、ここで断ってもきっと、彼女は一人で行くだろう)


ふぅ、と息を吐き、誠はしっかりと目を合わせた。


「……わかりました。ただし、絶対に!わたしから離れないでください」


「やったぁ!!ありがとう誠!」


ぴょんぴょんと小さく跳ねながら、伽耶は喜びをあらわにする。

その笑顔があまりに無邪気で、誠の頬が自然と緩んでしまった。


(……どうして、こうも放っておけないのか)


紅葉がさらりと舞う中庭。

風に揺れる布と、笑い声がふわりと溶けていった。








さらさらと流れる川沿いに、ふたりは並んで腰を下ろしていた。

それぞれの腰には、一本の縄がしっかりと結ばれている。


「ここまでしなくてもいいと思うけど……」


伽耶は唇を尖らせ、ぶつぶつと文句をこぼす。


誠は小さく首を振った。


「いけません。伽耶様には、思いがけない“実績”が多数ございますので。念のためです」


(ここにくるまでだって、事件一歩手前の事故が何度あったか……)


思い出すだけで冷や汗がにじむ。

それを思うと、誠は警護の手を緩める気にはならなかった。


「ふふ、そんなに褒めないで?」


「褒めておりません。事実を申し上げただけです」


言葉に一切の迷いがない誠に、伽耶は思わず笑みをこぼした。


「そういえば、前にもこんなことあったわよね?覚えてる?市場に行った時のことーー」


ふんわりと、記憶の引き出しを開けるように。

伽耶は楽しげに誠へと語りかけた。


(本当に、よく笑われるようになられた……)


誠は静かに目を伏せる。


この巫児村に来た当初の伽耶は、生活に慣れるのに精一杯で、それでも時に枕が濡れる夜もあったようだった。


眠れぬ気配に伽耶の寝室の襖の前に立つと、声が漏れ聞こえることがあった。


『ごめんなさい華蘭姉様…総雅お兄様…烈翔お兄様…』


(烈翔様…)


誠がこの巫児村に赴任されたのは烈翔の力によるものだった。


伽耶が広間で倒れた翌朝、責任を取って辞任すると申し出た誠に、「ならばここへ赴任しろ」と道を示してくれたのは、烈翔だった。


国からの派遣という形であるおかげで、多少の給金が出るため、誠にとっても初めての体験が多いこの村で、少しはゆとりのある生活を送れている。



「ーーでね?聞いてる?誠」


ふいに覗き込まれ、誠は我に返った。


「……申し訳ありません。少し考えごとをしておりました」


誠がそっと微笑みかけた、その時だった。


「わ、わっ!誠!わたしの、竿!!」


伽耶の声に、誠がはっと視線を上げる。

彼女の釣竿がぴくぴくと揺れ、ウキが水中へと吸い込まれている。

伽耶は慌ててその腰を上げた。


「伽耶様、落ち着いて、竿をひいて…」


誠は己の竿を置き、伽耶の背後に回ると、伽耶の竿に手を回した。


「…!」


思わぬ体勢に、伽耶の耳が一瞬で真っ赤になった。


だが、誠は気づかない。


(……一匹でも釣れれば、この場から伽耶様を引き上げられる……!)


全神経を集中し、釣竿をしなやかに引く。


「わっ…!」


その糸の先には、ぴちぴちと跳ねる小魚がかかっていた。


「すごい!誠、釣れた釣れた!」


「よかったです。釣れましたね」


地に置かれた魚を、伽耶は興味津々に覗き込む。


「これどうやって針取るの?」


「これはですね、口の中の針を一旦押し込んで…」


誠が魚の口と格闘しているとーー


伽耶の視界の端に、ふわっと動く何かが映る。


(あれ…?)


誠の釣竿が、大きく引かれていた。

竿ごと川へ――


「あっ!」


とっさに立ち上がり、手を伸ばす伽耶。


が。


びんっ――


腰縄が張りつめ、伽耶の身体は前のめりに、川へと――


ばしゃーんっ!


気持ちのいい音と共に、伽耶の顔と上半身は見事に川に突っ込んでいた。


一瞬の沈黙ののち、


「伽耶様!」


状況を理解した誠が飛んできてその身体を抱き起こす。


髪は濡れ、顔は鼻が赤く、ぽたぽたとあごから水が滴り落ちる。


しかしその顔には――


「ふふ、あはは…!」


その顔には、満面の笑みが浮かんでいた。


(こんなに笑っておられるのは、初めて見たかもしれない…)


誠は目を丸くし、何度か瞬きを繰り返した。


ただ、ただ見惚れていた。


「もー、誠、この縄全然だめじゃない!」


いまだに笑いが収まらない様子の伽耶は目尻に浮かんだ涙を拭う。


「も、申し訳ありません」


「こんなことが起こるのね、おかしい」


お腹を抱えながら笑いが止まらない伽耶の隣で、誠も自然と微笑んでいた。


「予想もできないことばかりだけど……でも、とっても楽しいわ、毎日!」


笑顔のまま、まっすぐ誠を見つめるその瞳に、

誠の胸が、ぎゅうっと締めつけられるように痛んだ。


「あっ!待って!誠の釣竿!」


「えっ…あっ!」


2人が慌てて川の下流に目をやると、誠の釣竿は幸いにも近くの木に引っかかって止まっていた。


ふたりは目を見合わせ――そして同時に笑い合った。


誠は伽耶の手を取り、立たせると、2人で竿の元へと急いだ。


その手は、もうすっかり村の暮らしに馴染んだ、小さくてあたたかい手だった。

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