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紅に咲く ― 鳥籠の姫君と誓いの護衛 ―  作者: ゆき
最終章 紅に咲く
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第二十九話 寒い夜に、君がいて

「さむい……」


ふと零れた伽耶の声と、その小さな震えに、誠はびくりと肩を揺らし、抱きしめていた身体を急いで離した。


その腕の中にあった伽耶は、足首ほどまでの丈しかない白い肌着一枚で、震えていた。

その肌着も水に濡れ伽耶の体にはりつき素肌が透けて見える。

誠は赤く染まった顔を逸らすと、慌てるように腰の紐をほどき、羽織っていた長衣を脱いだ。


「か、考えが至らず申し訳ありません……。姫様を水中から救出する際、その……お召し物が重く……」


長衣を脱いで露わになった裸の上半身が、細く引き締まった筋の影を夜気に晒す。


「あ、貴方……!そんな姿で……!」


伽耶は驚きに目を見張るが、誠は構わず長衣を絞ると、そっと伽耶の肩にかけてやった。


「構いません、すぐ火を起こします。少しだけ、辛抱を……」


誠は袴に下げた巾着から火打石を取り出し、震える指で確かめるように触れた。


(こんなに慌てる誠、久しぶりに見た……)


伽耶の口元にかすかに笑みが灯る。


「火打石……よく持っていたのね?」


「姫様の護衛として当然でございます。他にも、ちょっとした薬と、止血用の針糸が……」


言いかけて、誠は手を止めた。


「……先程、軽く拝見した限り大きなお怪我はないようでしたが……痛むところはございませんか?」


「大丈夫よ、誠のおかげね。ありがとう。」


伽耶の柔らかな微笑みに、誠は顔を逸らし、少しだけ耳が赤くなる。


「わたしも手伝うわ。枝を集めればいいのよね?」


伽耶がゆっくり腰を上げると、誠は慌てて駆け寄り、その肩にそっと手を置いて座らせた。


「いけません。わたしがいたします。姫様は……おかけになっていてください。」


伽耶はむっと口を尖らせる。


「わたしだって、それくらいできるのよ。劇団で教わったもの」


(……劇団で……)


得意げに言う伽耶を見つめながら、誠は小さく胸を締めつけられる思いがした。


けれど視線を戻し、枝を拾う手を止めることなく口を開く。


「そんな顔色で言われても、説得力がありません。いまは……おかけになっていてください。わたしのためにも」


伽耶が無理をして倒れた時のことを思うと、誠は伽耶の希望を聞くわけにはいかなかった。



伽耶は目を丸くして誠を見つめ、小さく息を吐くと素直に腰を下ろした。


その時、わずかに冷たい風が二人の間を抜け、肌着越しに感じる布の温もりが、静かに伽耶の胸に広がっていた。





それから誠は手際よく枯れ枝を組み、火打石で火花を散らすと、小さな焚き火がぱちぱちと音を立てて燃え始めた。


伽耶はそっと両手を差し出し、その瞳に映る炎をじっと見つめる。


「……あったかい……」


そう呟いた声は、川風の音に消え入りそうだったが、確かに嬉しそうで。

伽耶は膝を引き寄せ、その上に顎を乗せた。


誠は向かい側に座り、巾着を開くと中から金属製の杯と乾餅を取り出す。

川の水を汲み、火にかけ、乾餅を柔らかく戻すと、そっと伽耶へ差し出した。


「姫様、量は十分とは申せませんが……乾餅を少し、お召しください」


不思議そうに瞬きをして乾餅を見つめていた伽耶だったが、小さく笑い、恐る恐る口元へ運んだ。


咀嚼する音だけが、静かな河原に微かに響く。


「ふふ……少しかたいけど、おいしいわ。……みんな、こういうものを食べているのね」


伽耶の笑顔に、誠の胸の奥にそっと安堵が広がる。


「あなたの分もあるのよね?」


伽耶が首を傾げると、誠は小さく首を振った。


「わたしは鍛えておりますから。水さえあれば、大丈夫です」


その言葉を聞いた瞬間、伽耶は乾餅をふたつに割った。


「そんなことだろうと思ったわ。……はい、これ。あなたも食べて。ね?」


小さな火の明かりの中で、伽耶が差し出す乾餅。

その目は、ほんの少し潤んでいた。


誠は視線を泳がせ、観念したように息を吐くと、それをそっと受け取り、口へ運んだ。


もそりとした食感の向こうで、かすかに甘さが滲む。


「……ありがとうございます」


短く、でも確かに、誠は笑った。


その笑顔は、伽耶が昔見たあの笑顔となんら変わってはいなかった。


伽耶はその笑顔を見つめながら、炎へと視線を戻す。

火の粉がひとつ、ふわりと夜空へ昇っていく。


――ほんの少し前まで、触れることすら許されなかった距離が、今はとても近くにある。


誠は小さく息を吐くと、隠すように笑みを浮かべた。





焚き火の火がぱちぱちと小さく弾け、川の流れる音が、二人の間に静かに響いていた。


「船は……どうなったのかしら」


伽耶がぽつりと呟くと、炎を見つめていた誠の瞳が小さく動いた。


「精鋭揃いです、蒼煌辰もいます。……問題ないはずです」


「ふふ、信頼してるのね」


伽耶が笑みを浮かべると、誠は少しだけ視線を逸らし、咳払いをひとつ落とした。


「……それより、あの賊のことが気になります」


炎が揺れるたび、誠の表情が陰影に揺れる。


「あの川は賊が出ると言われる場所ではありません。…見張りも直前まで気づかなかった…いや、警告を出さなかったのか…」


誠は唇に手を当てじっと炎の揺らぎに目をやる。


「賊の仲間だった……ってこと?」


伽耶が小さく首をかしげると、誠は真剣な眼差しで頷いた。


「姫様を突き落としたあの兵も同じです。季国の鎧を纏って、護衛に紛れ込んでいた」


伽耶はそっと目を閉じる。


あの時、護衛の中にいた“彼”は確かに、他の兵と同じ鎧を纏っていた。あの手で、自分は肩を押されたのだ。


「……ただの賊じゃないのね」


「……はい。紫国の使いだったのかもしれません。

近頃似たような手口の賊が国境付近で暴れているのです。

ですが、証拠があげられず……我々も手を出せずにいるのが現状です」



「……そう」


伽耶は膝を抱える腕にきゅっと力が入る。


(昨晩の、あの男のあのまなざし…とても冷たかったわ)


烈翔が嘘を告げた瞬間、紫宸が家臣を睨みつけた目が脳裏によみがえる。

ぶるり、と伽耶の背が震えた。


そのとき。


その肩に、そっと温かい手が置かれる。


「大丈夫です、姫様」


驚いて顔を上げると、いつの間にか誠が隣に座り、焚き火の光を浴びながらまっすぐに見つめていた。


「今度こそ、必ず……わたしがお守りいたします」


その声は震えていなかった。

けれど、伽耶は気づいていた。

誠の指先が、小さく震えていることを。


伽耶はそっと笑みを浮かべた。


炎に照らされたその笑顔は、今朝までの“造られた笑み”とは違っていた。

胸の奥が温かくなるような、素直な笑顔だった。


「信じてるわ」


その一言に、誠は小さく息を吐き、頷いた。

そしてほんのわずかに、口元が綻んだ。


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